母親と姉の三人暮らしです 母親がYouTubeにハマってしまい地獄です
母は筋金入りの心配性で不安な気持ちに駆られやすく、正直それに振り回されることが多いのですが、YouTubeにハマってからというもの怪しげな霊感ユーチューバーだの肩書きのある医者のユーチューバーだのの言う不安を煽るような『真実(笑)』やら『トンデモ医学』やら『陰謀論』やらに躍らされて毎日のように真剣にそれらの話をされます。
新興宗教にハマったようなものだと思い、強く否定してしまうと頑なになってしまうため適当に相槌を打っていたのですが、ワクチン反対に染まってからはそうも言っていられなくなりました。姉はのらりくらりとかわし恋人の家に入り浸っているため、矛先がすべて私に向かうのも地獄です。
ワクチン反対論がいかにインチキかを懇切丁寧に説明しても泣きながら頼むからワクチンを打たないでくれと言ったり、打った後は少しお腹を下したり咳込むだけでワクチンの副反応だと言って大騒ぎをします。
母親は人よりも物知りなほうで幼いころは自慢でしたが、こんなミエミエのインチキに振り回される姿を見ると情けなくて死にたくなります。
今日も仕事に疲れて帰ってきて延々とユーチューバーの終末論的な話を聞かされ相槌を打つ元気もありませんでした。正直家を出ていくことも考えましたが姉も頼れない今、私が出て行ったら母が生活できるかは怪しいです。
「査読が終了していない」んじゃなくて、そもそも査読っていうのはそういうものなの。
「論文として載せる価値がある」というのは「絶対的に正しい」ことを意味しないの。査読が担保しているのは「論文としての価値」であって、「絶対的な正しさ」ではないの。(もちろん、正しさに対する一定以上の信頼度がなければ「論文としての価値」も認められないけど。)
科学的な正しさというのは、ある瞬間に100%正しいと認められるものではないの。論文が掲載されて、その後の研究者コミュニティによって引用を繰り返され、一人一人の研究者がそれぞれの価値観でもって「この論文は正しいor間違っている」と判断し、サーベイを寄稿したり教科書が執筆されたりすることによって正しさが認められていくものなの。
そもそも論文が掲載されるというのはゴールじゃなくてスタートなの。
君はきっとリーマン面のタイヒミュラー理論も、p進タイヒミュラー理論も知らないでしょ?「宇宙際タイヒミュラー理論」というのは単に数体上のタイヒミュラー理論のことで、細かい技術的なギャップがあるのかないのかは専門外の私にはわからんけども、少なくとも「トンデモ」扱いするバカがいたらそいつは数学者ですらないバカだと一発でわかるよ。
複素数で可能ならp進数でやる。p進数で可能なら数体でやる。というのは数論幾何学の王道中の王道で、パッと見「できそうだな(具体的にどうやるかは知らんけど)」というのが普通の数学者の認識。その応用があるかないかは後から考えることで、ABC予想が解けてるのか解けてないのかは私にはわからんけども、少なくとも理論としては間違いなく面白いものだろうとはわかるし、「俺も一生に一度はこういう論文書きてぇなぁ」と思うよ。
当方、2浪経験の増田。5浪増田には及ばんが浪人のメンタルはなんとなくわかる。
自分の場合は2浪して周りの同級生に置いていかれる感覚になるわ、後輩から影で見下されるわで散々だったが、大学入るとなんとかなることが多いぞ。大学では色々な選択肢が降ってくる。
浪人中は先が見えなくて陰鬱だったけど、大学生活を経て、いまは人生すげー楽しいと思ってる。
大学入ってみて人生詰んだ!って思ったならともかく、入ってもない状態で終わったと思ってるのは損してんな。とりあえず入ってみろ。入ってからしんどかったらまた考え直せばいい。
いまんところ最善の手はそれなりに受験勉強頑張ることだな。とりあえずどこか適当に受けても入学できそうなところを何校か確保できるといいな。
20*100/110=18.1818万円で同じ内容の消費ができるようになり、
1.82万円ほどの余裕ができる。
消費税廃止後はこの1.82万円を使い切るか溜め込むかその中間かのどれかになる。
ちゃんと読み直した方がいいぞ
砂ぼうずは無駄飯食いを養うことはしたくないのでバディとして信頼できる程度に小砂を育て上げているし
結果、第二部で小砂は二代目砂ぼうず的立ち位置で活躍していることからもそれは明白
小砂は何でも屋の師匠として砂ぼうずを敬愛している(だから偽写真と女癖の悪さを突いて弟子入りした)
第二部でもそれは変わらず立場上、畏敬の念に代わったものの再会時は先生は変わらず先生のままだと直感しさらにその飽くなき強欲さに羨望の眼差しを向けている
砂ぼうずも小砂を再び利用しようとする程度に実力を認めている
ほかの人にネタバレしない程度の雑なまとめだけど紛れもなく砂ぼうずと小砂はバディだよ
2012年に京都大学数理解析研究所教授の望月新一が ABC予想を証明したと論文を発表し、およそ8年の査読を通して2021年3月学術誌「PRIMS」上で発表された。
2017年ごろから査読が終了しABC予想が証明される!とマスコミでも度々騒がれていたが、現状はどうなっているのだろうか。
結論からいえば、今現在も数学会はこれを証明として認めていない。
論点1
基本的には査読期間に問題点や疑問点があれば、他の数学者によってその懐疑点を提言し解決や訂正を重ねていく。
実際、望月氏の論文にも指摘があった。指摘を行ったのはボン大学教授のペーター・ショルツェである。ショルツェ氏は30歳でフィールズ賞を受賞した現在の数学界のトップリーダーでもある。
ショルツェ氏は2018年3月、望月氏のいる京都へ訪れ直接論文についての議論を行い、その上で『Why abc is still a conjecture』という評価文を発表した。
この評価文は、一言でいえば「証明は根本的な所で間違っている」である。
望月氏は2018年7月にこの評価文についての反論文を出しており、この両者の主張がどちらが正しかったのか、これに関して第三者が明確な判定は行っていない。
論点2
学術誌に論文が掲載されたのであれば証明に問題はないのではないか
→学術誌に論文が掲載されること自体は形式的な意味合いが強く、掲載=証明の担保とはいえない。
さらにいえばこの学術誌『PRIMS』であるが、この発行元は京都大学数理解析研究所であり、編集長は望月新一本人である。
他意的なことを排除しても、この掲載が正当な評価を出来ているのかは疑問が残る。
論点3