🐥たぶんだけど、そんな高尚なもの、特別ないんちゃうかしらん❓
生きてきた証を、爪痕を、この世に残したいと思う人は
ムチャぶりもするのかも知れないけど。
魂と肉体のバランスをとりながら、生きることで、なにかを得られるのかも。
得られないのかも。
どこかで何かを気付く、そんな事もあるのかも。
私個人が怖くなかったし、実際に語ってみてもやはり怖くはないから
これは不思議な話なんだ
中学生の頃、学校から家に帰って玄関を開けると、管楽器の音がした
それは、私が玄関に入った途端、まるで、楽器を吹いていることを知られたくないような様子で消えた
私には、2つ上の兄がいたが、兄は当時から友人にギターだのアンプだの借りては母に注意されていた
だから私は、また兄が友人から楽器を借りて、それを知られたくなくて急いで吹くのをやめたのだと思った
案の定、兄の部屋へ逃げるように身を滑り込ませる人影を見た
私は、隠したいなら好きにさせようと、深追いはしないでその時は見て見ぬふりをした
母にはその日の夜に、兄がまた友人から楽器を借りたようだが、私達には知られたくないようだからそっとしておいてあげてくれと言った
よく考えたら、玄関を開けてから聞いたその音を、玄関の外では私は聞いていなかった
話は少し遡るが
小さい頃、うちは両親が離婚して、私は母に引き取られた
何年も会っていなかったが、私が中学生の時、父方の祖母から父が死んだと連絡があって葬式に呼ばれていた
遺品整理の際、父が使っていたホルンを、私が譲り受ける約束になっていた
私一人では取りに行けず、しばらく祖父母に預かってもらっていたのだが
ぼくも傷ついた。
ただ違うのは、ぼくは傷に塩を塗りながら、互いのために、歩み寄ろうとしているということだ。
それとも、互いのためになるはず、というのがぼくのエゴなのか。
大阪の警察署から勾留中の容疑者が逃げたニュースを聞いたのは夏だった。くっそ暑かった頃だった。なかなか捕まらないというニュースを見て、ドアのチェーンをかけて寝るのが習慣になった。涼しくなって、チャリ旅を満喫した彼も捕まって、警察のメンツをつぶしたから相当厳しく扱われてるだろなーなどと思いつつ、今日もドアのチェーンをかけた。おやすみ。
なんてったって宇宙一
増田氏は自転車に乗る。お昼過ぎに自転車で坂を登ったとき、頭が汗でかゆく感じた。かゆみを覚えるようになったら髪を切るタイミングである。
増田氏は自分で髪を切る。用意は簡単である。百均で買ってきた髪切り専用となっているキッチンバサミと新聞紙一枚を押入れから取り出せばよい。床に新聞紙を広げ、シャツを脱げば準備は終わる。増田氏はなんでも反対に写す鏡が嫌いなので、髪の毛を切るときは感覚を研ぎ澄ます必要がある。気合いを込めずに完成するのは丸刈りだけである。断たないこと梳くことそして切りすぎないことを念頭に置きつつキッチンバサミを右に左にふるう。
まず一番難しい前髪にハサミを通す。右手の二本の指で前髪を一房つまみ左手のハサミで毛先を揃えるように落とす。次に密集した髪の毛を刃先を滑らすようにして削ぐ。ここで注意しないといけないのは、面倒だからといって断ち落としてしまうと全体の形を揃えるのが難しくなり、総じて髪型が短めの人工芝に限りなく近くことである。髪の毛の総量は変化しないが頭が蒸れるのでおすすめしない。
前髪に満足したら次は頭頂部と後ろ頭である。多少切りすぎても頭の輪郭がでこぼこになるだけであるため、大胆にハサミを入ればよい。茂った毛をバッサバッサと切り梳き間伐を繰り返されよ。しかし虎刈りまで切ってしまうと人に頭を指されるので程度というものが肝心である。
襟足を触ってそれほど不揃いに感じなければ、最後は耳の周りである。耳の周りは毛の量に比例して蒸れるため大幅に毛を落としたくなるが、左右で同じことを繰り返さないとならないため初心者のうちはほどほどにしておくことをすすめる。増田氏ほどのベテランになればはじめから完成したイメージを持ってハサミを入れることができるが、センスが身につかないうちは両側を同時進行するべきであろう。もみあげが剃り上がっている人を見かけるかもしれないがあれは一瞬の油断より毛を断ちすぎた成れの果てである。
すべての工程が完了すると、ハサミを置き両手で頭を検分する。頭頂部から前に後ろに右に左に手のひらを滑らせ不揃いの房がないかどうかを確かめ、一つひとつ見逃していたものを削ぎ落とす。多少の不自然があっても毛が伸びるに従って自然に長さが揃うため、それなりに満足すると頭から毛をしっかり落としシャワーを浴びる。髪の毛を切った後の洗髪剤の泡立ちは格別であり、この爽快感のために髪を切っているといっても過言ではない、と毎回増田氏は考える。
増田氏は二ヶ月から三ヶ月に一回の間隔で髪を切る。暑い夏は早めに切るし寒い冬は伸ばしたままにする。増田氏は大学生のある日、キッチンバサミで髪の毛が切れるのではないかと思いついた。かれこれ十年程前になる。爾来この作業を続けているため、自分の髪の毛を触ったのは優に五十回を越えるだろう。一連にかかる時間は十五分ほどであるためこれまでの人生で頭を撫で回した時間は十時間は下るまい。増田氏はこれ程自分の頭部を触る人間も少ないのではないだろうかと常々考えている。時には散髪代を払わなくてよい分、人生において得をしているのではないかとも考えることがある。
この文書はどこかにいるかもしれない「これからキッチンバサミで髪の毛を切ろう」と検索する物好きのために書かれたものである。
「婆ちゃん、玉音放送の時ってどうだったの?TVでやってるみたいにみんな泣きながら聞いてたの?」
「陛下の言葉が難しくてよくわからなかったw 聞いた後に、だんだんと周りで"こういうことじゃないか?"みたいな感じで徐々に理解したよ。みんな泣きながらってのは無かったなぁ」
と、なかなかリアルな話が聞けて楽しかった。なんか重大な話があるらしい→ちょっと難しくてよくわかんない、って流れだったと。
戦争体験というと、悲惨な話なんかにスポットがあたりガチだけど、庶民のこういう話ももっと聞いといても良いんじゃないだろうか。