はてなキーワード: つくばとは
ずつも何も
1mx1mx1m=1m3(立方メートル)
1人x1ヶ月=1人月 とかな。
割り算だともっとわかりやすくて、たとえば、1gの油を10mに引いて行ったら
1g/10m=0.1g/m となるよな?単位は消えないんだよ。
N人xM本=NM人本で NM人に1本づつくばるまたは、1人にNM本配れる状況という以上で、勝手に単位を削るほうがまちがっとるやろ。
どうしても法則性にこだわるなら
N人xM本÷1人=NM本 として N人にM本づつ配ったものを1人にまとめると何本になるか?という答えと、鉛筆が全部で何本あるか?という答えは同じである。
よって、NM本である。
としろや。とか思うわけだ。
交換法則を用いて
M本xN人÷1人=NM本
で。答えは、かわらんぞ?
「ネガティブなことは言ってはいけないのか」論争に終止符を打ちたい
http://anond.hatelabo.jp/20110813021554を書いたものです。
たくさんのコメント、ブックマークありがとうございます。
もうちょっと書きたいことがあるので書きます。
ぼくらはけっこう慎重なもんで、
「○○についてどう思う?」という問いかけを目にすると
という考え方に持っていこうとする。
じっさいそれは素晴らしいことだとおもう。
なにか大きな疑問があって、それに対して必ず正解があると考えることのほうが危険なのかもしれない。
もっと優しく、賢く、謙虚になろうと思ったら、自分勝手に結論をゴリ押ししないで
あまねく人と可能な限りとことん話し合うほうがいいのかもしれない。
そういうのをなんて言う?構造主義的?
現在属している共同体の文化や価値観に従って決定することを避けられないから、
ぼくたちはとんでもない誤りを犯している可能性が常にある。
慎重に慎重を重ねても、結論を出すのに「慎重になりすぎる」ということはないのかもしれない。
しかし、ぼくはもう待てない。
というコメントを頂いた。
ぼくは長期的な幸せを望む。
間違った部分とは何か、という疑問についてはもっと考える余地があるかもしれないが、
ぼくたちはおそらくみんながみんな、
なるべく誤魔化しや、
その場しのぎでない、
恒久的、
永続的な幸せを望んでいると思う。
もしかしたら、前回の増田で例に挙げた、世界の多様性を示す例(ニューギニアやアフリカの話)は
「間違った部分」なのかもしれない。根絶すべき人間の悪性なのかもしれない。
よく考えてみてほしい。
ナチスのユダヤ人大量虐殺は「世界の多様性」と言ってしまっていいのだろうか?
9.11の同時多発テロは他人が介入すべきでない文化なのだろうか?
こういう例は枚挙にいとまがない。
うーん。そういうことにYESと言える人はあまりいないような気がする。
基本的人権というシールが、いつからか(先進国の人が考える)全ての人にへばりつくようになった。
このシールを大事にする人は、生きていい人と死んでいい人という区別があるのは認められないと言って、
慎重に慎重を重ねてものを言うなら、
「人を殺してはいけない」という価値観ですら狭い考え方でしかないかもしれないし、
「人を殺してもいいじゃん」という価値観が(先進国で)普通になっていたかもしれない。
そうじゃなくなったのは、人間の理性が悪を打ち破ったからではなくて、たまたまだという気がする。
ぼくは戦争のことなんてなにも知らないけど(体験してないのに知っていると言ってしまうのはウソである気がしてる)
「戦争はいけない」という価値観を受容して(強制されて)生きている。
そんなぼくが「戦争してもいい」という価値観を持つ人のことを理解できるわけがない。
戦争のことを知らないぼくが、戦争はいいとか悪いとか言っても説得力がないが、
少なくともぼくらは、大量虐殺はいけないと言ってもいい。テロはいけないと言ってもいい。
そう考えることしかできないと思う。
さて、間違った部分とはなにか?
ネガティブな発言を減らしていくということは、
間違った部分を正していく行為なのかもしれない。
それが長期的な幸せを作っていくのかもしれない。
ぼくが言いたいのは、
「ネガティブな発言をしてはいけない」という社会的合意が先鋭化されて、
「ネガティブな発言をやめられない人は生きていてはいけない」という主張に変わり、
実際に人が死んでいるかもしれないということだ。
もう一度言うが、ぼくは長期的な幸せを望む。
ネガティブな発言をみんながやめられるということが
少なくともぼくらの共同体では正しいことならば、そうする方が望ましい。
しかし、短期的にはその考え方のせいで人が死んでいるかもしれないということならば
話は別だ。
ぼくらは結局わかりにくいやり方で人を殺しているとおもう。
いちばん救われるべきだった弱いあの人を、ぼくらみんなが団結して殺した。
死因は自殺で、直接手を下したのはその人自身だったとしてもだ。
それはちょっと考え方が突飛すぎるだろうか?
考え過ぎだろうか?自意識過剰だろうか?
そうであるならばそれが一番いい。
ぼくひとりが間違っているのなら、それでいい。
がんばらなければいけない社会、
他人を傷つけるくらいなら自分を責める人がいて
自分が傷つくくらいなら他人を責める人もいる。
かなりの人が閉塞感を覚えているのだけど、その社会を選んだ(選ばされた)のはぼくらである。
民主主義によって、多数決でこの社会が選ばれた。少数派を殺そうという選択だ。
最近はもう少数派と呼べるほど無視できる数ではなくなっている。
弱い人が、
虐げられた人が、
ネガティブな発言をやめられない人がどんどんどんどん増えている。
その問題を優しくて、賢くて、謙虚な人たちがどうすればいいかとうんうん考え込んでいる。
「はてな民」たちはそういう人たちだと思っている。ありがたい。
しかし、あーでもないこーでもないと選択を先延ばしにしている間にも
世界は止まることがない。
つねに何かが選択されて、何かが切り捨てられていく。
切り捨てられていく中に弱い人達が含まれている。
もう待てない。
ぼくは、こんなふうに話し合っていくことが、
いつか世の中全体を変えるだろうと思っていた。
弱者を救済するための装置として、ベーシック・インカムに期待していた。
もう待てない。
長期的な幸せもいいが、まずは人を殺さないでほしい。
がんばって死ぬくらいなら、がんばらないで生きてほしい。
地面をはいつくばって生きるしかない人にとどめを刺さないでほしい。
ぼくらは死ぬために生まれたとでもいうのか?
蛇足かもしれないけど、
資本主義社会というのは、言ってみれば個人の自由を最大限尊重する社会だ。(その代わり平等ではない)
なにしろ死体になってしまうと、自分ではなにもできなくなるからね。
まあ、だから個人の自由を認める気があるなら、
資本主義を持続させようとするなら、一番避けるべきは誰かを殺すことじゃないかと思う。
それで、ぼくは「ネガティブな発言をやめろ」という言い方は誰かを殺すかもしれないと思うし、
解決するためには慎重に考えて、こうやって話し合っていくことが長期的な幸せにつながるのかもしれないけど、
考えれば考えるほどその間に人が死んでいってるかもしれないと思っているのだ。
まず「殺さない」ということだけでも、先になんとか決定できないだろうか。
ネガティブ発言を許せない誰かが狂ってでも、殺すことはやめようと言っているのだから。
その人はもしかしたら有能で、社会をより良くしてくれる救世主かもしれないが、
それでも誰かが死ぬことよりはマシだと思っているのだ。
理由は単純で、ネガティブ発言を許せない人よりも、
ネガティブ発言をやめられない人のほうがすぐ死んでしまいそうな「気がする」からだ
(どちらの側であっても心に余裕がないのかもしれないけど)。
ぼくは常に一番「死」に近そうな人の味方でありたい。
強い人は強い人で楽しんでくれたらいい。
ていうか、ぼくが殺されたくないからこんなこと書くんやけどね。
クズ人間であっても、最低限生きていることくらいは許してほしい。
すいません。言い方を変えます。
ぼくを殺さないでください。
上から目線で「あーしろこーしろ」と言いたくない。
ほんとは殺さないことが人のあるべき姿かどうかなんて、ぼくにもよくわからない。
このままのペースで世界の人が増え続ければ、間違いなくエネルギーや食糧が枯渇するから、
あんまり人は増えないほうがいいという説を読んだことがある。
死んでいく人が増えることはいいことなのかもしれない?
でもぼくは死にたくない。これ以上誰かが死ぬのも見たくない。
「ネガティブ発言」に込められているかもしれないと思ったのだ。それを奪わないでほしい。
もっと前向きな解決法があったらいいなーと思うけど、
「こんなふうにしてみようよ☆(ゝω・)v」
と言われて、
ぼくに必要なのは、一緒に泣いてくれる誰かだ。
後ろ向きなままでは前向きな方法は毒にさえなる。
まずは、死にそうな人を心穏やかにすることが先じゃないのかな。それも死ぬ前に。
これはちょっとさすがに自分でも意味がわからない。書けば書くほど冗長なだけになる。
元増田か?
まだこんな認識なんだ
どんな認識だとお気にめすのかな?
「わーっ、宇宙から放射線が降り注いでくるーっ。地球から脱出しなきゃー!」とでも騒げばいいの?
あの空間放射線量より少ないところなんて地球上には多くないぞ?
関西行っても自然放射線量は0.2μSv/hぐらい高くなるだろうしな。
それって、何処で公開してるデータよ?
http://www.aist.go.jp/taisaku/ja/measurement/index.html
これらが覆せるほどのデータなんだよね?
追記.
NHKで丁寧に説明してくれたけど,
「1回のレントゲンでの被ばく量」と「1時間の被ばく量」を並べられてもねぇ.
レントゲンは1回受ければ当分受けないけど,後者は24時間受けるもんだからねぇ.
あれ,屋外なら0か?屋内待機しろっていうくらいだからそうなのかな.
でもまぁずっと外にいちゃった人もいるだろうということで24時間で考える.
2週間この調子(最悪を想定して,つくば計測最大値の1.54)だとすると,14日*24時間*1.54μSv/h=517.44μSv.
これは,
に相当するそうです.
うむ,これはひとまず安心ですね.
今回,値が大きかったいわき市(最大値23μSv/h)だと15倍だから
です.
まぁ3/15時点の最大値をずっと記録する中,24時間外に佇み続けて2週間,という設定なので,
別の理由で体調を崩してしまいそうですが,それでもまだCTスキャン1.5回分なんですね.
東京・NY往復37.5回分だから,週1回ペースで海外出張した方がやばいですね(52回/年).
ということで「今は安全」ということは信頼に足ると思っていいでしょう.
# そんなのわかりきったことだろアホとか言わないでー.
http://www.aist.go.jp/taisaku/ja/measurement/index.html
今般発生しました福島第一原子力発電所の爆発事故による影響の有無について、産業技術総合研究所つくば中央第一事業所敷地内で放射線測定を実施したところ下記の結果が得られました。
問題ない値らしいですが(上記の研究所は観測結果のみで特にコメントしていませんが),
平熱を知らないで体温を測った気分になったので調べてみると,
東北地方太平洋沖地震に伴い発生した原子力発電所被害に関する放射能分野の基礎知識
ですか.
つくばの平常値は知らないので,平常値なのか異常値(だが人体に影響がないレベル)なのかわからないですが,
なんにせよ世界平均レベルということなので,現時点でやきもきする値ではないってことですね.
13:30の値が気になるところですが,そもそも自然放射線がどういう値をとるものか知らないので
有意差があるのかどうか知りようもなし.誰か教えて.
なぜ単純肉体労働をする人がそういう目線で見られるか。
君が幸せかどうかなんてのはどうでもいい。
売春しなくて済むなら誰もしない。
しなければならないほど貧窮しているから、それに手を出してしまうんだよ。
君が幸せなのは、現状を肯定することで落ちこぼれた自分を慰める逃避行動だ。
凡人ができることをしないで、地べた這いつくばって「ほら、僕ってこんなに幸せ」なんて言われてはいそうですか、と言えるわけがない。
まあせいぜい、僕達高給取りの身の回りでも整えていてください。
あなたの5倍以上稼ぐ身としては、あなたのような人がいるおかげで、誇りを持って仕事ができます。
「僕は差別されるような仕事をしていない。日の当る仕事ができるのは、地べた這いつくばって差別されている人がいるおかげなんだ。だから僕もそいつらを踏みにじって、笑顔で仕事をしよう」
ここ1年、1ヶ月に1度くらいのペースで、友人の相談に乗っている。
誰もが知る大学に入り、有意義かつ優雅で充実した学生生活を送り、大企業の内定を得て、卒業。
絵に描いたような優等生として、決して少なくはないであろう妬みを買い続けて、歩み続けてきた友人が、ついに立ち止まった。
ついでに転んで、立ちたくても立てない状況なのだろう。
地頭の良さはあったけれど、努力も欠かさない。だから優等生であり続けられた。
友人自身にもその自負はあったのだろう。何でも出来て、常に上にいるのが自分、そういう自覚があったのだと思う。
また、有力者一族の一員なのだという矜恃が、コンクリートのよう心を固めてしまっていたのかもしれない。
自分は優秀だ、優秀であり続けなければならない、恥ずべき存在になってはならない、と。
(無論、これらは私の勝手な憶測に過ぎない。)
友人は人間関係に悩んでいる。
他人の悪い噂しかしない同期に馴染めないそうだ。
また、女性の方ならば良く分かるかもしれないが、女性は似たような価値観を持つ者たちとグループを形成し、
問題が起こらない限りは、グループの人間以外とは深い関係を結ばない、そんな厄介で面倒くさくてやり辛い傾向があるが、
友人の話を聞いて判断するに、押し並べて同じようなばかりが集まっているようである。
挨拶はするけれど、それ以上の発展はない。自分を貫くにしても大多数に迎合するにしても、辛そうである。
その上、お前はあそこの大学出身だろ、その上あの一家の出身なんだろう、と上司から何かに付けて言われているようで、それが重圧になっているらしい。
この2つの人間関係が影響しているのか、入社してからというものの消化器系に異常が出るようになり、新入社員だと言うのに
頻繁に遅刻早退、あるいは欠勤を繰り返すようになり、同期に遅れを取ってしまう結果となった。
仕事が出来ない、覚えられない、それが苦痛で仕方ない。仕事が出来ない、同期よりもずっと遅れている、そんな自分を認められない。
だから仕事をしようとするが、やはり出来ない。見事に悪循環に取り込まれてしまっている。
私はというと、優秀になりたくても、努力不足とか、元々出来の悪い頭であるとかでなれなかった人間だ。
中学生の頃までは、自分は優秀だと思っていたけれど、高校生の頃に平々凡々な人間だと気付き、大学時代に只の馬鹿だと悟った。
一度馬鹿だと分かると、気が楽になる。
どうせ馬鹿だから、と投げやりになってはいけないけれど、馬鹿だから出来ない、と自分に言い訳が出来る。
だから努力して、何かを得なければ生きていけない、と思うことも出来る。
友人に、馬鹿になれ、とは言わないけれど、もっと気楽に構えろ、なるようになるし、なるようにしかならない。
そういうことを伝えたいけど、いつも上手く伝えられない。この助言が合っているのかも分からない。
今週末、また友人と会うけれど、今度はどんなことを話すのか。
・一番働き盛りの3o代
ほお、氷河期世代が卑しくも地べた這いつくばらずに俺の金に群がってるだと。
・独身
・将来設計がまったく出来ていなかった。
・実現できない壮大な夢を語る。
・そのブログでは、もちろん生活保護には触れていない(当たり前)
ナマポ受け取ってるくせにな。
クズのくせに高尚なサラリーマン様と同列になろうとか笑えるな。
クズのくせにな。お前の市場価値は零細企業すら雇うのをためらうレベルだっていうのに。
クズのくせにな。
・ナマポの事をツッコむと
「国民は最低限の文化的生活がうんぬんかんぬん」と言ってくる。
ぶっちゃけ憲法条文から「文化的」という文言は削除すべきだ。文化的生活水準も稼げないような奴が文化だの最低限だの国民だのいうことばを振りかざす資格はない。
つくばは歴史が轢死してて、息苦しい街ですよ。コンクリートの塊が冷たい。活気があるように見えなくもないけど、それは一部だけで中途半端に自然が余ってる。
研究学園都市って響きは良いけど、此処に金も含めて研究に必要なリソース置いとくから適当に使って御国のために学べみたいに国が画策した只の隔離都市。
お陰で歴史知らないし、メインストリートが並ぶ中心部はコンクリの塊しかない。本当に。
此処にずっと居たら苦しいだろうね。TX通っても金かかるし使う気になれない。どこからどう見ても人工都市で、気味が悪い。整然と建物が並んでて不自然。木の根が道路のアスファルトを浸食している様は本当に気味が悪い。
都民の友人が言うには、東京の方が歴史もあるし、重んじているらしい。ここはとりあえず国が後先考えずに大学だけ放り投げて、無理矢理研究施設を配置した感じの都市。もともと歴史はあるんだろうけど、それを考えずに練り潰してる。
気づいたけど、自殺が多いとかいう理由も分からなくもない。ここまで人工めいたものが圧倒してくるのは本当に気味が悪い。
こういうことはやることが多くて忙しい間は考えないんだけど。
そうそう書き忘れてたんだけど、つくばの人ってつくばの中で固まってるのよね。Twitter見てるとわかるけど。
元都民でこっち来た人とか、東京にいまも住んでたりする人は人と交流が多そう。まあデカい大学が実質ひとつしかないつくばに於いて交流だの何だのなんて有り得ない訳だ。
なんか半分死んでるみたいな街に住みたくない人は来ない方が良い。東京に近いとか思ってたら大間違いですよ。
*べつにつくばの研究学園都市とかいうコンセプトが嫌いなわけじゃないし、日本でもかなりスゴい研究施設とかがあるのはいいと思うよ。ただ此処に漂う空気みたいなのが嫌い。
物のたとえで「死にたい」とか、メンヘラの挨拶がわりの「死にたい」とか、そういうのではなくて、真面目に自殺をしたい。首に縄をかけて、安いウイスキーを一気飲みして、最上階へ上るとあるロフトから這いつくばって身体を落下させて首を吊ることを考えている。
将来はもう無い。別に諦めたわけではない。論理的にあらゆる可能性を尽くして、将来がないということを判断した結果です。
とても残念ですが人間関係もありません。しかし、自殺するとなると、人間関係がないことが、これほどまで自分にとって嬉しいことだとは気づくことがありませんでした。目ぼしい収入も借金もない。人間的におかしな人間が消えることは、社会にとっては平均点が上がるなんて、こんなに嬉しいことはない。
真面目に自殺をするということは、とても幸せなことだと気づいてしまいました。
自殺をするということは、鬱屈で暗い心や虚しい日々から解放されるということ。
こんなに素晴らしいことに気付いてしまった自分は、もう駄目だ。
その他にもちらほら受かった。
それから親の態度が一変した。
中学は不登校だった。頑張って入った高校で一応馴染めたものの、あまり勉強しなかった。
その時は母親はいつもイライラして、私に毎日説教してばかりいた。
その内容は大体こんな感じ。
「お前の人生はな、こーゆう筋書きなの。大学はバカで入れなくて(笑)、コンビニバイト。
で、土方とできちゃった結婚するんだよ(笑)。貧乏でさぁー、それなのに子供がぼろぼろ生まれちゃって(笑)
苦しい苦しいって言いながら底辺這いつくばって生きていかなきゃいけないんだよー」
(これ母親の境遇に大体当てはまる。ということは私はやっぱ望まない子だったんだと思った)
高校二年の時。少し勉強を始めた(といっても塾通ってないし時間も他人の半分以下だったと思う)。
それでも少し成績が上がった。久しぶりにいい結果を見せられるなー☆と、親に模試の結果表を見せた。
「ねぇねぇ、私成績上がったよ」
これでほめてくれると思った。だけど結果は違った(笑)。
「あんた! 偏差値全然低いの! 馬鹿なの! これじゃ東大どころか早稲田も入れないじゃない! なんなの! これは!
泣いた。父親は麻生元首相もびっくりなほど漢字が書けないし、母親は中学で習う社会の内容さえ答えられない。
その人と付き合う確率を高めるためにはまず自分がブスなおかつバカなのを直さなきゃいけないと感じた。
大学受験だし丁度いいからバカを治そうと思ってさらに勉強をした(と言ってもやはり他人よりは劣る)。
そうして。本番。まあ結果は前述の通り。
そこから本当に親の態度が変わった。
「I'm proud of you~ハート」とか「××ちゃんが生まれてきてくれて本当によかった」
「クラスのみんなは? へへっそんなダメだったの(笑) ××ちゃんが一番だね。 本当にいい子」
そして父親。会社に言いふらし、酔うと必ず大声で
「××ー!! お前は俺の子だぁー!! こいつは◯△大なんだぞー!!」
と叫びだす。
なんなのこれ。私東大じゃねーよ。日本という狭いフィールドの中で鼻高々な痛い大学しかも私立(笑)だよ。
それもそうなんだけど。私の中身なんか全然見てくれなくなった。
私の趣味好み考えや感情などをすべて「それは高学歴の人だからしょうがない自分らには分かるはずがない」という枠に納めはじめた。
両親は知っているだろうか。
私の本の好み、音楽の好み、大学生活、大学でできた友達、今好きな人、政治に対する考え、将来の夢。
両親が望む私の人生
両親は私を全然見ていない。目を逸らしている。
私は、父の会社の社風が絶対合わないからそこに就職するのは嫌です。
(しかし今私が生きているのは父がいる会社のおかげです。それは本当に感謝しています)
そして私は同性愛者です。男性に恋愛感情を感じたことがありません。
気づかないんですか? 娘が男性アイドルなどをカッコいいとかなんとか言ってるのは、あれは全部嘘です。
知らないんですか? 私が本当に好きなアイドル。知ってますよね。堂々と写真集コンプリートして読んでるからね。
そして好きな人。知っているでしょう。だって私その人の話しかしてない。私のキラキラした眼を見たらすぐに分かるはずなのに。
もう疲れた。
貴様ら・・・・何を言っているんだ。
おまえらの職場を見ろ、ただネットで遊び、新聞を読むだけで呆けるだけで給料のもらえるやつのなんと多いことか。
派遣のものも正社員のものも、血反吐を吐き、這いつくばって得た売上がこの腐ったものに吸い上げられる。
こいつらを切れば、貴様らの給料も上がる、人も雇える。今よりもっとましな生活ができるのがなぜ分からん。
捨てられたものを心配するものもいる。かのような腐った連中が、これまで甘い汁を吸ってきた連中が、死に絶えようと知ったことか!
こいつらこそ、おまえらの生活を苦しめている最たるものだ。
人は弱肉強食でこそ磨かれる。いままで苦難を乗り越えてきた貴様らはクズか、否!
屑でないものを殺して、屑を活かすこれが正しい世の中か?違うだろう。
さあ渡れ、自由への橋を。さあ、実力こそがすべての世界へ。
20代の、長男であり、あたまのわるい私は時代の変化に適応出来そうも無い。
だから、まだ高校生にもなりたてで、ネットでろくに情報収集もできない私より馬鹿な(こんな時代で大学にも入れないだろう程の)弟にすべてを託してみようと思う。弟なら、今から挽回することはできる。有名私大文学部で留年してまで就職に失敗し、落ちゆく私に未来はないだろう。だからこそ、弟に希望を見て欲しい。
私はもう英語も中国語も頭に入ってこない。おそらく精神を病んでいる。ただ黙って天井を眺めていることに安らぎを覚える。この無為な時間を、弟に注ぐのだ。教育するつもりなど無い。気づいてくれるまで、たまに対話するだけの簡単な作業だ。
私は近くホームレスになる。と言っても、まだ親の資産があるから大丈夫だ。ただ、私が10年も居れば親の介護費用すら無くなるだろう。だから私は5年も待たずに家を出なければならない。それまでに貯めた資産の総量が、私のその後の人生を決める値となるわけだ。そしてその額など高が知れたもので、ホームレスになるしか道はないはずだ。
今は別居しているが、あの環境では弟はろくな人間になれない。いや、良く躾けられているので親に従順すぎると言えばいいか。ろくな人間が躾が行き届いているといえば変に聞こえる人もいるだろうが、どうせその価値観はすぐに潰える。少なくとも、今後の人生で躾などというものは化粧ほどの意味もない。無用の長物なのだ。
とにかく、私は一度マイホームに戻る必要がある。
弟には人生の自由度を増やす必要がある。気付きのない人間にだけはなってはいけない。おそらく弟も今から外国語の習得など難しいだろう。国内でのサバイバルに耐えられるだけの体力があるだろうか。いや、ないだろう。彼は親にも、私にも、そしておそらく他人にさえも、優しく、素直だった。自分でいうのも何だが、良く私の真似をした。こんな末路まで真似をされては困る。兄より強い弟になってもらわなくては困る。兄の、親の死を超えられるだけの強靭な精神がなければ困る。祖父の死で号泣してしまうような、おりこうすぎる人間になっては、困る。
私自身は、生きる気力もなくなりつつある。ホームレスになってからは地べたに這いつくばってでも、日本の終焉に立会うことすらできないかもしれない。
最近よく自ら望む死を想像しては我に返ることを繰り返すが、家を出た直後に駅で死ぬかもしれない。
とにかく、私の人生自体はもう先がない。