はてなキーワード: セイタカアワダチソウとは
セイタカアワダチソウは河川敷でもなければ数年で衰退してススキにとって変わられるので、いまだけの貴重な風景ではある。
セイタカアワダチソウは日本でみられる草花のなかでいま最もダサイ
ここ数年、自分の住む都市郊外でセイタカアワダチソウがやたら目立つようになってきた。空き地と見れば大群生しているし、道路脇のアスファルトの隙間からもいくつも生え連なってる。
といってもこの雑草は最近入ってきた外来種ではない。結構昔から存在していたはずだ。なぜ「目立つ」のか。
この季節(10月~11月)、夏場に成長して、その名の通り背が最大限まで伸びたセイタカアワダチソウは、ド派手な黄色い花をつける。花が少ない季節、たいてい枯れ草色のススキに混じって、その間から顔を出してるので黄色が映え目立つのだ。空き地一面にセイタカアワダチソウが黄色い花を咲かせている光景は菜の花畑と見紛うほど。
といっても、念押しするがこの雑草は最近入ってきた外来種ではない。結構昔から存在していたはずだ。なぜ「ここ数年」目立つと感じるのか。
よくよく考えれば、セイタカアワダチソウは昔から認識していたが、「花」を認識したのが「ここ数年」のことだった。昔はセイタカアワダチソウの花を見たことがなかった。
雑草であるセイタカアワダチソウは、昔は花が咲く前の段階で処理されていたのだ。それが今では草刈りの頻度が減り、花が咲くまで放置されるようになった。結果「ここ数年」「目立つ」。
昔は空き地の雑草などはお盆までに刈られていたのが普通だった。
昔は道路の雑草は定期的な町の草刈り行事でキレイにされていた。
自分の地域では中学校に「奉仕活動」の時間が年1であった。総合的な学習の時間のような自由授業の時間を使って生徒が班を作って学区内のゴミ拾いや草刈りをするというものだった。それも10年以上前になくなった。
道路や川べりの草刈り行事も町内会の高齢化や衰退とともになくなった。
では行政が道路の草刈りをするかと言えば全然されず年1どころか2年に1回くらい、よっぽどの苦情が出たんだなというくらいに雑草が生えきった時に行われるだけだ。
個人の土地も土地所有者は超高齢になり空き地の手入れができなくなった。その子供は遠隔地に住み、お盆には帰ってこない。雑草は生い茂る。
結果、セイタカアワダチソウの花が秋の風物詩となった。
春の菜の花、秋のセイタカアワダチソウの花。
町の活気を吸い取って咲かせる花、セイタカアワダチソウ。
「テッペンカケタカ(私にはそう聞こえる)。テッペンカケタカ」
そしたらウグイスが張り合うように鳴き始めた。
もう、何やっているの。ウグイスがホトトギスに自分の存在をアピールしちゃだめでしょ。そんなんだから托卵されちゃうんだよ。
紀貫之の娘が梅の木に「勅なればいともかしこしうぐひすの宿はと問はばいかが答へむ」と結んだ話が『大鏡』にあるが、梅の木に好んで来るのはメジロだ。ウグイスの宿は藪だ。家の周りには廃止になった公務員住宅がいくつもある。その敷地はもともと植えられていた低木の他にもススキやらセイタカアワダチソウやらアズマネザサが生え放題になって、ウグイスの巣にはちょうどいい藪になっている。
最近は公務員住宅跡地も次々とマンションや住宅地に姿を変えている。藪がぼうぼうの無人の建物をそのままにしておくわけにもいかない。あと何年かしたらウグイスもホトトギスもここにはいなくなる。「宿は?」と問うこともなく黙ってよそに行くだけだ。大したことではないのだけれど少しさみしい。
そりゃそうだよね。
ここはジャパリパ・・じゃなかった、ススキを中心として雑草が多数生えてる空き地としたときに、ある日突然その一角にセイタカアワダチソウが生えてくるわけですよ。数本寄った状態で、しかもものすごい勢いで。
セイタカアワダチソウは内輪でこんなことを言いながらすごい伸びてるわけです。
「茎太いですね!」
「私も成長しなきゃ!」
セイタカアワダチソウが空き地全体のことを気にせず内輪で褒め合って伸びていると、当然既存の草に影響が及ぶわけです。目立つと当然ススキからクレームが入ります。
「セイタカアワダチソウが最近目立って景観の邪魔」
「土に毒を染みこませるなよ。みんな枯れるだろ」
「セイタカアワダチソウの躍進は生態系の危機。空き地の価値がなくなる」
そう言われて黙るセイタカアワダチソウではなかった。
「生えていい植物の制限があるんですか?ないなら勝手に生えて良いですよね!?」
「管理人さんが刈りに来ていないんだから勝手に伸びていいでしょ!」
確かに言うことは一理あるような気がするものの、セイタカアワダチソウがぎっしり埋まっている光景の見栄えの悪さというのもなかなかのもの。まんべんなく生えて、客観的に見てそれなりに目立つべきところが目立てば良いんじゃないでしょうか。
それから、この数年セイタカアワダチソウ対ススキの攻防を繰り返しているうちに、セイタカアワダチソウの中には周りの批判を気にせず一本松の如く堂々と生えてるのもあったりして、ススキ側から「もうあれはいいや」みたいな扱いを受けていたりするので、セイタカアワダチソウさんサイドに必要なのはある程度の妥協と融和なんじゃないかとも思います。ススキ側もね。
アレロパシー(英語: Allelopathy)とは、ある植物が他の植物の生長を抑える物質(アレロケミカル)を放出したり、あるいは動物や微生物を防いだり、あるいは引き寄せたりする効果の総称。邦訳では「他感作用」という。ギリシア語の αλληλων (allēlōn 互いに) + παθος (pathos 感受) からなる合成語である。1937年にドイツの植物学者であるハンス・モーリッシュにより提唱された。
アレロパシーは、連作障害の原因の1つと考えられている。セイタカアワダチソウなどの帰化植物が勢力を拡大する要因の1つでもある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%AD%E3%83%91%E3%82%B7%E3%83%BC
http://d.hatena.ne.jp/yappo/20080330/1206809229
そんなんメンドクサイからに決まってんだろう。でも書く。
外敵への耐性というのは、表皮が厚くなったり、場合によっては毒を持ったりすることなんだが。もちろん植物の組織がしっかりすることが食感のよさに繋がってくことはあるだろうが、その逆だってあるので、逞しさが即良いにはならない。
そもそも、順序が逆。農業は小さい面積で多くの収量を得ることが課題で、多くの収量を得るためには「密度」「品種(これは後述)」が重要になってくる。密度が高くなると当然ひとつの植物あたりの環境は悪くなるので、虫やらカビやら病気やらが発生しやすく、耐性が弱くなりやすい。そこで農薬が登場する。
農薬の影響だって高濃度の農薬を与え続けたときに食べる部分の残留農薬がどうなってるかは試験場で試験している。本当に危険なのは農家のほうで、食べても大丈夫な程度の農薬だって撒いてる方の環境は結構悪い。
とにかく、逞しい野菜は「逞しくなれる環境で生育されたから農薬が無くてもまあなんとか」なのであって「農薬を撒かないから逞しい」のではない。もちろん逞しくなれる環境を作るのは並大抵の努力じゃないだろ。有機野菜で商売しようと思って大変な農家さんに怒られるぞ。
園芸屋さんで売ってる種はF1種というもので、これは何を言っているのかというと、この種で育てた作物から取った種を翌年植えても売り物の種と同じように育つかわかりませんよ。という物である。
何を言っているかわからないと思うが、袋に入っている種は頑丈に育つように計算して交配して出来た種だから、その種から作った種の事まではうまく行くかは誰もわからないよ。
まあ大枠間違いじゃないが、間違い。
F1っていうのは交配したあとの第一世代ってこと。種苗メーカーは種類の違う植物を交配させて、味とか耐性とかに優れた品種を作る。この第一世代は親の遺伝子の重複が少ないので(ちょっとうまい表現が見つからない。識者のツッコミ待ち)、優性遺伝がでて均質な収穫物が得られる。ここから第二世代F2になると隠れていた劣性遺伝が出てきたりして、F1に出ていた性質を持たない収穫物になってしまったりする。(ここまで正確な説明ができているかは怪しい。ロハスとかでない本を読むなりすること。あと優性・劣性遺伝の言葉は品質の良し悪しに直結しないからね)
F1から交配を続けた結果、安定した次世代を作るものを固定種と言う。人類が古くから続けてきた遺伝子操作だ。種苗会社は固定種も売ってる。固定種から取れた種は同じ収穫物が得られる。
すぐれた性質をもつF1を開発できた種苗会社はF1を売れば毎年買ってくれる人がいるので、あえてそこから手間と時間かけて固定種を作ったりはまあしない。その辺がロハスの人から陰謀論を唱えられる理由だろうけど、あっちも商売だしな。固定種を作ってる間に他の会社がもっとすごい品種を作るだろうし。
F1のそういう性質を商売に利用しているけど、無理にF1の性質を持たせているわけではないよ。そんなわけで固定種とF1どっちが優れているとか一概に言えない。
よく考えてみて欲しいが、生物の生殖活動とは何だろうか。多様性や環境の変化や環境への適応能力を次世代に伝える事だ。
F1種を使うと、そこの農作地に適応してより美味しい作物になっていく可能性が断たれるのである。
そういうことだからこの文章は全面的に間違い。そもそも、一代で農作地に適応はしないよ!それに雑草のような作物になってもそれはそれで適応だよ。固定種はバリエーションに乏しいのでむしろ適応の幅は狭いだろうね。
農薬を使って虫食い穴の無い野菜で、F1種で安定した形の野菜を作らないと市場では売れないという現実があるとどっかの漫画に書いてあった。
F1のトマトでも熟れるまで木につけておけば十分美味しいとおもうけどなぁ。甘み重視で品種改良されたトマトに「酸味」がないとかへんな事いわないよね?
で、青虫が育てる環境のキャベツというのは農薬は使ってないとも言えるが、実は本当に素晴らしいキャベツは無農薬でも虫が寄り付かないらしい。
ちょっと考えればカラクリは想像付くのですが、青虫に食べられまくってたらキャベツは絶滅しちゃいますよね?
考えてもからくりが想像つかないので説明してください。ところで日本は海外からミバエが入ってこないようにすることに気を使っていますよね?
「真のパワー」とかは、トンデモでよくあるイメージ先行で先行するものしかない言葉の筆頭ですよね。ですので、以降の「パワー」については無いものとして処理します。
売り物になってる小松菜は全て偽物。
山岡士郎が「真の小松菜は絶滅した」っていうと「まあ、環境と植物とセットでブランド小松菜ならそうかな」って思うけど、遺伝持ち出してきたらアウト。
実はその土地に適合した種類の種を作って行けば肥料が無くても作れるらしいんですよね
休耕させるとか土を作るとかならともかくその前提で結果が導かれるとは思わない。って次の段落で連作障害って出てきてるじゃん!それ知っててなんでその前提を信じられるの?
肥料による。というか、「らしい」の部分がことごとく。
トマト栽培は潤沢な水が必要だと言う話ですが
トマト栽培に潤沢な水が必要なのは温室トマトが水耕栽培だからです。水耕栽培のトマトは根っこがえらいことになります。ねっこ重要。
突っこむのに疲れてきました。
野菜は人間に食べられる事により繁栄に大成功した数少ない生物な訳だが、野菜というのは本来頑丈なので、農薬が必要なほど弱らせた野菜を食べるよりも、何もいらない野菜を食べた方が良くないか?
比喩の取り違えからくる「繁栄に大成功」ですね。
前述したので反論の必要はないでしょう。あなたはフォアグラとか白アスパラとか食うな!
農業関係者のトンデモ耐性は低いことがわかっていて、EM菌の跋扈なんかに象徴的ですが(あとヤマギシとか?)、経験則が必要な職業なのでしょうがないかなとは思うわけです。
追記
ミントとかセイタカアワダチソウとか、従来の環境から離れると「繁栄に大成功する植物」ってあるよね?