せんせー
(4.16) P(A∩B)=P(A)・P(B) が成り立つことが、AとBが独立であることの定義だと書いてあります。
自分の長所を紹介されたり、人から好意を向けられるのが苦手で、褒められたりすると隠れてしまいたくなる。だから、特技や、評価されるであろう長所・成果も、自分から言うことはまずない。聞かれても、事実だけを述べて早めに話題を変える。
小学生くらいの昔からそうだったのだけれど、最近その理由がわかったように思う。注目されたくないのだ ※。
褒めるという行為が、純粋に行動や成果のみを対象とすることは少ない。むしろたいていの場合、それを行なった「人」が指向される。私の製作物や成果が、私と切り離されて褒められるのは、手放しで喜べる。でも、称賛が、それらを生み出した「私」に向かってくると、ちょっとした恐怖が私を包む。
うれしいんだけど、そんなに私のほうを注目しないで…成果物を気に入ってくれたのがわかるだけで十分うれしいから、私のほうはどうかそっとしておいて…というような。
だからといって、短所のアピールを始めたり、逆に悪意を向けられると興奮したりするわけではないのだけれども。
同じ、長所を謙遜するでも、こういうタイプもいるということで。
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※ では、なぜ、私という人間が注目されることを好まないのかというと、その理由は、現在の私の行動様式が、学校社会のなかでいじめの標的になる (なった) 恐怖の上に形成されてきた、ということと関係していると思う。いじめという関係性においては、目立つことの意味あいは、プラス / マイナスどちらの方向にも一瞬で変わり得る。
※ より正確に言うと、人間の集団の中で私という人間が注目されることを避けたい、という感じだろうか。ある程度気心の知れた相手から好意をもってもらえるのは、こんなことを書いてる私でも、やはりうれしい。
絶対にやってる。覚えがないのは単に理解してなかったからだろう。
まぁとりあえずhttp://www.geisya.or.jp/~mwm48961/kou2/joken_p2.htmlでもやれ。
今ググって一番上に出てきただけだけど。
P(A,B)=P(A)P(B)が成り立つのはAとBが独立事象なときだけ。
全ての果物のうちミカンは1割しかないし、全ての果物のうちオレンジ色の果物は1割しかないから、「オレンジ色のミカン」は全ての果物の中で1%くらいしか存在しない!
とかほざく奴がいたら頭弱すぎだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20130316155413
http://anond.hatelabo.jp/20130316160048
あーなるほどね。
生理的にそうなんだ。
そのへんで齟齬が生まれてくることも、あるのかもねー。
こう、我が国の一番若い王子様がですね、学習院でなくお茶の水付属に行くらしいと聞いてですね、なんかこういろいろ妄想がとまらないといいますか、まずお姉様方にもみくちゃにかわいがられていろいろゆがんだあげく女装する王子様とか幼稚園からの幼なじみたちに守られちゃう王子様とか最終的に10人単位のおきさきさま成立ただし王子様もウエディングドレスとかもうめちゃくちゃに想像が広がりまくりなので、はやく現実的なつまらない写真が公開されるとよい。
つまらないオトコ。
石橋を叩いて渡るって言葉があるでしょう。オンナは安心安全を求めているのだから、オトコがいくら俺は安全だよ、って言ったってそれはお前の主張であって、彼女には彼女の判断があるの。お分かり?
「ダメって言ったのにそれを乗り越えてくれる強引さ、そこが逆にイイの」
これはね、オンナが言ってるんじゃないよ。オトコが言わせてるの。
オンナは性に関しては受動的にできてる。だからオトコの願望に沿うカタチに自分を作り替えていけるの。
それにね、罪悪感ってお前はいったけど、それは「やってしまった…」っていうことじゃなくて、興奮して感じてしまったことに対する罪悪感でしょう。
自分を自分で制御できないような気がして怖がってるだけ。だから、それを認めたくなくて逃げているのだ。
そういう無理をオンナに負わせようと、諭す。
小さいよ。
もっと大きくなりな。
このプライドというのは自己評価が低いことに接着してしまっているもので、自分がちょっとでもできるものは完璧に涼しい顔でこなしたいのだ。
そうして他者に対してこうアピールする。
「こんなのはだれでもできる簡単なことであって、できたからといってほめられるようなことではありません。もっと恐ろしく高度なことをする人があっちにいるからあれをほめるとよいでしょう。」
そうして、自分のできることをこなせない他者は常識的なことすらできない者であるからして馬鹿にするべきである、というような雰囲気をもつくろうとする。
この裏返しで、自分ができないことは極めて高度なことであって達人しかできない凄いことであるとほめたたえ、自分はそんなに高度なことは手を出すことすらできないと相手をほめつつも自分のあきらめを正当化する。
がんばるのを見せたりアピールするのはすこしかっこわるいと思っている反面、がんばらないことをアピールするのは不良のやることであるとも思っている。だからできそうなことはこっそりとがんばるし、できなさそうなことはこつこつだらだらやっているふりはするが実質的には努力を放棄している。
たとえば仕事は涼しい顔してできるように裏でこっそり努力していたりするが、婚活はやってるふりだけしている。
めんどくさい。自分がめんどくさい。
そもそもはるか昔の就活ではさらっと動機や能力を盛ってある意味虚構の能力でとおったわけでありますが、婚活で虚構を押し通せる自信はなく、それでいてありのままの、自己評価が低い状態からくりだされる自己の主観的な表現を相手に伝えようものなら今すぐ消えろとか死ねとかに当然なってしまうわけである。
婚活に出てくる男はチビデブハゲオタマザコンしかいない、女は浪費家年増宗教ブス馬鹿母子べったりしかいないという通説があるが、フル装備と行かないまでもその因子を持っているわけで婚活という戦場で戦える武器も心構えもないのである。
そしてまた今日、自分のスペックを明確に上回る親戚がまた結婚に失敗した「距離無し親子と新興宗教」という話を聞いて、なんの因果関係もないのにあきらめの色を濃くするのでした。
みんなにとどけ、このわたしの陰鬱なきもち。
TPP24項目
5.原産地規制
6.貿易円滑化
7.SPS
8.TBT
9.貿易救済措置
15.サービス(一時入国)
18.投資
19.環境
21.制度的事項
22.紛争解決
23.協力
24.横断的事項特別部会
http://anond.hatelabo.jp/20130316152823
「へー良かったじゃない、何線?」
「半蔵門線」
「……(゚×゚ )」
なんか言えよwww
同じ時点で日比谷線・秋葉原と都営新宿線・岩本町の乗り換え割引きも認められるようになったんですが、どうもなんというかこう、東武向けとしか思えず(鉄道趣味視点で見るとね)、そう思って東武の友人の言動を思い返してみるとあれだ、「なんか日比谷線の乗り入れ範囲増えたー」みたいに言ってたので多分ものすごく大暴騰はしてないってことはひょっとして都営新宿線が混んだりすることもあるのだろうか。
乗り換えが楽になるケースが2つもあるのなら、やって損は無いんじゃないか? 他のケースでも経路が変わらないんならデメリットも無いんだろうし。
「自分はこういう人間です」というのを自分で開示する必要はないんじゃ。
「自分は気の回らない人間です」「自分は頭の回転がよくないほうです」「自分は気の利いたことが言えません」「自分は車の運転は得意です」「自分は浪費家ではありません」「自分は好奇心が強くあなたの興味のあることにも合わせられると思います」などなど、いちいち言葉で言わなくてもいいから。
あなたの内省の結果を聞くのは、ひとつのコミュニケーションとしてはありだけど、わかり合うためには絶対に直接話し合うべきこと、というわけではない。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20130316-00000313-fnn-soci
鉄道会社にあれせえこれせえと「ボクの考えた合理的な路線運営」を
ほとんど何も文句つけなかったのはどうしてだと思う?
壁がなくなっても誰もうれしくないから
だ!
あの壁がなくなって
乗り換えが便利になるケースって次の2つしかない。
東西線への乗り換えにいたってはメトロ同士なのに改札出ないといけない状況に変化はないのだ。
そして、前者だと山手線・井の頭線を使って移動したほうが安くて速い。
後者にいたっては住吉で乗り換えできるのでふつう九段下まで来ない。
九段下で乗り換えるとしたら馬喰横山から三越前に行くときくらいだろうけど
そのときは歩きか、電車つかうにしても総武快速馬喰町から新日本橋に行くよね?
壁がなくなって実際に得しているのは
の3つなんだ。乗り換えは関係ねえ!