はてなキーワード: モルテンとは
20分続いたオーバータイムがD.Va出して自爆したら終わることもよくある
ディフェンスマトリックスでモイラの黄玉を消しまくる嫌がらせも可
アナの阻害を防げるのも大きい。阻害をくらいまくってるのにいつまでもゴリラを出さないチームの未来は暗い
ペイロードに居座るのが基本だが甘えたソンブラを地の果てまで追いかけることもある
バリアが有用すぎるのでウルトは緊急時以外は基本使わない。あとはペイロはがし
最強格の一人
無限フォーティファイで無敵要塞と化したオリーサはかつてのザリアを思い起こさせる
かつては無限バリアで異常な強さを誇っていたがCTが伸びてそこまででもなくなった
サージはもちろん強いが、大勢を吸うよりも一人だけ吸ってフォーカスを合わせられるようにしたい
ウルトでペイロはがしするために採用されることがある
バリアを無視して阻害を入れられるのは強いが、トータルメイヘムの体力の敵を短時間で仕留めるのは難しい
脅威の生存力で飛び回り、軽いやつを狩りまくる
ソンブラに弱いのは相変わらず
相手ソンブラのEMPでケージが消されてしまうので使わせてから使いたいが、相手もケージ待ちで絶対にEMPを使わず一生にらみ合いになることもよくある
ザリアと同じくモイラソンブラドゥームを拘束できるのが強い
異常な体力を誇りソンブラにハックされても死に直結しないくらい生存力がある
環境キル要員その2
フックコンボをしても誰も倒せないのがつらい
ホールホッグでペイロはがしができる
ダイブ系に狙われると非常にきつい
トータルメイヘムではヘッドショットを当てるメリットが少なくヒットスキャンやスナイパーは総じて活躍しにくい
ボブは高確率でハックされるうえ、戦場はタンクだらけで誰も倒せないことも多い
トロール枠
基本的にキルがとれず、トータルメイヘムでスキャンはほとんど意味がない
ヒットスキャンがあまりピックされないので動きやすい気もするが、無限ブースターD.Vaや無限ジャンプゴリラが飛んできて一生粘着されることもある
コピーは強いが、ロール制限がないんだから普通にウルトが強いキャラを選べばいいという話もある
ゲンジ自信ニキがお遊びで来たトータルメイヘムで返り討ちに合っているのをよく見かける
無限生成タレットでモイラソンブラに徹底的に嫌がらせしたいところ
トラップでモイラを捕まえるという重大な役目があり、そのためにピックされる重要キャラ
通常アビリティで拘束ができる強キャラだがその分狙われやすく、逃げる技術とチームのサポートは必須
30分続いた試合がソンブラ出した途端に終わることもある
ゴリラバリアを消せる唯一の手段としてOW1の頃からEMPが猛威を振るってきた
無限タレット置き放題、オーバーロードの生存力が高い、モルテンコアが強いと中々の強キャラ
デスはしないがキルもできない
ずっといるだけになりがち
タンク勢に撃ち勝てない
生存力は高い
相手の体力が高すぎるのでブリザードで凍らせてもしっかりフォーカスしないと誰も倒せない
バリアを張ってペイロード上に座り込んでるゴリラをお仕置きしたいときに
トロール枠
スリープダーツと同じくイモのクールタイムは補正がかかっておりそこまで連発はできない
ブリに限ったことではないが逃げスキルがないキャラは基本的に厳しい
黄玉でバリア貫通ヒール、無限フェードによる最強の生存力により完全にトップメタ
モイラの負け筋はEMP及び拘束系スキルだけで、それらを避け続ける技量は求められる
他全員を倒してもモイラがペイロードで粘り続けて結局みんな帰ってきてやり直しという状況はざらにある
ウルトはあまり強くないが通常時があまりある強さなので気にならない
グリップとお花が意外と便利だったりする
14歳の少年ニルス・ホルガション少年がトムテ(妖精)によって小人にされ、ガチョウのモルテンやガンの群れと一緒にスウェーデン中を旅する。この物語は、スウェーデンの子供たちが自国の地理を楽しく学べるようにスウェーデンの国民学校教員協会の読本作成委員会がセルマ・ラーゲルレーヴに執筆を依頼したものである[1]。
1955年以降2回、アニメーション作品が制作された他、1962年にスウェーデンにて実写映像作品が、2011年にスウェーデン・ドイツにて、実写およびCGによる映像作品が製作された。
スウェーデンの20クローナ紙幣の表面には、作者セルマ・ラーゲルレーヴの肖像が、裏面にはモルテンに乗っているニルスの絵が印刷されている[2]。またスウェーデンの地図制作会社Tele Atlas(英語版)社(2007年、世界三大メーカーの一つでもあるオランダのトムトム傘下になった)のロゴマークのモチーフにもなっている。
あらすじ
スウェーデン南部・西ヴェンメンヘーイに住むわんぱくでいたずら好きの少年ニルスは、いつも家畜をいじめてばかりだった。
ある日曜日の朝、両親が教会に行って留守の間にニルスは妖精を見つけて捕まえるが、妖精に魔法をかけられ、小人にされてしまう。小さくなったニルスは動物の言葉を理解できるようになるが、普段いじめられていた家畜たちはニルスの小さな姿を見てここぞとばかりに復讐しにかかる。
現代のマラソンにはペースメーカーというのがいてそれは競技性を変えたと思う。が、いまだに禁止にはなってないね。あと最新のテクノロジーで言うとナイキの靴にばかり注目が集まるが、補給で使われるドリンクおよびジェルも強い選手はだいたい「モルテン」というメーカーのものを使ってる。世界のトップ陣……キプチョゲもファラーもベケレも、日本ではMGCでも「モルテン」をみんなが使っていた。マラソンはナイキのヴェイパーフライとモルテンというのが最近の鉄板だった。だけどみんなナイキの靴にばかり注目してモルテンには注目していないしモルテンを禁止するという動きも出てない。そのあたりはちょっと不公平感がある。
彼と出会ったのは中学生の時。共通の友人の紹介だった。
バスケットボールという共通の趣味もあり彼とはすんなり打ち解けた。
どちらもあんまり上手ではなかったけど、ただただ楽しかった。
特に示し合わせはしなかったけど同じ高校に入った。
願書提出する時にたまたま居合わせて「あれ、おまえも?」みたいな感じだった。
うれしかった。
彼は3年間通い通し、ぼくは3ヶ月で辞めた。
運動神経がなくてついていけなかったからだ。後は先輩とかとなんか打ち解けられなかった。
今思えば、今後の展開の元が此処にあった。
クラスは3年通して隣のクラス。特に示し合わせがなく同じ理系の道を進んだ。
共通の友人もいたが、お互い別々のコミュニティに入り、少し疎遠になった。
でも通学とかは一緒だったので特に寂しくなかった。
でも、過程は違う。
彼は元からその大学を選び、私は推薦で別の大学に落ち、失意の中担任に言われるがままに選んだ。
同じ年、同じ大学に入学した。
学科が違うので授業とかでも殆ど一緒になれなかった。
でも、通学は一緒だった。
高校の頃より疎遠になったけど、それでも一緒にいることは多かった。
バスケもたまに一緒にやった。
一時期一緒のアルバイトをした。彼はそこの創業メンバーで私は途中から参加した。
ちょっと違ったのは彼はマネージャーっぽい感じでぼくはヒラだったこと。
そして、彼は精力的にそこで仕事をし、ぼくは空いた時間にそこで仕事をしていたこと。
これはスタイルの違い。仕方ない。
特に不満はなかったけど1年くらいでぼくはそこを辞め別の場所でアルバイトした。
他意はなかった…と思いたいけど今となってはわからない。
此処でぼくは非コミュをこじらせ鬱に近い状態になる。
2年の頃からだんだん大学に行かなくなった。行っても図書館に閉じこもる日々。
成績はどんどん落ち、挙げ句の果てに留年した。
彼は入った会社で持ち前の勤勉さと努力でどんどん信頼を得ていった。
大学で学んだ分野が少し特殊な上、求人も殆どなかったのでそこで仕事をできたのは幸運だった。
しかし、半年して会社に行けなくなった。正確には通勤途中のバスから降りられなくなった。
理由はわからない。降りるバス停付近で頭が真っ白になってパニック状態になり降りられなくなったのだ。
彼は二度目のボーナスを受け取っていた。
彼が勤続数年目を数えていた時、ぼくは両手で数えるくらいの会社をクビになった。
理由は同じ。あるときを境に会社に行けなくなってしまう。
2つめの病院で「適応障害」という診断を貰った。適応に関する障害。社会に適応できない…よく言ったものだ。
大学の頃からあったっぽいけど彼には恋愛経験があった。彼女がいた。出会いはアルバイトだったらしい。
去年、彼が彼女を紹介してきた。何でかよくわからなかったけど、ある日いきなり「そっち行く」電話かかってきて、車でやってきたと思ったら助手席に彼女がいて訳もわからないまま車に乗せられてそのまま3人でチャーハンを食べた。
二人はつきあって数年していたのに何で今更…という疑問はあった。でもすぐにそれは解消する。
自分のことのように嬉しく、おめでとう、と素直に言った。
ぼくは年その秋、派遣会社をクビになり人生に絶望して自殺を図った。未遂だった。
自殺方法がちょっとアレだったので記憶が全くなく連絡したかどうかも記憶にないのだけど、そのとき一人暮らしだったぼくの元へ彼は車で飛んできて色々大変な思いをさせたらしい。
本当に迷惑をかけた…と今でも罪悪感を感じる。
そして今年。
彼は同じ会社で働き続け、上司の信頼厚く先輩同僚にも恵まれている。
ぼくは今年4回仕事を変えた。通算何十社目だろう。覚えていない。履歴書にも全部書いていないし。
そろそろ職歴や年齢の問題で就職も厳しきなってきた。何十社も落とされてやっとアルバイトで、なんて事もあった。でもそこは一日で行けなくなってしまった。
社会に適応できない病は自殺未遂後酷くなった。昔は通勤はできたのに今は外に出ることすらできなくなり、部屋に閉じこもってうずくまるだけ。
周囲からは休養も薦められたけど、金銭的な事もありすぐに働かざるえない状況だった。
今年は本当に金銭的に苦しかった。ゲームソフトやゲーム機から自殺する時一緒に連れて行こうとすら思った車も手放した。
車が使えない兄ちゃんに引き取られていくのを見て血の涙が出るほどに悔しく思った。
この冬、私は30社近い企業からお祈りの言葉を貰った後、運良く派遣会社に引っかかり就職した。ただし、業種は望んだものではなく「誰にでもできる」「簡単」なもの。
色々と思うことはあるけどこのご時世、仕事に就けただけでもありがたく思う。
とは言え、就業後一週間でまだ一日しか行っていない。風邪を引いたのもあるけど、適応できない病が発動し家から出られないのもあった。
穿った見方をすれば風邪を隠れ蓑に仕事に行けないでいる、と言うのだろうか。
派遣元、派遣先ともに風邪である欠勤ということで理解は得ており、今度の週明けからの復帰で良いと言われている。
社会に適応できない病のことはどちらにも言っていない。言えるわけがない。言ったところでいつぞやの派遣会社の若い支店長のように「精神障害者は使えないんだよ!」と言われるのがオチだ。
唯一真実を知る友人からは「そんな事言うのはそのバカだけだ」とお説教を受けているけど、会社の人事とかそういうの人はどこの誰も同じことを言うと思っている。わざわざリスクを背負った人間を雇用するわけがないし、援護するわけがない。
精神障害者はゴミのように捨てられる。多分それがこの時代、この国の真実。
そんなのは大学を卒業したり、スキルのある優秀な人間にだけ。私のような大学中退でスキルも中途半端な人間には出るわけがない。
精神病んでいてもそれを隠して働かないといけない。そうしないとぼくは二度目の死を選ばなくちゃいけないから。
話は彼のことに戻る。
数日前、彼から衝撃的な話を受けた。
なんと「彼二世」ができたらしい。
そりゃ驚いたし、喜んだ。大切な友人に子供ができたのだから。
だけど…
ここからがこの文章書き殴って言いたかったこと。
私にとって彼は遠くの存在になってしまったと感じて仕方ない。比べてしまう。コンプレックスを感じる。
スタートラインは同じだった。同じ中学、同じ高校、同じ大学。路は微妙に違うけど、共に進んだ。
だけど!
いま!
こんなに状況は違う!
方や大学卒業、新卒で入社し順風満帆の仕事生活。プライベートでも恋人がいてそのまま結婚し子供ができた。
一方ぼくは精神病んで大学を中退し、職を転々とし、今も仕事は安定してできない。
どうしてこうなってしまったのだろう。
どうしてこんなに差ができてしまったのだろう。
彼は努力家であり、ぼくは怠け者だった。多分それが答えなんだろう。
世間もそう云うと思う。そして彼を称え、ぼくを笑い罵るだろう。
実家の玄関にバスケットボールが転がっている。ドンキで買ったちょっと良いモルテンのボール。
いつもぼくの車に入っていたボール。最後に使ったのは数年前、6月にしてはとんでもなく暑い日に彼とクーラーが壊れたこの車で「暑い、暑い」と笑いながら隣街のコートに行って小一時間1on1やったきりだと思う。
また、彼と、バスケがしたい。