という記事があった。
なるほど、たしかに。つまりそれは例えると、お子様ランチの限界というわけだ。
美少女ばかりの世界、好物だけで固めたランチプレートは驚くほどに野菜が足りない。色は茶色、緑はない。色彩的魅力に欠ける面はある。物語の目的はひとを感動させることで、そのために手段を縛るべきではない。使えるものは好物だけ、というのはなにか違うのではないか、という指摘は芯をついているように見える。
でも、おそらくは的外れだろう。楽しませるために苦手なものを使わなかっただけなのだ。女の子しかいない世界は、お子様ランチと同じような思考で作られているのだと思う。では、お子様ランチには子供の苦手なピーマンが入っていないから底が浅いと評して、それはまっとうなのか。子供を喜ばすためにピーマンをわざと外しているのに・・・? お子様ランチにピーマンとか野菜を多めにしたら、それはもうお子様ランチではなく、ふつうの定食だ。
お子様ランチにお子様ランチだからダメなのだ、というのは虚しい。
物語の世界観の深浅は、その世界が奇抜かどうかとは関係ないはずだ。女の子しかいない世界は奇抜で、そのまま浅さにつながるわけじゃない。たとえば、シムーンというアニメがあったけれど、それが浅い世界観の話だったとは思えない。深さはつまり、奥行きのことで、物語の世界にどれだけ広がりがあるのか、ということだ。広がりを感じる、それのひとつの機会は、メインの物語から遠いところに登場人物がいたときだと思う。学校生活を描いた物語だったら、学校生活とは違う場面があるとき、ふだんは学校でだべっているだけの人物が、真剣にアルバイトをしている姿が描かれるとか。けいおん!は、そういう点では世界の広い話だったと思う。
まあ、男の子と恋愛しているという選択肢が選べないことは、女の子ばかりの世界の限界というか、世界に深みをつけるという観点ではハンデだけれども、そもそも女の子しかいないという味を求めたのだから、それを限界というのは無理があると思うのだ。