はてなキーワード: お子様ランチとは
三十代も半ばになると、なんかなーって思う機会が多くなる。
昔仲良かった子や、ちょっといいなーって思ってた子と、SNSで繋がったとする。
………
………
いや、いいんだよ?
君が結婚したのは、風の噂で聞いてたし、SNSに写真もあげてるしな。
連れてきたら君と娘のお子様ランチ代まで奢る。
ただね、なんか違うなーって思っちゃうんだよね。
君に会いたいって言ったのは、君と二人の時間を、昔みたいに過ごしたかったからだ。
あの時の空気感の中で、お互いの近況報告して、歳取ったね〜って言って笑いたかったんだ。
それは知ってる。
でも、時々そういう、人生のオアシスみたいな時間があってもいいじゃないか。
人生って切ないな。
3つくらいに浅い仕切りがついた
おかずもご飯も一緒に入れられるプレートのほうがいいいよ。
こっちのほうが洗うの楽だし。
まぁ、人にはあんまり見せたくないけどね。。。
私は、典型的な、この意固地なプロデューサー系人間だけどもさ(笑)
いっつも
「お前らがいってんのは、大人のくせにお子様ランチ注文して『スパイシーさが足りない』『量が足りない』と店にクレームつけてるようなことなんだよ!!!ヾ(`Д´)ノキー」
「お前らが『(子どもと一緒に聴いてる親である)私のことも楽しませろ』て消費者発想から脱して、『子どもにこんな音楽を聴かせてやりたいんだ!』て親目線になったら、そんとき話聞いてやんよ!!!ヾ(`Д´)ノキー」
「やなせたかし夫婦に子どもいねーんだよ!!!ヾ(`Д´)ノキー」てなってんだけどさ(笑)
でも、そういうのって、結局つまんなくなりがちなのかもね。
年齢って枠組みの外でつくって、子どもに害になりそうな作品ならフィルタリング、くらいの感覚でいいのかね?
てか「論駁」てw
3人兄弟だけど、皆結婚とかして独立していて、たまに(3ヶ月に一回くらい)皆でご飯食べようか、となると必ず子供(1歳半)を連れてくる。
そして、皆私の子に会いたかったでしょ?みたいな感じで、うちの子が主役でしょ?という雰囲気を出す。
で、毎回姉以外はそれぞれ手土産を持ってくるんだけど姉だけ絶対に何も持ってこない。
母親とか他の兄弟からは電話とかで美味しかったよとかありがとう、とかちゃんと来るし、私もお礼言ってる。
子供、可愛いけどさ。赤ちゃん居るとお子様ランチがある場所にしかいけないし、正直連れてこないで欲しい。
ベビーカーとか階段で畳んで、誰かが持って…とかもう面倒なんだよね。
急に泣き始めたらゆっくり話せないし、まぁ赤ちゃんだから子供に罪はないんだけど保育園行ってるんだからわざわざ連れてこなくていいよ。
こう思う自分は冷たいんだろうけど、年に1回くらい会えればいい。
母親も、「孫に会わせてあげてるって雰囲気だけど、正直もういい」と言っている。
子供がいるから色々貰って当たり前って感じの人たまにいるけど、自分に子供ができたらそういう風にはならないように気をつけようっと。
という記事があった。
なるほど、たしかに。つまりそれは例えると、お子様ランチの限界というわけだ。
美少女ばかりの世界、好物だけで固めたランチプレートは驚くほどに野菜が足りない。色は茶色、緑はない。色彩的魅力に欠ける面はある。物語の目的はひとを感動させることで、そのために手段を縛るべきではない。使えるものは好物だけ、というのはなにか違うのではないか、という指摘は芯をついているように見える。
でも、おそらくは的外れだろう。楽しませるために苦手なものを使わなかっただけなのだ。女の子しかいない世界は、お子様ランチと同じような思考で作られているのだと思う。では、お子様ランチには子供の苦手なピーマンが入っていないから底が浅いと評して、それはまっとうなのか。子供を喜ばすためにピーマンをわざと外しているのに・・・? お子様ランチにピーマンとか野菜を多めにしたら、それはもうお子様ランチではなく、ふつうの定食だ。
お子様ランチにお子様ランチだからダメなのだ、というのは虚しい。
物語の世界観の深浅は、その世界が奇抜かどうかとは関係ないはずだ。女の子しかいない世界は奇抜で、そのまま浅さにつながるわけじゃない。たとえば、シムーンというアニメがあったけれど、それが浅い世界観の話だったとは思えない。深さはつまり、奥行きのことで、物語の世界にどれだけ広がりがあるのか、ということだ。広がりを感じる、それのひとつの機会は、メインの物語から遠いところに登場人物がいたときだと思う。学校生活を描いた物語だったら、学校生活とは違う場面があるとき、ふだんは学校でだべっているだけの人物が、真剣にアルバイトをしている姿が描かれるとか。けいおん!は、そういう点では世界の広い話だったと思う。
まあ、男の子と恋愛しているという選択肢が選べないことは、女の子ばかりの世界の限界というか、世界に深みをつけるという観点ではハンデだけれども、そもそも女の子しかいないという味を求めたのだから、それを限界というのは無理があると思うのだ。
先日、飛行機に乗ったときに幼児食を頼んだら、とても幼児には食べさせられない物のオンパレードだった。果汁2パーセントのイチゴミルク、野菜ゼロのバンズと肉だけのハンバーグ、エビフライ、からあげにコロッケ。ポテトチップスにビスケットにグミにチョコレートにケーキ。ポテトサラダはついていたが、大人用のポテトサラダより具が少なくて、ほとんどポテトだけになっていた(大人用は豆とか人参とか入っていた)。 これってむしろ不健康な大人の嗜好品ばっかりじゃないか。
自分が親になってからはじめて「お子様ランチ」なる物を頼んでみた、日本で。出てきたのは、ハンバーグ、からあげ、エビフライにコロッケ。おじさんのかつカレーラーメン定食と何が違うんだって感じ。うどん屋でお子様セットを頼んだら、やっぱり冷凍の薄っぺらのハンバーグ、エビフライ、それにうどんとジュース。うどん以外美味しくなかった。
別に私はベジタリアンでもないし、栄養を気にしまくっているタイプでもない、基本的に何でも食べるが、どうも「お子様ランチ」的な物は子ども向けじゃない気がする。かろうじて子ども向けなのはご飯の上に立っている旗とか、くるくる巻いたファンシーなストローとかそういうものだけで、食べ物そのものは脂っこいおじさんの食べ物ってかんじだ。こんなもんばっかり食べさせられないよ、って思うのばっかり。
Wikipediaさんによると、お子様ランチの発祥は1930年だそうで、その当時の大人が考えた、その当時の子どもがよろこぶ食べ物がそのまんまなんじゃないのかなぁ。たまの外食の贅沢なんだから脂っこかろうが何だろうが、家出は食べられないようなやつならべたれ! みたいな。自分が子どもの頃でさえ、外食ってよそ行きの洋服を着ていくような感じだったし、80年前とかもっと贅沢だったんじゃないのかなぁ。
ちなみに自分は子どもの頃、旗がほしいくらいでお子様ランチの食べ物自体には惹かれた記憶はない。うちの子もファンシーなストローとかには食いついていたが、揚げ物オンパレードはちょっとつまんで「いらなーい」と言っていた。
盛りつけを子ども向けにすれば子どもはよろこぶんだから、食べ物そのものももっと子ども向けの栄養を考えた物に素べきだと思うなぁ。
昼飯にオムライスを作った。俺と姉の二人分。
ふと思いついて妹のオムライスの卵の表面にケチャップでハートマークを書いた。
さらに爪楊枝とチラシの切れ端で「LOVE」と記したお子様ランチの旗っぽいのを作成した。
LOVEのOを赤く塗りつぶし、旗の中央に来るようにしてあるので、パッと見は日本国国旗のようだ。
LとVとEをやや薄くしてあるので、近づけないとLOVEという単語に見えないのがポイントだ。
「ご飯だよー」と呼ぶと妹が台所にやってきて、自分の席に座って、いただきまーすと言って、
スプーンで食べ始めようとした所で止まった。オムライスを凝視している。気づくのが遅い。
姉が俺をじっと見ているのを感じたが、俺は無視して自分のオムライスを食べる。
タマネギを大きめに切ったのでなかなか歯ごたえがあるが、タマネギの味がちょっと自己主張しすぎかなぁと、少し反省。
ちらりと姉の方を見ると、ようやく手を動かし、オムライスのてっぺんに突き刺さった旗を抜いて、
目の前にもってきて、観察し始めた。
そしてLOVEに気づいた。
姉の顔はケチャップのように真っ赤になった・・・と言いたいところだが、ほんのりと頬が染まっただけだった。
爪楊枝をもって、旗をいろんな角度から眺めている。
まぁこのしょうもない企みそこそこ成功だろう、と思ったところで姉が席を立った。
冷蔵庫からケチャップを取り出すと、なぜか俺の方にやってきた。
座っている俺を見下ろすと、おもむろにケチャップの蓋を開いて、中身をオムライスにぶちまけ始めた。
何してんの!?と驚愕している間に姉は事を終えて、冷蔵庫にケチャップを仕舞い、自分の席に戻った。
あーあ、こんなにしちゃって。これじゃケチャップの味しかしないだろうがーと、
姉の幼稚な仕返しに呆れていると、姉がかけたケチャップに形があるのに気づいた。
「バカ」と書いてあった。
姉の方を見た。
姉は「バーカ」と言ってオムライスを食べ始めた。
口で言うなら、ケチャップをかける必要ないだろうに。
それから食事を終えて、姉は自分の部屋に戻り、俺は後片付けをする。
使った食器を洗い、テーブルを拭いて、細かいものをゴミ箱に捨てていると、ふと気づいた。
そういえば、あの旗はどこにいったんだ?
1万年堂出版の木村耕一さんの本を読んで、思わず泣けた。。
というのは、「はじめに」の以下の話。
こんな青年がいるってことは、世の中まだまだ捨てたもんじゃない?と思った。
(1万年堂出版のサイトより引用:http://www.10000nen.com/book/omoi/omoi_hajimeni.htm)
ある日、東京ディズニーランドに若い夫婦が訪れ、レストランで「お子様ランチ」を注文しました。
応対したアルバイトの青年は戸惑いました。この夫婦は、子供を連れていないのです。マニュアルではお断りすることになっています。
「おそれいりますが、大人の方には……」
と言おうとしましたが、思いとどまって、
「失礼ですが、お子様ランチは、どなたが食べられるのですか?」
と尋ねてみました。
すると、奥さんが、うつむいたまま話し始めたのです。
「死んだ子供のために注文したくて……」
「……」
「私たち夫婦には、なかなか子供が授かりませんでした。ずっと願い続け、やっと娘が生まれましたが、体が弱く、1歳の誕生日を待たずに亡くなってしまいました。今日は、その子の命日なのです……」
「そうだったのですか……」
「子供が大きくなったら、親子3人でディズニーランドへ行こうと、楽しみにしていました。とうとう実現しませんでしたが、1周忌の今日、せめて、私たちの心の中に生きている娘をディズニーランドへ連れていってやりたいと思ったのです。本当に娘が生きていたら、ここで一緒にお子様ランチを食べたんだな、と思うと、つい注文したくなって……」
「お子様ランチのご注文を承りました。ご家族の皆様、どうぞ、こちらへ」
と言って、この夫婦に、2人用のテーブルから4人がけの家族テーブルへ移動してもらい、子供用のイスまで持ってきたのです。
「では、お子様はこちらに」
まるで子供が生きているかのように小さなイスへ導きました。
まもなく運ばれてきたのは、3人分のお子様ランチでした。
確かに、「どうしてこれを打ち切るかなー」と言いたくなった事は、私にも過去に何度もありました。
そのたびに編集部への恨み言を、ブログや2chにこぼした夜も数知れず。
しかし、それを理不尽だという思いは、もうしなくなっていたりします。今はただ、作品の終了を悲しむだけです。
そもそも「週刊少年ジャンプ」なんですよ。少年。
編集部から見た「少年」ってのは、要するに小学校低学年から中学校に入るか入らないか、そこら辺なんです。
「うんこー!」とか叫ぶだけで爆笑するような精神構造の年代なんです。
そういう層に向けた媒体であるという前提で、打ち切りが惜しまれた数々の作品を読み直して見てください。
まるでお子様ランチの中にキャビアが紛れ込んでいるような違和感を感じませんか?
その作品は「少年」が楽しめる内容だと思いますか?
楽しみにしていた作品が唐突かつ不自然に終了して、色々と言いたいことはあることと思います。
しかし掲載を継続しろという事は、すなわち「少年ジャンプ」でなくなってしまえ、と言うのと同じなんです。
編集部は最初から、そういう人達に読んでもらおうという意志はないのです。
「じゃあ読まねーよ!」という反応大歓迎なんです。
なんて改変できそうな記事だったから自分の経験を踏まえてやってみよう。増田初投稿。
――そして、そのコラムの03/31/2007分記事において、藤村先生は「若オタが同人作家として生きていくためにはどうすればいいか」ということを、具体的にズバズバと語っています。あまりに具体的に語りすぎており、絵描き宣言をしたばかりの若オタを不安に陥れるような気がしないでもないのですが、梅田さんが言う「意識的で戦略的な「好きを貫く」人生」とは具体的にどういうことなのかを知ることのできる良い機会ですので、ご紹介したいと思います。
私は、1985年から2000年くらいまで、Yahooメッセンジャーの同人作家のお仲間ルームに入室していました。随分と、そこで勉強させていただきました。
(中略)
そこのルームのトピックが「嫌がらせ&ムラ社会撤廃運動」になったときに、私は正式に退室しました。私は退室の理由は言いませんでした。ネット上とか、即売会で、同人作家が嫌がらせにあうのが由々しき問題だから、同人作家のお仲間ルームとして、これを第一の問題にすべきだというのは、まあ正論は正論ですからね。まるで、中学の生徒会の議決みたいに、正論ですよ。
しかしですねえ・・・若き女子学生じゃあるまいし、お嬢ちゃんじゃあるまいし、嫌がらせされたら、即座にギャアギャア抗議すればすむことです。「いい子ぶりっ子」やってないで、凶暴になればいいのです。それで終わりですよ。問題にするほどのことではありません。そんなこと問題にするのは、正しくはありますが、幼稚です。
自分がやりたいこと、進みたい道に苦しいことはつきものです。愚劣な男にも出会うでしょうし、意地悪女にも出会うでしょうし、そいつらから嫌がらせされることも、当たり前にあるでしょう。そんなこと無視して、「私は、このカプ妄想がしたいからやるの!他人なんか、どうでもいいの!」と強烈に思えないような人間が、自分のやりたいことに食い下がれないような人間が、同人活動していこうと思うのが間違いです。
(中略)
あのねえ、自称同人作家のみなさん、嫌がらせされたら、即座に「うるせぇ、馬鹿!!死ね!!」と怒鳴りつけることができないような「お行儀のいい」「お上品」で「心優しい」「作家らしい作家」が、何の不如意もなく、みなさんに愛されて好かれて、軋轢もなく、好きなことやって同人活動していこうなんて、チャンチャラおかしいの。世間は、別に、あんたに同人作家でいてもらいたいわけじゃないんだからさ。「貴婦人」でいながら、かつ「みつみ美里」でいるのは、無理なことです。
天才でもないし、世界で10の指に入る大画家でもないような凡庸な才能の持ち主が、好きなキャラ描いて活動してゆきたいと思うのだから、愚劣な人品卑しい人間にうんざりするほど遭遇するなんて程度のことを経験するのは、当たり前です。正当なことです。それぐらいの不如意を引き受けてこそ、まっとうに忍耐力のある人間になれるってものです。
はっきり言って、ろくでもない奴の方が多かったですよ、私が壁際に来るまでに出会った読み手とか同人ゴロの人間なんて。名前を思い出せないくらい、くだらない連中が多かったです。私は、軽蔑して関心がなくなった人間の名前は忘れてしまうので、名前を思い出せないです。はい。
私なんか、獣界隈というジャンル少年創作の隔離島の出身ですから、若い頃の状況は、けっこう、きつかったです。獣界隈の書き手たちのほとんどが、まず自分ところの読み手を馬鹿にしまくっていました。あ、すみません。私は自分の出身の獣界隈、はっきり言って嫌いなんですよ。言っちゃった????ははは。それから、同人界隈のオフ会になど参加しても、最初は、「獣界隈出?あ、こいつ獣姦好きの変態」という前提で扱われたな。ついでに、先輩の同人作家や受け手や同人ゴロからも、馬鹿にされまくりました。馬鹿が馬鹿を馬鹿にしちゃって、馬鹿ね????♪ウンチがオシッコを嗤ってるうう????♪
(中略)
そういえば、嫌がらせには深刻な被害甚大なものがあって、その嫌がらせに抵抗したら、2chで話題になって獣界隈でやってゆけなくなるから、やむなく被害者になるケースがあるので、そういうのは、同人作家として、見過ごせないという意見も、あのころ、やたら聞いたなあ。
当時は、ケモホモ(雄の獣人×獣人のエロ)だかのエロ同人で有名な同人作家の取り巻きが、遊び相手の家で、遊び相手を食いまくって、どうのこうのという書きこみが2chFANGスレで起きた後でした。その取り巻きは仲良しグループを追われ、獣界隈を追われ、ついにはMixiを退会しました。
私は、「しょたやねん」で、事件が起こるずっと前に、このケモホモだかのエロ同人で有名な同人作家の取り巻きの実物を、自分のサークルの机越しに見物したことがありました。いかにもお上品でオサレで端正な色白の「バンドとかに興味あったけどやる気なくてあきらめ系」な顔でしたが、「同人作家としてのやる気」が奇妙でした。普通程度に勘がいい同人作家ならば、近寄る気にならない類の奇妙な邪気を、彼はメッセとかで発散していました。
私は、一応は、この被害者の方々と絵チャットでご一緒なんかもしたことが数回あったのですが、しかし、はっきり言って、「どっちもどっちだ」と思っていました。あの事件の「被害者」とされた自称同人作家は、同人作家として出世したかったからこそ、あのケモホモだかのエロ同人で有名な同人作家の取り巻きをやっていたのでしょう?ならば、最後まで、計算ずくで、そいつを徹底的に利用してやればよかったのに。それも、ひとつの覚悟の定まった立派な生き方です。
(中略)
自称同人作家のみなさん、どっちの道を採るか、ちゃんと真面目に選びましょう????いったん選んだら、迷いは捨てましょう????同人の世界を才能&努力と業績の質で生き抜けない場合は、権謀術数と打算と色香で生き抜くか、どうでもいいの!本をだしてゆければいいの!好きにやるの!と生き抜くか、どちらかです。どちらも選べないような優柔不断で潔くない中途半端な甘ったれた奴が、ギャアギャア騒ぐんだよね。しかも、つるんで。団体で。集団で。あ????カッコ悪い。
……おわかりでしょうか?
そもそもみつみ美里さんはエリート中のエリートなのです。みつみさんは、みつみさんに憧れる私たちとは同じ土俵の上に立っていないのです。天才でもないし、世界で10の指に入る大画家でもないような私たちが好きなキャラクターを描いて活動してゆきたいと思えば、自分の思想がどうこうではなくて、まずは愚劣な人品卑しい同人作家にうんざりするほど遭遇することに慣れることから始めなければならないのです。
そして、「意識的で戦略的に生きる」とは、要するに権謀術数と打算と色香で生き抜くか、どうでもいいの!本をだしてゆければいいの!好きにやるの!と生き抜くかのどちらかの生き方を望むか、なのです。
ちなみに、藤森先生は自称同人作家向けの“戦略的な生き方”として、次のように書いています。
あのね、若い自称同人作家のみなさんに言っておきますけどね。(かなりの数の)同人作家ってのは、相手の同人作家が自分より圧倒的に劣った立場だと、いくらでも親切にしてくれるの。いくらでも優しくしてくれるの。優越感と支配欲から、ね。人間的に優しいわけではないの。
だけどね、少しでも、自分と並び始めると、同人作家は相手の同人作家に、意地悪するもんなの。(かなりの数の)同人作家ってのは、プライドだけで生きている弱い臆病な生き物だから、すっごく嫉妬深いの。でもって、自分が嫉妬しているってことが自覚できないの。馬鹿なの。自己分析できないの。自分の感情を直視できないの。その程度の、他愛ない奴が多いの。ガキなの。お子様ランチなの。
だけど、同人作家のいいところはね、「あ、こいつは、こっちが何言っても駄目。こいつの視野に俺は入ってない。でも、こいつは俺に敬意を払うフリぐらいはするな、ならばOK」と、合点すれば、もう何もしないってところ。そうなると、無関心になってくれて、形式だけの挨拶と社交辞令でおつきあいできます。これぞ、「平和な大人の関係」ですね????そういうところは、つきあいやすいですよ、同人作家というのは、ほんとうに。そういうところは、同人作家はオトナなの。立派なの。豚キムチなの。
(中略)
つまり私が何を言いたいかといえば、同人作家に意地悪されて、2chで嫌がらせされるようになったら、同人作家も一人前だってことです。親切にされなくなったり、「かばって」もらえなくなったり、悪口言われるようになったら、喜ぶべきです。私は、先輩の同人作家や受け手や同人ゴロに、しょーもない嫌味言われたりするようになったときは、「あ????こいつら嫉妬してる????カッコ悪い????ばっかみたい????貧乏くさい????♪」と思って、喜びました。私は、二次元で、可愛い萌えキャラをちゃんと確保できてましたから、リアルワールドで、馬鹿同人作家にどんな意地悪されても、どうでもよかったですし????
まずは、自称同人作家のみなさん、結婚でもいいし、不倫でもいいし、同性愛カプでも、近親相姦カプでも、その他の各種いろいろ「禁断の愛」で構いませんから、まずは、知的にも情緒的にもサポートしあえる「安定した萌えキャラ」を確保してから、荒波に、嵐の中に、アホ同人作家&アホ受け手の海に、漕ぎ出しましょう????って何の話か?
自称同人作家としての戦略的な生き方、それは、いい男がいなければ二次元で萌えキャラ探せばいいじゃない!なのです!
凶暴化すれば嫌がらせは終了!
好きなことをやって生きていこうと思えばクソ同人作家ばかりにぶち当たる!
その全てがあまりにも真理過ぎます!なので、自称改め不肖ピコ同人作家の私はこれからも壁際同人作家の藤森かよこ先生を電信柱の陰から応援していこうと思いました。そして、若オタとして同人作家を目指す皆様にも是非この事実を伝えたく思い、筆をとった次第です。
若オタの皆さん、是非生涯で一度は同人作家を目指しましょう!
そして人間のクソったれっぷりをこれでもかと見て、社会に適応出来るようになりましょう!!
逆にクソったれっぷりを見たにもかかわらずついついそのまま同人作家へ就いてしまおうと考えるようになってしまった人は……?
社会に適応しなくてよし!