ファンの間では「口パク」と呼ばずに「音源」と呼ぶこともあるようだ。
ソロパートは生歌で、サビは音源というのもよく見るパターンだ。
(ちなみに、口と音が合ってないから口パクだ、なんていうのをよく見るが、音源と生歌は、映像見なくても聞けば全然違うので、目をつぶっていても普通にはっきりとわかるものだと思うのだが。それくらいの耳は普通にあるよね……?)
それに加えて、「被せ」という、音源を流しながら、ユニゾンで生歌も歌うという手法もメジャーになってきた。
YouTubeでMR Removed、またはMR除去で検索すれば、音源の被せを除去して生歌だけを抽出した動画がたくさんあげられている。
特殊な処理をしないと生歌が聞き取れないくらいのボリュームで音源を流しているなら、口パクと何が違うのかとも思うが、ファンとしては「歌ってるから口パクとは全然違う」らしい。
被せを取っても上手いと賞賛されたり、あるいは全然歌えていないと嘲笑されたりしている。
アイドルというのは、歌手よりも歌が下手、ダンサーよりもダンスが下手、役者よりも演技が下手、芸人よりもトークが下手であっても支持を集める。
それは顔がいいからだ。芸が未熟、内面が未熟でも、容姿や若さ、つまり、性的な魅力で多くの人を惹きつける。
実力よりも顔、などと声に出して発言すれば、この当世、ルッキズムだなんだと指弾されるのは目に見えているわけだが、
我々民衆の内なる欲望というのは、政治的に正しくないというのも、また明らかなのだ。
顔のいいわかものが集まって歌舞音曲を披露しているのが見たいという需要は広く存在している。
しかし。
多くの場合天は二物を与えないので、容姿が抜きん出て秀でている場合、人を感動させるような歌唱の才能まで持ち合わせていることは、残念ながらない。
十年、数十年にひとりくらいはその両方を持ったスターが現れるだろうが、我々はスターが現れる数十年間を禁欲的に待っていることはできない。
そこで口パクだ。
どれだけおばさんおじさんが努力して歌を上手く歌ったところで、若くてかわいい女、男がにこにこしながら下手な歌ったほうが支持される。
しかしこれは程度問題であって、下手な歌というのは、我々に生理的な不快感をもたらしてしまう。
どれだけ容姿がよくても、ピッチや音程のはずれた歌を歌ってしまえば、それが見るに値しないもの、不快で幼稚な出し物であることが露わになってしまう。
人は下手な歌に耐えられない生き物なのだ。