はてなキーワード: 魔女とは
きのうで話のテーマが少し見えてきた気がする。
さやかが堕ちたことばっかに注目されてるけど、実際一番大事なセリフは、
「人を思いやるだけ、同じだけ憎しみを生む」的なセリフだと思う。
だからほむほむは魔女狩りしなくてもSGはあまり穢れないようだし、さやかのSGは穢れがはやか
ったんだと思う。
そして、やっぱり正しいことをしようとしたのに悪いほうへ行ってしまったってのは今回も同じで、
作品のテーマとしては、「いかに間違えるか」なんじゃないかなと思った。
だから、自分がなくて、他人のことしか考えていないまどかは、最強の魔法少女になるんだと思う。
それを心配して、まどかに自分のことを大切にして欲しいから、ほむほむはまどかに忠告をする。
「我侭なくらい自分のことを大切にしなさい、そう願ってる人がいるから」って伝えたいから。
それは、まどかにとって、いまは「間違った選択」に映るのかもしれない。
でも、結局まどかはさやかを見捨てて、魔法少女にはならずに、自己を確立していくしかない
んじゃないかなって思った。
で、こんなふうにまどかを思ってくれるのって、ほむほむと、まどかのお母さんなんだよね。
そして二人は、「間違っていいから自分を大切にしなさい」って同じメッセージを送ってるように見える。
今まで、ほむほむって黒色なのにイメージカラーが紫って書いてあるのが疑問だったけど、
紫って言えばまどかのお母さんの髪が紫なんだよね。
さすがにほむほむは昔のお母さん、ってわけじゃないだろうけど、何かしら関連を感じたなあ、というか、
猫ってうわさあるけど、さすがにここまできて本編にヒントが描かれてないものが正体、って疑問だなあ。
だったら、きゅうべえも実は身内だったりして?
自分の服装についてデザインをしていたまどかに、魔法少女としての適性があるという事実から、想像力を持っている人間には魔法少女としての特性があると考えられる
また、想像力のある人間には作家としての特性があると見ても構わないだろうから、魔法少女とは作家を表すところのメタファーなのではないだろうか?
シナリオ担当の虚淵氏は、かつてFateZEROを制作してもいるが、彼はその制作過程で、あの作品に登場する魔術師が、創作に関するメタファーであることを見出しているはずだから、その経験を今回の作品に応用したのではないだろうか
作家は、ユーザーの中にある悪意を殺しながら生きている……そう考えると、魔女とは作家が生み出す作品に対するユーザーを表すところのメタファーなのではないか。
編集者かな(笑)
緑が魔女に操られて自殺未遂して、まどかが青をうっかり殺しそうになって、青が壊れたじゃないか。
どこが物語がないの?
こういう文脈で使う物語ってなんなの?
純粋に不思議だ。なぜ『まどか』はストーリーを持たないんだろう。
もう第7話だっていうのに、魔女の正体が徐々に明らかになるわけでもない、キュウベェの目的が明らかになるでもない。
ましてや最初期に見せたセッティングが深化を見せるわけでもない。
7話までに起こったことといえば、マミさんが死んだことと、さやかが契約したってことくらいだ。あと赤い髪のキャラが出てきた。一行で説明できる。
やっていることといえば、「葛藤」だ。本来自己の外部から襲ってくる「事件」、それらとの折り合いの中で葛藤が生まれるはずだ。
しかし『まどか』ではそういったコンテクストから独立した、抽象的な「葛藤」そのものを扱っているように見える。こんな歪な構成のアニメはそうそうお目にかかれるものではない。
碇シンジくんもエヴァンゲリオンに乗るかどうかで葛藤した。しかしそれは彼の周囲の人間関係が孕むドラマがあってのものだったはずだ。
『まどか』も、正体不明の魔女が襲ってくるだろう、とするには、その”魔女”の輪郭はあまりに抽象的なのだ。例えば、セカンドインパクトが起きて人類の半数が消滅…という具体的な輪郭を持たない。
さやかだけが申し訳程度にバックグラウンドを持っているくらいだ。
なぜだろう?魔法少女的なコンテクストをあえて無視した仮説を立てるが、
大きな物語を捨象して生活感・空気感、あるいはとめどないガールズ・トークといった要素を抽出した「空気系」のジャンルがゼロ年代に勃興したように、
セカイ系から大きな物語を排し、セカイ系的な空気感のみを取り出したアニメが現れはじめたのではないか?
エヴァンゲリオンからディティールを捨象し、「葛藤」だけを抽出したアニメ、
ええっと、皆さんお察しのとおり、大して何も考えず思いついたことをザザッと20分くらいで書いただけの頭の悪い記事です。なにぶん、こんなに多くの人に読まれるとは思っていなかったもので。
でもさすがに文意くらいは伝わるだろうと思っていましたが、ブコメを見るとkkobayashiさんくらいにしか伝わっていないようで少し残念です。言いたかったことを悪意むき出しにして簡潔に書くとこうなります。
どうしてこんなに広く支持されているんだろう。
それってもしかして「空気系」が受容されているのと同じ理屈じゃね?
そんな体なので「中身(=物語)」とは何ぞや?と言われても全く考えておりません。考えてないので代わりにエヴァに喩えて語ったまでです。ブコメに
>「如何にロボットに乗るか」で一本話作っちゃったタイプと思ってたからな
>エヴァにディティールがあったとは思えんがw
とありますけど、それはまぁそうなんですがもうちょっといろいろあったじゃないすか。例えばミサトさんとかね。何故まどかの母親はミサトさんではなく時々顔を出してアドバイスをする便利キャラなんでしょうかね。その辺りがすっごく不思議なんですけど。
「空気系」と一口に言っても多様ですが、念頭に置いていたのは『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』です。いや、あれはあんまりウケてないじゃん、と言われるとそうなんですけど。現在こんな体の『まどか』がラスト1,2話になっていかなドラマを見せようとも、それって『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』の最後に戦争が起きるか起きないか程度の意味しかないよね、という意図で。
あと
>エヴァだ何だ持ち出すから厨二系と解釈されるだけで、実際は序盤のイベントドリヴンな展開から中盤戦の内面掘り下げに移った点を停滞と感じているというだけの話かと。常時イベントドリヴンな作品好みな人なのかな。
とありましたが、僕の好みは仰る通りですが、さすがに「常時イベントドリヴン」な作品しか見れないわけじゃないですよw 例えば同じ虚淵さんが関わっている『Phantom』(アニメ版)なんかは傑作だと思います。けど、『Phantom』の2クール目がなくて最初の1クールで終わってたら無いなぁって思うんですよ。『まどか』はそれに近いものがあります。もちろんあと5話あるので、残り5話の中に『Phantom』の2クール目みたいなのを破綻なく詰め込んできたら、僕は平謝りするほかありません。が、『まどか』でやりたいのはそういうことではないんだろうなと思ったんですよ。
色々なラストが予想されているが、この物語は、少女の物語だと思う。
夢を持たない、のんびりした日常にいる少女が、強い意志を持って魔法少女になる話。
他のアニメなら1話で終わるところを、全編を通して描こうとしている。Vガンダムは4話かけようとした。実現していればそれは、きっと豊かな4週間になっていただろうが、私はあの不均衡な世界が今でも好きだ。
EDのさやかは背を向けている、杏子はこちらに挑むように対峙している、マミはずれた方向を見て座り込み「動かない」、ほむらは歩く少女まどかに声をかけられないor止められない。
変身のシーンのように服が破けるが、出てくるのは、少女から成人の女性になっていき、疾走していくまどかの姿だ。
最後、瞳のような繭の中で夢見るまどかの姿は魔法少女のコスチュームであり、成人した彼女の姿とは、魔法少女になってしまい時を停めてしまったまどかの夢だろうか。
魔法少女をこじらせて魔女になると私は今のところ思っている。キュウべえは、悪役のようにも見えたが描かれ方を見ると単純にシステムの一部であると思う。システムの必要性として魔法少女の誕生を望み、その後魔女になることについては何とも考えていないのではないか。
魔法少女は「少女だけの特権」だが、それを何十年も続けることで耐用年数が尽きる=心が朽ちて、魔女になる。
魔法を使えることは、やっぱり現実の世界でも非日常であり、フツーのことではない。そしてそれに留まろうとすることもやはり普通ではない。60歳の魔法少女!
まどかは、EDのように成人した女性になるのだろうか、なるとすればどのようにして魔法少女の力を求め、何に使い、そして成人していくのか。あるいはできないのか。OPは全くの想像の出来事のように実現しない夢を描いているようにも見えるが、このような展開の上では、どのようなラストになっても「批評的な結末」になるだろう。
7話までのこと。海外サイトでは、早くからさやかが1話の夢の中の敵と予想されていたが、これはどうも正しそうだ。
魔法少女にあこがれるも巴マミの死で、それは完全に止まってしまったまどか。まどかには強い願いが無かったが、さやかには上條君のケガを治したいという強い想いがあったため、魔法少女になってしまう。そして杏子とのやり取りの中で、自分の身体が変質してしまっていることを知る。
これにショックを受けたさやかは、学校を休んでしまう。人間でなくなった自分は上條君への想いが実らないと思ってしまっている。
この描写、展開について説明、表現不足と見る人もいるようだが、こう考えてはどうだろうか。少女は、少年でも取るに足らないことを気にする。背の高さや体型、親の仕事、流行りの消しゴムを持っているかどうか。もちろんソウルジェムが本体になってしまったことは大事件だが、幼い心には、自分がモンスターになってしまったように強く強く感じられたのではないか。それは、流行りのアイテムのあるなしとは、完全に別世界。さらに、マジでありえない位の力を持っても、変身を解けば日常生活に戻れる巴マミのような優雅な魔法少女になろうとした代償が、戻れない完全な変容。
そう思ってしまえば、上條君が好きとはっきり言えないさやかは、その反動で魔女と戦い意図的にリミッターをオフにしたとも見える。
突然の根拠ない良そうだが、ほむらは何度も時間を戻してやり直しているとのではないか。ループ説はよく言われているが、無感動で無反応なのも、諦念があるのではないか。繰り返すたびに細部が違う、あるいは大まかな記憶しか引き継げないという風に考えれば、行動の不首尾も説明はできる。
さやかの展開だが、志筑仁美が上條君に告白することを宣言された。黙って退院したのは、さやかに興味がないかあるいは大事に思い密かに練習を積み、さやかの前に現れるためか。仁美はさやかの背中を押すために、嘘の宣言をしたのか、本当に好意があるのか。仁美の描写を見ると、退院した上條君を見ても、有名人が帰ってきた程度の薄い反応だったからこれは前者だろうか。ただ、ずっと言い出せなくて、幼馴染で見舞いに通うさやかを羨んでいて、さやかに強くぶつかるという展開もありえる。
今後のこの展開がさやかが1話の魔女化する大事な過程となるだろう。
杏子は、ネットで言われているように、さやかに倒されるだろう。ステンドグラスの天使が杏子を切っている暗示というのは強い印象を与えている。
杏子の大食は7つの大罪ともとれるし、エデンの林檎を意図的に多量に摂るという欲望の強さを示しているようにも思える。力の差、リミッターの外れ具合でさやかに対して、何らかのアクションを起こすだろう。
上條君の目の前で対峙して、魔法少女二人、杏子かさやかのどちらかに嫌悪の言葉をかけるかもしれない。それも鍵の一つだろう。
流れとしては、仁美が上條君の気持ちを確かめようとするとさやかへの想いを明かし、その一方で魔法少女の力へ恐怖を抱く描写があれば、さやかは魔女になれるだけ引き裂かれるだろう。
ほんの40年くらい前に戦争に行ったことがある。
親が海外赴任の時に生まれたので、僕は合衆国市民権を持ってた。
当時は大学に入りたてだったけど、市民権を持っていたからアルバイトなどがしやすく、ラッキーくらいに思っていた。
そのあと2か月訓練を受けてすぐにダナンに送られて、戦争を体験した。
と言っても僕にとって人を殺したことも毎日吹き荒れる銃声も、あまり感受性を刺激するものではなかった。
確かに怖かった。生まれて初めての実戦では歯を食いしばりすぎて奥歯が欠けたし、小便を漏らした。
でもそれだけだ。
戦友の死も、自分の薬指と小指が吹っ飛んだ瞬間も、まるで映画の中の出来事だった。
ただ、熱いのと汚いのが嫌だった。
それにうなされることもない。
それかマスコミに影響されてるんじゃないだろうか。
考えても見てくれ、戦争は人類が誕生したころから繰り返し行われてるのに、PTSDになるような兵隊が出てきたのはここ半世紀ほどだ。
僕が指を吹っ飛ばして国に帰ると、地獄が待っていた。
世間だ。
軍隊では各々が役割を持って、助け合って生きていたのに、国に帰ってみたら騙し合い、裏切りあいの連続だった。
彼女が反戦集会に行くというから付いていってみたら、大麻をやりながら戦場に行った奴がどんな悪いことをしてるか話してくれと言われた。
嫌になって途中で抜けだしたら次の日に彼女は長髪無職に男に乗り換えた。集会にいた奴だ。
当時、大学のキャンパスには身体障害者になった大学生が大勢いた。
まるで魔女狩りだ。
偽善者にこびへつらうか、後ろ指さされるかしか、ベテランの生きる道が無かった。
社会に受け皿が無かった。
ケネディに投票して、僕らを戦場に無理やり連れて行ったのは奴らなんだ。
僕は戦争の夢はあまり見ない。
みてもどちらかというと良い夢が多い。
あの頃は仲間が居て、死ぬ危険性はあったけどビール飲んで女を買って、ポーカーやってそれなりに楽しかった。
でも悪夢を見るんだ。
あれで人間が信じられなくなった。
「私は森に選ばれたんだ。醜かったから、ほとんど恋を知らなかったから。頻繁に恋をする生き物は死に易い。植物でも、動物でも、そうだろう?」
「そうして新しい森もすっかり一人前になって、終いにこういう体を作った。君が愛してくれるだけの美しさ。私もやっと恋ができる。生き物として死ねるんだ。」
むかしむかしあるところに、醜い女の子がおりました。それはそれは醜かったので、誰も彼女を好きにならず、誰も彼女を娶りませんでした。けれども彼女はとても優しい心の持ち主でしたから、愛されなくても人には親切にし、人を恨んでもそんな自分を恥ずかしく思って悔やみました。大人になってからは森の奥に住んで、なるべく人と関わらないように生きました。当たり前に村で暮らして行くのには、自分の寂しさと人の暖かさに疲れ切ってしまったからです。そのうち彼女は魔女になりました。優しく閉ざされた心と醜い体、森の空気が彼女を魔女にしたのです。魔女になった彼女の魔法を頼って、彼女のもとを訪ねる人もしばしばいました。もとより優しい彼女ですから、できるだけのことをしたあとで、お礼を言われる前に家を追い出しました。村の人々はみんな、彼女を大切に思っていました。
長い年月が過ぎて、彼女は森に呼ばれました。森を広げる手助けをしてほしい、そう森は彼女に頼みました。彼女の平坦な心は、その魔法に充分でした。魔女にもできる者はほとんどいない、難しい魔法です。一年間松の木の下に横たわり、寝ることも、起きることも、食べることも、食べられることも、体のことはすっかり忘れて、彼女は一個の松の種になりました。そうして、新しい土地に飛んで行ったのです。
・ハロウィーンです。仮装・扮装しましたか。
・ハロウィーンは欧米のお盆、ではありません。確かに、死者がこの世に帰ってきて、教会ではミサがあります。しかし、日本のお盆は死んだ家族が帰ってくるだけです。一方ハロウィーンの扮装では魔女・骸骨の仮面などなど。つまり、10月31日には、この世とあの世の裂け目がぱっくり開いて、あの世のものがどっとやってくる。そういうことです。
・さて、近頃流行りたるもの。ハロウィーンで「ジャパニーズ・キモノ」を着ることがどうやらあるようです。もちろん、着物そのものずばりではなく、欧米人に着やすい、あるいは「それっぽい」ものに加工されてはいますが、しかしハロウィーンの扮装の一パターンとして「女が浴衣っぽいものを着る」があります。
・すなわち、欧米人にとって浴衣はオバケ。彼らにとっての日本文化の異質さはそういうものだということの、いい象徴です。
・ハロウィーンでは、グダグダの浴衣もどきを着る欧米人に対抗して、似合わないグダグダの帽子付タキシードを着る男子・ヨレヨレのドレスもどきを着る女子、が日本にいてもよろしいのでは。欧米人にとって「浴衣」が異形の象徴なら、日本人にとってタキシード・ドレスは立派な「異形」ですから。
※謙遜ではなく本当につまらないです。「くだらなくて逆に笑える」という類でもないです。
8世紀末、ノーサンブリア王国に暮らす少年が主人公。ある日父親・妹と一緒にリンディスファーン島に出かけるとヴァイキングの襲撃に遭う。主人公はからくも逃げ延びるが、父は殺され、妹は連れ去られた。
父を亡くした主人公は叔父のたくらみによって(この時点で主人公はそのことを知らない)奴隷として近東に売り飛ばされてしまう。
10年後、逆境の中でたくましく成長した主人公は、アッバース朝カリフのハールーン・アッラシードに気に入られ、奴隷の身分から解放される。彼は復讐のため、故郷のノーサンブリアに戻った。叔父は父の遺産を手に入れ、母は叔父の妻になっていた。叔父は主人公を歓迎するが、ひそかに亡き者にしようとする。母の助言で主人公は逃げ出す。
主人公は魔女の元を訪れ、復讐のための力を与えて欲しいと願う。魔女は交換条件として、復讐が終わった後は戻ってきて自分の夫になるようにと言う。他の女に心を移した場合は恐ろしい呪いが降りかかるとも。
魔女に力をもらった主人公は北に向かい、故郷に帰る途中のヴァイキングの首領と知り合う。初めは父の敵の仲間、と思っていた主人公だが、彼の人柄に次第に感銘を受けていく。
首領の村にたどりつき、歓待される主人公。そこで出会ったのは成長した妹。つまり首領は父の仇だった。妹は何も語らず、周囲の人々も「あの子は喋れないから」と言う。しかし一人でいる時に妹がやってきて「逃げて」と言う。「一緒に国に帰ろう」という主人公だが妹はそれを拒む。
いろいろあって、父の仇を討つチャンスがやってきた。しかし主人公の前に立ちはだかり、首領を守ったのは妹。絶望した主人公は「私が愛したのはお前だけだというのに。お前を心の支えに今まで生きてきたのに」と叫ぶ。
主人公は魔女の呪いによって「死ねない体」になり、終わりのない旅を続けることになった。
誰が読むんだこんな話。
たぶん、793年のリンディスファーン島略奪、ヴァイキング、中世アラビアといった自分の好きな要素をつめこみ、「捜索者」の影響を受けつつ神話の英雄の悲劇みたいなものを書こうとしてたんだろうなぁと、当時の自分を振り返ってみる。
こういう発言をみつけた。
http://twitter.com/natrom/status/24741381125
どうやら元増田のいいたかったことは
NATROM 「『ホメオパシーを批判している人たちは、ホメオパシーを根絶・撲滅させようとしている。魔女狩りだ』というのは、藁人形論法だ。ホメオパシーを撲滅できると思っている人なんて、そうそういないだろうに。」
ヒトラー「『ユダヤ人を虐殺している人たちは、ユダヤ人を根絶・撲滅させようとしている。ホロコーストだ』というのは、藁人形論法だ。ユダヤ人を撲滅できると思っている人なんて、そうそういないだろうに。」
ということらしい。
元記事ではどこまでがNATROMの発言なのかわからないが、いきなり読んですんなり理解できる人がいるだろうか?ヒトラーを出して当てこすりするのも下品に思えてならない。
なに言いたいんだかわかんない。
NATROMなる人物が「ホメオパシーが魔女狩りの対象にされている」と主張しているけど、実際にはだれもそんなことを言っていないのでこれは藁人形だ、という意味?
http://blogs.itmedia.co.jp/fukuyuki/2010/09/30-d031.html
↑とかが代表例だと思うけどさ、
ここ最近のソーシャルゲームやら下流ビジネスやらの話題について
「新しい物や時代の流れについて行けないだけ」的な発言をする人たちがいる。
そう言う人たちに決定的に抜けている視点がある。
というよりも、意図的に見ようとしていないのかもしれないが、それは
ソーシャルゲームやら下流ビジネスをやり玉に挙げてる人の嫌悪感の源泉って、
パチンコや消費者金融やテレクラとかに感じる嫌悪感と一緒なわけ。
しかも、ソーシャルゲームって中高生が簡単に手を出せちゃうでしょ。
もちろん、ソーシャルゲームは全面的に規制しろ!みたいなことをいったら魔女狩りになっちゃうから、そんなことはしてはいけないと思うけどさ。
批判的な声を上げる人が増えれば業界的にも自主規制やら健全な枠組み作りをせざるを得なくなるわけで。
単に似てるな、ってだけの印象論。
こっちの方が分かりやすいんでないかと、ふと思った。
北(軍閥的な印象)と南(気性的な印象)をミックスして都合のいいところだけを取り出しただけ、と先に謝っとく。
起源は常に「俺」。
技術力は、ない。
なぜか売り上げがあったりする場合も、その実、内容は粗悪品。
だけど、エエカッコしたがる。
エエカッコした挙句、問題を作って返ってくる。
だからどうなるかといえば人海戦術。
勝てば良いと思ってる。
勝つために引く、とかはしない。
もれなく逆ギレが返ってくる。
とりあえず叫んどけ。とりあえず叩いとけ。
気圧す、追い込むとか大好き。
むやみやたらに隠したがる。
というか、隠さないとボロが出る。
洗脳的。
都合の悪いことは決して教えず、国民に必要以上の知識は与えない。
逃亡を防ぐのに効率的。
マンセー言ってりゃなんでもいい。
慢性的な停滞感の中で、
何も知らない・頭の弱い子を集めてそんなことしたら、
そうならない人はもれなく泡吹くか、精神を病むか、脱北。
ブラックの8割は嘘偽りで出来ています。
アイデンティティとか大好き。
お前のものは俺のもの。
竹島だって俺のもの。
とりあえず他者(他社)が悪い。
失敗の責任は内側でなく、外側が払うもの。
そして他者(他社)を必要以上に貶め、
自己の優秀性を過剰にアピールする。
困ったときはミサイル撃って、支援を取り付ける。
もう、人の弱みに付け込み、人を脅すとか大好き。
決して「辞めろ」とは言わない。決して「残業しろ」とは言わない。
だけども、「俺の言うこと聞かないと分かるよな…?」「この界隈で商売できないようにしてやろうか!」。
意に反するものはすべて危険思想。
そんなヤツを見つけたら、とっ捕まえて更に過酷な強制労働。
労組なんて作らせません。
外貨を稼ぐものは、主に法外(かもしくはグレー品)な商品。
キムチは、アレです。
金があってもなくても、国民には回ってきません。
長々と書いてきたが、なんと言っても将軍様。
この国は将軍様の国なんです。
我々は将軍様に養ってもらってるんです。
将軍様の声は絶対です。
将軍様は神なんです。
主張してねーもん。
「にしか見えない」という留保つけてんじゃん。
少なくとも、観測できる「処女厨」の姿からあなたの語るような結論を見るのは難しい。
その結論を導くのは、俺の乏しい脳みそからは難しい。俺にはそー見えちゃうわけよ。
しかし、「そうではない」と主張する御仁もいる。
ということは、「世界処女厨協議会」のごとき組織が存在して日々オルグを繰り返しながら
教条主義的一枚板の思想基盤を構成しているか、あるいは多少は信頼に足るソースがあるか、
という話にならない?一般的にはなると思うんだが。
そして、ですね。
って落ち込む男の子って少なくないんですよね。ところが、「好きな女の子」は実在だし、
その子には好きな男に股を開く権利があるから、こりゃもうどーしようもない。
「アレはヤリマンだよ」と惨めに吐き捨てるくらいしか出来ない。
ところがアイドルだと、「落ち込む男の子」が一杯いるわけですよ。
だから、ネットに言説が吹き上がる。1対1の構図から、多対1の構図になっただけで何もかわってなくね?
あと、「クラス一可愛い女の子」に彼氏が出来た時ヤリマン疑惑が浮上したりとかなかった?
結局、処女厨って「みんなにありがちな感情」がネットで吹き上がってるだけ、少なくとも
そういう構図として捉えること自体は可能じゃないかなー、って。
多くの人が話題にすることが可能な「有名人」だからこそ、処女厨って可視化したんでないかい?
そーいう人はずーっといた、それがアイドルや二次元キャラっていうイコンによって可視化した。
そう考えるのが妥当だと思うなぁ。「そういう推察もなんとなくなりたつきがする」というだけで、それ以上はムリだけども。
クラスの隅で「あんなヤリマン女どうでもいいよ」と嘯いてた奴が
ネット上できたない汁を撒き散らしながらリユニオン!みたいに、見えないでもない。
まぁ、お互い空論なわけで。
あなたの後半もすんごい空論だと思う。
とりあえず、日本処女厨協議会(会員1万人)の声明とか出てこないとなんともね。
単純に「処女厨」と呼ばれてるひとにもいろいろいる、というだけという可能性も高いし。
なんかこー、誰か頑張って思想をまとめるべきじゃなかろーか。いいじゃないか、処女厨。