このプライドというのは自己評価が低いことに接着してしまっているもので、自分がちょっとでもできるものは完璧に涼しい顔でこなしたいのだ。
そうして他者に対してこうアピールする。
「こんなのはだれでもできる簡単なことであって、できたからといってほめられるようなことではありません。もっと恐ろしく高度なことをする人があっちにいるからあれをほめるとよいでしょう。」
そうして、自分のできることをこなせない他者は常識的なことすらできない者であるからして馬鹿にするべきである、というような雰囲気をもつくろうとする。
この裏返しで、自分ができないことは極めて高度なことであって達人しかできない凄いことであるとほめたたえ、自分はそんなに高度なことは手を出すことすらできないと相手をほめつつも自分のあきらめを正当化する。
がんばるのを見せたりアピールするのはすこしかっこわるいと思っている反面、がんばらないことをアピールするのは不良のやることであるとも思っている。だからできそうなことはこっそりとがんばるし、できなさそうなことはこつこつだらだらやっているふりはするが実質的には努力を放棄している。
たとえば仕事は涼しい顔してできるように裏でこっそり努力していたりするが、婚活はやってるふりだけしている。
めんどくさい。自分がめんどくさい。
そもそもはるか昔の就活ではさらっと動機や能力を盛ってある意味虚構の能力でとおったわけでありますが、婚活で虚構を押し通せる自信はなく、それでいてありのままの、自己評価が低い状態からくりだされる自己の主観的な表現を相手に伝えようものなら今すぐ消えろとか死ねとかに当然なってしまうわけである。
婚活に出てくる男はチビデブハゲオタマザコンしかいない、女は浪費家年増宗教ブス馬鹿母子べったりしかいないという通説があるが、フル装備と行かないまでもその因子を持っているわけで婚活という戦場で戦える武器も心構えもないのである。
そしてまた今日、自分のスペックを明確に上回る親戚がまた結婚に失敗した「距離無し親子と新興宗教」という話を聞いて、なんの因果関係もないのにあきらめの色を濃くするのでした。
みんなにとどけ、このわたしの陰鬱なきもち。