はてなキーワード: ジャップとは
マジレスすると司書の給料が少ないのは、負ってる責任がすごく限定的な仕事だから
別の言い方をすれば、司書は知的なイメージと違いマネジメント層ではない
彼らは利用者の増減や地域の知識向上など、大きな社会的責任を負ってるわけではなく、あくまで自身の実務的な仕事の結果が責任の範囲になる
結局は軽作業労働者としてしか働いていない(とみなされている)ので、軽作業労働者としての賃金しか与えられない
実際には様々な工夫をしてる優秀な司書さんがいらっしゃるので、彼らにもっと大きな地域単位でプロジェクトを任せるような体制になればいいのかなと思う
ここで大事なのが評価体制で、PV集客的な発想で司書を評価すると漫画をずらっと並べた司書が出世するハメになる
ではどんな風に司書の仕事を評価すればいいか。それは国民が「どんな図書館を欲しいか」「理想とするか」によって変わる。
その理想を形にする役目を司書に持たせれば、司書の給料は上がる
アレン・ネルソン『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』より。
(貧困と黒人差別から抜け出すために海兵隊に入り、ベトナムで戦闘と残虐行為に明け暮れた著者が、帰国後に深刻な後遺症に悩まされることになった回想録)
実戦さながらのはげしい訓練をのぞけば、沖縄はわたしたちアメリカ兵にとって毎日がカーニバルのような楽しい島でした。
ただし、それはあくまでもアメリカ兵にとってであり、沖縄の人々にとっては悲しく屈辱的な島だったはずです。
ベトナムで戦火が拡大していた時代でしたから、沖縄のどの基地も、ベトナムに行く兵士、ベトナムから帰ってきた兵士で
あふれかえっていました。明日には死んでしまうかもしれない兵士たちは、ありったけのお金を使って酒を飲み、
女性と遊ぼうとします。そんな兵士たちが遊ぶことができる場所がたくさんあった沖縄は、まるで巨大な遊園地のようだったのです。
太平洋戦争最大の激戦地であったということ。多くのアメリカ兵がそこで戦死したこと。
しかし最後にはアメリカが勝利したこと。その結果、沖縄がアメリカのものになったこと。
わたしたちが教えられるのは、そんな勝者の視点から見た沖縄であり、何万人もの沖縄の人々が死んだことについては
いっさい教わりませんでした。
当時、沖縄はまだ日本に返還されておらず、アメリカのものでしたので、アメリカ兵は沖縄は自分たちの国の一部という感覚でいました。
しかし、そこに住む人々は、アメリカの島でありながらアメリカ人ではなく、それは東洋人であり、
つまりベトナム人と同じ人種で、住む国がちがうだけなのだと思っていたのでした。
わたしたちは東洋人の一人一人を見分けることができませんでした。みんな、同じ顔に見えましたし、それでもまったく問題はなかったのです。
なぜなら、わたしたちは東洋人を、そして沖縄の人々を人間として見てはいなかったからです。
アメリカ兵はベトナム人のことを「グークス(gooks)」という言葉でよんでいました。
それは東洋人をバカにして言う言葉です。サーカスの見せ物小屋にいる異形の人間。そんな意味もあります。
アメリカ兵が沖縄の人々をよぶときは、この「グークス」ではなく、「ジャップ」という日本人をさげすんで言うときの言葉を使っていましたが、
その意味するところは「グークス」とそれほど変わりません。そこからも、わたしたちが沖縄の人々を
どんなふうに考えていたかがわかるでしょう。
たとえば、街にくり出して飲んだくれたときなど、キャンプ・ハンセンにもどるにはタクシーを使いましたが、
料金をふみたおすのはしょっちゅうでした。タクシーの運転手が支払いを催促しても、わたしたちはニヤニヤ笑って無視します。
それでも、運転手がしつこく請求すれば、わたしたちは運転手を車の外に引きずり出し、気絶するまでめちゃくちゃになぐるのです。
それは女性と遊ぶときも同様です。女性がお金を要求しても、はらう気がなければ無視しましたし、
それでもしつこく要求してくれば、女性でもようしゃなくなぐりつけました。
街を歩いていても、わけもなく沖縄の人々をバカにしたり、おどしたりしました。
そんな悪行のかぎりをつくしても、アメリカ兵は逮捕されることはありませんでした。
基地のゲートをひとたびくぐってしまえば、わたしたちは安全であり、沖縄の警察の手がおよぶことはなかったのです。
軍にとがめられることもありませんでした。
アメリカ兵一人一人は莫大な国のお金によって兵士として育てられ、そして戦場に送られるべく沖縄にいるのですから、
わたしたちが牢屋に入れられるのはアメリカにとって割に合わない、ばかばかしいことなのです。
どんなことがあっても、わたしたちには戦場に行ってもらわなければならないのです。
そのためには、わたしたちの犯した罪ですら、アメリカは見て見ないふりをしたのです。
むしろ、アメリカは、わたしたちがじゅうぶんに暴力的な兵士に改造された証だと、沖縄の人々へのアメリカ兵による犯罪に
大いに満足していたはずです。
そういうわけで、基地のフェンスの中に逃げもどることさえできれば、どんなにひどい犯罪を犯したとしても、それを笑い話や手柄話にできたのです。