はてなキーワード: 学歴差別とは
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20110329#p1
まあ、これは医療という立場から踏まえた合理的な考え方に基づくものだから、差別をすべきではないというのは正しいかと思う。
トリアージは差別になるだろうか、と言えば、私は差別になると考える。合理的差別だ。
救うべきものと救えないものを分類し、スクリーニングにかけるということで、より多くの命を救えるのだから、これはやむを得ない。記事も、「不要な」と前置きしてスクリーニングを否定していることを読めば、必要なスクリーニングはあるという考えが見えてくるだろう。勘違いしてはいけないのが「スクリーニングすべてが不要」ではないということだ。そこを誤解しているブコメが幾つか見られる。
「差別を許容することによって自分が差別される側に立たされるリスク」とは、差別の語の前に不要な、を補うのが望ましい。しかしながら、合理的差別のそれも、こうしたリスクを孕んでいることは疑いない。言ってしまえば戦争状態である。
「差別を許容してはならないのは、そのとき差別される人のためだけではなく、自分のためでもある。」というのは、「もし自分が差別される立場に立つ可能性」を踏まえてのものである。そうしたことを慮って差別しないこと、即ち賢い人であるというのは、恣意的な操作ではないだろうか。
また、これすらも医療の立場からの提言であり、一般的な差別全般に対しての言ではないということも注意したい。
さて、記事自体からの引用はさておき、これから差別全体について、合理非合理を交えた私なりの考え方を該当ブコメからの引用を取りつつ述べることにしたい。
Apeman 「しかし、差別を正当化する代償は安くないと私は考える」 構造的な差別についてはマジョリティにとってその代償が極めて安くすむのがこの社会の問題。
構造的な差別、というのがいかなる差別に当たるのか私は誤解しているかもしれないが、ここでは社会的差別ということに換言したい。
つまり社会構成員としての人間が、構成する社会から言わば「空気」のようにのしかかるものだ。例えば、容姿差別、性差別、学歴差別、年齢差別がこれに当たる。
今四項の差別を例示したが、前二つは先天的なもの、学歴差別は後天的な物、年齢差別は漸進的なものである。社会的に合理性をもって正当化されるのは後ろ二者で、前二者についての差別も深刻ではあるが、後者ほど合理的ではなく、日進月歩で改善も見られる。とはいえ、まだまだなのが現状だ。後者に至っては、半ば当たり前というか、「しかたがない」というような意見を耳にする。特に、企業の採用活動などを見るにつけ、それは顕著である。また、学歴差別、年齢差別のメタなものとして「知能差別」が挙げられよう。つまり、「バカは黙れ」「老害はとっとと死ね」の類である。はてなでもここらへんの差別には寛容で、ブコメでは毎日のようにバカに対する差別で賑わっている。
ここに見られるのは慣習的な使い方の「自己責任」が背景にあると思う。性差別などは先天的なものであり、それを打破するのも頷けるが、学歴差別は言ってしまえば「努力の結果」による側面が評価されがちで、できなかったのは本人のせいだ、と抑圧される。簡単な例としては、新年の銀座の福袋を確実に欲しいなら、朝来るのではなく前日前々日から並べば良い、手に入れられなかったのはそういう努力を怠ったからだ、というわけだ。他にも花見の場所取りなども似たようなものだ。要は、ある集団に序列を与えて、その上にいる人ほど大きな恩恵を与えるべき、ということである。これは、集団の下の方への保障の仕方によっては「逆差別」と言われることもあり、非常に難しい問題である。
Sinraptor 差別, 原発, 災害 今後汚染地域に住む人々が、結婚差別などにさらされることも考えられ、些細な事項であっても差別は許容しないという姿勢が必要だと思う。
まったくもってその通りであるが、これは地域差別の問題にも直結している。つまり差別する側が地縁を事由に差別される可能性は体感的に低いのである。
だいたいの人間は相手に見られたとき、悪くても「何処の馬の骨」で、評価はゼロが最低なのだ。しかし、地域が被差別になるとこのゼロがマイナスになる。非合理的な差別はだいたいが不安感情に由来する。正負の乗算が負になるように、相対的に自分が上だと分かってしまうと、それより下のものを「穢れ」として退けたくなるものなのだ。だからこそ差別をしないというのは理性的なものだし、差別をするのは本能に因るし、だから一部のはてなーは例外なく知能差別を(ry
uchya_x しかし、ここは再三差別発言を繰り返している人物が首都の知事に三度も選出されている国でもある。今度も当選するようならどうすればいいのやら。 2011/03/29
これは実はなかなか面白いもので、差別をする人の中にも「政策の支持を得るもの(優れているわけではない)」とそうでないものの二者がいて、石原慎太郎というのはこの前者に価するのではないかと考えている。つまり、差別はするけど仕事はする人として評価されているのだと思う。
リヒャルト・ワーグナーという作曲家がいるのはご存知だと思う。彼の音楽は世界で評価されているが、彼の人間性はあまり「できた」ものではなく、そこはwikipediaでも見てもらえればいいが、今でもワーグナーを支持すること、演奏することがタブーな国もあるのだ。仕事の出来と人間性に相関があるわけでもないので、いい仕事はいい仕事で評価されれば良いのだが、世の中にはそれすら禁忌なところもある。清廉潔白であるなら望ましいが、万人が聖人というわけでもないし、聖人なら仕事ができるという話でもない。
ちなみに私自身は、前都知事選では政策において石原より秀でたものはいなかったと思っている。浅野史郎はちょっといただけない(これはあくまで私の価値観だし、東京にいないので関係もないのだが)
parallel-world 社会, 差別, 医療, 災害 差別する者は損得計算のできない者だと考えている。 2011/03/29
全称的にそう言い切れるとは思わないが、一部の差別主義者は権力を得るに連れて差別思想を暴露する傾向にあるように思う。つまり、権力の高みに登るに連れて「ちょっと落ちただけでは死なない」ように思い、ネット普及前までは特に深く糾弾されるようなこともなかった。今では「バカの可視化」としてそういう発言も多くに共有されるようになり、発言リスクも高まったように思うが、それ自体は化粧のようなもので、内心に差別心を抱く人が減るという話でもないことは心したい。
概括すれば、人間というのは不完全なのだから、差別心を持つ事自体を止めることは不可能である。私たちのこの「差別をしない、あるいはするな」というのは翻ってみれば「不謹慎」と同種の圧力を産む。そしてそれは正義の刃として受け止められる。
差別については、突き進めば個々人の心がけにしかなりえないだろう。それを享受するメリットを限りなく最大化し、多くの人間がみずから進んで、快く、差別をしないよう心がける環境を醸成するのが、最善であると私は思う。
具体例か…
さっきの東大生のツリーで見て思ったのは、
http://anond.hatelabo.jp/20110203114210
この思い込みを崩さずに攻めまくった人は完全に勘違いで突っ走ってるよって思った。
読んだうえで文句が言いたいなら
「お前の長文だがコレコレこのように噛み合ってない、このアホめ」って言えばよろしい。
これは、まあ、わかるけど、でも「反論を真面目に組み立てるまでもない」って判断したら俺も「プププwwはい乙ww」みたいな反応するよ。
まあそうするより無視ったほうが低学歴ぽく見られないってことなんだろうけど俺は学歴コンプレックスないし、低学歴に見られても構わないかな。
だいたい増田って、きっちり反論したってろくに理解せず反論してくる、というか、思い込みって文章読むだけじゃ覆らないんだから
真面目に反論するだけ無駄じゃんよ、って思ってしまいがちです。
目の前にその人がいたら、いや、そこ勘違いしてない?って言うけど。
背伸びして高学歴コミュニティに所属して背伸びした意見を言えば、そりゃあ膝カックンされるだろ。
というわけだ。
お、トラバついた。
僕に言わせりゃすべての区別は差別の下位互換でしかなく、そして差別は人間営為に不可欠のもので肯定されなければならないというのがスタンスだから、君の「僕に対する」ツッコミは的外れ。
ただ、君のような区別と差別に違いがあるんだ!違いがあるから区別はいいんだ!っていう人は、感情を持って使われるケースの男女差別や学歴差別にどう説明するのか興味あるなあ。
それともあれかい。どんな差別でも合理的な理由さえ得られれば肯定するってスタンス?なら僕と結構意見近いかもね。
まあ僕は感情を持った差別も許されるべきだというスタンスだから、それでも結構溝は深いと思うけど。
ところで、選民思想ってのは感情が含まれていないものなのかね。
僕に言わせりゃ、感情ありきのものだと思うけど。
46 : アイスバーン(チベット自治区):2010/12/26(日) 00:56:33.85 ID:r8zQ6lg8P
>>17
年齢くらいは書けよと思うんだが
理由
年齢で採用不採用を決めるのは、年令による差別だから、行ってはいけない。行ってはいけないんだから、知る必要もないし
落とすときに年齢で落としたなどとイチャモンを付けられないために、書かせてはいけない。
あんた、年齢で人を決めるの?
年取っていたら技術があって、若ければ未来があるなんて、幻想ってはなし。
日本は学歴差別・性別差別・年齢差別・人種差別 恐ろしいくらい未開拓の土人の国といわれても仕方ないような、差別大国。なんだよね。実は。
年齢くらい書けよって、仕事と年齢の関係を先に言えって話だよなぁ。
子役とかならともかく。
それらが嘘かホントかなんてどうでもいい。
ネットは確実に視野を広げさせた。これだけで十分だ。十分すぎる。汚かろうがそうでなかろうが関係ない。あらゆる概念に身をまかせることで価値観が磨かれていく。
脳年齢が急速に若返ったかのような感覚に陥る。抑制された概念や思想が、自分の価値を相対化させてくれる。
僕はこのままネットに触れていなければ、おそらくムラ社会的価値観を美徳とする若年性老害となって社会を腐らせていただろう。
ありがとう、みんな。
俺は「英語=グローバル化」な人たちにはかなり冷笑的な立場なので、英語力が少々高かろうが低かろうが「それがどうした」なのだが、題名のようなことには常に疑問を感じている。本当にそれって事実として正しいのかと。ちょっとその辺に苛立っているので毒を吐かせてもらう。
俺の乏しい学会やビジネスなどでの経験から言うと、韓国人の英語力は日本人と五十歩百歩だ。世界の中でブービー賞争いをしている二国といっても過言ではない(台湾も含めて三国か。まあその辺はどうでもいい)。日本の英語がカタカナ英語なら、韓国の英語はハングル英語で、しかも原稿棒読みであることには何のかわりもない。
確かにTOEICの点数とかで見ると韓国の方が高いのかもしれない。しかしTOEICができれば英語ができるなんて思ってる奴はその時点で英語力が絶望的に低いことは正直確定だ。語学が何であるかまったくわかってないもん。あれって単なる「退屈極まりない内容を細部まで聴き通せますかテスト」でしかない。いわば「英語でのIQテスト」だ。学歴差別の構造を保存するためのものなんじゃないかという陰謀論を(皮肉で)唱えたくなるぐらいだ。正直、あれで600点も取れない奴は中学からやり直せとは思うが、そういう論外レベルの奴を除けば、600点と900点の差なんて全然ない。試験を受ける要領の差ぐらいでその程度の点差はいくらでもつく(だからたとえば高学歴の600点は低学歴の600点よりもはるかに英語力が低いと思う)。そしてその程度の点が取れたからと言って、せいぜい観光旅行が何とかなる程度の能力でしかない。
ともあれ、日本がガラパゴス化しているとかいう議論には興味はないが、もしそれが正しいとすると英語力が主たる問題でないことは明らかに思える。日本の英語教育に改善の余地がないとは全く思わないしむしろその反対だが、とりあえず韓国とか中国とかを持ち出してコンプレックスを煽る「隣の○○ちゃんはこの前のテストで○○点とったのよ!」系の言説で喜んでる奴は(大抵はアンチ学歴みたいなふりをしているが)心根がつくづく学歴厨なんだなと思う。はっきり言ってうざすぎる。
無自覚で明白な学歴差別。
http://anond.hatelabo.jp/20100406210937
自慢が不毛だと言うが、そもそも有名大学在学であることや兄が有名大学卒であることについての言及がその文章そのもの以外にない。
なのでこれらを書いたのは自分の主張に権威性を持たせるためか、または低学歴と対置するためもしくはその両方で、どちらにしても学歴主義(≒差別)そのもの。
また兄がニートであることと本人が差別的である/ないことには因果関係がないし、この文章に従えば暇で不毛な議論を恒常的に繰り返している筆者自身が>>そこが世界のすべてと思い込み、不必要な情熱で他人を追い込み続け<<ている一人の2ちゃんねらーであるとさえ読める。
暇をもてあませば嗜虐性がネットによって「当然に」培養されるとあるが、僕は名門ではない大学に在籍しているので「暇を持て余して不毛な議論をする」となぜ嗜虐的になるのかがよくわからない。
えー
そんなん、「君の読解力はちょっとアレだね」みたいなことなんて言えばいいの?
指摘すること自体が学歴差別みたいな話になんのか…?