ルックバックの1つのテーマは「なぜ創作し続けるのか」という問いであり、京本は主人公にその問いを投げかける役割を持つ。主人公が京本の高い画力に圧倒されたとき、主人公が京本を失ったとき、どちらの場面でも主人公は一度は描くことをやめようとする。しかし、どちらの場面でも最終的に主人公は「再び描くこと」を選択する。そしてその「再び描く」モチベーションは、京本への対抗心、京本と過ごした過去、と京本に起因する。京本は、主人公にとって「筆を折る理由」であり「筆を折らない理由」でもあるのだ。「なぜ創作し続けるのか」この答えの1つは「京本がいるから」と言えるかもしれない。
だが、作中に挿入されるifではこの答えは否定されている。ifの中で、主人公は京本に出会わずとも再び漫画を描き、京本は主人公と出会わずとも美大に入る。これは主人公と京本が生まれながらにクリエーターであることを示している。「なぜ創作し続けるのか」それは業としか言いようもない。
とはいえ、京本はやはり主人公にとって創作の理由である。「描けるから描いていた」小学生時代の主人公は京本に出会って、京本に勝つというモチベーションを獲得し、京本に見栄を張ってついた嘘がきっかけで章に応募する。また、京本の服のサインは大人になった主人公にとって親友の死を乗り越え連載を再開するきっかけとなっている。
京本がいなくても描いていたかもしれない。しかし、京本がいたから描いていたというのもまた事実なのだ。
主人公は京本によって挫折と再起を経験し、そのたびにより強い意志を獲得する。この過程はまさにライバル関係のあるべき姿だ、ジャンプらしいなーと思ったまる
どうやら町山智浩が予防線を張り始めたようですので、町山が後で都合よく削除や改変することを防止するために、現時点(2021/07/20-18/05)のtweetを残しておきます。
【引用01】
悪趣味カルチャーは80年代のオシャレやモテや電通文化に対する怒りだった。カーディガンを肩にかけ、ポロシャツの襟を立ててテニスやスキーしてホイチョイの「ヤレる店」読んでナンパして人を「ちゃん付けで呼ぶ」奴らにゲロや死体で嫌がらせしたかった。当時を知らない人にはわからないだろうけど。
【引用02】
「90年代に悪趣味や鬼畜やってたのはお前だろう」と言われたら「はい、そうです」としか言えないが、それは電通フジテレビでセゾンでトレンディで一言でいえばSuntoryThinkingAboutTheEarthビール的なオシャレでバブルで偽善的で反吐が出るようなクソ文化への反抗だったんだけど、わかんねえだろうな。
【引用03】
根本敬と村崎百郎が「日本を下品のどん底に突き落としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど1990年頃の日本は抑圧的なオシャレと健全さと明るさと偽善のファシズムに支配されていた。それを知らない人が悪趣味や鬼畜カルチャーを批判しないでほしい。
【引用04】
あと、QJは悪趣味でも鬼畜系でもなんでもない。全然関係ない。QJは赤田氏が創刊した頃からよく知ってるし、問題の号の担当の村上清くんもよく知ってるけど、悪趣味系でも鬼畜系でもないぜ。
【引用05】
悪趣味&鬼畜系カルチャーの内部にいた者としてはっきり言いますが、クイックジャパンという雑誌も小山田圭吾という人も鬼畜&悪趣味カルチャーには直接関係ないです。
【引用06】
悪趣味&鬼畜系カルチャーにはそれ自体の問題があるとしても、小山田圭吾とクイックジャパンとは関係ないです。アニメ・ファンでなかった宮崎勤からオタク・バッシングが起こったようなものです。
【引用07】
小山田圭吾のしたこととクイックジャパンの記事が悪趣味&鬼畜カルチャーとどう関係あるんですか? QJってまったくそういう雑誌じゃなかったですよ。
=引用ここまで=
「時代の空気だったなんて戯れ言、反省するチャンスは30年あった」とか
その中でアニメ、イラストを無断転用して使ってるやついっぱいおるな!(怒
著作権無視に罪悪感ないの?ちょっと1枚くらいならいい、みんなやってるてか?
今でもアウトじゃ!人の作ったもん勝手に盗むな!
確かに昔動いてた気がする
屁理屈こねてそう
あちこちにいるんだよな。
「いじめを許さない」とか言って、寄って集ってそいつをタコ殴りにする。
まともな理屈は完全に欠落していて、実際は同調圧力の傀儡だってことに本人たちは全く気づいていない。自分たちを擁護するダブルスタンダードの理屈はお気持ちで柔軟に付けられる。意味が不要な論理を着飾るゾンビども。
今回のオリンピックは日本のダメなところがめちゃくちゃ出てきている。それは事実だと思う。
だけど、その事実を指摘してほらみたことかオリンピック中止しろ~ とかいう人たちが集まるのも、その日本のダメなところの一部だよ。どう考えたって。あんたらも俺も所詮は日本人だしダメだ。