『人間にとって成熟とは何か』という本で、思ったことをそのまま言わないのが品格のある人間にとって大事、と書いてる曽野綾子が、週刊誌で思ったことをそのまま書いてプチ炎上しているというんだから、なかなか、成熟というのは難しい。
マイバッグの効果は微妙だと思うが。それよりもペットボトルのキャップ集めなんて害しか無いのに、エコぶりたい企業やら儲けたい団体やらが乗っかって、結構栄えてるんだから、そっちからつぶした方がいい。
「分かる・理解する」というのはどういうことなんだろう。
岩波国語辞典第四版にはこう書いてある。
「分かる」
事実、内容、意味がはっきりと捉えられるようになる。はっきりせずにいた事にけじめがつき、明らかになる。それを受け入れて扱う能力が身についている。価値や細かい区別や道理を見抜く十分な理解力がある。
「理解する」
物事の筋道を悟ること。訳を知ること。意味を飲み込むこと。物事が分かること。
これを見てみると「分かる・理解する」とは、所謂主観によって定まり得るものである事が窺える。言い換えれば、当人は「分かる・理解する」と思っていたとしても、他者から見れば分かっていない事と同然であるように思える事もあるということになるかもしれない。
○○の根本を理解する、理論が分かれば全てが分かる、というのはどういうことなんだろう。それが真に分かっていることを証明することはとても難しい事だろうし、そもそもその筋道なるものが正しいのか正しくないのかも検証しなければいけない。
天動説が信じられていたという過去を知れば、現代における私たちの考えや理論が、いつか未来に大きく覆される可能性を否定できないからね。
私の意見は詭弁ではあるけど、それなりの説得力を持つことも事実かと思う。
私たちがある物事を知っているのか、分かっているのか、その区別をすることは難しいことだけれど、私は私たちに技術以上の物事の正しさを言及することはできないと考えてる。
私たちは、ある一つの事実に対し、それに視点を与えて辻褄が合うよう解釈しているだけで、それは、なんら事実の理由を説明してはいないんじゃないかな。
具体的な例を挙げると、物が落ちるのはなぜかという問いに対し、どこぞの物理学者はそれは重力が力を及ぼすからだと答えるかもしれないけど、では重力とは何かと問えば、物体を地球に引き付ける力と答えると思う。
これでは物が落ちるのはなぜかと聞いて、落ちるからと答えただけじゃないのかな。
私たちは物事を、言葉を言い換えただけで理解したり分かったりしたような気になってしまうこともあるのだから、私たちはこの事実を知り、自分の考えを今一度見つめなおす必要があるのかもしれない。
と、なんだか可笑しなことを書いてみる。
同棲期間の間に、彼女のダメな部分は注意しても直らないものだということに気付いた。
ダメな部分が僕の結婚する相手の条件としてどうしても許すことの出来ない事だったためである。
同棲を始めて2ヶ月ぐらいした頃から少しづつ部屋が汚くなっていった。
その一番のひどかったのが、髪の毛である。
夥しい量の長い髪の毛が彼女の定位置の周りに散りばめられている。
僕は家族に女性が母親しかいないので、これほどまでに髪の毛は抜け落ちるものなのかと目を疑った。
でも抜けることは男の自分も同じことだし、また休みの日にでもコロコロとかで取るだろうと思っていた。
しかしその髪の毛は処理されることは一切なく、どんどん増えていった。
その日に髪の毛は、目についたら処理するように言ったが、今日まで彼女が髪の毛の掃除したのは注意した時だけである。
髪の毛だけに限らず基本掃除はしない。
カビとか黒ずみが一切気にならないみたいで、食器等が触れるような場所でも平気でその状態のキッチンを使っている。
洗面所も髪の毛で詰まったり、カビ、くすみ、黒ずみが出来た時、僕が詰まりを直し、カビハイターを使って白い洗面台をピカピカにして
風呂場も、床が黒ずんできたと思ったので掃除しなければいけないなと思ってきた頃、話をしたが「そうだね。」程度の反応で
今度の休みにでもやっておくとか行動を起こす様子が全く見られなかった。
あー、この人は汚い状態が普通な環境で育ったんだ。って思った。
そしてそれと同時に、うちの家族はとてもきれい好きだったんだなと思った。
そのお陰なのか、僕はそういう状態になると気になるし、掃除しようと思う。
そんなきれい好きなのはA型だからだろ?とか思うかもしれないが、そうではない。
だからB型がガサツなイメージであるのもわからなくはないが、結局はその人がどんな環境で育ったのかが
その人の生活習慣とかに影響するんだろうなー。
僕も目の行き届いてない汚いところがあるのかもしれないが、普段の生活で使用するようなところは
常に掃除しろとは言わないが汚れが目立つようになってきたら掃除しなければと思って欲しい。
育った環境の話をしたが、彼女の実家は、僕が見た知人の家の中でも飛び抜けて汚かった。
一度部屋の状態がテレビ電話中に写った時があった。
その状態を見られた彼女は泣いた。
つまり汚いことは分かっている。
ならなぜ掃除をしないのか聞いた、すると親のせいだと答えた。
それは違うだろ。
だから今後この性格は直らないだろうし、子供もきっとこんな親を見て育ったら掃除しない子供に育ってしまう。
他の理由もある。
でも書いててただの愚痴だなと思った。
他の理由はまた書こう。
どっちブクマするのも似たようなもん
お盆休みに久しぶりの友人と学生時代に通いつめた懐かしの居酒屋でお酒を嗜んでいた。
学生街にあるため客も多くは学生で、サラリーマンが数割といったところである。
近くに座った男女の大学生グループの会話があまりにも酷かったので以下概略を箇条書き。
なお全員が一般的には高学歴とされるような某国立大学(私も卒業生である)の近年併合されたお荷物学部所属のようであり、他学部に比べ偏差値が大幅に低く軽量入試であることは有名である。(大学名が欲しいだけのバカが来るような学部)
傍から見れば20歳に成りたてみたいな容姿の男女が大声でセックスセックスなんて酷いものである。
西友が「袋要りますか?」と聞き始めた頃、「は?要るに決まってるだろ!手で持って帰れって言うのか!何言ってんだ!」と店員にキレてる団塊を見たことがある
今現在の意味と言うけど、その今現在の意味を共有して、その意味で捉えている人間が何人いる?
言葉に定義がなかったら混沌となり、会話そのものが成り立たなくなってしまう気がする。
例えば誰かが「りんご」を「みかん」と呼び始めて、それが一部に広まったとして、その一部での会話は成り立つかもしれないけど、外部の人間からすれば何を言ってるのか分からないと思う。
ちょっとした齟齬が軋轢を生むなんてことは少なからずあるわけだし、その言葉の「本来の意味」は会話をする上で非常に大切なものだと思うよ。とは言っても、全ての言葉が厳密に定義されているというわけでもないだろうから、場の空気を読む的な考えも必要だと思うけどね。
よく思うんだけどレジ袋が要らない人って何なの?手で抱えて持って帰るの?
同じく2円引、同じスーパーかもね
ここの場合は「手間掛けさせんじゃねぇ」って気概に溢れてるから
というか昔っからずっとそうしてる
そこがごっちゃになってるから面倒な話になるんだろうな
どうしても分離できない
とか、どうだろう?
小学校の時にやった遊びは今の世代にも通じるかな、ちょっとずつ違うけど
ところで遊んでたことはあるけど、言い回し違った気もする
この遊びの本質は、最初は本気にしてる人間が少ないのに人数が増えるとだんだん
本気で気分が悪くなってくるところだと思う
冷静さは装っていたさ、頭良いって言われてたし、でも冷静じゃなかったね…うん
最終的にいじめに発展したとかままある話だった
で、これで表現してみると
当然だ、他になんか原因あったら意味わからんわ陰謀説か世田谷か、みたいな話だ
まあ農作物被害とかは試算出来るし、避ける意味わかるし、みたいな
ところで別に実際に広まって欲しくはない
いやそういうこっちゃなくてさあ。
子供いたら基本的に時間全部子供に持ってかれるわけで、そんな余計なとこまで気を配る余裕はないわけ。
そういう余裕を持つには、金を使って子供の世話をアウトソースしないと無理だから、普通のリーマン程度の給料じゃ無理、って話。