はてなキーワード: 外来語とは
マッチョのイズムだからmacho-ismでmachismになりそうなもんだが何故かmachismoなんだよな
仮説、マッチョは英語以外の言語由来で、その言語のなんとか主義のような接尾語は-ismoになる説
さて、ぐぐってみるとwikipediaによるとマチズモはスペイン語なのか
スペイン語の接尾語で-ismoはあるのかなとぐぐると確かにその通りのようだ
ただこうなると次の疑問が生まれる
なぜマチズムではなくマチズモと呼ぶ?の説明はスペイン語由来の言葉だからだよ、と説明できた
ではなんで英語圏でスペイン外来語の用法のまま使われているんだろう
結局2行目以下いたことの繰り返しだな、英語話者がmachoなイズムについて造語しようとしたらmachismになりそうなんだがなー
仮説1、スペイン語圏でマチズモ思想が強いのでマチズモという言葉がそのまま英語圏に輸入された説
仮説2、英語話者がスペイン語っぽい言葉と判断したのでスペイン語っぽい接尾語を付けた説
昼めし食った後に調べてみるか
1937年と言えば日中戦争の始まった年。4年後にパールハーバーで日米開戦。
あれだろ。敵性語廃止とやらで無理矢理カタカナ外来語を漢字熟語に変えさせられたんだろ。野球の用語なんかも「ストライク→よし」とか変えさせられたそうだし。
1937年の第十五回大会でアルペン競技が新設されて「滑降」「回転」「複合」が行われたという。
スキー(とスノーボード)には「回転」「大回転」「スーパー大回転」という頭の悪そうな名前の種目がある。
それぞれ「Slalom」「Giant Slalom」「Super Giant Slalom」の訳である。
しかし「スラローム」というと、普通は「蛇行」と訳されるものではないか?
ジャンプして空中でぐるぐると回転しているところを想像してしまうのだが、
実際の競技は、立てられたポールやゲートのあいだを蛇行しながら滑り降りていく競技である。
いったい誰がこんな訳にしたのか?
遡ってみると、1923年の第一回全日本スキー選手権大会では、
「スラローム」はそのまま「スラローム」と呼ばれていたらしい。
http://www.ski-japan.or.jp/3786/
第三回以降にいったん「スラローム」は姿を消すが、
1937年の第十五回大会でアルペン競技が新設されて「滑降」「回転」「複合」が行われたという。
http://www.ski-japan.or.jp/3791/
おそらくこのあたりで「スラローム」のことを「回転」と呼ぶようになったのだろう。
その当時「スラローム」という言葉がまったく使われていなかったわけではない。
当時のスキー教本などにも「スラローム」という表記で載っている。
スラロームと云ふ言葉はノルウエー語で痕跡の輪廓を描くと云ふ意味ださうである。其の廻轉の姿勢がクリスチアニアスウイングであるとかテレマークスウイングであるとか其他種々の姿勢であると云ふ事、並びに杖の使用不使用と云うふようなことには全然無關係である。
其スラロームは右、左のスヰングを自由にやりうる人のみが描きうる曲線の美しさである。スヰングとは體の振方とスキーの角付とによつて滑降中徐々に或は急激に方向を變じ或は停止する技で、外觀上の美のみでなく實用上缺く可からざる動作である。
クリスチャニア回轉又はテレマーク回轉を連續的に行って、雪の上に大きくの字を描きながら滑り降るのを、それぞれクリスチャニア・スラローム、テレマーク・スラロームと呼ぶ。“スラローム" Slalom は恐らくノールウェイ語であらう。
注目すべきは、ここで「回転(廻轉・回轉)」と訳されているのは「スウィング」や「ターン」のほうだった、という点だ。
「ターン」を「回転」と訳すのは、バレエなどでも同じであり、それほど違和感は無いだろう。
上記の文章では、はっきりと「スラローム」と「回転」は区別されており、明らかに異なる用語として広まっていたことがわかる。
それで後から「スラローム」の訳語を「回転」と決めたとは考えづらい。
単にアルペン種目を新設するにあたって「スラローム」という横文字を嫌い、
「回転を繰り返して滑り降りる競技なんだからそのまま『回転』と呼んだほうが分かりやすくね?」
それが後に「ジャイアントスラローム」が登場してやむなく「大回転」と訳すことになり、
(「回転」がターンを表すのはまだしも「大回転」はもう違う言葉だよなあ)
さらに「スーパージャイアントスラローム」が登場するに至って
もはやパチンコの売り文句みたいにせざるを得なくなったということだろう。
また「ターン」を「回転」と呼ぶことも少なくなり、
今となっては競技名としての知名度のほうが遥かに高くなったので、
まるで「スラローム」の訳語が「回転」であるかのようになってしまった、
言っても一般人にとっては冬季オリンピックくらいでしか耳にしない単語ではあるし、
「中華製の西洋ファンタジーが少ないのは、中国にカタカナがないから」は真なのか?
例えばにしろ、なぜならにしろ、まずそこの関係が自明なのか疑問もてよ
大元の増田は「根拠ないけど、ファンタジーが漢字だとなんか気分でないから、少ないに違いない。関係あるに違いない。なぜなら僕がそう思うから、カタカナは発明」レベルのことしか言ってないと
で、そもそも「発明」というけど、カタカナは平安時代初期に生まれたもので、西洋語のための「発明」ではない、が「歴史的事実」だし、現に「西洋由来語は漢字の当て字で違和感なく定着しているものは定着している」し、外来語でないカタカナ語も普通にある(外来語のためにカタカナが出来たわけではないのだから、本来いうまでもない当たり前のだけど)と私は指摘したまで
>どういうシチュエーションのときにそれが日本語話者の足枷になるんや?って訊いとるんやけど
じゃなくて、
・カタカナないと西洋ファンタジー作る上で不便、だから中華製西洋ファンタジー少ない、は本当かを先ず大元の増田とお前が答えてみろよ
私が言ってるのは、そういうこと
言ってもいない(俺は「デメリット」だとも、「日本語話者が困る」とも言ってない。突っかかってきた増田が、勝手に私がそう言ったかの如く、主張しだしただけ)ことで突っかかってくるな
ここまで長々と説明させるなよ、アホらしい
な ぜ な ら
・ファンタジーとかさ、「哈利波特」や「佛罗多巴金斯」なんて書かれても雰囲気出ねーもん
・中国製の西洋ファンタジーが少ないのってカタカナが無いことが絶対影響してる
「外来語をカタカナで表記するのって発明だよな」が本題ちゃうんか?
それにおいて「日本語なのに外来語と勘違いしてしまう」がそこまでデメリットになるか?
っちゅう話やろ?
で、そもそも俺は、カタカナのデメリットとも、それで日本語話者が困るとも言ってない
お前が返信で
「困ることなんてそんなないやん」
「そこまでデメリットになるか? っちゅう話やろ?」と返信で言って
カタカナ=外来語という認識のせいで、カタカナないと困るという勘違いが起きてる、とという話やろ、そもそも「文脈的」に
俺からすれば「お前は一体何の話をしとるんや、大元の増田読め」って話や
だから
>「中国製の西洋ファンタジーが少ないのはカタカナが無いことが絶対影響してる」か否かじゃないっけ?
>「日本語なのに外来語と勘違いしてしまう」がそこまでデメリットになるか? っちゅう話やろ?
とあなたは言い出した、という流れだけどさ
俺がいつ、日常会話とかで「デメリットになる」的な話した?「大元の増田の内容」からして、そう捉えるのは飛躍し過ぎだわ
文脈読まずに、言ってもないこと付け足して「デメリットでない、困らない。困るというならそれを証明しろ」と難癖つけるのはやめて
・文字を外しても1文字の重さが1/26と大きいためそれが使用されていないという情報が後半のトライに及ぼす影響が大きい
・5文字の英単語という条件で存在する単語の数が多く解答自体は多くの人が知っているものになりやすい
・5文字の中で母音の使用数が1~3まであり使用できる単語の幅を実際以上に多く感じさせる
・トライ回数の少なさが「字の位置暴き」と「使用文字暴き」のパワーバランスを取っている
・50音+濁点+半濁点+小文字+伸ばし棒という馬鹿みたいな文字数のせいで1文字あたりのヒット率が異常に低い
・そのため位置あてのためにターンを使うメリットが大きくなりすぎてバランスが破綻している
・外来語を平気で解答に持ってくるため納得感が低い(「WORDLEの日本版」というイメージが強いため、解答は日本語版固有の単語でないと当てた時の気持ちよさがない。WORDLEでいいじゃんとなってしまう)
・日本語の特性上5文字だと4~5音の単語に偏ってしまうため単語の幅を感じにくい
・半端に音が長いため単語として成立してそうでしていない言葉がおおくなりがちで解答として拒否されたときに納得しづらい
まあ結局はさ、アイディア雑にパクっただけじゃ面白くならねえんだわ。
WORDLEはさじ加減が奇跡的だった。
ことのはたんごは「とりあえず10回トライ出来るようにしたわ」で終わらせたのが駄目だったね。
もうちょい色々出来たと思うよ。