おじさんと結婚しよ♥️
でも今は近藤医師が最初にいってたとおり徹底的に切ればおわりじゃなく化学治療をかならず併用して……という方向に実際なってるじゃん
最初人体実験なみに切って切って切りまくってた医師たちにエビデンスを見る目がなかったのにすぐ体力をうしなって10年生存率もさがったら死人に口なしで補償してないよね?
経緯を知らないほうがどうかとおもう
松野官房長官「性暴力許されず」 立民は16日、歌手ヒアリング
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6463412
やられた…
そこに目をつけるとは
どれが正しいんだよ…
Bard: 平均的なブクマカは、ネットに精通していて、様々なトピックに興味を持っている人です。彼らは新しい情報やアイデアに常にオープンで、興味のある情報を収集して整理することに情熱を注いでいます。ブクマカは、ソーシャルブックマークサービスを活用して、自分の興味に合った情報を見つけたり、他の人々と情報を共有したりしています。
ブクマカの典型的なプロフィールとしては、男性で20代から30代、IT系の職業に就いている人が多いようです。しかし、ブクマカの年齢層や職業は、ネットの普及に伴って幅広くなっています。
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巷では鬱映画とか胸糞とか言われているけど、作品自体はとても好きなんだよな
勘違いしている人もいるんだが、この映画はストーリー自体はよくあるパニックホラーもので奇抜な設定とかはほぼない
街中が霧に包まれて怪物が襲いかかってくるんだが、人間同士がそこで醜い争いを繰り広げたり、怪物以前に人間に殺されそうになったりと王道の展開がなされる
よくあるどんでん返しって、実は仮想現実の中でしたとか主人公が不死身でしたとか後付の気持ち悪い蛇足ばかりなんだよ
戦っていた相手が人間だとか生き残りをかけた戦いが実は代理戦争だったりとか
主人公は常に何らかの選択を迫られ、その都度命からがら最善手を選び続ける
モンスターも人間もどっちも危険という状況で本当にギリギリを生きているのは主人公らしい
だからこそ終盤での「そうするしかなかった」ってのが最大限に生きてくる
誰にでもわかる単純なストーリーだから避けようがないし、誰だってそうするしかないと思えるから救いがない
全部選択肢はあっているのに、マークシートが1つずれていることに気づいていない
何度見ても五里霧中だよな
この映画が胸糞って言われるのは、避けようがない不幸を丁寧な脚本がマークシートを一個ずつ緻密にずらしていることに由来すると思う
「Regenerate response」を押して別回答を生成させてみる
12548*2544は?
ChatGPT
(1 / 3) 12548 * 2544は、31,892,512です。
(2 / 3) 12548 * 2544は、31,936,512です。
(3 / 3) 12548 * 2544 = 31,939,712
渾身のデートの誘いをさらりと流され早数日、今日も今日とて飲酒しながら日記を書き連ねる。
近ごろ忙しいのと、散々っぱら書いているように恋の失敗があり、悪天候も重なり、とにかく精神状態が悪い。しばらく使わずに済んでいた頓服を夕方ごろ飲んだ。胸の中に雨雲のようなものがある。重たくて苦しい。ああ、しばらく人生上手くいってたのにな。
月一で心療内科に通っているが、最近は特段医師に相談したいようなこともなく、先々月から減薬が出来ていた。主治医との相性はすこぶる良い。
先生は私の様子を真摯に聞き、しっかりと同意を取ったうえで処方をコントロールしてくれる。
精神医学が未発達な時代に生まれていたら、私はいまごろ座敷牢の鉄格子を掴んでいただろうから、つねづね現代医学には感謝している所だ。
だがこの調子では、減薬の努力も虚しく、ふたたび処方を増やしていただくほかないだろう。
少し上手くいっていた(ように思い込んでいた)男性に軽くあしらわれた位で、ハルマゲドン前夜のような絶望ぶり、我ながら滑稽である。
しかし誓って言うが私は今回の件に限って悲しんでいるのではない。
むしろ今回の件は、大きな大きなコンプレックスが噴出してくる小さな切っ掛けにすぎなかったと思う。
私は幸福ながら、今まで自らのコンプレックスというものに気付いて来なかった、というより見て見ぬふりをしてきたのけれど、よく考えてみれば、私はとても長い間、男性に愛されない=容姿や性格に魅力がない ことに深い悲しみを覚えていた。
驕りかもしれないが、勉強も仕事も人付き合いも、並み以上には出来る、という自負がある。周囲の人や環境に恵まれた部分が大きいものの、やはり自分自身で努力はしてきたつもりだ。その点に関して私は概ね満足するし、卑屈にならない。
天地がひっくりかえっても、人様に認めてもらえるとは思われない。お洒落は嫌いではないし、日ごろメイクも髪も整えるが、どれほど着飾ったとして男の人のお眼鏡には適うはずがない。
思い返してみると、中学校のころには、無意識の中にこのような考えがあった。
何故これほどまでに自己評価がいびつになってしまったのかは分からない。きっと原因があるのだが、今はそこまで思い至らない。
異性に対してあまりに卑屈がゆえに、好きな人から袖にされて、悲しいより先に、「ああ、やっぱり」と妙に腑に落ちた感じがしてしまった。
それが、堪らないほど辛く、虚しい。
私を選んでよと駄々を捏ねてみたかった。もう少し早く出会っていればと悔やめる女性でいたかった。
いずれにせよ手に入らないと諦めているから、そんな感情も湧いてこない。ただ、泥のような自己嫌悪の中に寝転がっている。
こんな思いはいつまで続くのだろうか。
以前の日記にコメントをくださった方々、ありがとうございました。失礼な表現かもしれませんが、まさに心のこもった叱咤激励、と思いました。お言葉しかと受け止めます。
子育てシェアハウスとかそういう方向性なのかもしれないなと思った。
親がすべての責任を負うのではなく、ゆるーくシェアハウスの住人に責任を分散させるみたいな感じ。
まあ、もっと昔は子供は一族で育てるものであったり、地域で育てるものであったりして、親の責任はそれほど大きくはなかったのかもしれない。
「髪伸ばさないの?😃」「何で伸ばしてんの?😃」「髪切らないの?😃」「どうして切ったの?何かあった?😃」「また伸ばすの?😃」などと聞かれること考えると都合の良い口実
お゛んッ♡♡ひぎッ……お゛ぉぉッ!?お゛ぅッ♡お゛んお゛んお゛んぉぉ゛お゛ぉ゛ぉぉぉん♡♡お゛ほぉぉぉぉ♡♡んほぉぉぉッ♡♡イグぅ……ッ♡♡はへぇ……♡♡
こういうのって医療従事者に知り合いがいない自分はどうしたらいいんだろう...と思ったが、それなりに顔が広そうなかかりつけ医がいればいいのかと思った。
まあ、かかりつけ医が残念な人だったら残念だったねーって話だけれど、かかりつけ医がそこそこまともなら、ヤバそうな病院には紹介状書かなそうだなと思ったもので。
回復したら経過観察にその病院に戻ってくるわけで、回復の可能性が低そうな先生は選ばなそうだなと。
それに、「お前の紹介で行ったら後遺症残ったぞ!」とか言われたくないだろうし。
あとはセカンドオピニオンとかかなー。
手術みたいな不可逆な感じの処置をする場合はその症例に対して普通その処置をするのかを聞いておくというのはありなのかなと思った。
自分は女なのだけれど、男の後ろ姿が好きすぎて好きな人ほど顔を見なくなる。
後ろ姿そのものというより、(比喩ではなく物理的に)率先して女の三歩先を歩いてくれる性格の人を好きになる結果、好きだなあと思う瞬間の思い出が後ろ姿ばかりになってしまうのだと思う。
外見で好意を感じる点に関しては面食いと変わらないというか、むしろより古いジェンダー観の押し付けになっていないかとも思うし、昔好きだったはずの人の顔も思い出せないことに申し訳なさも覚えるけれど、やっぱりたくましい背中が男の一番の魅力だと感じている。
最近は男も顔に重きをおいて力を入れる人が多い上、恋人は隣同士で手を取り合って進む方が好ましいようで、そのうち自分も伴侶が出来たら顔を見合わせることが増えるんだろうかとは思う。でもあまり想像も出来ない。