はてなキーワード: ケチョンケチョンとは
ちょっと調べてみたけど、おそらく、ダブルバインドって言う考え方が結構複雑なんだけど、
それを超簡単に言うと、
「違う行動を起こしても同じ結果になる」
これ、どっちの行動がどっちにとって同じなのか、ってのが、本来は
「問われた側がどんな行動を起こしても、問うた側は同じ結果を行う(問うた側が同じは思わずとも、問われた側が同じだ、との印象を受ける(どんなことをしても怒られる、とか))」
(この問う側の最初の問と、二番目の行動が"二重の拘束"となるんだと思う。)
ということなんだけど、これが、
「問われた側がどんな行動を起こしても、問うた側の思い通りの結果になる」
「二者択一にすればその内1つを選ばせる事が出来るテクニック」
として勘違いが広まっていったのかと。
さらに、そうなると簡単に使える心理的テクニック!ってことで、
キモいコンサルや恋愛マスター()みたいなブログで「ダブルバインドを使え!」って内容で、
そう言った、2者択一を出すことによって相手の答えを制限させる、っていう話が沢山載ってた。
というか、ほとんどそれだった。(微妙に理解してそうな人でも最後にそっちに間違えてる人が多い。)
それでかなり拡散してると思う。
多分、自称営業マスターだとか、恋愛マスターだとか、皆、ダブルバインド、ってドヤ顔でこういう説明をするんだと。
(是非とも女の子の前で自慢して説明して、良く知った女の子にケチョンケチョンにしてもらいたいね!)
それはいいとして、嫌な顔されてからかうのは別にダブルバインドでも心理的な手法でもなんでもなくて、
単に女慣れしてるかどうかだけの問題。
この状況でごまかせるだけの能力あるなら、別に、「ちょっとホテル行こうか」って言って断られてもごまかせる。
全く別次元の話。
【話題】 TBSの大御所アナが今の “女子アナブーム” をメッタ斬り
1 :影のたけし軍団ρ ★:2013/12/11(水) 10:54:46.05 ID:???0
女性アナウンサーの草分け的存在、吉川美代子氏(TBS)の新著が話題だ。「アナウンサーが教える 愛される話し方」(朝日新書)で、
今月13日発売される。中身はアナウンサーの声の出し方、プレゼン、司会、スピーチのノウハウなのだが、
その最終章が圧巻で、今の女子アナブームをケチョンケチョンにこきおろしているのである。
吉川氏は1977年にTBS入社後、37年間アナウンサー一筋で活躍してきた。来年5月に定年を迎える。
〈わたしはこれまでずっと「女子アナ」ではなく、「女性アナウンサー」としてプライドと自覚を持って仕事をしてきました〉という吉川氏。
それだけに今の「女子アナ」が我慢ならなかったようだ。
吉川氏によると、今のアナウンサーには4つの亜種があり、「男性アナウンサー」「女性アナウンサー」「ベテランアナウンサー」そして「女子アナ」だという。
吉川氏が許せなかったのは、最後の「女子アナ」になる。その批判の凄いこと。
〈「女子アナ」がアナウンサーの亜種であろうが、新種だろうが、週刊誌やスポーツ紙の記者やカメラマンにとっては、まさに飯の種、ありがたい存在に違いありません。
一方で、心ある視聴者にとっては、タレントのようなかっこうをしたり、漢字を読み間違えたり、放送界の環境汚染源といえるかもしれません〉
〈必ずしも、「女子アナ」は放送局の社員とは限りません。タレント事務所に所属している「女子アナ」もいますが、ニュースを読む機会は多くありません。
いまどきの高校生と変わらない遊び着ファッションと、甘えた声でニュースを読むことがあります。原稿の内容を理解しているのかは、はなはだ疑問です〉
〈放送局社員の「女子アナ」はどうでしょうか。わたしが新人アナウンサー研修で、みっちり教えたはずの発声や発音やアクセント、、間違いやすい表現、
言葉づかいなども、「女子アナ」にかかれば、無残にも砕けちり、粉々になって消えてゆくことがあります。(中略)漢字を読めないことを売り物にする「女子アナ」さえいます〉
極めつきは、以下の部分で、まさしく一刀両断だ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131211-00000004-nkgendai-ent
2 :影のたけし軍団ρ ★:2013/12/11(水) 10:54:58.72 ID:???0
〈パパラッチに追い回され、ボーイフレンドとのデートや買い物姿を写真に撮られる。(中略)でも「女子アナ」はめげません。
細い脚を誇示するような短いスカートでしゃがむ。公道でキスをする。「女子アナ」はサービス精神旺盛なのでしょうか。
これでは、写真週刊誌にねらわれても自業自得と言わざるを得ません〉
吉川美代子氏に改めて聞いた。
「80年代後半頃から、若い女性アナウンサーが『女子アナ』と呼ばれ、バラエティーに出るようになりました。
技量より個性が重視された。最近はタレントが情報番組のMCを務める時代、局アナとの線引きが曖昧になっているし、
東日本大震災以降、いざというときは放送局のアナウンサーとしてきちんと情報発信していかなきゃいけないという意識が少しは芽生えてきた気がします。
ですが、どうしたらいいのか、形にできないと意味がない。アナウンサーを名乗るなら、教養や技術を身につけて、
自覚を持ちましょうと誰かが厳しく言わなきゃいけないと、メッセージを込めました」
女子アナに「反論」があるのなら聞きたいくらいだ。
ずばり書いちゃうけど自分のつぶやきに賛同する(実在する)人達をどんどん集めて
「こっちのモラルが低い(私達のクラスタは高い)」「出来が悪い(私達のクラスタの出来は良い)」
と常日頃人の粗を探して標的の人格をケチョンケチョンにしてもいい空気をTLで作り出すゲームである
粗は何でもいい
等と書いたらSNSの製作者やネット上の正義とか未だに信じている人は悲しむだろうけど
クラスタの数や取り巻きの頭の鋭さ悪さが勝敗を決めるのが団体戦で1VS1はソロプレイ
だから実名派が匿名disるのはモンハンで例えるならガンナーのハメ技嫌うようなもので
攻撃力の高い剣士(実名)でプレイするならあなたはそれで良いいんじゃない。
他の人達のゲームスタイルにいちいち口を出すのは控えてほしいかな?
「違うよ ほら趣味のつながりとか地域の情報やいろんな人と交流できて楽しいのがSNSだよ」
といいたくなるだろうしそれが本来のSNSでしょうが、自分の思想の「好き嫌い」「正義悪」
「けしからん」「ポジティブー!!」「普通」を他人に押し付けようとすると
SNSは途端に地獄のゲームと化す そしてネット→マスコミへ波及すると効果は計り知れないので
利害関係のある人達は必然的にこのゲームに参加せざるを得なくなる どんなに嫌悪していようとね
初心者や経験値が低い人は、人数の多いクラスタに「実名」で楯突けば一ひねりに狩られて粗を探され粘着され続ける
その思想はどこから仕入れたものなの? マルクス?
単純に言って他者一般程度の社会は魚群でもありうるし、これが暴力で社会統合しているとは聞いたことがない。高度な家族組織であるアリが暴力で社会統合しているという話も聞いたことがない(全くないかどうかは知らない。ハチは女王候補同士で殺し合っていることがあるし、サムライアリは他のアリを奴隷狩りする)。
イヌやチンパンジーは暴力で社会統合しているけど(ちなみにチンパンジーはメスがリーダーであることもしばしばある)、そういうのも一方にあり、一方にはボノボのように性愛で社会統合するものもあり、他にも色々多様としか言えない。
ヒトは当初から暴力によらないと社会統合できなかったという証拠がある? 繰り返すけどそれは民族学や文化人類学では否定されている。これを権威主義として無視するのは簡単だが、じゃあ他に何かの体系的な事実がなければならない。それが全く示されていないので途方に暮れている。
戦争のために必要? 戦争は社会統合か? それに集団的問題解決のためならバンドの集合離散が一般的だったし、集団間の外交関係は婚姻がメインだった。
>・狩猟採集漁労はともかく、それを社会という単位で行うことが「人間という生物にとって自然なありよう」なのかどうかという検証がない。
ホモサピエンスが生じて、食をどうするかとなった時に、男女分業や集団行動による狩猟採集漁労が最初のスタイルだったということは、それが人間と言う生物にとって、「環境改変能力がない限りにおいて」自然なありようだということになるが。
男の腕力は狩猟で実現されたけど、狩猟は大して獲れない(けど重要なタンパク源なので質的に無意味ではない)ので、それなりの意義しかなかった。
それとも、これを否定したくて、いきなり環境改変能力があって、農耕牧畜が最初のスタイルで、男の腕力=生産力が量的にものを言ったというならまた別ですよ。その説を民族学や文化人類学の学会で発表したらセンセーションを引き起こすかケチョンケチョンに批判されると思うので、やりたかったらどうぞ。
>・富の蓄積以外に社会的ヒエラルキーを決める要素がないのか。
属人的な知識経験や人間関係で長老になる。これは男でも女でもある。
首長が現れるのは富の集中・再分配が可能になってからで、それは貯蔵技術・環境改変技術・農耕牧畜技術が発達して以降の話だが。
日本にはまだまだ底力があると私は思う。
しかし、それが発揮できていないというのを漠然とであるが感じる。
なんというか、みんな心がギスギスしすぎていて、全く心に余裕がない。
そんなこと言うと
「余裕を持ってられるような情勢じゃねーんだよ!バカ!」とケチョンケチョンにけなされるくらい余裕がない。
どこかずっとピリピリしている感があり、それがともすると足の引っ張り合いのような牽制状態を作り上げていて、
それがさらに心のストレスの蓄積を生んでいるかのような悪循環に見える。
「俺は頑張ってるんだー!」とか「地道に努力してます」っていうのも何か違う。
隣の奴より下になりたくないから頑張るなんてみっともない心の持ちようじゃ全力なんて出せっこない。
「余裕がなくて家庭が持てない」とか、「親の言うことはおかしい」じゃ前には進めない。
大切な家族の暖かい支援がさらなる心のゆとりを生んで「よし、明日から頑張ろう!」とさせてくれるのではないか。
もっと頑張れ!やれば出来る!なんて言うつもりは無い。
ゆとりある心を持って、身近にあるささやかな幸せを見つけてみてほしい。
そんな幸せを見つけてみんなで「よーし、パパ、ホームラン打っちゃうぞー!」くらいのハッスルを生み出してみないか?
絶対世の中良くなるよ。
あんまりにも悲しい顔をしてる人が多すぎる。
「政府が悪い」とか「会社が悪い」とか言う前に自分も変わってみよう。
上から下へ変えるんじゃなくて、下から上を変える。
まずは明日から笑う回数を増やしていこうぜ。
30歳は大人か子供か:NBonline(日経ビジネス オンライン)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20081210/179742/?P=1
いつもの如く、〓デモ主人公と狂った洋子節を珍聴できるかと思い、目を皿のようにして読んだ。
今回は、登場人物が全員マトモだった。まっとうな行動をしている。きわめて珍しい。
だもんで、褒めてやろうとコメントを書いてやった。
(この人の記事は、常にケチョンケチョンに貶されているから)
コメント始まる
『
よくある不義理を伴う独立のゴタゴタ話なのですが、他の業界ということもあり興味深く拝読しました。最初から最後まで目をこらして読みましたが、突飛な行動を取る人間が現れなかったことがたいへん印象深かったです。エッセイの主題〓「30歳の大人」とその家族〓にあるように、謙虚さと感謝の気持ちを持たないまま年齢を重ねてしまうことへの恐怖を感じました。
彼らに対して、「非常識な人間だ」と一蹴することもできますが、永年にわたる安定成長のなかで、緊張感と謙虚さを」を持たないまま、ぼんやりと過ごすことができてしまった時代にも原因を求めることができるかもしれません。そして、私もそのような世代の人間です。
記事にあるように(ry と (ry 引き締める良い記事をありがとうございました。
』
コメント終わり ※(ry部分は忘れた。ヨイショ内容だったと思う。
何がいけなかったのだろうか?考えられる原因は、以下のどれだろう?
・コメントが嫌み、特に冒頭
・「損」だと切り出すまで引っ込まなかった父子への言及がない
・結論の「親の眼力が問われている」ことへの言及がない
これは他の方のエントリーがケチョンケチョンに叩かれている時にも見受けられることだが、自分にとって都合の悪い指摘・気に食わないことなど書かれた場合に、真っ向から反論するでもなし、苦言を呈すこともせずに罵詈雑言やレッテル貼りに始終してしまう人が多いようだ(良くて「わかってねぇなぁ、この人・・・」「馬鹿馬鹿しくてもう(ry」という、読み手の想像に委ねる形でコメントを都合よく打ち切っている)。
「こいつ工作員なんじゃね?」という言葉はその究極だ。こういう人は私生活でも仕事でも、自分にふりかかる問題を直視せずに、原因は常に自分以外にあると思い込む(思い込みたい)悪い癖があるんじゃないだろうか。普通、無い発想ですよそれ。
古いカキコだがいいこと書いてる。
「思考停止しがちな人」ではなく、積極的に「思考を止めて」、お手軽にクエスチョンから逃れようとする人たちがどうやら多いみたい。はてなブックマークにおけるコメント欄のことを言ってます。
先日「人材派遣会社は別に暴利をむさぼってはいないし、悪徳企業でもない」ということを少々声を荒げて書き込みました。
(気になる方は「派遣社員に妙な同情はやめてくれ」を参照してください)
何人かのブロガーさんからは辛らつな声を頂戴しました。特に、派遣社員像について語っているつもりがいつの間にか派遣会社擁護に走っている点を指摘されたのは痛かった。僕が一番主張したかったのは「派遣社員はマスコミなどが報道するほど、正社員になりたがっている人ばかりではない。そういう人たちばかりをスポットに当てた報道を見て世の中の派遣社員がすべてそうだとは思わないでくれ」ということだったはずだ。にも関わらず派遣会社のマージン率まで持ち出して結果的に派遣会社の正当性を訴えることにもっとも字数を費やしている。しっかりと二本立てであることを明確にして書き込むべきだった。反省している。
とはいえ僕が主張した内容自体はいずれも理解して頂けるものではあったと思う。反発は当然にあるものと思っていたけど「ちゃんと読まずに斜め読みしただけだろお前?」と言いたくなる様なコメントがとにかく多い。どういうことだこれは。僕に文章力が無いことは自覚しているが、それでも義務教育を修了した人が読め切れないほどのボリュームでは無いし、難解な表現も用いていない(というか、用いる素養も無い)つもりだ。斜め読みするなとは言ってません。冗長で面倒ならば読まない権利だってあるんです。ただ、コメントする程度の関心を持ったのならば、せめて読みますよね普通は。全部。なぜそれをしないのか。
一番気になったのが「お前のようなタイプが派遣社員の全てだと思うな」的なコメント。お願いです、ちゃんと読んでください。僕は「派遣社員のみんながみんな、正社員になりたがっているわけではない」と言っているではないですか。この文面から、「派遣社員には出来ることなら正社員になりたがっている人が沢山居るのではないか」という前提が僕の頭の中にあることは明白ですよね。最後にも言ってます。「一を見て十を悟った気にならないでください」と書いてます。それなのに返ってくる言葉が「一を見て十を見るな」ですか? 故意に鸚鵡返しをして挑発されたということも考えられはしますが、全員がそうではないでしょう。
これはまだいいです。もうひとつ気になったのは「お前派遣社員じゃなくて派遣会社の関係者だろ」といった類の工作員説。マスコミによる心証操作という指摘もあれば、「選挙の工作員か?」という宇宙理論まで飛び出している。しかもそれが二つや三つではない。現実に居るんだ、そういう人が沢山。
僕だって「マージンが均一化すれば差別化が図りにくくなる、それだと困る」という(はたから見れば)宇宙理論を書いたのかもしれないが、少なくともこれは「邪推」とは到底呼べない「一つの見方」で受け入れられて良いと思ってる。
なぜそういう発想が出てくるのかを考えてみます。ひとつの理由は、おそらくですが僕の想像した通り、世の中の多くの人は派遣会社を悪だと思っているし、派遣社員は不遇にあえいでいる人種だと思っている人たちが多いということ。「派遣社員で今に満足している奴なんて居るはずが無い」「派遣会社を擁護する派遣社員なんて居るはずが無い」と思っていなければそんな発想はまず出てこないからだ。
もうひとつの理由は、彼らが「派遣会社=諸悪の根源」という機運に水を差されると都合が悪いタイプなのではないかということ。
これは他の方のエントリーがケチョンケチョンに叩かれている時にも見受けられることだが、自分にとって都合の悪い指摘・気に食わないことなど書かれた場合に、真っ向から反論するでもなし、苦言を呈すこともせずに罵詈雑言やレッテル貼りに始終してしまう人が多いようだ(良くて「わかってねぇなぁ、この人・・・」「馬鹿馬鹿しくてもう(ry」という、読み手の想像に委ねる形でコメントを都合よく打ち切っている)。
「こいつ工作員なんじゃね?」という言葉はその究極だ。こういう人は私生活でも仕事でも、自分にふりかかる問題を直視せずに、原因は常に自分以外にあると思い込む(思い込みたい)悪い癖があるんじゃないだろうか。普通、無い発想ですよそれ。そりゃ「アデコは恋人のように親身になってキャリアプランを立ててくれますよ」なんて言葉がこれでもかというぐらい綴られていたら疑いもするでしょう。でも、僕は今回派遣会社を擁護はしてもその一方で苦言も呈したつもりだ。あの程度の「派遣会社擁護」からお手軽に工作員だと断定して論ずるに値せずってか?冗談じゃない。
もしこうしたコメントをしている人が当の派遣社員だったとして、しかも自分が不遇にあえいでいると自覚しての反発なのだとしたら、原因は派遣会社のせいでも時代のせいでも政治家のせいでもマスコミのせいでも、最後の砦の親のせいでもないですよ。自分のせいだ。
いつだったか菊池誠氏がこうした傾向を「脊髄反射」と表現していて、うまいこと言うなあぁと一人でゲタゲタ笑ったことがあるのだが、こうして自分に対してそれが行われるのを目の当たりにすると正直ショックだった。決して他人事ではなかったということだ。