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2012-01-15

#蝦夷アイヌ歴史#

蝦夷最後まで中央政権の侵略に抵抗し続けた者たちの土地



蝦夷東北時代

日本から見た歴史日本武尊の東征伝説から

・7世紀前半には信濃川から関東北端あたりまで侵略

・8世紀前半には北海道沿岸まで遠征

780年~ 東北蝦夷による大反乱

801年  坂上田村麻呂による大規模蝦夷侵略

・その後は安倍氏による支配下で、中央政権から遠いので影響も及ばず半独立国家的統治。(※)

東北地方が半ば独立していくという姿は、古代大和朝廷中央集権国家一角が崩れたことを意味し、これがモデルケースとなって日本は小さな国の集合体へと変貌していく。日本明治維新まで、中央集権による統一国家とは言えない。(江戸時代も、あくまで連邦国家である

明治維新政治体制的には「大昔の古代集権国家に再び日本を戻そうという復古運動」であり、決して新しい近代国家をつくろうという思想ではない






・長い間安倍家のもと安定していたが、1052年末法思想のあたりから政局不安定化し、貴族摂関政治の衰え、武士の台頭にあわせて朝廷に反発を始める(cf 939年 平将門の乱

・1051年~ 前九年の役。源頼義および出羽清原氏により安倍家滅亡。出羽清原氏が奥羽の覇者に。

・1083年~ 後三年の役。清平家のお家争いで清衡が勝利し、奥州藤原家として奥州を統治することになる。

・1185年~ 奥州合戦鎌倉幕府により奥州藤原家滅亡。東北蝦夷と呼ぶ時代は終わり、このあとは安東氏による統治。安東氏は拠点を津軽に置き、奥羽と北海道南端の蝦夷地を支配する。北海道蝦夷と呼ばれ始める。







・1325年~ 蝦夷大乱。お家争いが幕府への反乱につながるが和睦。

・14世紀後半~  

 二家分裂(下国家桧山安東氏、上国家湊氏)

  →両家統合安東氏) →秋田氏へ





北海道アイヌ歴史

若狭出身の武士武田信広が、陸奥守護南部氏・安東氏との争いを経由して北海道上陸

アイヌ歴史

 古代大和朝廷の頃は安倍氏に 

 安倍氏が大和朝廷に滅ぼされた後は平泉藤原氏

 藤原氏鎌倉幕府に滅ぼされた後は安東家に

 

 侵略され、搾取され、屈従し、たまりかねて反乱を起こしては弾圧される。

 ひたすらこの5つの繰り返し。

 それでも何とかアイヌ側の忍耐によりそれなりに共存してきたが我慢の限界





・1457年 コシャマインの反乱 武田信広により制圧

・その後蠣崎家に養子入り、家を継いだ信広がアイヌ制圧

・1591年 南部に大反乱。豊臣秀吉の命で徳川家康総大将とする討伐軍。蠣崎家も参戦。

・1593年 豊臣秀吉が蠣崎家を蝦夷の主人と認める朱印状。

・1599年 蠣崎家は松前と改姓。関が原後、家康により

  対アイヌ交易ルートの独占権を与えられる。

  これによりアイヌ人は日本の米や鉄を買いたければ

  松前藩から下ろしてもらうほかなくなった。

・前半は、搾取はするものの統治事態は放任主義であり、

 その間アイヌ生活水準も上昇し、集落もまとまるようになった。

 各部族をまとめる大酋長も現れ、独立国家らしきものが5つもできた。

 






・100年あまり日本人との交易を経て、アイヌ生活水準は向上したが

 同時に自給自足でなくなり松前藩との交易がないと生きていけなくなった。

・全国で産業が興り競争社会突入すると、

 江戸から遠くて高い松前藩産物は売れなくなる。

 苦境に陥った松前藩

 アイヌに対する交易権の相場の独占を良いことに

 3倍以上の高レートでアイヌから暴利を貪ろうとする。

→1669年 シャクシャインの反乱。

 松前藩シャクシャインだまし討ちにして殺す。

 アイヌはまたも敗北し、絶対服従を誓わされるが、理不尽交易レートは引き下げられた。

・その後は松前商人による経営

 松前商人利益を追求してアイヌ低賃金でこきつかい奴隷扱い。

 松前藩は、内紛によるお家取り潰しを恐れて徹底した秘密主義。

 アイヌ悲劇をもみ消すようになる。





・そのままアイヌ悲劇が黙殺されたままおよそ100年ほど経過。

 

・地引き網漁の発達により、肥料用の鰯が大量に取れるようになり、

 有力な交易物ができた松前藩は驚異的な発展。

田沼意次の命で、幕府からの調査団が蝦夷地に踏み込んでくる。

 アイヌとの交易所のいくつかを松前藩から買い上げ、ためしに幕府商人やらせるなどの対応が行われ、

 一時的に暴利を貪っていた松前商人の締め出しなどが行われた。

 内地民の移民&開墾の計画もあったが、田沼意次の失脚で頓挫。

2008-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20080104213403

先住民の虐殺については普通に本に書いてありますから、それを非難する人はいますよ。

当の先住民自身でも非難する人はいますし。

ただ、それが世界的なムーブメントになることはないんですよね。

世界中の、ある程度教育を受けた人ならアメリカその他の先住民運命を知っていますが、だからといってアメリカという国そのものを否定するという流れはありませんね。

不可能ですし。

僕自身、先住民への残虐行為をもって、アメリカという国を根本的に否定する考えはないです。

そんなことを言い出すと、京都(今は皇居東京にあるので、東京でもいいですが)の人々は岩手の人々から存在の正当性を否定されてしまいます。坂上田村麻呂東北を制圧したとき、「助ける」と約束したアテルイ(蝦夷リーダー)を処刑してますから。

2008-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20080103170351

大日本帝国日本国で、国体が変わったということは認識するべきだと思う。

吉田茂が第45代総理大臣というのが納得いかない。

徳川家康初代将軍だろう?

だったら吉田茂も初代総理大臣だよ。

国体が変わったという認識が必要では?」という主張には特に反論したいわけじゃないけど、徳川家康は「江戸幕府」の初代将軍だからその例自体は別と考えて問題ない。「鎌倉幕府」の初代将軍源頼朝だ。そしてそれに対して「坂上田村麻呂の立場は!」とか誰も突っ込まない。


それから、戦後当時の政府人の感覚では「国体政治体制」ではなく、「国体天皇を中心とした国家であること」であって、だから「国体護持」とは天皇戦争裁判にかけないことを意味した。降伏判断を遅らせて原爆を二発食らったのもソ連の参戦を招いたのもいわゆる「無条件降伏」したのも占領を受け入れ米兵駐留を受け入れ民主主義を受け入れ東京裁判を受け入れたのも、全ては「天皇制」護持のため。そしてそれは政府の人の単なる暴走じゃなくて、彼らが日本人全体の「空気を読んだ」からだというのがおおむね妥当だと思う。ホント日本人天皇が大好きだよな。

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