まあ実際のところ面白くもないし笑えもしない。
「娘に話しかけてると思ったら無に向けて話しかけてた」みたいな爽快感のあるオチもない。
ただ、わかりやすい。それだけ。
5センチぐらいの大きさで
つまむとビチビチビチーッ!って暴れたりして
タンスの裏に卵がいっぱい産みつけられていたり
一列になって歌を歌いながら行進したり
ひとりが発言するとみんな繰り返して同じこと言ったり
甲高い声で関西弁しゃべったり
すげー怖い
メリットデメリットよりも過剰なセックスアピールしている方々との
あとどんな身嗜みに無頓着な人であっても完全に放り投げることは無いと思う
お外で営業や打ち合わせをする経験の有る無しは人によるだろうけど
飯食う時でもどんな店でもジャージという猛者もおらん
毎日毎日正しく愛情を伝えることは上手くできてないけど、多分世間的には仕事ばっかで冷たい母親に見えるだろうけど、でも自分が生んだ子ども達だからやっぱり可愛いよ、可愛くないはずがない
ただ時々、もし子どもがいなかったら仕事と家庭の両立に負い目を感じたり、自己嫌悪したり愛憎に振り回されたりは今よりずっと少なかっただろうなと思う
孤独だけど自由だったんだよね、人付き合い上手くないから、今の夫や家族やあと僅かな人って感じで愛情を注ぐ対象が限られてた。それでどうにかなってたし、その感情を持つことは少なくとも私の自由だった
今は自分の分身かつ別個体の存在が持つパワーに引きずられてクタクタで一呼吸の自由もない
愛させられてるっていうか、自分の感情に安全装置ができたみたいというか、生き延びる理由ができてしまったんだな
それが凄く幸運で幸福で甘受しえるものだと分かってるからこそ、時々息が詰まりそうになる
無性にあの頃の寂しさが恋しいけど、もうあの孤独な自由を思い出せない
以前から疑問に思っていたのが、藤井聡太氏のファンは、彼がどのように指したかではなく、誰に勝ったかや昼食に何を食べたにしか興味を持ってないように見えることだ。
ニュース番組に出てくるようなファンしか観測していないからかもしれないが。
しかしニュースで放映されるような野球選手ファンであっても、打法・投法・走力・守備力など、選手がどのように優れているかを理解したうえでファンをしているようには見える。
であるなら棋士、藤井聡太氏のファンになるのであれば、氏がどのような指し方でどのように勝利しているのか理解してファンになるのが自然と思える。
しかし氏のファンのいったい何割が氏の棋譜が他の棋士と比べてどのような特色を持ち、どのように優れているのか理解したうえでファンになっているのだろうか?
もちろんその原因には数値で棋力というものの価値が明確化しづらい・スポーツや芸能と違って一目で善し悪しがわからないという要素はあるだろう。
それにしたって明確に理解できない力量や能力を好きになるということが果たしてできるだろうか。
異星人ンニュポロカラは100ナータルを359リッペスで走破することができます!と聞いて賞賛や感嘆の念を持つことができるだろうか。わたしはできない。
では、藤井聡太氏のファンは氏の個人的魅力に惹かれてファンをしているのだろうか。
しかしながら将棋強者であるということを抜きにして、氏が容貌や話術に社会的評価を受けることのできる魅力を備えているとは思えない(まことに失礼だが)
となると氏のファンは氏のどこに価値を見いだしているのだろうか。
私が思うには勝利である。氏が勝利者であるというところに支持・愛好の念を持っているのである。
藤井聡太氏個人が好きなのでもなく、藤井聡太氏の力量が好きなのではなく、藤井聡太氏の納めた勝利そのものが好きなのだ。
勝利者を、ただ勝利者であるということを根拠に賞賛したいのだ。勝負を理解できずとも。
まる。
元ツイの人は若い頃の経験をもとにアンケートしたらしいけど、おそらくその頃よりはリバも受け受しくない受けも増えてると思うんだよね
それでも足りないんだろうか
あと二次創作は原作ありきのファン活動で、商業BLとは違うと思うんだけど、そのあたりを分けてないっぽいのも
商業ならポリコレ云々関係あるけど、二次創作なら「解釈違い」「誰かの萌えは誰かの萎え」「自分で描け/書け」くらいしか言えないよな
ここ数日、
「5本の指で足りるほどの知人しかいないツイッターで呟こうとしても、自分の発言に重みが増して、彼らのメンタルに自分の存在が影響を与えてしまうのが怖くて呟けない」
と、防御機制の投影がお手本みたいに分かりやすくはたらいてしまっていた。さっき、そのことに気が付いた。それと一緒に、はてな匿名ダイアリーのことを思い出した。
匿名掲示板では自分のコメントが誰かとのキャッチボールになることではじめて価値があるような気がしてしまう。誰かもわからない人とのコミュニケーションが成り立った時過剰に興奮してしまうし(時代錯誤)、独り言になったときはどうにも喪失感を感じてしまう。しまいにはどうせなんのリターンも得られないのだ、と無意識にふてくされて、ほとんど思考停止でなんの推敲もせず言葉を垂れ流すようなことになってくる。それで余計に独り言になる確率が高まる、負のスパイラル。
ツイッターは、みんなに自分の話を聞いてほしい!というポーズを取らないといけないのが、恥ずかしくてできない。クオリティが必要な気がしてくる。他の人のツイートがいくらくだらなくても、自分のツイートの非は気になって仕方ないのだ(もう半年以上ツイートしてないけど)。
匿名ダイアリーのシステムは、匿名だけど、自分のエントリは保存されてずっと見返せる。
新着エントリのとこで人に見られるところを想像するだけで、自己承認欲求が満たせる。
なによりこうして文章を書くリハビリが、常に必要なんだ。書くことへの恐怖は書くことでしか、考えることへの恐怖は考えることでしか、克服できないのだっていろんな人が言っている。……にしてもひどいけど