はてなキーワード: チェイサーとは
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遠山の金さんといえば庶民感覚で犯罪者を裁いた”名裁判官”として歴史に残る。通俗大衆小説のモデルにもなり、何回かテレビドラマにもなった。
お白砂には花吹雪舞う刺青の松方弘樹扮する金さんが颯爽と登場して悪を懲らしめ、弱き庶民から拍手喝采をあびる。
江戸時代までは検非違使の伝統が息づいていた所為か警察、検察、司法が同じ行政機関で行われた。警察が逮捕し、検察が起訴し、裁判所が法に従って結審するという近代の概念はなかった。火つけ強盗改めの長谷川平蔵も然り。
大岡越前守も温情主義裁判で庶民に人気がある。考えてみれば南町と北町奉行所の同心だけであらゆる民事裁判をまかなっていたのである。
江戸時代を世界同時代的に俯瞰すると日本はたいそう治安が良かった。日本人が裁判沙汰を好まなかった証左にもなる。
水戸黄門様は印籠をかざして即席裁判。これは超法規行為であり、そもそも黄門様は司法の独立って概念を知っていたのかな。
そういうわけだから日本人は争い事が嫌い、裁判は避ける。なにごとも裁判で決着をつけ、交通事故でも弁護士をよぶ米国とは法律の風土が違う。
だが世の中が変わり「国際化」というアメリカ化が進んだ。外国人の犯罪ばかりか、外国企業との軋轢、特許係争が頻発し、あげくは米国からの強い要求が突きつけられる。日本に弁護士が少ない、と。
この結果、二つの政策が実現した。まずは大学に雨後の竹の子のごとく誕生した法科大学院。
そして日本に馴染むかどうか不明な新制度、すなわち裁判員である。しかもこの裁判員が臨む裁判と言えば殺人、傷害致死、放火、身代金誘拐などの重大犯罪であり、死刑か量刑か無罪かを決める「大岡越前」の小型ヴァージョンとなる。実際に最初の判決が八月初旬に実現し「業界予想よりすこし思い」量刑が下った。世間の常識が裁判官の常識を変えた例になった。
ともかく裁判員制度の発足は米国からの圧力が遠因、これに財界の要求が一致し、日弁連が便乗した。奇妙な、面妖な裁判員制度が日本にうまれた。
左右の境界線がないまま賛否両論が渦巻き、「ともかく始めてみなければ分からない」ということになったわけだ。
議論は曖昧なまま、米国へのジェスチャーのごとくに審議が進み、国民が誰も知らないうちに米国流の「陪審員」制度の誕生となったことは述べたが、米国には黒人奴隷制やリンチによる縛り首があった。日本とは異なり犯罪者も多く、弁護士は百万人以上、なかには悪徳弁護士、アンビュランス・チェイサー(救急車を追いかけて患者から事故の弁護士を成功報酬でいかがかと注文をとる)もいれば、マッチ・ポンプもいる。セクハラをでっち上げて日本企業から大枚をせしめた手合いもいる。
だから伝統重視の保守派がいきり立って反対の論陣を張る。教養の低い、裁判官に比べると法律知識のない素人にそんな重大犯罪を判定させて良いのか、それこそ左翼の思う壺ではないのか、と。
第一に無知蒙昧なる庶民が重大犯罪を裁けるのか。冷徹な判断が出来ず情実に走り、死刑を避ける傾向が顕著になるのではないのか。
第二に陪審員は買収されやすく誤審、冤罪が多く死刑執行後に真犯人がでるケースが米国では頻発している。だから「逃亡者」というテレビは大ヒットした。反面で、陪審員を黒人ばかりにして、妻殺しの「無罪」を勝ち取ったO・J・シンプソン事件のような法廷テクニックの悪用がおこる。
第三にこれは基本的に人民裁判であり、ソクラテスの「法は法なり」と言って毒杯をあおいで死ぬようなケース、あるいはマリー・アントアネットのように左翼お得意の人民裁判が復活する恐れはないのか。
▲上告審には適用されず、なんのために必要なのかは不明
細かな問題点はほかにも多々ある。
一、選挙管理委員会のリストを元に無作為に選ばれる「裁判員候補者」は面接で拒否されることもあるシステムとはいえ、拒めば罰金とか、法廷の密室での協議内容は一切喋ってはいけないが、違反した場合、数十万円の罰金とか馴染めない特徴あり。
四、多数決で裁定することが本当に妥当なのか等々、問題点が沸騰する。
ところが新制度では凶悪犯罪の一審でしか適用にならず、高裁から最高裁へと上告するに従い、裁判員はおかれない。どのみち現在の裁判で一審で終わる裁判は稀だから、それならいったい何のためにこういう「改革」が必要かも論議された。
裁判員制度導入に賛成する保守の論客も意外に目立つ。代表選手はコラムニストの高山正之氏だ。
高山氏は産経新聞ロスアンジェルス特派員時代に多くの裁判を傍聴し、陪審員制度に精通し日米の裁判に関連する著作も多い。
法律の解釈しか知らない裁判官、世間知らずの無知な裁判官より大衆の叡智、つまり民度が裁いたほうが適正な判決が出やすく、主知主義、インテリの暴走、左翼優勢といういまの偏向状況を覆せる嚆矢になるかも知れないという。世間智の欠如甚だしきインテリの裁きより大衆のほうが賢いという日本人への信頼がそう言わせるのだろう。これぞまさしく遠山の金さんの時代への回帰ではないか。
ただし米国の陪審員制度といい、今度の日本の裁判員制度といい、これらは民主主義の発展とは相関関係にはない。司法の民主化などというお題目は寝言の部類であり、推進側だったはずの日弁連ですら一部は反対に回っているそうな。
通巻第2702号
生まれ育った地域(not東京だけど関東)の水道水がくそまずくて、水とはまずいものだという意識を捨てられない。何とか炭酸水は飲めるのだが、おいしい水とかvolvicとかも全く受け付けない。飲もうと思えば飲めるしものすごく冷たくしていれば問題ないのだが、でものどの渇きがいえてしまうとそれ以上は入っていかない。レストランの水もだいたい飲めない。
だが、ここ数年びっくりするほどおいしい水に出会った。仕込み水だ。仕込み水は日本酒を造るときに使う水、らしい。日本酒のチェイサーみたいな感じで出てきて、まぁ酔い覚ましに仕方ないかという感じで飲んでびっくりした。酒より仕込み水の方が好きかも知れない。
仕込み水にも微妙に少しずつ味があるような気がする。それが何かはまだはっきりとは分からないのだけれども、まぁとにかくうまい水もあるものだとこのとき初めて知ったのだ。
以来、外食するときは水を少しずつ飲むようになった。水嫌いだったので外出するとほとんど水分をとらない方だったのだが(必然的にトイレも遠いので困らなかったが)、必ずいっぱいは飲むようにしている。先入観を捨ててみれば、おいしい水もあるし、まずい水もあるということがわかる。まずい水はやはり一口二口飲んでしまうとそれ以上は入っていかない。
ところで今住んでいるところもやはり水がまずい。水道水を使ってたいた米がまずい、というくらい水がまずい。海が近いからなのかもしれないし、近所の川もなんだかいやなにおいを放っているから、水質がよくないところなのだろう。さて、飯がまずいのは本当に辛い。というわけで異常に枕が長くなったが、浄水器の購入を検討しているのだが、BRITAとかどうなんですかね。本当においしくなるの?
お酒には飲み方がある。「乾杯」と先輩に言われたら、杯を乾すとかそういう飲み方じゃなくて…味とか喉ごしとか香りとかそっちの方ね。
ビールは絶対喉だと思う。ワインは舌で味わって飲むもの。ウィスキーは味わってから喉の奥がかぁっとなるのを楽しむもの。
日本酒はワインに焼酎はウィスキーにそれぞれ似ている。たぶん醸造酒と蒸留酒の違いなんだろう。
アルコール度数に限らず、口の中でアルコールが気化するとおいしくない。舌がうぇぇってなる。自分は昔そうだった。特にアルコール度数が強いお酒ほど、この点に気をつけて飲まないといけない。逆に言えば、これさえ守れば99度のスピリタスだってうまいと思える。
やり方は簡単で、口を閉じて鼻からも息をせずに飲み込んで、喉の奥まできてから口と鼻を開く、それだけ。最初は鼻をつまんでもいいかもしれない。アルコールが気化したときの舌がしびれる感じはひどいので、口に含むときもなるべく空気が入らない方がいい。
これを覚えれば、日本酒、焼酎、泡盛、ウィスキー、ウォッカ、なんでもこいである。
お酒それぞれに香りが違う。これはくさいとか、フルーティーとか、ほこりっぽいとか。
ワインとかウィスキーとか樽に入れたやつは特に香りが強いので、グラスにいれてくるくる回して、わざわざ香りを立てたりする。
とっても奥が深いらしい。好き嫌いが激しいところでもある。
ちなみにウィスキーと一緒に頼むチェイサーは、香りを再び楽しむために口をリセットするための水で、薄めるための水じゃぁないらしい。
ということで酔っ払うだけでなく、是非飲み方もいろいろ試して欲しい。
逆にこんな飲み方がうまいというのがあれば是非教えてくれ!