やっと悪いネット住民による殺害予告や嫌がらせのチキンレースが終わったと思ったら
今度は悪いテレビ関係者によるどうすれば唐澤貴洋を合法的におもちゃにできるか、
児童虐待のニュースが増えている。とても痛ましい事件が多くて聞いただけで心が痛むものもある。だけど、批判覚悟で言うけど、正直私にはそう思えないものも時々ある。
いわゆる躾の一環、というもの
躾を理由にした虐待を肯定したいんじゃない、そもそもなにが(どこが)虐待なのかが疑問。
私が幼い頃は父がとても厳しくて、ちょっとわがまま言ったりルールを破ったら拳骨平手打ち足蹴り当たり前。父は言い訳や嘘つき、ごまかしが嫌いだったからそういうのは一切許されなくて、へりくつを捏ねるな!ってベランダに出されたり裸足のまま閉め出されるくらい普通だった。
だけど、それらは皆私がいけない事をしてしまったのが原因で、父の身勝手や気分、その他理不尽な理由でそれをされた事は一度たりとも無かった。勉強やお稽古や習い事への怠慢、わがままを言って母を困らせた、失敗を隠そうとして嘘をついた、ごまかしをした、勉強をしないで漫画を読んでいた、好き嫌いをした、母の言い付けや約束を破って遊び呆けた、門限を破った、不貞腐れた態度をとってあやまらなかった、無礼な言葉遣いをした、作法やマナーがなっていなかった、etc。
父に酷く叱られるときは、全部人としてやってはいけない悪いこと、恥ずかしい事をやらかした時ばかりだった。そういうことを、父は絶対に許さなくて、徹底的に指導された。それが、どうしてだめなのか理屈でわからない年齢だからこそ、4歳〜小学生ぐらいまでのほうが中学以降に比べて圧倒的に手が飛ぶことが多かった。
「口で言ってわからない年齢なら叩いてでもわからせるべき。そうすると、道理がわからない子供でも次からは繰り返してはいけない、やめよう、と心に強く残る」「あの歳の子供はイヌやネコと一緒。理屈をどれだけ丁寧に言ってもむだで、一度痛い目をみせて初めてやっていいこと悪いことを覚える。理解させるよりいかに次同じことをさせないかが問題で、叱られた理由なんて理解できる歳になったら後からわかるはず。俺もそうだった」
こういうのが父の持論で、私はその考えの元徹底的に厳しく躾けられた。怒鳴られただけで済めば全然ましなほう、手も足も普通に飛んできたし、反省するまでそうしていろって寒い中裸足で外に立たされたり長時間正座させられたり蔵に閉じ込められたり、あまりにも良くない行動をした時は夕飯を抜かれたり風呂場に連れ込まれて服のまま冷たい水を頭からかけられたり、漫画やゲームも破いたり壊して捨てられたし、外出禁止も普通にあったし、痛くてお風呂で椅子に座れないぐらいお尻を叩かれたこともあるし、出先で失礼な事をしてしまって「お前みたいな娘はいらん!もう帰ってこなくて良い、どこにでも行ってしまえ!」って置いて帰られて家にも入れてくれなかったこともあったり、私自身ほんとに何回も泣いたし、辛かった。うちの父より怖い親なんてどこ探してもいないだろうって思ったことも何回もあった。
だけど、これ読んで虐待!って騒ぐ人もいるかも知らないけど、父のおかげで私は今までの人生で色々な人から何度も真面目であることや勤勉であること、振る舞いや教養、言葉遣いなどことあるごとに褒めて頂けている。マナーや礼節に厳しかった父の教育と、父がさせてくれたお稽古や必要だからと身につけさせてくれた教養や一般常識、これらの賜物だと私は思う。社会人になった今、こうして色々な場面で評価して頂けるたびに、父に対する感謝の気持ちでいっぱいになる。「厳しく叱っても、わかる歳になったら理由は自分で気付ける」、本当にその通りだったから。だから私は自分の子供時代を不幸だったなんて全然思わないし、父の躾を虐待だと言われたら真剣に反論すると思う。
むしろ、失礼な言い方をして申し訳ないけれど、私の父のやり方を「虐待」だと批判する方はきっとあまり厳しくないご家庭で甘く育てて貰った方なのかな、と感じる。
そんな考えなので、例えば夜ベランダにしめ出されるであるとか、少し手を挙げられただけで虐待認定する今の空気は甘すぎるんじゃないかと私は思う。
私には現在2歳になる娘がいるけれど、きっと父と同じように厳しく躾けると思う。お稽古も作法も、父が私にしてくれたようにしっかりやらせると思う。だけど、最近の風潮では父のような「子供の為を思った」「真っ当な」躾ですら虐待と同一視してしまう。好き放題、まるでイヌやネコの放し飼いのように、家畜の放牧のようにさせておくだけのただの怠慢を「のびのび育てている」と正当化する親すらいて、叱りもしなければ自分の管理不行届に責任も持たず、そして父のように真剣に躾や教育に取り組んでいる親を批判し、その子供を無責任に「可哀想」と呼ばわる。きちんと筋が通った躾は「虐待」とは明らかに違うのだけれど、何故それがわからないのか?虐待は許してはいけないし、立派な犯罪行為だけど、感情のまま子供を虐げる最低な行為と必要な躾・教育の区別もしない最近の風潮、ともすれば子供に対し「厳しい」ことすら悪とみなしかねなくて怖い。
便利さを知ったら手放せないというよりは近代社会の基礎がそれを以ってしてるので
たとえば約束一つにしても化石燃料電気そのほか自動車も含めあらゆる消費とサービスによって
なんだよー、アロンソはまさかのインディ予選落ち、モントーヤに至ってはル・マンにエントリすらしていないとか、どちらか一人は、特にアロンソは行けると思って応援してたのになあ…。
てかアロンソはマクラーレンチームでエントリってさ、そもそもマクラーレンはF1じゃ強豪の一角でも、インディカーじゃ全然実績ないんでしょ?
そりゃアロンソの腕をもってしても予選落ちは不思議じゃないって。てかトリプルクラウンを本気で狙っているにしちゃ、インディ舐めすぎじゃね?
これだけ苦しんでいる人に対して酷いね
あーそういう喋り方してたわ
これはジェンダー論の教材にできそう
ジェイデン君には発達障害の感覚処理障害という問題がある。
精神的に負担がかかり過ぎたり、納得できないことがあると
泣きわめきパニックに陥る。
家族がどれほど宥めようとしてもできなかったのに
保護ネコとしてやってきたキティは
ジェイデン君が一番辛い時に寄り添い落ち着かせることができる。 pic.twitter.com/jn0NjWHKZK— tasha (@phootahh) 2019年5月19日
id:Parama222 偉い賢い可愛い猫と奇痴害餓鬼(笑)。
http://b.hatena.ne.jp/entry/4668978610568135650/comment/Parama222
趣味とか、嗜好品とか、所属(居た)とか、なんでもいいんだけど。
特に年下と会話するときに相手のやってることとか興味あることとか聞いてみて、なんでか返事が「やってた」なんだよな。
この同じ土俵にはいないけど語れる事があるっていう、経過した時間という覆しようのない概念を振りかざした、絶対に負けないポジションからの必殺トーク。
依頼書にはハンコが必要で