はてなキーワード: 盆踊りとは
箸より重いものもったことなさそうなホストみたいな恰好したにーちゃんねーちゃんや、いい年こいてアホみたいな極彩色のメイド服やゴスロリ姿だったりピチピチスーツ着た女が、マニアックな拳銃とかライフルとか日本刀振り回して、盆踊りみたいなアクションで大人とか軍人や悪い奴らに無双してカッコイイこというようなの、あんなの今でもなろう系とかでいくつかあるけど思えば、あんなもん普通に考えてありえないようなものが00年代の頃はリアルとか言われてたんだよな、そういえば
でもそれって、当時情報が降りてこなかったからリアルって想像できる余地があったんであって、ある意味でいい時代だったんじゃないかともう
YoutubeやCNN見れば、ヘッドカメラ越しに特殊部隊とテロリストが至近距離でボコボコ撃ち合うマジモンの殺し合いの様子や、白昼堂々ぶん殴られてVXガスとか毒ガス顔にぶっかけられて痙攣してぶっ倒れて死んだり、血達磨になってさらし者にされる正体ばれて身代金要求される諜報員とか、ドローンで家ごと吹っ飛ばされて爆殺されるみたいな映像がマジでいっぱい見れる今の時代の方が異常なんじゃないだろうか?とおもう
自分は子なし独身で関東圏でひっこしを6回ほどしたが、年代別の人口分布がバランスがいい区域(赤ちゃんからお年寄りまで見かける、学校や幼稚園、福祉施設が多いなどから判断)ほど住んでて安心感があり心地よかった。おじいちゃん・おばあちゃんは散歩してるし、子供は遊んでるし、井戸端会議をやってる人たちの声が聞こえるし、子供祭りや盆踊りみたいなイベントも定期的にやってる。
逆にやけに単身向けアパートやマンションが多かったりする土地は平日も休みの日も昼夜問わずやけに活気がなく(歩いてる人を見かけない、話し声など生活音がない)暮らしてるだけで滅入った。特に相鉄線の平沼橋ちかくの一角はめちゃくちゃ便利なはずなのに人の気配がなく苦痛だったのを覚えてる。
結局のところ、子どもがいる世帯の多さがその区域の活気の有無の分かれ目なのかなって気がする。自分みたく子なし独身だと子持ちの人たちが持つ「その土地に長いこと住む、自分や自分の家族が暮らす土地だから大事にする」みたいなポジティブな気概がうすいし、その土地に馴染む機会も少ない。その結果、その区域の活気もなくしていく。
茹だるような暑さ、積乱雲、夕焼け、屋台の熱気、盆踊り、始まりと終わりの境が判然としない花火大会。
金魚みたいにカラフルな帯をしめた浴衣姿の子を連れた女性。彼女を連れているのが、同級生であることに気づく。
突き刺すような太陽光と入れ替わりに辺りを包んだ優しい闇に誘われ、祭り気分を味わいたい人々が続々と戸外へ繰り出す。ワンマイルウェアに身を包んだ老若男女、体操服で屋台に繰り出す中学生、社命で祭りに参加した地元企業の若手社員、支持基盤のイベントは全通を旨としているのであろう市議会議員。この町のどこにこれほどの人が潜んでいたのかと驚く。
完璧。夏が始まる前から求めて止まなかったのだ。この空気感を。
あとは焼きそばだけがあればいい。夏祭りを完結させよう。地元有志が出す屋台を覗く。
ない。
枝豆、りんご飴、フライドポテトに金魚すくい、フランクフルト、ビールに白玉団子に鮎の塩焼きまであって、焼きそばがない。全ての臓器がレッドカーペットを敷いて焼きそばを迎え入れる準備を整えているのに肝心の焼きそばだけがそこにいない。もう麺ならなんでもいい。浮気を決意し、近所のラーメン屋に片っ端から電話をかけた。「貸切」「売り切れ」「食べ物がほとんどない」時刻は20時。丸見えの繁忙期を前に、どんな作戦立てて戦に臨んだらそうなるんだ。実家まで徒歩20分の距離でこんなにひもじい思いをする日が来るとは思わなかった。朝からパフェとクッキーしか食べていない上に、夕方炎天下で全力ダッシュをした後の空腹感はもう無視できない。
浮気心を捨て冷静になった頭で今夜やきそばにありつく方法を再考する。近くにコンビニがある。コンビニにはカップ焼きそばがある。見えた。願わくばゆっくり食べられる場所が欲しい。悩む我々の隣をその辺に住む知り合いが通りがかった。彼を逃す手はない。挨拶もそこそこに、「あなたの家で今からカップ焼きそばを作らせてほしい。」と頼み込んだ。暑さで頭がおかしくなった人みたいな頼みを彼は快諾してくれた。神だ。もしくは頭が暑さでやられていたのかもしれない。
神に供える焼きそばも買い込み、意気揚々と神の家へ上がりこむ。カップ焼きそば用のお湯を沸かす間に神は飢えた人間に食べ物を振舞ってくれた。
神の生活水準は高かった。
無添加の佃煮、火照った体に心地よい喉ごしのもずく酢、余りものだという炊き込みおこわのおにぎりを手際よく並べ、産直で見たことがある体に良さそうなお茶を人数分のグラスに注ぎ、遠慮せずに食べなさいと言った。歪だけどハリがあって味が濃そうなトマトを切る係を仰せつかった私は、嘘みたいに切れ味の良い包丁でトマトを切り分け、作家ものの器に不恰好に盛り付けた。この空間にカップ焼きそばを持ち込んで本当にごめんなさいとみんなで神に謝罪した。いいよいいよと神はわらった。
恥と共に飲み込んだカップ焼きそばは相変わらず駄菓子みたいでおいしかった。神に会う前だったら食事としておいしいと感じただろう。夏は人を少し大人に変えるな。と感傷に浸っていたら、神から「人生はあっという間だから、毎日ちゃんと生きなさい。」という言葉を頂いた。神は手厳しくて優しい。
増田も知っているとおりに過去の日本では養子縁組が比較的障害低く行われていた
何故かと言えば子供は村という共同体に所属する存在であって「家の子」であると同時に「村の子」だったから
「別の家の子」になっても「村の子」である事実は変わらず、後継者に悩む家には他家から次男三男があてがわれた
それと同時に日本にはもう一つ「村の子」として形成するための文化があった
それが「盆踊り」だ
明治維新以前の盆踊りでは男女の出会いの場としての性質があり、明治維新の際に欧米文化輸入の兼ね合いにより性風俗の乱れを問題視した政府によって盆踊りは禁止される
つまり、明治維新前の盆踊りとは男女乱交の場であって、そこで誰の子かわからない子供ができてしまうわけだ
誰の子供がわからなくとも「村の子」ではあるので、問題なくどこかの「家」に所属できたんだ
日本の一夫一妻なんてのは明治維新以降に生まれた社会制度であって、むしろ日本では(日本式の)多夫多妻の方が「妾」も含めて長い歴史があるんだぞ
ガーナで『よさこい踊り』が独自の変化を遂げ、超クールなダンスへと進化していた「完全にアフリカンナイズされている」 - Togetter https://togetter.com/li/1287106
高知県民ではないので伝統のよさこいというのがどういうものなのか知らないが、
ググった限りだともともと盆踊りと同じようなスローペースの踊りらしい。
それが今やドラムやらベースやら電子音が鳴り響く音楽に合わせて踊る集団舞踏パフォーマンスとなっている。
現代の音楽と昔ながらのYOSAKOIの融合、初めて知った時、これは新しい時代の祭り始まったなと思った記憶がある。
地元で人気の踊りはそれなりにあるけれど、それらは地元を離れられない。
地元を離れても受け入れられ、ローカライズされてもなおアイデンティティを失わずに居るのはYOSAKOIだけだ。
あと関係ないけど東京に来て「よさこい」と表現されているものが
私の地元にはオリヒメサマという風習がある。年頃の娘がその年のオリヒメサマに選ばれ、6月1日に墨染山の頂上でおでこにデカデカとハンコを押す。「オリヒメサマ、この娘の体をお使いください」という目印らしいが、最近は子供や大人、観光客にも押すようになった。
オリヒメサマに選ばれた娘は、年末までオリヒメサマとして振る舞う。七夕に短冊を焚き上げて願いを本物のオリヒメサマに届けたり、8月半ばのオリヒメ祭りで彦星役と舞を踊って酒を飲み交わしたり、糸紡ぎの儀、機織の儀、衣染めの儀、灯籠流し、えびす講、松の文字下ろし、はては最近はカラオケイベントや盆踊りにまでも引っ張りだこだ。
オリヒメサマにいい加減帰ってもらうために、皆してオリヒメサマの悪口を言いながら山を登る。山を登った先では仏僧とオリヒメサマが参列者の頭に御神酒を注ぐ。年暮れだから当然凍えるように寒い。
かくしてオリヒメサマは天の彼方へと帰って行き、娘は解放される。
が、たまにオリヒメサマが帰らないことがある。
1月1日を過ぎてもオリヒメサマとしての言動が抜けなかったり、何やら奇妙なことを口走るようになって、その後半年で半分廃人のようになってしまうことが十数年に一度の頻度であったらしい。
昭和中頃までは「もらわれた」「よばわった」、あるいは「いらっしゃる」、「いごいた」など、我々はそのような娘を好き勝手に呼び、半分憐れみ、半分尊び、注目しながらも、目を背けつつ、みんなで世話をした。21世紀になって思うに、宗教的なものというよりは、年端も行かぬ若娘がまったくの別人格を無理やり与えられてチヤホヤされ、崇められ、その他全ての町人の上に立つという経験自体が精神に良くないのかもしれない。が、私は医者でも学者でもないので詳しい事はわからない。
昭和後半になって、これらの行事はどこからともなく現れた「正式名称」で呼ばれるようになり、「正しく」紹介されるようになり、行事はやんわりと修正された。もっとソフトでポップな雰囲気が欲しかったのかもしれないし、観光資源化のために必要だったのかもしれないし、何か良くないことをしているから変えなければならないという自覚が旦那衆にもあったのかもしれない。
若い衆は何も知らずに、単にイベントとしてこれら行事を楽しんでいることだろう。しかし、年寄りはあのころのディープな記憶を持っている。
最近はオリヒメサマ選びはただの美人コンテストなのかもしれない。ただのまちおこしなのかもしれない。
でも、あの頃の記憶は忘れられない。オリヒメサマを持っていることによる神秘的な高揚感。他町民への優越意識。そして、どこかいけないことをしているような共犯意識。
今の行事には、あの頃の妖しい魅力と強力な毒はない。腑抜けた、という表現がぴったりくる。でも、きっとこれでいいんだろう。我々が皆死にゆけば、この町は普通の町になる。