はてなキーワード: エルメスとは
バーキンと聞いて真っ先に頭に浮かべるのはエルメスのカバンなんだよ。あれはいくら金を持って店に行っても売ってない。お得意さんが何百万何千万と買い物してやっと奥の方から出してくるようなカバンなんだ。高い金を出して買うエルメスのノベルティーグッズと言っても過言ではないマニア垂涎の代物だ。だから小金を持ってるご婦人方が何とかして手に入れようと試行錯誤を重ねて人生を擦り減らしながら頑張ってる。バーガーキングとか言う庶民の食い物をバーキンと略されると殺意を覚えるの。お前ら貧乏人には金持ちの気持ちがわからんのよ。エルメスで買い物したことあるやつはバーガーキングをバーキンとは絶対略さない。とにかくバーガーキングをバーキンと略すのは馬鹿丸出しでクソだせえからやめろ。どうしてもバーキンに縮めたいなら「俺はクソ馬鹿なんだけど」という枕詞をつけろ。それか死ね。
それは違うな。時計市場は、中国、アメリカに次ぐ3番目だし、高級ブティックの品も市場が大きい。たとえばエルメスの日本市場は「フランスよりも大きいし、フランス以外のEU圏の合計とほぼ同じくらいの市場がある」だからね。カメラも車も3番目じゃないかな。
最近、金余りがすごすぎて、いろいろな高級品が買えなくなってきている感じがする。
たとえば、TOYOTAの高級車、アルファード。新型が発表されが、開始一週間くらいで予約が殺到し、生産できるものは速攻でなくなってしまい、今では「予約すら受け付けない」という状態になっている。最後に予約した人でも納車が2年後以降だし、新規で予約しようとしても無理。
ROLEXやパティックフィリップなどの高級時計は、もうブティックにはほとんどない。店によっては「1点もおいていない」というケースもある。ROLEXマラソンと言う言葉があるように、数年、店を何度も訪れて、ようやく買えるかどうか、というレベル。パティックフィリップのノーチラスやアクアノートに関しては「正規店での購入履歴が大量あると、予約ができる」というのはあるものの、「まあしばらくは入ってこないし、そのまま廃盤になる可能性が高いので、無駄になると思いますが、予約を受け付けることはできますよ」くらいの対応をされる。
エルメスのバッグ、たとえばバーキンなんて、「毎月のように大量にお金を投下している顧客にだけ買えるが、その場合も、人気がない色やサイズのものしかでてこない」というのがほとんど。「お金を大量に持っていて、ステータスもある人だけが対象」という感じになっている。テレビでみない日がない人気タレントが金を積んでも買えない、みたいなことが起こりつつある。
不動産も、「三田ガーデンヒルズ」は、坪単価1300万円を超え、4LDKで55億円を超えるにも関わらず、人気すぎて、内覧が断られるレベル。 最多価格帯は3億8000万円台だが、倍率が2.5倍などで買うのが大変。
飲食店でも、単価が5万円や10万円の店の予約を取るのがとにかく困難。つてや人脈がないともはや抑えられないレベルになっている。こちらはインバウンドのニーズもあるので、より大変。ホテルは言うまでもなし。
金がないと買えない、というレベルはとっくに、金があったとしても買うのが困難になってきている。とにかく金が余っているし、使い道もあるのに「需給が一致しないで買えない」という状態が続いている。
「金があればなんでも買える」という考えについては、肯定派もいれば否定派もいると思う。否定派は「愛や人の気持ちは買えないんだ」だったり「品格や生まれは買えない」などを言うのが定番だが、そんなレベルじゃなくて「金をつめば買えたものが買えなくなっている」という感じがする。
ちょっと前まで、時計やブランド品などは、ネットでの中古市場などにいって、金を1.5倍とかつめば買えてしまう、というのがあったが、そこすら枯渇してきている状態。
本当のなんちゃらとか言い出すのって不毛じゃねって思う。
生育環境を整えてポテンシャルを限界まで引き出して、人間が良しとする味に極限まで近づけたのが「本当のリンゴの味」だろと言われたらまあそうかもって思う。
人が一切手を加えない、原生状態で育った実のそれこそが「本当のリンゴの味」だろと言われてもそうかもって思う。
そもそもの話として「本当」の定義がされてないのならそれは互いに定義の線引きを押し付け合うだけだし、どちらが腹落ちするかっていうナラティブの問題だと思う。
でも「本当」の目的語に最も求められる本質を露わにしようじゃないかっていう事なら分からんでもないかもしれない。
エルメスのバーキンと、それに一切遜色ないどころか、むしろ同じ素材でより丈夫かつ安価なスーパーコーピーのどちらが「本当のバーキン」かと言われたら、前者になると思う。
工業製品あるいは鞄として劣っているのに。それはバーキンに求められる本質がオシャレな鞄である事以上に、高額な売買がなされるブランド品という物語を帯びる事になるって事なんだろうし。
日本人の平均肩幅を基準に作られているだろうけどそれって旧国鉄時代、GHQ統治による規格化のせいだろ?どうせ
話が逸れたが座席小さすぎてコロナ終わって人流が戻って電車の座席が目一杯になって隣の席の奴と領域の奪い合いになってウザいという話がしたかった
男aは嫁の影響でキャンプが趣味、今度サップボードをしてみたい
男bはサーフィンをしておりサップもしている。彼女がおり最近記念日だった。大学四年から付き合い11年目。当時相手は大学一年生。結婚は考えておらず子供は要らず、同棲は6年目。プレゼントにエルメスのバッグ30万を彼女にあげた。ちなみに男bはcoachのビジネスバックを持っていた。彼女からの結婚の圧は無いという。
さっさと結婚すりゃいいのに。
足首につけて良い匂いと気に入ったので、腕に付けてみたら瓜感すごくていったん敬遠
足首利用をしているうちに、なんかけっこうハマってきた
量り売り1.5mlだけどコロンなのであっという間に使い切りそう、もう容器の半分を切った
これはかなり試している方
草感というか水感というか、落ち着く
並行輸入などで安く買いたいが賛否ある(癖がある)香りのためか扱う数が少なく価格も高い
試しにアメリカのAmazonで価格を見たら100mlで99ドルだった
今の為替レートで1万3000円ほど
金柑とジャスミンという文字には惹かれなかったが、実際嗅いでみるとすごくさっぱりしていて付けやすい
モンスーンほどじゃないけど好き、でも1度つけた時はすぐ飽きがきた
ジャスミン繋がりで、李氏の庭つけた腕の手首にアラニュイをロールオンでほんの少しつけると深みが出て良い感じ
150万するシャネルのバッグをなんてことないですけど?っていう顔で持ってる富裕層見ると惨めで死にたくなる。給料あがってくれよ。100万以上する鞄なんて買えるわけもないし、買ったとしても大事に大事に使ってしまう。でも彼女たちは「まぁ汚れてもいいかー」くらいのスタンスで使ってる。いったいいくつバッグを持ったらそういう気持ちになれるの。いったいどれくらい稼いだらそういう気持ちになれるの。どうして私の給料は上がらないんだ。そもそも大したことない給料のくせにシャネルのバッグ欲しいなんて思うのが悪いのか。
正確には143万するバッグ6年前は50万円とかだった。6年前はちょうど働き出した時でボーナスとか貯めたりしつつやればいつか買えるかなと思ってた。でも気づいたら143万円になってた。なんなら先月は136万4千円だった。値上げ幅えぐい。私の給料が上がらないうちにどんどん欲しいものだけが値上げしていく。
日本だけ給料が上がらなくてシャネルの値上げに追いつかないわけじゃなくて、シャネルの値上げがおかしいというかエルメスと同格を目指して大衆が持てるブランドからの脱却を図ってることは分かってる。でももうちょっと給料上がってほしい。
この増田見た人は増田は馬鹿だなーって思うだろう。そうだその通りだ。そもそも生活費の心配することなくシャネルが欲しいと思えることが贅沢すぎる悩みだと思う。
いつか欲しかったんだ。シャネルのマトラッセが憧れだったんだ。
もう買うことはきっとないのでこの増田を書いて終わりにする。
今日は通院の後で人と出かける予定だった
すごく久しぶりのちゃんとしたお出かけなので、最近あれこれ買った量り売り香水など付けてみようかなと思った
が、自分が好んで買うのは自分がつけて楽しむ・ストレス緩和用途で使うものが多く
人と連れ立って出かける時には難しいものが多い
というかそんなんばかりだ
なので量り売り1.5mlで買ったエルメスのナイルの庭を足首にちょっとだけ付けて出かけた
買ったけど可もなく不可もなく、自分用には使う気がせずと放置したもの
1日出かけて帰ってきたけど、つけたのは足首にちょっとだし、ずっとマスクつけてるし、つけた意味あんまりなかったなと思ってた
いい匂い、案外悪くない
700万ずつぐらい稼ぐ両親の元に生まれ、荒れた公立中を避けて中高一貫の私立に進学。早めに予備校に通い始め、それなりの努力の末それなりの大学に合格。現在は私立校で教諭を務め、年収700万ぐらい。
ものすごく高学歴というわけではないし、胸を張れるほど稼いでいるわけでもないけれど、自分という枠組みの中ではよく頑張って生きているなぁと思っている。仕事は楽しいし、勉強以外に得意なことがあるわけでもないから尚更。
学歴なんてなくていい。それでも名のある大学卒ならカッコいいし、稼ぎも伴いやすい。だから勉強ができるなら勉強を、勉強が苦手ならそれ以外を伸ばして未来を切り拓くのがよい、そう信じてきた。
地頭がよく態度も真面目なのに、+αの努力を一切しない生徒。出席や点数が足りず留年が迫っているのに、まるで慌てない親子。実力より10以上偏差値の低い指定校を進学先に決めてしまう家庭。
なぜ頑張らない? なぜ焦らない? なぜ上を目指さない? 心底疑問だったが、ようやく理解した。お金があるからだ。
数億が飛び交う家の生まれなら、ニッコマでもMARCHでも関係ない。留年が決まったら別の学校、なんなら海外にでも転学させればいい。心身を削って受験勉強に励むより、今しかない学校生活を楽しませたい。自分を飾るには、学歴よりきらびやかなものがたくさんある。
ペンケースはエルメス、財布はブルガリ。毎年海外旅行に行くが、エコノミーには乗ったことがない。お手伝いさんや庭師がいて当然、医者や寿司屋は家に来るもの。
生徒の豊かさは理解していたが、この気づきは衝撃的だった。学歴はいらない。就職には困らないし、しなくたって構わない。受験戦争は自分の価値を売るしかない貧乏人のためのものなのだ。
この衝撃はマイナスなものでなく、「お寿司やサトウのごはんをパックから食べることを屈辱に感じる人がいる」というのと同種のものだ。
わざわざお皿に移すことで何が変わるの? 手間が増えるだけでは? というのが個人の意見だが、けしてお皿に移したい派の人を否定したいわけではない。むしろ価値観の多様さに感動さえする。そもそもパックの寿司やご飯なんて食べたくないという人もいるだろうし、高くて買えないという人もいるだろう。
世の中には進学はおろか生きるのが苦しい人も大勢いる。「受験戦争は一般も推薦も金持ちに有利」「東大生の親は高年収」なんて言説もよく耳にする。
だからこそ、「普通の高年収」のさらに上、「そこそこ恵まれている」自分や周りがしてきた努力が不必要な層の存在はセンセーショナルだった。今まで見えていなかっただけで、案外多くいるのだろうし。
もちろんリッチな世界にはリッチな世界の苦労があるだろう。リッチだからこそ学歴がいるんだが? という人もいるかもしれない。今回書いたのはあくまで自分が認知した範囲の話なので。
己の視野の狭さを反省し、世界の広さに感服しつつ、学歴が必要な層も不必要な層も充実した学校生活が送れるよう、日々励もうと思う。