そういう迷惑ゴミは自治体活動で処理すると思うんだけどそういうのもぜんぶ妻に丸投げしてるから夫は余計ゴミ出しルールに無頓着で自分の家なのに他人ヅラで暮らしてんだろとまで妄想してしまって自己投影してイライラしてしまう。よくないことなのはわかってますが、、、
ルールだから、とか言ってる人いるが六法全書の内容全部と自分の行動圏内の地域の条例全部把握してんのか?
殺人とかのほとんどの人間に違法であると認知されてる事例持ち出して証左した気になってる人いるが自治体のゴミ出しルールはそういうほとんどの人間に共有されてるものじゃないやろ。
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昨日の夜に、今朝のゴミ出しを夫に頼んだ。
仕事から帰ったら玄関に置いておいたゴミが無くなってたから、無事に出してくれてたんだなーと思ってた。
「朝のゴミ出し、俺が出しに行った時にはもう回収終わってた。だけどゴミ置いてきた」
と言われ。
え?は??
👩「え、回収された後なのに置いて来ちゃったの?」
👱♂️「うん。ダメなの?」
👩「ダメでしょ…」
👩「いやいやいや、曜日決まってんのにゴミ捨て場に置いておけないでしょ」
👩「回収までに出せなかったら、持って帰ってくれたらよかったんだよ」
👱♂️「なんか絶対出しといてねみたいな感じで頼んできたじゃん。なんでこんな事言われなきゃいけないの。納得いかないんだけど」
帰って来た夫は不機嫌なまま自室へ引きこもり。
現代では珍しくしばらくネット状況の悪いところにいて先日久しぶりに帰ってきた
その間今日はあれの更新の日今日はあっちの更新の日…と生活のスケジュールに組み込まれていた複数のweb漫画も全然読めないまま3か月ほど経ったけど、そのうちに漫画そのものに対しての執着が薄くなってきたようだ
紐や紙袋を出してきて、部屋の壁中に物理的に存在する無数の漫画の中から手に取ってみてこれはもう自分は読まなくてもいいようだと感じられたものをいくつか手放すための支度を掃除と一緒にした
そのあと冷蔵庫を拭いたり髪を切ったり体毛を剃ったりお茶を淹れたりしてこぎれいになったあと落ち着いてPCの前に向かったら「クマ撃ちの女」だけは読まないとと思ったので読んだ
アンガーマネジメント的に「夫婦喧嘩の後にやってはいけないことは?」というQ.に対して「YouTubeに謝罪動画をあげること…??」と大真面目にアンサーしたのだけど、正解は車の運転らしい
そうですか…
ゴミ捨てルールは「自分の常識」ではなく「社会の要請」なんだよなぁ…
条例やら自治体ルールで決まってんのよ。これを「個人の常識だから笑」で済ませることは「おれの常識が許すのでお前を殺す」を許すことと同じ地平の話になるので…
他業種に転職することのデメリットがでかすぎる年齢になって今更ながらに「あーこの人生を続けるのはしんどいなー」となってきました。
つまる所は社会に対して貢献できていると信じようとした気持ちが折れたんですわ。
別に社会にとって害になってるとまでは思いたくはないんですが……どうなんだろうね必要だと思わせてその実ムダなことに時間と金を使わせているだけの寄生虫なのかも。
これがヤクザやパチンカスや軍隊みたいな分かりやすい「自称『必要悪』(笑)」だったらいっそ全部割り切れたのかも。
でもなんかこう、自分の仕事はそういう枠じゃなくて社会の役に立ってるんだよーと信じようと努力したこの20年ぐらいの時間がね、結果としていざ自己茹で蛙化に失敗した際に受ける火傷の酷さに繋がったわけですよ。
いやー本当ね、結局仕事で一番大事なのって「俺は社会の役に立ってる」もしくは「俺は社会の役に立ってないけどうまい汁は吸えてる」って信じられるかだと思うんですよね。
社会の役にもたってない癖に押し売りをしている人間が当然のように味わうべき辛酸を舐めて暮らしているっていうのは、人生の物語の形としてとてもメンタルによろしくない。
悪なら悪で幸福になりたかったし、不幸であるならせめて善でありたったか。
こんな仕事をあと20年というのはキツい。
創作活動でもしろって言うんだろうけど、今の俺には創作活動が社会の役に立っていると信じることさえ出来ない。
だってさ、別に誰かが上手な絵を描いたからってそれで社会が本当によくなるか?
誰かがアフリカの飢えた子供に手を差し伸べようって思うために、プリキュアみたいなアニメを見て情操教育する必要があるんだとか言った所でさ、そもそも本当にアフリカに貢献してるのは、他人に手を差し伸べるだけの余力を社会に生み出している人達じゃん?
1人の一次産業者と1人の二次産業者がハーバー・ボッシュ法の魔法をつかってたった2人で100人を食わせることによって、誰かの手元に余ったパンが生み出されるわけじゃない?
貧乏を乗り越えて絵を描いて暮らしてるんだぞ俺は凄いんだぞなんて漫画家がエバった所でさ、そもそもお前が食べているパンを生み出すことにお前は貢献しているってどうして思えるんだよって話じゃない?
たとえば100人にパンを配るために頑張る配送業者、パンを実際に売っている小売業、そういった人達でもなんでもない人間が、社会に貢献してるってどうやって信じられるんだよ?
そうしたらさ、それがいろんな形に、それこそどこかの絵描きが絵だけ描いて暮らせるような社会的な余剰へと繋がっていくし、どこかの国で貧しさを理由に武器を取っていた少年兵が開放されて学校に通えるようになるって、そういう風に好きなように都合よく、自分がこの社会に貢献していることで世界が上手く回っていると信じながら生きられたと思うんだよ。
俺が本当に望んでいた形で俺の人生を使うことが出来なかった。
なんで俺はもっと分かりやすく、自分の望む形で自分の力を使っていると信じられる仕事につかなかったんだろう。
愚かな連中を俺が上手く導いてやることで、社会が効率的に回って余剰が産まれるのだ……なんて妄想を信じて学部を選んで、そんなくだらん全能感を捨てられないままに仕事を選んだんだ。
そしてなんでこの年になって今更後悔している……。
それよりも、前日から数日前からゴミ出しといたままでいいだろって投稿が
戸建て・戸建て借家で町内会無視できないところ、ファミリー向け集合住宅だと想像できないかもだが、
コミュニケーションについてはそう言える部分もあるかもしれんけどならばなおさら
・夫が「まずいことした気がする」という自覚があって妻に連絡したように見えるので夫の善意(ゴミ出しそのもの)がだいぶ薄まって感じる
・妻は言われたことに普通に対応してるのに対し夫は一方的に逆ギレしてるように見える
・夫が出し間違えたゴミを持ち帰った妻に夫はありがとうごめんの一言もないんかい
という点で夫の落ち度がデカく感じる。
あと、大前提として自分でそこに住むと決めた自治体のゴミ捨てルールを「知りませんでした」は、夫婦関係なく社会人としてよくないやろと思うんよな。
せめて妻に任せきりな自覚くらいは持って、「すまん、燃えるゴミ何曜日の何時までやっけ?」くらいの一言は自発的に出るのがマトモな大人で、
おそらく、分散投資についてぼんやりとしか考えていないからなんだろう。オルカンはあくまで対象インデックスとの連動を目指すものだけど、対象インデックスの国比率の入れ替えは定期的に行われる。その時に、オルカンのようなものは不利になり得るんだよな。しかも、マーケット時価加重が接点ポートフォリオ(リスク当たりリターンを最良化する)になるための条件として、概ね各人が接点ポートフォリオ近辺での保有をしているというものがあるんだけど、米国内のSP500ならともかく、オルカンのように国をまたぐものはそれと著しく乖離する。つまり、時価加重比率で国ごとに投資することに利点はないのに、多くの人がこれを誤解している。