はてなキーワード: ミニライブとは
新宿メトロプロムナードにて実施されていたデレステ広告ジャック企画にて、「最終日の最後に流されたMVにコールが入ったり、終了後に『アイマス最高!』をやっている人がいた」としてTwitterで話題になり、批判ツイートも相当な数になった。
それ自体は当然の流れだと理解できるが、いろいろ見ていると中には「拍手も迷惑行為だ」「MVが終わるごとにスタッフが拍手を促しているのを見て冷や冷やしてた」という意見も散見された。正直言うと、私にはその「拍手も迷惑行為」というのが理解できなかった。もう少し正確に言うと、拍手に言及して良識派を気取ってる人々の考え方が理解できなかった。
そこでこうして私見を書き殴っている次第である。
まず言いたいのは「スタッフがOKとしているのであれば、それは許可された行為なのでは?」ということである。
先程も述べたが、MVで1曲終わる度に拍手をするのはスタッフ側から促された行為である。つまり、イベント運営側としては拍手は「問題ない行為」と認知されていることになる。その運営側から容認されている行為を批判するのは的外れなのでは?というのが、私の意見である。
そういうことを言うと「スタッフだって間違うこともある。下手な運営だって有り得る」と言われるのが目に見えているが、今回に限って言えばそれは無いと私は思っている。と言うのも、今回のイベントに関しては運営側(スタッフ)は「イベントに関係ない一般の方に可能な限り迷惑をかけない」という一点に関しては物凄く気を配っているからだ。
実際に現地に行った人ならばわかると思うが、今回の現地では、展示物の前以外の場所で少しでも立ち止まると、即座にスタッフから移動するように注意されていた。特に両サイドの柱の間、中央の通行スペースは、一瞬でも立ち止まるとすぐにスタッフが飛んできた。また、展示物の周辺でも柱の内側をほんの少しでもはみ出すとすぐに注意された。一般の通行人の邪魔になることを極力回避しようとしているのが伺える。
また、展示物と反対側の壁、常設の店舗が並んでいる辺りの間にちょっとしたスペースがあり、初日・2日目ぐらいの頃にはたくさんのイベント参加者がそこで休憩していた。ところが最後の方になると、そのスペースはいつの間にかロープが張られ封鎖されていた。恐らくそのスペースの両側の店舗から苦情が入って対応したのだと思われる。
今挙げたのはほんの一例だが、このように今回の運営は相当気を配っているというのがわかる。話を戻して拍手についてだが、もしそれが最初に一部のスタッフが勘違いして始めたのであれば、そのスタッフは注意されて随時修正されるはずだ。それが為されず最終日の最後までずっと続いたということは、運営が拍手は問題ないと判断していると思って間違いない。先述の通りここまで神経質になっている運営の判断であれば、それに従えば迷惑行為にはならないと私は考えている。
MV終わりに拍手をしていたのは、初日からずっと繰り返されてきたことである。それを6日目までは何も言及してなかったのに、最終日になって急に槍玉に上げ始めた人が本当に多い。あたかも「今まで言ってなかったけど、実は自分もそう思っていた」とでも言わんばかりである。
ずっと思っていたのなら最初からそう言えばいい。何なら、現場でスタッフに直接言えばいい。それをせずに最後だけ周りの空気に便乗して好き勝手言うのは、いささか無責任ではなかろうか。もっと 有り体に言えば、「本当に自分で考えてそう思ってる?周りがそう言うから合わせただけじゃないの?」という印象を受けた。
付け加えるなら、オープンスペースでのイベントで言うなら、デレマス2周年記念イベントが新宿アルタ前で行われた時のことを思い出して欲しい。あの時はミニライブがあったとはいえ、ライトも振るしコールも全力という有様だった。当然一般人がすぐ傍を通るし、新宿駅のホームまでコールが聞こえたという報告もある。だが、それをネタにして笑う空気はあったが、真面目に批判する人がどれだけいただろうか?
アレをネタで済ませる人と同一人物が、たかだか拍手程度を批判している。この状況に違和感しか無い。
上記のような状況を踏まえてなお、拍手を問題視する人たちは、一体何を根拠にしてその判断をしているのか、私にはわからない。これだけ神経質になり、また場所を提供しているメトロからの苦情情報等も直接聞ける運営と、そういった批判する人々の素人判断と、どっちが信用に足るかという話である。
「公共の場で騒いではいけない」というのは一般常識であり、それ自体を否定する気は毛頭ない。だが、あの場は果たして拍手を封じた程度でどうにかなるような場なのだろうか?
そもそもあの場は、過去に実施された広告企画とは根本的に違う。MVで音楽は流すし、ぷちデレラのムービーでもBGMが流れているし、時折ぴにゃこら太も鳴く。アクリルパネル展示のエリアも音楽が流れてる。
そんな中で拍手だけを禁止した所で、一般の通行人の印象が変わるだろうか?ハッキリ言ってしまえば、拍手があろうが無かろうが「五月蝿い、邪魔」という印象は変わらないだろう。拍手が無くても音楽がガンガン鳴っているのだから。
無論、「音楽があるのだから」と言っても、騒音を倍増するような行為はしてはいけない。コールがそれに該当する。だが、スタンディングオベーションで拍手喝采という程の物ではなく、音量としても音楽と大差ない程度のささやかな拍手まで禁止して、騒がしさが変わるだろうか?要するに「運営が想定している騒音レベルを超えるか否か」という話であり、あの程度の拍手はそれを超えないというだけのことである。
以上を踏まえた上で「公共の場で騒いではいけない」という一点のみを強調して拍手を批判する人たちは、今回の特殊な状況を考慮に加えず杓子定規に判断しているとしか思えない。敢えて大袈裟な言い方をすれば、一種の思考停止である。
それでも拍手を批難できる理由があるのであれば、是非教えて欲しい。
ミリオン3rdライブの際に一部の広告が撤去された件を引き合いに出して「あれを繰り返すのか」という話も見受けられたが、私の知る限りではエスカレーター逆走等が原因だったはずなので、今回と同列で語る話題とは少しズレる気がする。
2日目の「柱に蹴りを入れた」という件や、最終日の「アイマス最高」の件等、明らかに逸脱した行為を批判するのは理解できるが、ここまで述べた通り拍手のような大事でもないことを手放しに批判できるほど、自分に傷が無いと、やましいことが一切無いと断言できるだろうか?
話題がコールや拍手等の「音声」の問題にばかり傾倒しているが、迷惑行為と呼ぼれる物はそれだけに限らない。先程の蹴りの件はその際たる例だ。
柱の話になったのでそちらで例を挙げると、百歩譲って柱のアイドルの写真を撮る行為はまだわからなくもない(それでも一般の通行人から見たら奇異に見えるだろう)が、柱に抱きついたりしてるのが果たして一般人に良い印象を与えていると言えるだろうか?Twitterでは柱に眼鏡をあてがった写真やメジャーで高さを測った写真が随分とRTされたようだが、それらの行為が一般人の理解を得られると胸を張って言えるだろうか?
ここで言いたいのは「そう言う貴方達も叩かれて然るべき事由がある」ということではない。
「批判する前に一度よく考えてから発言しよう」ということである。
深く考えずに短絡的に叩いていたら、思いもよらない反撃を受けても文句は言えない。そうならない為に、発言内容には常に気を配る必要がある。
よーーーく熟考した上で、それでも批判せずにはいられない時だけ、叩き返されるリスクを認識した上で叩くべきである。人を呪わば穴二つ。アニメ「コードギアス」のルルーシュの言葉を借りるなら「撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ」ということである。
念の為に繰り返す。「叩くな」と言っているのではない、「よく考えろ」と言っているのだ。
私が今回こんな長文を書いているのは、今回の件をTwitter上で批判している人たちが、上記のような特殊な状況について考察すること無く、実際の状況についてきちんと情報を確認もせず、ただ断片的な話だけを元に脊髄反射の如く闇雲に、盲目的に拍手をした人や拍手を促す運営を批判する姿勢があまりにも無責任で、それで良識派を気取っているのがあまりにも目に付いたからである。
私は「アイマス最高」はやらなかったが、あの場には確かにいた。だからと言って、あの「アイマス最高」を擁護するつもりは欠片ほども無い。
ただ、それと一緒くたに他のことまで叩かれている状況が我慢ならなかったのである。
何も考えていないくせに「自分はちゃんとしている良識派です」みたいな態度なのが我慢ならないのである。
最後に。
イベント終了時、閉まりかけたシャッターの向こうでスタッフが「ありがとうございました!」と深々と頭を下げた。
ハイファイ☆デイズ初動は4thライブとは別のリリイベのシリアルで水増ししてる
http://columbia.jp/idolmaster/event/
アイドルマスター シンデレラガールズ コロムビアCD&映像作品累計出荷300万枚突破
&THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS STARLIGHT MASTERシリーズ発売記念イベント
開催日時:2016年7月30日(土) 15:00開場 16:00開演
内容:トーク&ミニライブ
前売り:¥3,000(税込) ※ドリンク代別 ※一般発売・当日券なし
出演:
福原綾香(渋谷凛役)、原紗友里(本田未央役)、飯田友子(速水奏役)、
今井麻夏(佐々木千枝役)、黒沢ともよ(赤城みりあ役)、髙野 麻美(宮本フレデリカ役)、
照井春佳(櫻井桃華役)、長島光那(上条春菜役)、ルゥティン(塩見周子役)
◇受付期間:6/21(火)正午~6/26(日)23:59
◇結果発表:6/29(水)15:00 ご入金期限:7/3(日)23:59
下記対象店舗でコロムビアより発売されているアイドルマスター シンデレラガールズ関連作品を2,000円
福岡市南区「井尻」を拠点に活動する「某アイドルグループ」にはまっています。
地元の名物を歌った「食べるからあげ乙女」なんて言う曲を歌っています。知らんでしょう皆さん。
ぶっちゃけ以前はアイドル趣味なんてくだらないと思っていました。
AKBの握手券や投票券に何十万円突っ込んだ人の話を見て、「ほかの事に使えよ!」って思ってました。
何万人いるファンに埋もれるくらいなら、その何十万円でキャバクラなりなんなりに
行けば手っ取り早いだろうって思ってました。その考えがこの三ヶ月くらいで変わりました。
キッカケは三月の初め頃です。たまたま用事があって立ち寄った井尻商店街で毎月初めに行われている「ふれあい市」
ボクは経済学部経営法学科出身ですから、お客さんの人数、物販での客単価とかを考えてしまいします。
ふれあい市のミニライブは無料です。お金を出すのは物販だけです。
ブロマイドが1枚200円、メンバーと一緒に取れるチェキが1枚500円。
買ったらメンバーがサインしてお話してくれます。1人5分はおしゃべりしてくれてると思います。
物販に参加するファンが多めに見積もって15人くらい。ファンがいくら使ったのかは知りませんが、
これも多めに見積もって2,000円使ったとしましょう。(ボクなんかはチェキ1枚の500円しか出しません。お金が無いのです。)
2,000×15で30,000円。一日でこれっぽっちです。ここからスタジオ代や機材代、衣装代に交通費、
諸々の経費を引いたらいくらも残りません。メンバーやスタッフの人件費を計算に入れて無いのに赤字なんじゃないかと思うくらいです。
「どうやってお金を儲けるか」ばかり勉強してきたボクには結構ショッキングでした。
このグループのメンバーはライブのために、忙しい仕事や学校の合間を縫ってハードなレッスンを受けています。
ふれあい市ではミニライブの前にメンバーがふれあい市を手伝っています。野菜の箱詰めや交通整理なんか行っています。
ボクはバイトで似たような事を時給800円でやっていましたが彼女達はおそらく無給でしょう。
このグループのミッションは「地元、井尻のPR」そのためだけに一所懸命に頑張って素晴らしいパフォーマンスを見せてくれる。胸を打たれます。
このグループのメンバーは一人残らず努力家です。それぞれ夢に向かってしっかり努力しています。ブログを見てれば分かります。
頑張っている子を見れば応援したくなる。
ボクは何故アイドルにハマったのか?
目標に向かって頑張る子を「応援する喜び」。これがアイドル趣味の醍醐味なんだと思います。
応援というのはとことん熱狂的になれます。プロ野球でもゲームハードでもなんでもそうです。
アニメエロゲラノベ好きなライトオタだけど、アキバチックな萌えを重視したメイドカフェは自分には合わないことがわかった。
ニ次会で入ってCLOSEまで。
メイドのミニライブとか誕生日イベントとかメイドがシェイクしてくれる(という名目の)カクテルとかひと通り体験した。
アキバのメイドカフェって時点で本来のメイド+カフェじゃなくて、「アキバにある類のメイドカフェ」っていう種類の店だとわかっていたつもりだけど甘かった。
ここ以外のメイドカフェがどんなのか知らないけど、客も一緒になって盛り上げるスタンスの店はすげー疲れる。
メイドが奉仕してくれるのが本来のメイドカフェのはずなのに、客も一緒に盛り上げることを強要されるのはなんか違くね?
カネ払えば奉仕してくれる的なのだけを考えてたからやっぱりカルチャーショックだった。
でもここまでずさんなメイドでも幻想が満たされるとかよっぽど愛に飢えてるというか人に飢えてるのかね常連さんは。
閑話休題。
たいていどこのメイドカフェでも、接客するメイドと対面での強制にゃんにゃんポーズなりなんなりは強制されたりするのかな。
フロア全体での盛り上がりのときとかまでは強制はされないけど。
それなら私男だけど、執事喫茶のほうが自分の求めてたものが得られそう。
もともとメイドカフェとか興味なくて付き合いで行ってみただけだけど、もてなされる気持ちよさ的な部分だけに期待する人なら、男でも執事喫茶に行ったほうが予想外に楽しめたって人が多くなりそうな気がする。
もしくは、もてなされるだけの正統派メイドカフェがどっかにあった気がするけどそこに行くとかか。
フロア全体での晒し者になれるのを楽しめるレベルのオタクって、リア充の素質があるってこと。
メイドカフェに行く人間≠リア充とは思ってなかった(むしろ正反対という印象だった)から割りと新鮮だった。
言ってしまえば外出してわざわざメイドカフェなんかに入る時点で一定のレベルのコミュ力があるってことになるのかな。
打ち合わせを客の前でやったりするし、言葉遣いも丁寧語尊敬語とかがまったく使えてないし、客に対してタメ口きいてくる意味不明な馴れ馴れしさがあったし。
割のいいバイトってことで適当な人間が働く場所っていう意味にも落ちぶれてる場所でしかないね。
一緒に行った中にメイドカフェが大嫌いなやつがいてそいつがメイドカフェのことをショーパブだって言ってたけど、それでだいたい合ってた。
短いスカートで目のやり場に困るし、それを振り乱して踊るし。
わざとやってるのもわかるけど、なんつーか、エロいとかかわいいとかじゃなくて、汚い。
今後、付き合いで仕方なく行くくらいはあるかもだけど、改めて個人的に行くことはこれまで同様絶対ないだろうなと思った。
5回観ているうちに考えがまとまってきたので、自分なりにこの映画が描いたことや「M@STERPIECE」とは何だったのかってのをまとめてみたいと思います。
あ、でもネタバレ全開なので観ていない人は今すぐ閉じて下さい。
まず、この映画は「M@STERPIECE」で全てが収束されるように作られています。
春香さんの葛藤も、可奈の後悔も志保との衝突も、あらゆる「今」が最後には「M@STERPIECE」という曲へ繋がるようになっています。
ところで「M@STERPIECE」とはどんな意味でしょうか。
MASTERとPIECEに分けて直訳すると「主な部品」とかになってしまうのですが、
「M@STERPIECE」の場合は「必要不可欠な部品」といった感じの意味で使われているように思います。
では「何が」必要不可欠なんでしょうか。
何が「M@STERPIECE」なんでしょうか。
その最初のヒントというか伏線は「輝きの向こう側へ」というタイトルから始まっています。
プロデューサーがハリウッドへ行くことを皆に明かした後、春香さんとプロデューサーの2人の会話で、プロデューサーが春香へ言います。
「未来は今の延長だ。
だからこそ、今を大切に。悔いの無いように」
このプロデューサーの言葉は春香さんの心へ深く刺さったらしく、
この言葉が初めてリーダーを務めることになった春香さんの大きな心の支えとなります。
まずプロデューサーがハイウッドへ行くことになり、みんなが落ち込んでいる中、プロデューサーの言葉を思い出して春香さんはみんなを立ち直します
「プロデューサーさんが安心してハリウッドへ行けるように、絶対ライブを成功させよう!」
しかし、春香さんの思いとは裏腹に本当にライブが成功できるのかどうか暗雲が立ち込めます。
合宿後のミニライブでバックダンサーを務める7人がミスを連発。週刊誌にまで叩かれてしまう。
それが原因でバックダンサーは志保と可奈を中心にギスギスしてしまい、可奈に至ってはそれを堺にレッスンへ来なくなってしまいます。
リーダーの春香さんは可奈が戻ってくる可能性を信じて待ち続けますが、現実問題として時間はどんどん無くなっていきます。
「待つっていつまで待てばいいんですか!?」
「結論なんてほぼ出てるじゃないですか!」
志保からすればリーダーとしてあまりにも仕事をしない春香さんに怒りをぶつけます。
確かに春香さん、ここまであまりリーダーらしいことをしていません。
待つだけではなく、今度は可奈へ電話でコンタクトを取ろうとメールを送ります(メール自体は既に何度か送っているみたいだけど「電話下さい」ってのはたぶん初めて)。
そして可奈から電話がかかってきます。春香さんは一生懸命可奈を説得します。
この説得シーンは春香さんの懸命振りはもちろん、映画的にも尺をたっぷり取っているということもあり「これでダメならもうダメだろう」ってくらい説得します。
でも失敗します。
おそらく、このシーンが一番「雨音」が大きかったように思います。
説得に失敗して春香さんが相当落ち込んでいるだろうということは想像に難しくないですが、
雨音が大きくなりながら春香さんはプロデューサーの言葉を思い出します。
「今を、大切に…」
このシーンではセリフはそこで終わっていますが「悔いのないように」と続いていたことでしょう。
次の日、春香さんは可奈と直接会って話すことを決意します。それをみんなに話し協力を仰ぎます。
今を大切に、悔いのないようにするためには可奈の気持ちを絶対に確かめないといけない、そう決意したんでしょう。
その結果、可奈を見付けることに成功し、可奈の気持ちを確かめるためにみんなで準備中のアリーナへ向かいます。
「一番後ろの人も、ちゃーんと見えてるからねー」
ところが、春香さんは可奈の気持ちを確かめるよりも前に、準備中のガラガラのアリーナのステージ上でそう言い、
どんなステージでも一番後ろのお客さんまで意識しているということ。
でも本当は不安や恐怖を抱えてステージに立っているということ。
そんな自分を支えているのはみんなのお陰だということ。
みんなが居なければこの場所には立つことは出来なかっただろうということ。
「みんな」の名前を1人ずつ言い、そして可奈もその1人だということ。
誰か一人でも欠けていたらそれは叶わなかっただろうということ。
「私は『今』って、これまでの全部で出来ていると思うんだ」
これまでの出会いがあったからこそ今、春香さんはこの場所に立つことができているんです。
つまり、春香さんにとって必要不可欠なもの、それは『出会い』であるというわけです。
『出会い』こそが春香さんにとってのM@STERPIECEだったわけです。
そんな春香さんの覚悟に圧倒され可奈も本当の気持ちを曝け出し一件落着。志保も春香さんの覚悟に圧倒されてしまいます。
その後の土手のシーンでは、土手から見える景色をライブに例え、「向こう側には何が見えるだろうね…」とこれまた未来を暗示するようなシーンが挟まれます。
いよいよライブかーってね。
この「M@STERPIECE」、5分33秒と少々長めなのですがそれをフルサイズで動画にしているというだけあって気合十分の出来栄えでそれだけ泣けてくるのですが、
作詞を担当したyuraさんも映画の内容を汲みとった上で作詞されたというので、流石の一言です。
ずっと一日ずつ繋げよう
夢は自分を叶えるために
生まれた証だから
きっとこの心で
私のM@STERPIECE
明日は追いかけるモノじゃなく
今へと変えていくモノ
それが自分になる
私がM@STERPIECE
春香さんの場合は「出会い」がM@STERPIECEだったわけですが、「考え方は人それぞれでいいと思う」という春香さんの言葉の通り、
みんなそれぞれに「M@STERPIECE」があるんじゃないでしょうか。
それぞれの「M@STERPIECE」が今を作り、今が未来となっていく。