別に宗教が無くたって善悪は親から教わるし、小学校には道徳があるし、本も読むしニュースも見る。
嫁ちょくせつじゃなくてツイッターで嫁の友人におくれ。
ガーデニングとか、犬を飼うとか、
横だけど、田舎の楽しみってこれだけ(あとは釣りくらいか)でほぼ終わりだよな。
全国共通で田舎は判を押したようにこれ。
それがまあ辛いのだろう。
「人が見ていなくても神様的な存在が見ているのだから、人として恥ずかしくない行いをしよう。」みたいなこと(頭悪そうですまん)を行動原理にしなければいい人ではいられないということ?
さて、今年もお菓子会社の経営戦略に振り回されてストレスを受ける時期がやってまいりました。
そう、バレンタインデーのことです。
女の子からチョコがもらえるかもしれない、ドキドキ、なんてもはや遠い思い出。
今や欲しくもないチョコを貰って、1ヶ月後にお返しをしないといけないただの頭痛の種ですよね。
しかもお返しの内容で人をランク付けするという、吐き気を催す邪悪な儀式も待っています。
こんなどうしようもないイベントを軽やかに回避するテクニックを伝授しましょう。
それは「逆チョコ」です。
逆チョコとは、普通は女性から男性にチョコを贈るところを逆に男性から女性にチョコを贈ることです。
これを積極的に活用することで、あなたはあらゆるストレスから解放されます。
バレンタインデー当日に女性からチョコを貰ったら、その場でお返しに逆チョコをあげればいいのです。
そうすればお返しに何を配るかに頭を悩ませる必要はなくなります。
また、チョコレートというひとくくりの中での話になるので、数値化しやすいというメリットがあります。
相手より少し上のものを返せば角も立たないでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E8%80%8C%E4%B8%8A%E7%B5%B5%E7%94%BB
詳しくはwikipediaでも参照にしてもらいたいのだが、要するに、ごく普通の風景を描いているように見えて、実際にはその風景は現実には存在することの有り得ない、といったそういう絵のことである。
例えば、人々の足元に落ちる影の向きがそれぞれバラバラだったり、あるいは、走っている機関車の煙突から延びる煙が、風に靡くことなく真っ直ぐ立ち上っていたり。
因みに「形而上絵画」において有名な作家と言えば、イタリア人のジョルジュ・デ・キリコがいる。
ググって形而上絵画を探してみようとしたところ、中々見つからなかったので、彼の有名な一枚である『通りの神秘と憂愁』を例として貼っておくことにする。
http://blog-imgs-45-origin.fc2.com/c/a/r/carcosa/chirico.gif
◇
ところで、僕は大手ギャルゲーメーカーの『key』のドンである、麻枝准の曲が好きである。
特にその中でも、彼がごく初期に書いた『恋心』という曲が好きである。
十年近く前に、ipodで繰り返しこの曲を聞いていたことを思い出す。
時には、学校へ向かう途中に口ずさんだりもした。
そして、この曲を聴いている時に、いつも僕が思い浮かべるのは、一本の木が植わった起伏のある平原である。
日差しは、まるで雨の日の朝に部屋へと差し込む時のように、薄い青色をしている。
平原には一本の木を除いては、構造物と言えるようなものは全くなく、一切が見渡せるようになっているのだが、その地平線のいずれの場所を眺めても、例えば太陽とかそういったような光源は見当たらない。それでも、空と平原は一様に、薄ぼんやりとした青色に照らされている。
先日、久々にこの『恋心』を聴いてみていた。
iphoneを購入したのを機に、ipodに代わるデジタルプレイヤーとして、試しに昔好きだった曲を掛けてみていたのだ。
すると、かつて僕が聞いていたのと同じように、例の、あの青褪めた、薄ぼんやりとした風景が浮かんでくることになる。
僕は、その風景に懐かしさを感じながらに、十年前聞いていた当時よりも、ずっと克明に風景を思い出しつつあった。
どんな君を好きでいたか、もう思い出せない。
楡の木陰に隠れて、僕を呼んでいた
僕はその歌詞に耳を澄ませながらに、ふと、何か不自然なことに思い当たったような気がしていた。
自分が思い浮かべている風景に関して、何か、おかしな点があるように思えたのだ。
そして、その不自然な点、というのに、僕はすぐに思い至ることができた。
つまり、360度全てを見渡せる平原において、光源の一つも見当たらないのに、空や地面が一様に同じ程度に明るい、なんていう光景は、実際のところ有り得ないということである。
キッチンに立って、サラダを作るためのお湯を沸かしながらに、暫く、僕は意識の空白に立ち竦んでいた。
その暗闇から回復したのは、そう時間を経てもいない時のことだったと思う。
僕の耳元には、イヤホン越しに、変わらずその透明な歌声が響き続けていた。
彼女は歌い続けていた。
僕は耳を澄ませていた。
僕はその歌詞にぼんやりと耳を澄ませながらに、一つのことに思い至っていた。
そう、僕が十年前に思い浮かべていた景色は、きっと、本当には存在し得ない景色なのだな、ということにだ。
そして、暫くの後に、僕はひとまず気を取り直して、もう完全に煮立っていた鍋の、電磁調理器のスイッチをオフにしていた。
どこまでも続いてゆく、悲しい景色、君と、笑っていた
いつまでも傍にいるよ、夢の中で、君と笑っていた
麻枝准 - 『恋心』
あんたの奥さんたぶん寝る間も惜しんで体調が悪くてでも何かを追いかけた経験がないんじゃないか?
流されるままに流されてなんとなく努力をして、なんとなくどうにかなってしまって生きてきた、ではないかと思う。
そういう人って学生の頃に経験すべきことをしないで、でも大人になって想像力で経験した気になって
「実際やってもこの程度でしょ?」って高をくくって動かないことが多い。
実際にちょっとづつ課題を与えてクリアしたらまたちょっとハードルを上げてを繰り返して、ある意味「教育」をしないと価値観が変わらない。
その言い方だとまさにその”単に「物語」と云ふ意味ではない。”の「物語」も本来の意味ではないことになってしまうのだが。
「話」を留保つきのものとして読むのは、まあ、この文の主題だからありだと思う。何度も使ってる中核的な単語だしな。俺もまずい例示だったかなとかは思った。
でも、この「物語」を本来的な用法ではない特別な意味を込めた「物語」だと読むのはいかがなもんかね。一回しか使って無くて、特に掘り下げられてもないし、なにしろ「単に」とわざわざ前に付いているのに、単なる物語ではないという読解をしちゃうわけ?
どんぐりころころ泣いたけど
どじょうは冷たく言いました
♪ ♪ ♪
これでいいのだ これでいいのだ~
どんどん てぽどん てぽどん どん
♪ ♪ ♪
男だったら えっちをするの
父さん母さん どうも失礼しました~♪
報復が怖いからだよ。仮におっさんが、「髪があたってうっとおしい」と言ったとして、女が「なによ!痴漢!!」って言ってくる可能性は0じゃない。むしろ、言ってくる可能性が高いとも思える。
音漏れも一緒。注意して「なんだよ!」って反撃されるのが怖い。ただそれだけだ。
お前が疑問に思うなら、お前が女に注意すればいいだけだろ。おっさんは「我慢する」という選択を選んだんだ。その選択を気に入らないなら、てめぇでなんとかしろや!
わたしは生まれながらに両親のやっている宗教を信じてきた。
その教えのとおり、人のためにいい行いをしていこう!っていう価値観を無条件に抱き、かつ行動に移してきたつもりだ。
おかげさまで、人からは親切ねとか優しいねとかの評価もいただいている。
成人してようやく疑問に思い始めたんだけど、宗教を持たない人ってどうやっていい人であり続けてるんだろう?
人が見てなかったら自分勝手に行動するの?
てかいい人であろうというモチベーションをそもそも持ち合わせてないの?
宗教やってるんだーって友達に言ったら怪訝な顔をされることもあるんだけど、私の方が周りの人よりかは悪いこともしないし、周囲にプラスをもたらしている人間だって自信はあるよ。
25歳男。
セックスしたくて仕方がない。正確に言えばいちゃいちゃしていたくて仕方がない。最悪入れなくても問題ない。
今までの交際人数は7人だけど、経験人数はちょっと覚えていない。
常に3~4人くらい遊べる相手がいて、体だけの関係がだらだらと続いている。
上手いかどうかは知らないが、相手は気持ちいいだのまたしたいだのと言ってくれてるし、実際一回で切られることは一度もなかった。
しかし、体の関係になって3ヶ月位たった頃に突然「もう会いたくない」と言われる。
理由を聞くと答えたくないと言い、電話を数回(本当に2,3回程度)すると「これ以上電話してきたら通報する」とか言われる。
それでも相手を求め続けてしまう。はっきり言って豚以外ならだれでもいい。
これは病気なんだろうか。
田舎ならではの楽しみを教えてやれよ。
ガーデニングとか、犬を飼うとか、
俺なら筋トレでいいとか、それ相手に合わせないにもほどがある。
文章の気持ち悪さはワザとやってるんだろうからさておき…
艦これなんてソーシャル要素ほとんどゼロのゲームなんだから、中途半端に他人の編成に接触できる「演習」なんてシステム自体がいらねーよな。