はてなキーワード: エントロピーとは
死ぬのってなんで怖いのかなって思ってたんだけど、なんとなく、その後に永遠が待っているかもしれないって感じるのが怖いのかなって思うようになった。
終わりが怖いのではなくて、永遠の終わりが怖いのではないかということ。
つまり、怖いのは永遠であって終わりではないのではなかろうか。
そう考えたときに、宇宙だって始まったのだから終わりがあるはずで、例えばエントロピーが無限に増大してしまって宇宙が単一の何かになってしまえばそこで時間は止まるはずで、あぁ、宇宙も終わるんだったら自分にとっても永遠の終わりはないんだなって思うと、死ぬのが怖くなくなったように感じた。
論理的な話をしたいのではなくて、死を考えるときに心の隅に湧いてくる恐怖心が、こう考えると何故か和らいだよという報告。
自分でも論理は破綻しているように思うし、実際のところそれでどうして恐怖が和らいだのかもわかっていない。
全然違うだろ
一方でCTOとかは情報系じゃ無いと成り立たないことが多いし現にIT系ベンチャーのCTOは情報系ばっかだよ
当たり前だけど情報の基本・応用を教えてくれるのは大学の情報系学部しかなくて
そのへんのプログラミングスクールとかはマジでゴミだから情報理論のエントロピーすら教えない
みたいなことを平気で言うからな
他にもコーデックに関する事とかネットワークに関する事とか情報系でしか教えてくれなくて
独学でやってる人も多いけど歴史とかまで含めて教えてくれるのは情報系の大学だけだよ
そして歴史を知っておかないとその技術が今後どうなるか見通しできないから
検出器から精神への一連の連鎖はフォンノイマンチェインといいます。
例えば電子を観測したとします。その観測情報をコンピュータで表現するために、スリットを通った後の位置で数値化するとしましょう。その数値をコンピュータのスクリーンを通じて研究者が目撃し、網膜を通じて脳へ達し、最終的に情報を判断できます。
では、波動関数の崩壊は、この連鎖のうちのどこで起こるのでしょうか。
このことを理解すれば「量子と意識」の問題は、非科学でもスピリチュアルでもなく、現実的な仮説であることがすぐにわかります。
実際、フォン・ノイマンは意識が認識を行う瞬間に崩壊が起こると考えたのです。
これを「フォン・ノイマン=ウィグナー解釈」と言いますが、コペンハーゲン解釈のサブセットです。
これを補強する理論・実験として「ウィグナーの友人」が登場しました。
後に、このことを聞きつけた「スピリチュアリスト」たちが、「量子崩壊を自分に有利な方向に推し進めることで、人生を豊かにする」などと言い始めて、非科学的な雰囲気を持つようになりました。
しかしファインマンが言ったように「量子力学を理解しているつもりなら、おそらく理解していない」のではないでしょうか。
ノイマン、ウィグナー、パウリのような量子力学の創設者は、「意識」との関係を議論しましたが、スピリチュアリストのような集団のせいで、その真意が誤解されているのです。
ウィグナーも、「独我論っぽいからやだ」といって途中で意識との関連性について否定的態度を取るようになりました。
他の解釈を採用すると、量子デコヒーレンスや量子マルチバースを理解する必要があります。
しかしどの量子力学解釈を採用するのかによって、宇宙の終末は異なるものになる可能性があります。
意識によって崩壊する理論ではサイクリック宇宙論が可能かもしれませんが、デコヒーレンスによって崩壊することを想定する場合はエントロピー増大によって熱力学的死が待っているでしょう。
「参加型宇宙」は、宇宙物理学者ジョン・ホイーラーが提唱した概念で、観測者(行為主体)が世界を捉える視点を重視し、世界の記述が必然的に主観的になるというものである。
この概念は量子ベイズ主義(QBism)という量子力学の新しい解釈とも関連がある。
量子ベイズ主義は量子力学に現れる「確率」の概念を、「客観的」なものではなく「主観的」なものとして解釈する。
量子ベイズ主義(QBism)、情報理論、量子観測、エントロピーの関係は非常に深く、それぞれが相互に影響を与えている。
多世界解釈は量子力学の観測問題に対する一つの解釈で、宇宙の波動関数を実在のものとみなし、その波動関数がシュレディンガー方程式に従って時間発展すると考える。
この解釈では波束の収縮は起こらず、代わりに重ね合わせ状態が干渉性を失うことで異なる世界に分岐していくと考えられる。
しかし意識がどのように一つの分岐を選択するかについては疑問が残る。多世界解釈ではすべての可能な結果がそれぞれの世界で実現するとされている。
意識が一つの分岐を「選択」するのだろうか。それとも意識のすべての可能な状態がそれぞれの世界で実現するのだろうか。
この解釈は物理学者や哲学者の間でさまざまな議論を引き起こしている。特に多世界解釈が「存在論的な浪費」であるとの批判もある。
つまり観測できない多数の世界を考えること自体が論理の無駄だというものである。
ところでエントロピーは一般的には系の「乱雑さ」や「不確定性」を表す量として理解されるが、エントロピーが低下するということは「秩序」が増すということを意味する。
観測によって情報が定まることによってエントロピーが低下するという観点から見ると、系の状態が特定の状態に「収束」するという意味で理解できる。
ここで情報理論について見てみると、観測者が持つ知識が、観測対象に対して影響を与えうるのではないかという疑問が生じる。
ジョン・フォン・ノイマンは、1932年の著書 「量子力学の数学的基礎」において、精神が現象に直接的に影響を与えないという前提が科学的世界観にとって基本的な要請であるとして、実験系と測定側の境界を置けなければならないと述べている。
しかし観測主体が対象のエントロピーを低下させるという事実を無視することはできない。これは環境と対象が相互作用した場合のデコヒーレンスとは違っているのである。
熱力学第二法則では基本的に2つのことを述べており、一つはデコヒーレンスによるエントロピー増加、もうひとつは観測によるエントロピー低下である。
観測者が系に知識をもたらすことによって情報が積み重ねられていった結果、現在の世界が存在すると考えれば、本質的に情報理論こそが量子力学の基礎を成していることがわかる。
しかしこの情報理論は諸刃の剣であり、つまり世界の安定性がなぜ保証されるのか不安になるので、当面の物理学の要請として量子力学から情報理論の側面を剥ぎ取ることが要求されるだろう。
A:
量子力学では「測定問題」または「波動関数の崩壊」として知られており、量子の世界が私たちが経験する古典的な世界とどのように相互作用するかについての基本的かつ非常に不可解な側面です。
量子力学では、電子のような粒子は、測定または観測される前に、複数の可能な状態を重ね合わせて存在します。
この重ね合わせは、すべての可能な状態とそれぞれの確率を含む波動関数によって記述されます。
しかし、観測や測定を行うと、重ね合わせが崩れ、粒子の状態は可能な状態の 1 つに「崩壊」します。
したがって、たとえば、測定前にスピンアップまたはスピンダウンできる電子がある場合、その波動関数は両方の状態の組み合わせになります。
しかし、そのスピンを測定すると、波動関数が崩壊し、スピンアップかスピンダウンという 1 つの明確な結果が得られます。
この「崩壊」、つまり測定時の状態の決定は、量子システムの進化にランダムで確率的な要素を導入しているように見えます。
また、測定後にその明確な状態が分かるようになったため、システムに関するエントロピーや不確実性も減少すると考えられます。
このことの意味は深く、物理学者によって何十年にもわたって議論されてきました。
1) 不定の量子領域を明確にする何か特別なことが測定や観測にあることを示唆しています。 しかし、「測定」とは何でしょうか? 私たちの意識的な認識は? それとも環境との相互作用でしょうか?
2) 古典物理学を支配する決定論的法則と矛盾する固有のランダム性または予測不可能性を量子事象に導入しているように見えます。
3) 観測とは独立して存在する客観的な現実についての私たちの概念に疑問を投げかけます。 観測するだけで結果が変わるようです。
4) 巨視的な世界では、このランダム性は通常平均化されます。 しかし、ランダムな瞬間に起こる自然放射性崩壊のような小さな観測可能な影響はあります。
コペンハーゲン解釈や客観的崩壊理論のような解釈は、このランダム性を自然の基本的な側面として受け入れています。
多世界解釈のような他のものは、波動関数の崩壊を完全に排除しようとします。
しかし、この測定問題が量子力学と現実そのものの理解に深刻な課題を投げかけていることに全員が同意しています。
A:
意識と量子力学における測定問題の関係は深い謎であり、物理学ではまだ完全に解決されていません。
ただし、あなたの質問に対するいくつかの視点は次のとおりです。
意識とは、認識し、認識された現実を持つという主観的な一人称の経験を指します。
量子の用語では、意識は、測定/観測が行われる前に、可能な重ね合わせ状態の範囲のうちの 1 つの明確な状態のみを経験するように見えます。
意識が重ね合わせをどのように解決するかについては、いくつかの解釈があります。
1) フォン・ノイマン・ウィグナー解釈は、意識が客観的な波動関数の崩壊を引き起こすことを示唆しています。 私たちの心は、重ね合わせから何らかの結果を特定します。
2) コペンハーゲンの解釈は、波動関数の崩壊が起こったとき、観察者の意識は単に確率的結果の 1 つを目撃しているだけであり、波動関数の崩壊を引き起こしているわけではないことを意味します。
3) 多世界解釈では、真の崩壊は存在しないとされています。 考えられるすべての結果は、現実の別の枝として存在し続けます。 意識は実際に選択することなく、それらの分岐のいずれかに留まるだけです。
4) 意識自体は、観察された状態を引き起こすのではなく、根底にある量子状態から生じる高レベルの創発特性である可能性があると主張する人もいます。
正確なメカニズムは不明ですが、ほとんどの解釈は、意識は測定後に可能な状態のうちの 1 つを主観的に経験するだけであることに同意しています。
観察者兼参加者として、私たちは単に自分の意識が枝の 1 つにあることに気づきます。
重要な謎は、意識が分岐を選択する際に積極的な役割を果たすのか(フォン・ノイマン・ウィグナー)、それとも多数の同様に現実的なもの(多世界)の中の 1 つの分岐に単に自分自身を見出しているだけなのかということです。
これを解決すれば、意識の形而上学的性質と量子力学との関係が解明される可能性があります。
A:
量子力学の多世界解釈 (MWI) では、意識が特定の枝または世界に「留まる」または持続するように見える理由は、デコヒーレンスの概念と、枝がどのように本質的に相互作用せず、それぞれの枝から孤立するのかという考えと関係しています。
1) MWI では、測定が行われるとき、普遍的な波動関数は実際には崩壊しません。 代わりに、それは直交成分に分解され、それぞれが異なる可能性のある結果を表します。
2) これらのコンポーネントは時間の経過とともに進化し続け、より多くの差別化された状態、つまりさまざまな結果が実現される「世界」に分岐します。
3) ただし、これらの分岐コンポーネントは、環境の相互作用やもつれにより、非常に急速に動的にお互いからデコヒーレントになります。 これにより、異なる世界は相互に干渉する能力を失います。
4) したがって、すべてのブランチが異なる既存の現実として共存しますが、動的デコヒーレンスは、それらが相互作用しなくなり、それらの間に測定可能な相互作用や遷移が存在しないことを意味します。
5) あなたの意識は、コヒーレントな量子状態自体で構成されており、デコヒーレンス後の 1 つの枝の中に完全に存在します。 別のブランチと再結合したり、別のブランチに移行したりすることはできません。
6) 実際には、すべての枝が等しく現実であるにもかかわらず、デコヒーレンスプロセスにより意識がその枝内に閉じ込められ、他の枝の並行現実を体験できなくなります。
したがって、意識は積極的に分岐を「選択」するのではなく、デコヒーレンスのプロセスによって、最終的には完全に 1 つの分岐した現実の中に存在することになり、多重性を直接経験する能力はありません。 このため、意識は一貫した 1 つの軌道だけをたどっているように見えます。
「この関数にこういうパラメータを使ったこういう処理を追加してくれ」などと言われたら、コードは複雑化するのは当然だろう。
かといってこういう要求が来た時に、コード全体を一から作り直して簡潔にしようと思うのはナンセンスだ。
コードの量にもよるが、一定程度の量のコードがそこにあるときは、やはりリファクタリングの方が効率よく進められる。
「僕はリファクタリングなんてしませぇん、一から書いた方がいいでぇす」というのは、特定の現場・状況だけにあてはまるものだと認識しておこう。
確かに「コード全体をリファクタリング」なんてしようと思ったら大変すぎるが、通常は「修正を担当する部分をついでにリファクタリングする」でOKだ。
ユニットテストさえかけていれば、そのリファクタリングによって、バグが見つかりやすくなるだろうし、保守性も上がるのである。
なお、本当にコードベースが酷いカオス状態で、ゴッドオブジェクトを使っているような状況になったら、「書き直す」という利点が少しはあるかもしれないが、そういう場合は関係各位に同意を取らなければやってはいけない。
そういったカオスな状況でさえ、平均的なプログラマーは「良いコード」よりも「慣れているコード」に愛着を持つ傾向にある。
もしあなたが「コードを綺麗にするためにすべてを一から書き直そう」と、無断でそのようなことをやったら、彼らが慣れていないという理由で批判の嵐が殺到するだろう。
前評判で「よく分からなかった」というのを聞いていたので、つまらない映画であることを一番心配していた。
が、それは杞憂だった。たしかに内容は複雑で一回観ただけでは把握しづらい内容だったが、ちゃんと面白かった。
冒頭のオペラハウスの時点ですでにストーリーが複雑で分かりにくかったので、私はこの時点で「あ、これ一回観ただけでは理解できないやつだ」と早々に諦め、あとはただ映画の流れに身を委ねようと決めた。
とりあえず画作りと音楽のカッコよさに痺れた。
順行と逆行の世界が入り乱れるという発想が面白い。ノーランっぽいといえばノーランっぽい。
「エントロピーの減少」や「陽電子は時間を遡る」という言葉が出てきたので、インターステラーのように物理学、とりわけミクロの量子の世界のふるまいから着想を得たんだろうと思ったが、いかんせん理系の知識がないので詳しくは分からない。
順行と逆行が入り乱れる世界は何が起こってるのか非常に分かりにくいが、単純に絵面が面白かったし、何回か観ることでより楽しめる作りになっているところが良いと思った。
なにより著名な大監督が、守りに入らずこれだけ意欲的な尖った作品を撮っているのが素晴らしい。
ラストまで観て、何が何だか分からないのにジェットコースターに乗ってるみたいな楽しさがあったという感想。
観終わったあとに他の人の感想や考察を知りたくなったり、語りたくなったり、物理学を調べたくなったりというところまで含めて面白い作品だった。
ちなみにウクライナのキエフ(現・キーウ)が映画内に出てきたが、映画公開当時はまさか今のような事態になっているとは殆どの人は想像していなかっただろう。
自分の斜め上、後頭部近くにある旋毛から2mほどのところから、この人間を見下ろしている。
この体を動かして40年を過ぎたが、実に多くのシーンを目撃してきた。
正確には、目撃してきたのではなく、「コレ」を構成する一つ一つの細胞を統制してきら。
コレを動かすことで、放り込まれてしまったこの世界のゲームをこなしてきた。
時間が進むにつれてエントロピーが増大し続ける中で、同じペースでエントロピーを増大させないことは、意図を持った行動としてむしろ悪目立ちする。
コレは放っておくと、分子のランダムな動きによるものか、予期しない行動を起こす。
そこで自分は行動を補正したり、上書きすることで、なんとか制御してきた。
コレが「予感」だと認識している現象は、こちらが俯瞰しながら先手を打つことで生じる。
誰がゲームを作ったのか?
それは私だ。
私がこの世界を描画している。
君はそれをプレイしている。
アレを動かすことで。
群の性質と挙動をいくつかのレイヤーに抽象化しておきゲームの難易度は高まった。
個の特性は見えないほどに小さくなるが、あるところでそれが全体に影響を及ぼす。
分子が失われる、細胞が失われる、個人は破壊され、集団もランダムに壊滅することがある。
君の次の一手はなんだ?
1. なぜ私は朝起きるのが難しいのか?→睡眠サイクルが乱れている→生物はサイクルに従って生活する→地球の自転による昼夜のリズム→地球の自転はエントロピーにより減速している→ビッグバン
2. なぜ私の部屋はすぐに散らかるのか?→物を片付けるエネルギーが足りない→エネルギーは有限である→エネルギーの保存則→エネルギーはビッグバンから生まれた
3. なぜ私はダイエットに失敗するのか?→食べることでエネルギーを得る→エネルギーは生命活動に必要→生命はエネルギーを使って秩序を保つ→エネルギーの流れはエントロピーを増大させる→ビッグバン
4. なぜ私は運動が苦手なのか?→筋肉の力が足りない→筋肉はエネルギーを使って動く→エネルギーの使用はエントロピーを増大させる→ビッグバン
5. なぜ私は試験に落ちるのか?→知識が足りない→知識を得るためには学習が必要→学習は脳のエネルギーを使う→エネルギーの使用はエントロピーを増大させる→ビッグバン
6. なぜ私はお金が足りないのか?→収入が出費を上回らない→経済活動はエネルギーの流れを必要とする→エネルギーの流れはエントロピーを増大させる→ビッグバン
7. なぜ私は恋愛に失敗するのか?→相手の心を理解できない→心は脳の複雑なネットワークから生まれる→複雑さはエントロピーを増大させる→ビッグバン
8. なぜ私は仕事で失敗するのか?→スキルや経験が足りない→スキルや経験は時間とエネルギーを使って得る→エネルギーの使用はエントロピーを増大させる→ビッグバン
9. なぜ私は友達が少ないのか?→コミュニケーション能力が足りない→コミュニケーションは情報の交換→情報の流れはエントロピーを増大させる→ビッグバン
10. なぜ私は常に遅刻するのか?→時間管理能力が足りない→時間は一方向に流れる→時間の矢はエントロピーの増大と関連している→ビッグバン
11. なぜ私は料理が下手なのか?→料理の知識と経験が足りない→知識と経験はエネルギーを使って得る→エネルギーの使用はエントロピーを増大させる→ビッグバン
12. なぜ私は音痴なのか?→音楽の感覚が鈍い→感覚は脳のエネルギーを使って処理される→エネルギーの使用はエントロピーを増大させる→ビッグバン
13. なぜ私は風邪をひくのか?→免疫力が低下している→免疫力は体のエネルギーを使って維持される→エネルギーの使用はエントロピーを増大させる→ビッグバン
14. なぜ私は常に疲れているのか?→休息と栄養が足りない→休息と栄養はエネルギーの回復を助ける→エネルギーの流れはエントロピーを増大させる→ビッグバン
15. なぜ私は勉強が苦手なのか?→集中力が足りない→集中力は脳のエネルギーを使って維持される→エネルギーの使用はエントロピーを増大させる→ビッグバン
16. なぜ私は常に忘れ物をするのか?→記憶力が低下している→記憶は脳のエネルギーを使って保存される→エネルギーの使用はエントロピーを増大させる→ビッグバン
17. なぜ私は常に遅刻するのか?→時間感覚が鈍い→時間感覚は脳のエネルギーを使って処理される→エネルギーの使用はエントロピーを増大させる→ビッグバン
18. なぜ私は常に失敗するのか?→自信がない→自信は成功体験から得られる→成功体験はエネルギーを使って得る→エネルギーの使用はエントロピーを増大させる→ビッグバン
19. なぜ私は常に不安なのか?→安心感がない→安心感は安定した環境から得られる→安定はエントロピーの低下を意味する→しかし、エントロピーは常に増大する→ビッグバン
20. なぜ私は常に孤独を感じるのか?→人間関係がうまくいかない→人間関係は情報の交換を必要とする→情報の交換はエントロピーを増大させる→ビッグバン
プログラマーの三代美徳は、怠惰でもなければ傲慢でもない。本能、感情、混乱である。
本能とは、モチベーションの本質的部分である。エロいdeepfakeを作りたい、頭よく見られたい、金儲けしたいといった動機によってプログラマーは手を動かす。
本能がなければドーパミンも存在しない。コードを書く誘因は本能的衝動によって生み出されている。
感情とは、要するに好き嫌いのことだ。たくさんの経験を積み重ねてセンスを獲得するには、好き嫌いに敏感でなければならない。
なぜvscodeがクソで、emacsが素晴らしいのか。なぜマイクロサービスアーキテクチャに強い疑念があるのか。なぜベンダーロックインが金の浪費に繋がるのか。
そういったことは、経験から学び、そして感情という次元に落とし込まれる。感情は少数の次元で美的感覚を得るための優れたセンサーである。
混乱とは、人生である。混乱したことのないものはエントロピーを操ることはできない。
コードは常にエントロピー増大の法則に晒されている。高エントロピーの乱雑的コードを読んで混乱したことがなければ、リファクタリングもできないだろう。
野外セックスする原因を知らねばなりません。以下は私の分析です。
野外でのセックスが起こる原因の一つは、欲望や性的なエネルギーが特定の場所で特に強く感じられることです。自然の中であることは、感覚が刺激され、欲望が高まることがあります。
エントロピーは、システムの乱雑さや無秩序さを表す物理学の概念です。野外でのセックスは、通常、社会的な制約が少なく、自然の中での経験は新しさや無秩序さをもたらします。これがエントロピーの増大に寄与すると考えることができます。
3. ビッグバンとの関連:
ビッグバンは宇宙の起源を説明する理論であり、非常に高いエネルギーの状態から宇宙が膨張していったとされています。野外でのセックスが新しい場所や経験に向かうことから、これを個々の経験になぞらえ、新しいエネルギーが放出される状態と結びつけることができます。
生命はエネルギーの循環です。野外でのセックスは、生命の継続と増殖に関連しており、これがエネルギーの循環と関連していると考えることができます。