メス残ってりゃまだ産めるからな
なんかこの増田くさい
最適停止は来る人(の好ましさ順位)が完全にランダムでないと成り立たない。でもマッチングは前回までの失敗をもとにして自己の紹介なり相手への要求を変化させていける、過去依存なもの。なので、最適停止ルールを使うと上手く行かないよ。
なろう周辺は一周回りすぎていて、もう何周目かわからんのよ。
フリーレンとかもそうだろ?
素直な目で見たらかなり恥ずかしいアニメだけど一周回って許せるみたいな。
でも、そこから更に一周回って、でもやっぱりもう一週回ってみて、……、、、
みたいにきりがない
クリエイターと自由と責任、というテーマについて色々考えたことをつらつらと書いてみる。長文。
俺は大学在学中から、もうずっと長いこと個人でゲームを作っている者だ。仕事をしつつ余暇でゲームを作り、すでに何作も公開している。大して売れてはいないので、あまり偉そうなことを言える立場ではない。
これまでしてきた仕事は、ゲームとはまったく関係がない。俺がゲーム業界に入らなかったのは、そこに入っても俺が作りたいものを作れないことを知っていたからだ。会社という組織は、自分の作りたいものを自由に作れる場所ではない。
俺には明確に作りたいものがあって、それは個人でも作れるものだったので、ゲーム業界に入る意味が俺にはなかったのだ。
本業の方では、いくつかの組織を渡り歩き、それなりに人を束ねる立場になってきて、組織の仕組みというものがある程度分かって来たところだ。
日本の企業は……いやもう少し主語を小さくしようか、俺が見てきた組織は、末端の従業員の裁量はとにかく小さく、何をするにも上司の承認を通さなければならない。個人が自由に創造性を発揮できる機会などはほとんどない。
そういう体制をディスりたいわけではなくて、それによるメリットもある。
上司の承認を取ることで、自分の行動で何か問題が起きても、その責任を上司に転嫁することができる。そして上司はさらに上司の承認を取ることで、その責任を転嫁する。
そのように組織の中で責任を広く薄めることで、特定の個人の責任を回避する。これは責任を曖昧にして、組織が社員を保護するための仕組みだ。
しかし普通の会社はそれでよくても、自由な創造性が必要な分野では、そういう体制はすこぶる相性が悪い。
クリエイターが創造性を最大限発揮するには、何よりも自由が必要だ。その点で、うまくやっていると思うのは漫画業界だ。
俺は、日本の漫画が成功している要因の一つは、漫画家が組織に属さず、組織から自由であるおかげだと思っている。もし漫画家がサラリーマンだったなら、漫画の内容をまず企画書にまとめて稟議にかけたり、1コマ修正するにも上司の承認を通したりといった世界になるだろう。
編集者がそれに近いことをしているのかもしれないが、漫画家本人はしていないはずだ。もし漫画家本人がそんなことをさせられたら、稟議を通りやすいテクニック、組織の中での立ち回りばかりが優先されることになり、自由な創造性からかけ離れてしまう。
出版社は漫画家にある程度自由な裁量を与え、漫画家が創造性を最大限発揮できる体制を整えている。しかしそのためには、漫画家を組織の外に置く必要があるのだろう。
漫画家のような存在は、組織にとっては異端者であり、組織の中に組み込むことができない。漫画家がいなければ事業が成り立たないにも関わらず、その主役を組織の中に置くことができない。この辺に、日本の組織運営の難しさがある気がする。
しかし自由の代償として、漫画が売れなかった場合、漫画家は収入の大幅減、連載打ち切りといった形で、その責任をダイレクトに負わされることになる。
サラリーマンであれば、たとえ大きな失敗をしても降格程度が済むことが多く、日本ではいきなりクビになることは少ない。サラリーマンは自由を制限される代わりに、ここでも保護されている。
サラリーマンであってもかなり上の役職であれば大きな裁量が与えられるが、その代わりに大きな責任も取らされる。結局、自由が欲しいなら責任を負う必要があるのだ。
ゲームの話から少し逸れたが、ゲーム業界においても80年代頃のゲーム会社は自由が気風が強かったのではないかと思う。いわばゲーム業界そのものが異端だった頃の方が、ゲーム業界は元気があった。新しいものを作るのは、いつだって異端者だったのだ。
俺はゲーム業界にいたことはないのでこれは想像なのだが、当時から残っている大手には、事業の規模が大きくなるにつれて社会の責任が大きくなり、多様なメンバーが集まり、大企業病に冒され、だんだん普通の会社になっていったところが多いのではないか。
任天堂なんかは今でも元気があるが、他に元気のある日本のゲーム企業は少ない。クリエイターが自由にものを作れない環境から創造性は生まれない。
ともあれ、いまゲームを作るなら昔から存在するゲーム企業ではなくインディーズで作るのが一番だと思う。それがもっとも自由な創造性を発揮できる環境だ。
俺なんかは、別の仕事をやりながら余暇でゲームを作るという、いわば美味しいとこ取りでやっている。しかしそういうやり方では、所詮大したものは作れないとも思っている。本業でゲームを作っている人には、やはり及ばない。
それは創作に掛けられる時間の長さという意味でもそうだが、それ以上に、本業でゲームを作っている人は覚悟が違う。
これが売れなければ倒産する、失業する、借金を背負う、そういうプレッシャーを負うからこそ作れるものがある。自由と責任は表裏一体だが、大きな責任はクリエイターを追い込み、本気にさせる。それで潰れる人も多いが、それを乗り越えて初めて達成できるものがある。
俺にそこまでのことはできないので、それができる人は素直に尊敬するし、感服する。俺は、彼らと同じ土俵には上がらず、慎ましく自分の作りたいものを作っていようと思う。
結婚すべき男を見分ける方。それは「貴女の仕事の話をちゃんと聞いてくれる」です。あなたの話に共感して、昇給や出世を一緒に喜んでくれる人。(ちなみに良いことがあったと話した時、一緒に喜ばずに反応が微妙な相手は男女問わず潜在的にあなたを馬鹿にしている人だそうです)
残念ながら私が過去に付き合った男はみんな、すぐ会話泥棒して自分の仕事の話にしたり「どうせ俺の仕事の方が社会的に意義も収入も『上』、例え今は違っても将来的にはそうなるし」が透けて見えた。男は私を下げよう下げようとしてくるし辛い時支えてくれなかった。
仕事は稀に震えるほど応えてくれるし、支えて押し上げてくれる。
勿論、専業主婦になっても相手を下に見ずに変わらず尊重し続けてくれる男性も世の中にはいる。でも30も半ば、ここまでの人生で出会えなかったし,そういう立派な人は私なんか選ばない。だから独身。
今日は早く寝なよ
昔の話を思い出してモヤモヤが再燃したので吐き出して供養…
知り合って1年くらいの友達から「来週の日曜空いてる?」とLINEが来た。
「空いてるけど何するの?」と返事をするも、「内緒!当日のお楽しみ!」と場所は教えてくれない様子で、そのまま、別の友人もいる3人のグループLINEに招待された。
蚊帳の外な感じがして若干いい気持ちはしなかったけど、サプライズで人を喜ばせるのが好きみたいなことを言ってた記憶があったから、そういうのかなと思って当日を待った。
「そろそろ行き先教えてくれてもいいんじゃない?」と俺が催促すると、二人はニヤニヤしたまま「今日はソープにいくぞ!」と言い出した。
俺自身、ソープじゃない風俗は行ったことがあったし、友達と連れ立って行くのが違うってだけなんだけど、二人の内輪でニヤニヤして蚊帳の外にされてる空気と、それが結果的に風俗のお誘いだったってのが相まって「キモッ」と思ってしまった。
結局その場は濁して帰宅。
それから何となく連絡とる気がなくなってしまい、その友達には会ってない。
どこいってたの?