そんなに買っているつもりはない、のだけど大学時代から同じ家に住み続けて15年ほどたつと流石にあふれてくる。2000冊以内…くらい。多分。
いい加減整理しようと思って本棚やダンボールをひっくり返しているのだけど、どれもちょっと気になって捨てられない。明らかに情報が古い本でも「この頃は、このように語られていたんだなあ」というのが見えて面白い。捨ててしまった瞬間に「あの頃の言説」を忘れてしまいそう。そしてネットの海の真偽不明のソースで調べ直しているうちに「そんなことを語られていたような気がする・・・こうだったような気がする・・・」とどんどん記憶がうやむやになって「あの頃」が書き換わって行く気がする。いや、まあ今ここに本として存在しているものに記載されている中身だって、その論壇の中にいるうちの一人の主張、でしかないから、それをもって真とできるわけではないんだけど。
『官邸主導 小泉純一郎の革命』(2005)、『脱フリーター社会 大人たちにできること』(2004)ただいま絶賛問題継続中な話の一昔前のまとめを今読みかえすと学生当時読んだ時とは別の感慨がある…。『不美人論』(2004)というゆるい対談式の本パラパラ見てたら「ブスとオカマは差別してはいけないという社会コードがまだない」という記述があった。たった14年前でそうだったんだっけ…このへんのポリコレはここ10数年で本当に急激に変化をしてきてるんだよなあ。
あとは高校の教科書も色々持ってきてしまっているんだけど捨てがたい…山川歴史のやつ学校で使う普通の+自分で買ったハードカバーのごついばん+用語集セット並んでると気持ちいい…参考書も数学の青チャートとか好きだから置いておきたい…あと科学や社会の資料集とかいいよね…大学時代の教科書も今その専門は仕事にしてないから要らないんだけど1冊数千円するし情報更新しなきゃいけないとこ以外の基礎部分のは置いときたい…となると結局あれもこれも…あれもこれも捨てたくない…
新しくない新書…一昔前のムック本…小説…きっと読み返さないけど…思い切れない…
一方で一番好きであった所の漫画は、意外と思い切りよくばさっといける。なぜかというとすっかり電子書籍派になってしまったため、そっちで自分の生活の一部になっているから。電子書籍でなさそうなの残してあとはスッキリさせられそう。
しつこい男は嫌いだわ
なって見ると大したことない
いやいや、今時そんな高度なことまでしなくても、ブログで何か書いたり写真を載せたりするだけで、ファンとまではいかなくても自分に関心を持ってくれる異性との接点はできやすいよ。
なんで平和な世界になったのに火影のナルトは不眠不休で有給もない超絶ブラック労働で疲弊しまくってるんだ。
会社クビになったゲームプログラマーによる銀行強盗とか大企業を僻んだ金融格差是正デモとか起きてて、戦争後の木ノ葉隠れの世界観クソワロタ
ファンの間では「口パク」と呼ばずに「音源」と呼ぶこともあるようだ。
ソロパートは生歌で、サビは音源というのもよく見るパターンだ。
(ちなみに、口と音が合ってないから口パクだ、なんていうのをよく見るが、音源と生歌は、映像見なくても聞けば全然違うので、目をつぶっていても普通にはっきりとわかるものだと思うのだが。それくらいの耳は普通にあるよね……?)
それに加えて、「被せ」という、音源を流しながら、ユニゾンで生歌も歌うという手法もメジャーになってきた。
YouTubeでMR Removed、またはMR除去で検索すれば、音源の被せを除去して生歌だけを抽出した動画がたくさんあげられている。
特殊な処理をしないと生歌が聞き取れないくらいのボリュームで音源を流しているなら、口パクと何が違うのかとも思うが、ファンとしては「歌ってるから口パクとは全然違う」らしい。
被せを取っても上手いと賞賛されたり、あるいは全然歌えていないと嘲笑されたりしている。
アイドルというのは、歌手よりも歌が下手、ダンサーよりもダンスが下手、役者よりも演技が下手、芸人よりもトークが下手であっても支持を集める。
それは顔がいいからだ。芸が未熟、内面が未熟でも、容姿や若さ、つまり、性的な魅力で多くの人を惹きつける。
実力よりも顔、などと声に出して発言すれば、この当世、ルッキズムだなんだと指弾されるのは目に見えているわけだが、
我々民衆の内なる欲望というのは、政治的に正しくないというのも、また明らかなのだ。
顔のいいわかものが集まって歌舞音曲を披露しているのが見たいという需要は広く存在している。
しかし。
多くの場合天は二物を与えないので、容姿が抜きん出て秀でている場合、人を感動させるような歌唱の才能まで持ち合わせていることは、残念ながらない。
十年、数十年にひとりくらいはその両方を持ったスターが現れるだろうが、我々はスターが現れる数十年間を禁欲的に待っていることはできない。
そこで口パクだ。
どれだけおばさんおじさんが努力して歌を上手く歌ったところで、若くてかわいい女、男がにこにこしながら下手な歌ったほうが支持される。
しかしこれは程度問題であって、下手な歌というのは、我々に生理的な不快感をもたらしてしまう。
どれだけ容姿がよくても、ピッチや音程のはずれた歌を歌ってしまえば、それが見るに値しないもの、不快で幼稚な出し物であることが露わになってしまう。
人は下手な歌に耐えられない生き物なのだ。