はてなキーワード: マルクス主義とは
1990年以前の右派左派の右派はケインズでしょ。新自由主義がなくてマルクス主義がいた時代の話だよ?
だから経世済民としての経済の主軸である議論と右派左派と経済理論が一致していた。けど、今の右派左派は強者より、弱者寄りぐらいの意味でしかないじゃない。
ある宗教系党首の再選というニュースを見て、そういえば共産党は独裁になりやすいなと思った。
アメリカはその逆で、絶対に独裁ができないシステムになっている。最長でも2期8年。
マルクス主義とはつまり唯物史観、この世は物質だけがあり、物質が法則を作るというものである。
という強い信仰があるのだろう。
だから残酷なこともできるし、犯罪もできる。しょせん自分はロボットなのだから神罰も何もない。
そういう思想を持つ人間に恐れはない。そして神罰を受けてからそれに気づく。
見た目は同じアジア人のような恰好をしているが、信仰が全く違う。おそらくクマとライオンくらい違うのではないか。
今回の党首の再選でそれに気づいた。
自民党が献金や人材供与や票固めで動く程度の組織だからだろ。それ自体は害悪だから、二度と統一教会みたいな連中が政治に関われないように「法整備」まで行くべきだな。
そして、うっすらわかってきた。統一教会のお前としては「パヨク共産党と退治する組織だから受け入れられてきた」とでも思ってんのか。
人を騙して金をせびっても正しい行為をしている組織だから許されてきたとでも思ってたのか。
マルクス主義対ケインズ主義も微妙なところではあったが、最終的にはケインズ主義がかった。第二次大戦直後は実際ソ連は最強国家だったからな。
だが、ケインズ主義がかったのはケインズ主義が優れていたからであって反マルクス主義の連中が暴れたからじゃねぇ。
ただの反マルクス主義だったから、ケインズ主義に懸念が持たれて新自由主義になったら失われた30年づけるばっかりじゃ。ましてやそんな状態で反マルクス主義なんて誰も関心持っとらんわ。
平原依文さんが炎上し続けているけど、今の日本に必要なのは「階級」という社会を見る際のメガネなんだよね。「階級」という言葉が、かつてマルクス主義者によって僭称されてきた不幸な過去などもあって、今の日本社会(マスメディアや公教育)から完全に消されているため、上流階級で育った人が、自分が上流階級であるという自覚もないまま、下層階級の人の神経を逆撫でする提言を無邪気にしてしまう。
日本の政治報道を見ていると、例えば選挙結果が常に「女性/男性」「若者/中高年」の括りで報道され、所得階級はほとんど問題になったことすらない。そもそもテレビ局も新聞社も、そうした階級に関わる初歩的な出口調査や世論調査をいっさい行っていない。「若者の低投票率」が常に問題になる一方、「低所得層の低投票率」は問題として取り上げられたこともない。
「階級」だけで社会を語れるわけではもちろんないけど、「階級」というメガネをかけて社会を見たことのある人が、とくにこの平原さんのように素直にまっすぐ育った人ほど少ない。経験の重要性は否定しないが、まず「階級」というメガネをかけて社会を見る経験が必要である。
統一協会が対共産主義が正しいんだ!って物言いだが、ケインズ主義が好景気にすれば庶民の失業がなくなり、賃金待遇が上がるから勝ったのであって、統一教会は無意味だって言ってんの。
20世紀初頭にマルクス主義とケインズ主義が台頭するまで、貧富の格差の問題はどうしようもなかったのだぞ。マルクス主義は暴力でしか解決できないと言う解になっただけ。
最もケインズの知見を無視して新自由主義になったからブラック企業や非正規労働で労働者が買い叩かれる時代に逆戻りしたがな。下手に何かやろうというやつこそ弱みを見て悪い待遇に落とされる。
共産主義が原因となってる厄災とは何だ?言ってみ?で、その厄災は、数多くのちょっと道を誤っただけのやつに数千万円とか一億円以上を献金させて山上みたいなやつを生むよりでかい厄災かw?
昔は貧富の差はマルクス主義は暴力でしか解決できないと考えた。だけどもう一つケインズ主義で累進課税や景気を良くして労働者の奪い合いで失業をなくし、賃金待遇をよくするという解があった。新自由主義と長期不況で破壊されたが。
共産主義に勝ったのは統一協会や勝共連合ではなく、ケインズ主義。もっとも、中国も民主主義じゃなくて、経済政策と科学投資が国を豊かにすると気づいて、専制国家だが豊かな国になるという異形の進化を取り続けてるがそれも先進諸国が新自由主義に陥ったからこそ。
ちなみに、資本家に対してどう立ち向かうかは20世紀の最大のテーマであって、故にマルクス主義とケインズ主義が生まれた。
マルクス主義は暴力しかないと考えたけど、ケインズ主義は好景気にして、労働需要が高い状態にすれば失業がなくなり賃金待遇が上がると考えた。だからこそ好景気の維持は大事なんだよ。
もっともただの財政出動だと、オイルショックのような供給不足や、ベトナム戦争からのアメリカの経常赤字のような無駄遣いや、途上国の腐敗によるスタグフレーションに陥るという問題もある。一方でケインズ主義批判として生まれた新自由主義は一度大規模経済危機を迎えると、になると二度と経済は回復しない。
「あれもこれも宗教だから統一教会だけでなくあいつもたたけ!」にみえるな。
共産主義ことマルクス主義と、ケインズ主義はその前の自由主義の中で生まれた。自由主義は一度経済停滞を迎えると企業が設備研究投資をしなくなりため込むことにより、格差が拡大し貧困者が増大する。
そこでマルクスとケインズが解を出した。ケインズは雇用と金利、貨幣流動を重視した。資本主義と言われた国もケインズ主義を採用して、累進課税や労働力不足により賃金上昇と格差縮小がなせた。
スタグフレーションという単純なインフレなら金利上げというのが通じない局面があって新自由主義に乗っ取られた。しかし、新自由主義を採用して失われた30年を作っている。スタグフレーションには、足りない供給を狙っての増産が必要だ。
一方マルクスも格差拡大を問題にしたが、暴力しか解がないと思ったから暴力を使っただけのこと。自由主義の問題に対する解がない時代故の解だが、昔なりの解ではあった。
統一教会や国際勝共連合は反共産主義を掲げたが、「ではどんな解がよいか!」は勝共連合たちは持っていない。共産主義を叩けば良い社会になると思ったが今の失われた三十年だ。
■教養を身に付けられる本を教えて欲しい。
この問いに答えるには先に「『教養』とは何か」ということをクリアにしないといけないと思うが、これを抽象的に論じ始めると喧々諤々の議論となって、増田の「本を教えて」という望みにたどり着かない。
しかし、日本の「教養人」と言われる人/自称している人たちの中で「教養」の範囲は割と共通していて、だいたい以下のラインナップに自分の専門や好みを付け加えたものになるのではないかと思う。
これはもう間違いない。およそ西洋で発展した学問は深掘りすればすぐにキリスト教にぶち当たる。
ただ日本でキリスト教について知識を身に付けようとしてもなかなか良い本が無いのが現状。(その辺で売ってる入門書は表面をなぞってるものばっかりなので読んでも誤解して終わりだと思う)
個人的には内村鑑三の一連の著作から入るのが分かりやすくて良いと思うが、古くて読みづらいかも。田川建三から入るのも面白いかもしれないけどどうかなぁ。
なお、「教養人」といえど聖書は誰も通読していないので、上記の本で引用されたところを拾い読みしておけばよい。
ひと昔前までマルクス主義はすべての学問を包括する「グランドセオリー」と言われていて、どんな問題でも切れる便利なナイフのように活躍していた。
その残滓が今でもあって、社会科学においては今でも学生が知らず知らずのうちにマル経用語を覚えさせられていたりする。
むかしは手に入りやすくてわかりやすい入門書が不破哲三のものしかなかったが、数年前のマルクスブームでたくさん良い本が出ており、個人的にはデヴィッド・ハーヴェイの入門書をお勧めしたい。(ただ抵抗が無ければ不破哲三の著作は今でも分かりやすくてよい)
みんなの憧れ『資本論』も上記入門書の傍らに置いてちびちび読んでみると良い。そこらの難解な哲学書に比べればぜんぜん読める。
マルクスをやればみんな歴史がやりたくなる。マルクス主義史観を学校で習った日本史/世界史に当てはめて、その切れ味を試したくなるからだ。
好きな時代や分野をやれば良いと思うが、「教養人」はみんな網野善彦と遅塚忠躬の著作が大好き(偏見)なので、ぺらぺらめくっておくと良いだろう(マルクス主義史観の多少の解毒剤にもなる)。
ウォーラーステインも読みたくなるが、長すぎて誰も通読していないので、川北稔のアンチョコを読んで、読んだふりをしておくと良い。
なお、第二次世界大戦については最近、川田稔『昭和陸軍全史』という誰でも読めるすばらしい本が出たので、知ったかぶりができなくなった。
文学となると何を読むか、ということになるが、サマセット・モーム先生が『世界の十大小説』というすばらしいアンチョコを出しているのでまずはこれを読むと良い。
そこで採り上げられている小説のうち、『カラマーゾフの兄弟』と『戦争と平和』は「読まなければ人ではない」という風潮があるので、せめて読んだふりはできるように。キリスト教の知識がここで生きてくる。
日本の小説では、夏目漱石についての柄谷行人の論考を読んで、日本の近代について一席ぶてるようにしておこう。
それと『失われた時を求めて』はとりあえず買って挫折するのが大事。
わが国では哲学について昔から「デカンショデカンショで半年暮らす、あとの半年寝て暮らす」という有名な言葉があり、デカルト・カント・ショーペンハウアーが昔の「教養人」の必須科目となっていたらしい。
ただショーペンハウアーがここに入っているのは少し不思議で、今ならニーチェが入るのではないかと思う。
どうせ正確な理解なんて無理なのだから、適当なアンチョコを読んで知ったかぶりができるようにしておくと良い。
なお、なんか知らんが日本人はヘーゲルが大好き(な割に誰も理解していない)なので、一応挨拶だけしておこう。
「教養」として名前が挙がることが多い一方で、まともに条文を運用できる人がほとんどいない分野。
上述してきた分野と違って、本を読むだけではだめで、指導教官のもとで実際の事例にぶち当たってトレーニングを積まなければならないので難しいのだろう。
下手に基本書を読んでも本職に知ったかぶりをすぐ見抜かれるので、時折ネットで話題になる法律問題について法曹の解説を読んで都度勉強すると良いだろう。
ここまで挙げた学問はいずれも西洋で発展したものなので、「日本にはなんもねぇのか」という気分になってくる。
こうした「教養人」が抱えるコンプレックスについて内田樹が『日本辺境論』という本で書いているので、ちょろっと見ておくと良いだろう(Amazonで1円で売っている)。
ここらで本居宣長とか丸山真男とかを読み出す人も多いのだが、どうせ不毛な作業になるので、視野を広げて中国思想・インド思想辺りに目を向けるのが良い。
「教養人」というのは大概文系であり、自然科学についてはからっきしな奴が多い。
自然科学の話題になると、トーマス・クーン『科学革命の構造』をそれらしく引用して逃げ切りを図る人が多いのだが、本職に馬鹿を見抜かれるので素直に勉強しましょう。
ヨビノリをはじめとした学習コンテンツがYouTubeに転がっているので、せめて高校数学と物理ぐらいはやっておかないといけない。
上述してきたような分野をやっていると、唐突に詩が登場したりして困惑する場面が多々出てくる。
論理的(笑)な「教養人」の中にはこれを不得手として敬遠する人が多いのだが、どこかで対決しなければならない。
幸いなことに最近、詩人の渡邊十絲子という人が『今を生きるための現代詩』という詩についての分かりやすい概論を出したので、一読した上で適当な詩のアンソロジーでも買ってくれ。
なんか知らんが「教養人」は映画が好きな人が多いので、ある程度は観ておかないといけない。
イギリスのエンパイアという雑誌が「史上最高の映画500本」という特集をやっているので、上から適当に観ておけば良い。
とりあえずこの辺を押さえておけば周囲からは「教養がある」という認定を受けるのではないかと思う。
ただ教養があったとしても「教養人」からマウントを取られる可能性が低くなるだけであり、「他人との会話が盛り上が」るなんてことはまず無いから気を付けて呉れ給へ。
・多重下請けビジネスは江戸時代の普請奉行のしぐさを基にしている
・江戸時代は、儒学を活用して「お上に逆らうことは人間的倫理に反逆する」と教え込んだ
・そのことで長期にわたり安定政権となり、将軍の権威も失墜しなかった
・同じことは、軍隊+マルクス主義のセットで隣国でも現在進行形で行われている
・江戸時代は町人文化など良い点もあったが、ベースは独裁と暴力・洗脳であった
・精神面における「江戸しぐさ」は、民主主義と対照的であり、精神の停滞と人権弾圧を肯定することになる
・多重下請けビジネスは、日本に根付いた江戸しぐさを悪用し国力を停滞させる目的で電〇によって発明された