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はてなキーワード: 大戦争とは

2022-03-12

20世紀、前半は英欧の大戦争で、後半はその他の地域戦争

21世紀、前半は同じく英欧周辺の戦争

70年で3世代過ぎて昔の英欧戦争国連英雄の爺様婆様没した、新たに模範的ベテラン伝説必要だ、そうでなきゃ軍の士気が上がるわけもない、組織とはそういうもの

とかブラックロック電通的な空耳がする

2022-03-11

ロシアウクライナ化学兵器使う可能性 米報道官が警戒呼びかけ」

https://www.bbc.com/japanese/60686523

ウクライナ化学兵器を使ったと言いがかりをつけて核や化学兵器使用の口実にするかもって。

これはヨーロッパ大戦争になるかもね。

2022-03-05

ウクライナチームVSロシアだと思ってたのに、西チームVS東チームになってて笑うんだが

この状況でロシアに仲間ができるとは思わんかったわ

ゆーてユーラシアの1/3ぐらいの規模あるからインドチームが鼻くそホジって見守ってた場合ユーラシア東西真っ二つの大戦争の構図なんだよなあ……

大戦争になるから行かないって

消防士が👩‍🚒熱そうやしいかんわ

みたいな。

ひどない?

2022-03-02

anond:20220302052152

兵糧攻めしたらつぶれる前に一発逆転狙って大戦争起こすのが歴史の常だぞ。

日本太平洋戦争で勝ち目のないアメリカへの宣戦布告をしたのだって兵糧攻めされたからだ。

兵糧攻め戦争リスクを高める行為しかないぞ。

戦争したがりさんか?

2022-02-25

ウクライナ戦争が第二次大戦後の最大戦争、という論調

君等の中ではあの朝鮮戦争カウントされてないんだな、という驚き。

白人視点の偏り、歴史観の偏りは理解していたつもりだったが、ここまでか。

オーカスの連中も国連軍形成してガッツリ戦ったあの戦争カウントしないという。

イヤホントすげえな。

中台紛争を軽くみて中共に肩入れする欧米白人がつい最近まで跋扈してたのも納得だわ。

アジア視点から完全に消えてる。

2022-01-24

幸せな人も増えたんだろうけど

15世紀欧州はとにかくカトリック教会領地を持っており、そこでコロンブス新大陸発見

ハプスブルク新大陸司教領必要か?現地人から搾取しないと身内に負けるだろう」そこで証券取引所設立プロテスタントが蜂起

16世紀ヴェストファーレン条約カトリック協会からやや独立した国がいくつかできる

17世紀新大陸は各国のプロテスタントがほぼ占領ハプスブルクオランダユトレヒト司教領占領江戸カトリック弾圧

19世紀には学者派のイェーリングが嘘による搾取犯罪化したが、20世紀植民地解放大戦争時代を経て

21世紀証券取引所は当然まだあるし詐欺もなくなってない

2022-01-02

ちょっとまって!つまり今年の成人式は3倍になるの!

2020

18:未成年

19:未成年

20:成人≒成人式出席

これが!


2021

18:成人≒成人式出席

19:成人≒成人式出席

20:成人≒成人式出席

になるってことじゃん!!!


シャアザクですら「性能的には通常の1.3倍。壁キックめっちゃ上手いので結果的に3倍」なのに、大本の数値がガチで3倍!!!

これはやばいよ?

今まで使っていたホールに成人を詰め込んだら今までが乗車率80%ぐらいだったのが乗車率240%で完全に満員になるってことだよ。

じゃあでかいホール使えばいいかとなっても普通は近所にはない。

まりはある程度の人数を集めてスーパーかいホールでやるわけ。

これはやばいよ。

地区の成人とぶつかりあったら「どっちの成人が強いか」でヤンキーバトルが始まるのは必然

しかも人数は3世代分。

全校生徒全員VS全校生徒全員みたいなもんだよ?

しか複数地区複数の学区から一斉に集まって。

ソレこそ縄張り争いのいざこざなんかも引きずってくるだろうし、現役が混じってきていよいよカオスになること間違いなし。

ヤバイヤバイよ。

大戦争だよ。

マジ大丈夫

終わるんじゃないの日本

滅びるんじゃないの恥丘?

2021-12-16

anond:20211216131832

遅きに逸した感だよな。俺の周りはテスラリーフに買い替え済みで、

買い替えは5~10年後。




軍靴の音が聞こえる。。。ハルノートで八方塞がりでやむなく、だな。来年には「テスラトヨタ」5年後は「テスラ市」に改称してそう。

大戦争に参戦表明

anond:20211216124513

やっとトヨタEV大戦争に参戦表明した。これで日本EVシフトも一気に進むぞ。よかったよかった。肝心のEVは、2030までに発売するというだけで、スペックも値段も発売時期も分からいか判断保留かな。

という顔をしてます

とりあえず日本EVシフトが一気に進みそうなのは嬉しいニュースです。自宅充電できるEVが持ち家が多い地方で普及して、地方ガソリンスタンドが滅んだら、EVシフトさらに加速するんだろうな。楽しみ。

2021-09-12

にゃんこ大戦争の最大のクソゲー要素

お宝ドロップ(しない)

出現率超アップなら最低でも2回で必ず出るようにしろ

変わり映えしないステージを数分かけてクリアするなんて2回が限度なんだよ

5回続けて出なかった時点でアンスコしたわ

2021-08-09

続:世界大戦争芸術

anond:20210809040759

続き

3.ガウガメラの戦い

 ガウガメラの戦いは、紀元前331年ヨーロッパ東方ペルシアにおいて、当時のアケメネス朝ペルシャの本軍と、アレクサンドロス率いるマケドニア軍が激突した戦いである。

 これまで取り上げている二つのいから分かるように、戦争芸術定義は「圧倒的な戦力差、戦略的不利を、指揮官の機転によって打破する」ことにある。このガウガメラの戦いはそのような意味合いで、戦争芸術極致と言える。


 当時ギリシャの一小国に過ぎなかったマケドニアは、アレクサンドロスの父であるフィリッポス二世の尽力によって急速な軍事政治改革を遂げ、瞬く間にギリシャ全土を手中に収めると、フィリッポス二世の死後マケドニアの実権を握ったアレクサンドロスの指揮下、紀元前334年ボスポラス海峡から小アジアへと渡り、東の大国アケメネス朝ペルシャに対し征服戦争を仕掛けた。これが世に名高い東方遠征である

 その後十年の長きに渡って続いた戦いは、アレクサンドロス企図した、アレクサンドロスによる、アレクサンドロスのための戦いであった。

 アレクサンドロスは紛れもない西方世界英雄であり、破壊者であった。当時アレクサンドロス破壊し、虐殺・略奪を行った都市は数多に渡って存在している。


 アレクサンドロスの猛進を前に、時のペルシア王ダレイオス三世ペルシア西岸イッソスにて、王自ら率いる五万以上の軍勢をもって決戦を挑み、敗北した。数的優勢に立ったペルシア軍は川を挟んでマケドニア軍に対峙し、防衛を試みるが、果敢にも渡河を遂げたアレクサンドロスを前に有効機動戦法が取れず、壊走したのである。ダレイオス三世自身が率いるペルシア本軍敗北の衝撃は余りあるものであり、敗戦の後、ダレイオス三世は堪らずアレクサンドロスへと講和を願い出ているものの、アレクサンドロスはこれを一蹴している。

 それから二年、ダレイオス三世アレクサンドロス本隊を壊滅させるべくイッソスの戦いを上回る規模の軍勢招集し、ガウガメラ荒野にてアレクサンドロス軍を迎え撃とうとしたのであった。これがガウガメラの戦いである。


 この一戦のためにダレイオス三世はありとあらゆる準備を重ねた。

 第一に、(当然のことながら)数的優位を築くこと。マケドニア軍五万弱に対して、この時ダレイオス三世招集した軍勢傭兵を含む十万以上であり、つまりアレクサンドロス軍の二倍以上に当たった。この規模の軍隊は当時の兵站で維持可能な最大レベル軍隊と言え、当時におけるペルシア軍の威信の程が推し量られる。

 また、彼らの戦いの数百年の後に行われたカンナエの戦いにおいて、勝敗を分けたのは騎兵戦力の優劣(とハンニバルの用兵)であったことは先述の通りであるが、マケドニア騎兵七千に対してペルシア騎兵の数は一万を超えており、質はともかくとして量においてはペルシア軍はマケドニア軍を圧倒していた。ここにおいても油断は無かった。

 更にダレイオス三世は当時最新鋭の兵器の一つであった戦車チャリオット)を陣中に大量に配置した。これは複数軍馬によって牽かれる戦闘用の馬車のようなもので、車輪の左右には鋭利刃物が取り付けられると共に、車上には弓兵が配置されており、通常の歩兵戦闘において絶大な威力を発揮する筈であった。ダレイオス三世はこのチャリオットの突進力によってマケドニア軍を圧倒しようとしたのである

 また、ペルシア軍は戦場の整備をも欠かさなかった。チャリオットの機動を阻害する石や木の根などの障害物を、決戦の事前に排除しておき、イッソスの戦い(ペルシア軍は閉所にて有効な機動ができず壊滅した)で舐めた辛酸を繰り返すまいとしたのである

 相手に倍する軍隊、奥の手としての秘密兵器駄目押しにその秘密兵器の機動を有利にする戦場整備、限りなく万端に近い準備の上で、ダレイオス三世は決戦の時を待った。


 紀元前331年10月1日ペルシア軍とマケドニア軍の双方はガウガメラの地にて対峙し、戦闘を開始する。

 この時、マケドニア軍の司令官であるアレクサンドロスの立てた作戦シンプルものだった。それは、緒戦から防衛に徹し、敵の隙を見て騎兵突撃させ、敵の本陣を陥れるというものであった。

 言うは易しだが、何しろマケドニア軍とペルシア軍の数的差は一対二であり、言い換えれば、敵軍には五万以上の余力があった。そんな状況で、本来であれば隙など生まれる筈はなかったのである

 開戦直後、アレクサンドロスは全軍を緩やかに右斜め前方へと斜行させる。本来であれば軍隊の斜行は自陣に綻びを生む可能性の多い行動であり、採用されることはまず無かったものの、アレクサンドロス自軍の機動に合わせてペルシア軍の不用意な機動を誘った。案の定、折角整備した戦場から離脱されることを恐れたダレイオスは、三方(正面、右左翼から雲霞のごとき兵数を動員し、マケドニア軍を包囲しに掛かった。


 その大軍王道とも言うべき用兵に対抗するべく、アレクサンドロス自軍純粋な横列ではなく、左翼右翼を折り曲げた弓状に変形させており、この鉤状になった右翼左翼を持ってペルシア軍の猛攻を受け止めようとした。

 しかし兵数の差が決定的であったこから、持久戦となればマケドニア軍の敗北は自明であった。左右のいずれかを突破され、後方にペルシア軍の進撃を許した時点で、マケドニア軍の崩壊は決定づけられる。更には、マケドニア軍正面にはペルシア軍の虎の子であるチャリオット隊の猛攻が迫っていた。


 とは言え結論から言えば、このチャリオット隊の猛攻をマケドニア軍は退ける。

 曰く、マケドニア軍は軍馬というものの持つ本能――顔面鋭利物体(槍など)を突き付けられると足を停めてしま本能や、チャリオット特有の旋回能力の低さを突いたと言われている。つまりチャリオット突撃部隊の散開によって躱し、その後方から弓などの武装によって攻撃を仕掛けたのである。恐らくは事前の情報やこれまでの戦闘からマケドニア軍は対チャリオット戦術を磨き上げており、どのような場面においても遅れを取ることはなかったのであろう。

 これらの柔軟な対応によって、マケドニア軍に対する有効戦果を挙げることのできないままチャリオット隊は壊滅することとなる。


 さらには、マケドニア軍両翼はその圧倒的な数差にも関わらず極めて堅陣であり、容易に抜かれることは無かった。強いて言うならば、アレクサンドロス本人が率いる右翼騎兵に比べ、左翼を指揮するパルメニオン将軍は劣勢を訴えていたものの、それでもペルシア軍の猛攻をひたすら受け止め続けていた。

 ダレイオス三世の予想に反し、戦況は膠着状態に陥る。ダレイオス三世本来であれば本陣防衛に充てるはずであった予備兵力騎兵を動員し、マケドニア軍両翼の騎兵に対する圧迫を増大させようとした。短期決戦によってマケドニア軍を壊滅させようとしたのである


 この決戦から二千年以上もの時が流れた後では詮無い事だが、この時ペルシア軍が持久戦に徹し、その両翼での戦闘を維持し続けていれば、ガウガメラの戦いにおける帰趨は逆になっていたかもしれない。

 しかし、ダレイオス三世はその判断を逸した。

 アレクサンドロス超人的な直感によりペルシア軍の崩壊予知した。右翼防衛に当たっていた自ら率いる騎馬隊を突如ペルシア軍正面へと転換させ、両翼へと予備兵力を割いたために手薄になっている、ペルシア本陣のダレイオス三世を狙ったのである。当時、マケドニアの率いる騎兵部隊、いわゆるヘタイロイ騎兵世界においても有数の練度を誇っており、その突進力は歩兵にとって純粋な脅威であった。ヘタイロイ騎兵の突進により、ペルシア本陣のダレイオス三世位置を告げる軍旗が大きく揺れる。ペルシア軍を支える精鋭である親衛隊は敢然とその侵攻を阻もうとするが、アレクサンドロスの猛進は止まることはなかった。

 やがて、ダレイオス三世本陣の上に翻る軍旗は逃走を始め、アレクサンドロスはその追撃へと移った。ガウガメラの戦いの勝敗はここに決したのである


まとめ

 諸君、私は戦争が好きだ。

 この地上で行われるありとあらゆる戦争行動が大(ry

 参考文献:ttps://www.youtube.com/channel/UC5dzkTCM0Jxnc5widb8arDw

世界大戦争芸術

世界大戦争芸術

1.アウステルリッツの戦い

 西暦1805年冬、ナポレオン率いるフランス大陸軍六万と、ロシアオーストリア連合軍八万がウィーン近郊のアウステルリッツプラッツェン高地西方で激突した。

 フランス軍は当時のロシア軍に対し数的劣勢であったことに加え、アウステルリッツにおいて最重要拠点であるプラッツェン高地ロシア軍に占拠されていたため(一時はフランス軍によって占拠されていたものの、明け渡された)、当時フランス軍にとって有利な状況は何一つ存在していなかった。その上、アウステルリッツ南北双方からは敵増援が到着しつつあり、これら増援ロシア軍が合流を果たせばフランス軍には万に一つの勝ち目も無かった。

 このことからナポレオンは開戦直前に停戦交渉を行う。

 しか連合軍は数的優勢、土壇場になって停戦交渉に打って出たナポレオン弱腰さらには戦場における最重要拠点であるプラッツェン高地を手中に収めていることを鑑み、勝機ありと見た末に停戦交渉を撥ね退け、フランス軍との大規模会戦に打って出たのである。それらが全てナポレオンの張り巡らせた罠であるとも知らずに。


 1805年12月2日、戦端はロシア軍の先制攻撃によって開かれる。プラッツェン高地南方にて、フランス右翼の守るテルニッツ村が攻撃を受けた。

 当時の布陣図によれば、フランス右翼は極めて脆弱であり、ロシア軍はそこを弱点と見做し自軍左翼のブクスホーデン軍を急行させたのである南北に伸びたプラッツェン高地から出撃したブクスホーデン軍によって、フランス右翼陣地はあわや撃滅されようとしていた。右翼が壊滅すれば突破したロシア軍はフランス軍後方へと迂回し、中央フランス主力部隊挟撃することができる。そうなればフランス軍は終わりである

 しかし、まさにその瞬間に――ブクスホーデン軍がプラッツェン高地から、地上のフランス右翼へと殺到し始めた瞬間に――ナポレオン勝利確信したのである


「もしも、ロシア軍が右翼へ向かうべくプラッツェン高地を離れたなら、彼らは確実に敗北するだろう」  - ナポレオン

 フランス右翼は囮であった。ナポレオンの狙いは、ロシア左翼フランス右翼攻撃するために進撃を開始した瞬間に、手薄になった中央プラッツェン高地を集中攻撃することにあった。

 これによって、重要拠点であるプラッツェン高地ロシアから奪回し、戦場の主導権を我が物にしようとしたのであるさらに、アウステルリッツ会戦当日にはプラッツェン高地周囲の森には深い霧が立ち込めており、この霧の存在ナポレオン企図を助けることとなった。

 ロシア左翼プラッツェン高地から出撃して間もなく、スルト元帥麾下の第四軍団14000がプラッツェン高地中央部を急襲し、霧の中突如として現れたフランス軍を前に、ロシア中央は総崩れとなる。また、脆弱だった筈のフランス右翼も、ダヴ―元帥麾下7000の部隊が後方都市から到着したことで、数的劣勢を克服し、戦況を盛り返しつつあった。

(開戦前日にダヴ―麾下7000の部隊は密かに戦場へと到達すると、言わば伏兵として右翼後方に待機していた)

 やがて激烈なフランス軍主力の攻撃により、ロシア中央は壊走を始め、プラッツェン高地フランス軍により奪回された。同時に、フランス右翼攻撃のためにプラッツェン高地から地上へと降り立っていたロシア左翼は、敵陣の中孤立することとなり、戦局はここに決したのであった。


 ロシア軍は戦端を開こうとせず、増援の到着を待ち戦力を増強しさえすれば、少なくともフランス軍との直接対決において敗北を喫することは無かったであろう。

 しかし、ナポレオンはその裏を掻いたのである。彼はロシア軍が友軍と合流する前に会戦の火蓋を切って落とし、大規模な会戦に持ち込むことで、いち早く敵軍主力を撃滅することを画策したのだ。そのために、敢えて戦力劣勢を露呈し、戦場の最重要拠点を敵軍へと譲り、尚且つ弱気姿勢を見せるために仮初の停戦交渉さえして見せたのである。とどめには、勝機に逸るロシア軍の中央攻撃するために、敢えて右翼の布陣を脆弱にするという周到さであった。それら全ての罠がロシア軍の判断能力を奪い、かくしてロシア連合軍八万はアウステルリッツの地にて壊滅したのだ。

 かの有名な書物戦争論』の中で、著者であるプロイセン将校クラウゼヴィッツはこの戦いを次の言葉概括している。 「戦争芸術の粋」。


2.カンナエの戦い

 紀元前219年、遥かアフリカ北端国家カルタゴ将軍ハンニバルは、当時世界最大の強国であった共和制ローマ相手取り絶望的な戦いを挑んでいた。

 その絶望的な戦況を好転させるため、ハンニバルは自ら率いた精鋭部隊スペインからアルプス地方へと経由させることで、ローマの中枢であるイタリア半島本土に対し直接攻撃を仕掛けたのである

 最終的に、ハンニバルイタリア半島に十年間留まり、その間絶えずローマ軍に対する圧迫を続けた。その十年の戦いにおいて世界戦史上に燦然と煌めく、もっとも著名な戦いこそがカンナエの戦いである。


 ハンニバルアルプス山脈を越えイタリア北部に侵攻すると、次々と現れるローマ軍を待ち伏せや正面突破によって壊滅させ、イタリア半島南方へと進撃した。当時、快進撃を続けるハンニバルは数万の軍隊を維持するべく、イタリア半島各地で略奪を行っており、農村を中心に甚大な被害が上がっていたこからローマ軍首脳のストレスピークに達していた。更に、イタリア半島南部においてはローマ軍の補給基地存在しており、そこをハンニバルに抑えられるとローマ軍は南イタリアでの行動を制限される可能性があった。そのため、ローマ首脳陣はカルタゴ軍を撃滅するべくローマ史上最大規模の部隊を編成し、約八万の軍を執政官パウルスとウァロに指揮させた。この時、決戦の地に選ばれたのがイタリア南方カンナエである

 決戦の舞台となったカンナエは、川と丘陵地帯に挟まれた地形であり、カルタゴ軍約五万とローマ軍七万は平原ほとんど埋めるように布陣し、正面からかい合った。

 両軍は双方ともに両翼に騎兵部隊を、中央歩兵部隊を配置しており、いかにも窮屈そうな陣形であった。

 しかし、この人馬が埋め尽くす不自由戦場は、後に分かる通り、ハンニバルの用意した殺戮舞台としてはうってつけのものでさえあった。


 戦端は両翼の騎兵部隊同士の衝突によって開かれる。

 ローマカルタゴ双方の騎兵隊は、狭い地形において機動戦法を取ることができず、正面からぶつかった。

 歩兵戦力ではローマカルタゴで比べるべくもない数的差(6万強:4万)が開いていたが、騎兵の質、量においてはカルタゴ軍がローマ軍を上回っており(6500:1万)、カルタゴ軍は開戦から僅かな間に、左翼での騎兵部隊戦闘において優勢に立っていた。単純な数的有利から繰り出される圧力と、また練度の違いによりローマ騎兵は瞬く間に圧迫され、その算を乱していった。


 一方歩兵部隊における戦力差は繰り返すように圧倒的であり、歩兵同士の戦闘に限ってはカルタゴ軍がローマ軍に勝利する公算は無かった。

 そのため、ハンニバルは一計を案じた。

 ハンニバルカルタゴ歩兵陣形をお椀のように変形させ、その弧を描いた部分をローマ中央歩兵部隊と接敵するようにしたのである。これによって接敵する面積をできるだけ減らし、中央突破されるまでの時間を稼ごうとしたのだ。ハンニバル歩兵同士の戦闘をできるだけ遅滞させ、両翼の騎兵部隊が優勢に立つのを待った。

 また、ハンニバルはお椀型をしていた陣形を、戦闘が推移するに従って屈伸させ後退させた。当初の形(お椀の底の部分が接敵する形)とは逆に、ローマ軍の大半をお椀の中へと誘い込んだのであるさらに、ハンニバルは温存していた自軍左右の重装歩兵ローマ軍へと攻撃させ、ローマ歩兵挟撃される形を築こうとした。

 とは言えこの時点ではカルタゴ軍によるローマ軍への包囲は決定的ではなく、ローマ軍は歩兵戦闘において依然優勢な状況にあった。そのためローマ軍は、優勢な戦況を継続し、カルタゴ中央突破することで戦局を優位に進めようとした。


 ところがその時、歩兵部隊の両翼で戦闘を行っていたカルタゴ騎兵が、歩兵同士の戦闘に加わったのである

 戦端より優勢を維持していたカルタゴ騎兵は、ローマ騎兵を壊滅させた後に、敵歩兵部隊無防備な背後を攻撃した。左右を川と丘陵に囲まれ陣形の狭さ故に、ローマ騎兵有効回避機動を取ることができず、瞬く間にカルタゴ騎兵によって殲滅されたのであった。

 ただでさえカルタゴ軍に包囲されかかっていたローマ軍は、後方から攻撃を受けることによって決定的な混乱を迎えた。周囲を完全に包囲されたローマ軍は逃げ惑い、歩兵中央部では逃げ惑う味方の身体に押されて圧死する者も現れたという。

 この戦いによってローマ軍7万の部隊は完全に壊滅し、6万人が死傷、また、残る1万人は捕虜となった。


 地形を有効に利用し、敵軍を機能不全に陥らせ包囲殲滅する戦法は、いわばハンニバルの御家芸であった。

 機動部隊同士の戦闘を優勢に進め、敵軍を包囲殲滅するこの戦法が、以降近現代軍事教本に取り上げられ、カンナエの戦いのハンニバルに帰する栄光が不動のものとなったことはあまりにも有名であるハンニバルイタリアの地にてローマ軍を完全に破った。この戦闘によって、当初戦闘に参加していた元老院議員政治家八十名が戦死し、議員定員約300名のローマ議会における四分の一が戦死することとなる。


 続く:anond:20210809041010

2021-06-02

米中開戦フラグたった

100年に1度のパンデミックの後に、100年に1度の大戦争まで体験できるとは

素晴らしい。

2021-05-23

anond:20210523003100

宿題が親子関係大量破壊兵器になったパターンです。

父(私。発達)

母(妻。健常)

元増田はすごい。尊敬する。

うちのもwisk150くらいの発達、宿題に限らず、既に理解したつもりのことを繰り返すことを嫌悪し、やれというと大暴れ。

音読は超高速で読み、意味を感じなかったが、やったことだけで万々歳。

苦しいのは、漢字計算ドリル

一周目はまだ嫌がりながらもやるが、なぜか現れる2周目、もう大戦争

やれば10分で終わることのために1時間近く押し問答。特に健常の妻はこのバカバカしさが全く理解できないため、我慢し切れず叱ってしまうことも。

こちらが諦めて出さないことを了承したものの、学校教師から宿題をださないことを責められ、学校に行きたがらないように。

もともと社会性が低いことを親としても心配していることもあり、不登校は避けてほしいという気持ちを拭い去れず、なんとか行かないか、と説得するも、ムダな上に、学校に行かないことがいわゆるフツウではないことに本人も気づいているが、嫌だという気持ちが勝ってしまいら言い争いになるだけ。

私も発達である自覚はあるが。社会性は高く、人付き合いに困ったことはないし、宿題を忘れてもヘラヘラしていた。親子で発達でも表現形は全然違う。

ふとした時に、「なんでこの子はこうなんだ」という気持ちが込み上げてきて、言ってはいけないとわかっている一言

飲み込めない。

宿題ぐらいやれよ、納得がいかないことでもやらないといけない場面があるんだ!」

言った自分で嫌になる一言私自身、発達の巣窟のような職場仕事しているが、近年常識の波が押し寄せてきて、こんなに打たれ弱くて、この子は、私の職場ですらうまくやっていけないのではないだろうかという不安が口を開かせてしまう。

親に味方でいてほしいはずなのにこんなことを言われ、心穏やかにいられるわけもなく、癇癪で答える子と、うまく対応できない自己嫌悪の親による争い。しんどい

「もういいよ、宿題なんかやらなくても。」と言うことにしていったんは平穏を取り戻し、学校にも行けるようにはなったが、宿題ぐらいやってほしいな、という気持ちを抑えるのは大変。

元増田みたいに工夫することも出来なかった。

中学は近所の公立中はやめたほうがいいかと思い、公立中高一貫校を調べると、これでもかというくらい課題がでると知り、諦めた。

金銭的に余裕はないが、ガバガバ校則ゲキユルで有名な某私立中学になんとか合格したので、この春から通い始めたが、意外に宿題は出る。ただ、無意味と思える反復練習はないし、内容的にも歯応えがある。それだけでなんとかやれるようで、友達学校でやってから帰ってくるようになった。

公立小にきめ細やかな指導は望むのは酷なのはわかるから、できないことは理解して、出来ないならそれで構わないとだけ言って欲しかった。

anond:20210523100645

過去の正しいこと詰合せだと思うよ。

ただし、人間は昔は人間関係社会のほうが関心があったからそちらに関心を持った。キリストとか釈迦とか孔子マホメッド人間社会はこうじゃないかと考えて、実際それなりに正しかたから後世に受け継がれていった。

だけども、「聖書が正しい」(プロテスタント)と、「聖職者が正しい」(カトリック)で大揉めにもめて戦争になって「明証分析総合枚挙からなり、合理的批判に耐えられたものは正しい」(科学)がうまれた。

しか科学は振れが多くて明証分析がなせないものは苦手とする。だから一番の根っこの人間関係社会については苦手。統計で頑張ればギリギリいけるか?ではある。

それからそもそもが人の心を惑わす手法はいくらでもある。無論それも宗教内で語られたりする。なので、プロテスタントカトリック大戦争以前は、人の心を惑わす連中は異端審問として潰されていった。

だけど信教の自由を掲げるということは人の心を惑わす手法で騙す連中がのさばるということでもあったと思う。

人の心がまどうのはやはり何らかの苦しみがあるから。苦しんだやつが適切に救われることだと思う。一番近いのは人間心理関係研究が進んで、精神医療カウンセリングかと思うけどね。

2021-05-01

anond:20210501173310

にゃんこ大戦争かなあ。

無課金でもとりあえず一通り日本全部と世界全部はクリアできる。

そもそもしか基本ユニットが優秀だったと思う。随分前にやめたかうろ覚えだけど。

(上を目指すと宇宙編とかゾンビステージとかキリがないけど)

2021-03-13

まちがっても本採用されないようにつくったCVが、味があって面白い 絵をCVにあわせてー

男の名前ビル・ゲイツ(仮タイトル

西暦201X年 銀行長高速オンライン決済AI暴走 悪のAI正義AIに別れ

大戦争を開始

正義AI 国民よ私に力を貸してください 我が名に従え人間よ あなたたちのためなのです

悪のAI 我に従え国民よ!望むままに生きるのだ!

 

大混乱に陥る長高速オンライン取引

 

そんななか、男は現金を紙の紙幣で配り始めた(どこ吹く風) 光よりも早く待て次号

 

ごぉぉぉぉぉ(まっ先に炎上する水のクリスタル銀行 CV 乃本坂94 スポンサーの方はすでにサンプルがあるので事務所まで 気が抜けたやる気のなさっぷりがプロ

 

あのハリウッドさんバージョンアップいそいでー

2021-01-26

anond:20210126012231

秀吉は、木材資源利用令で、西欧にもどんどん木材を輸出したのでハゲ山と川の氾濫が増えた。西欧はその木材海軍をどんどん増強したので、植民地を巡る国家間大戦争が絶えなくなり治安悪化したが、競争原理による産業革命で再び発展しはじめ、植民地主義を止めてからは一応平和条約の元にある

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