はてなキーワード: 二股とは
ちょっと戸惑ってしまって気持ちをどう整理したら良いか分からない。
間男はだいぶ年上の独身で、妻はその男に入れ込んでいる。ぼくらには小学生低学年の子供がおり、いくらなんでもすぐに別れるのは可哀想すぎる。ということで、一緒に暮らすが書類上は別れ、ぼくが出勤している間元妻は間男と昼間デートに出かける、という不思議な生活が始まった。
子どもは事態を分かっておらず、元妻にパパ以外の好きな人がいる状態を普通に受け入れている。ママが幸せそうならそれで良いそうだ。ぼくはだいぶまいっていたが、元妻は言い出したら聞かない人。なので、子どもがもう少し大きくなるまではこのままでも我慢する気でいた。せめて子供の前では仲良くいようと。大きくなったらきちんと話して離れよう、そう思っていた。
二週間ほどまえ子どもが寝た後、間男との関係をつい聞いてしまった。体の関係があるのか、と...
あえて聞かないようにしていた。考えないように、慎重に避けていた。が、聞きてしまった。答えはもちろんイエスだ。
もうだめだな、と思った。完全に折れた。そりゃそうだろう。ぼくはばかだな。
翌日、この関係はきちんと精算するよう話し合った。ぼくが出ていくか元妻が出ていくか決めよう。準備にも時間かかるだろうから少し待つ。その男とは結婚した方が良い。好きな人同士なんだから。ぼくが出ていった場合でも子どもの親であることは変わらない。養育費は法律に沿った額きちんと払う、元妻が出ていった場合でも育て切る覚悟だ、と。
そして今日。つまり、関係解消の話し合いをして二週間ほど経って。元妻が夜、泣いていた。死にたいと言って、過呼吸気味だ。なんとか落ち着かせて訳を聞いてみると男と別れたらしい。相手は二股かけていて、もう一方の方を取ったんだと。
なんじゃそれはと呆れ返ったが、元妻はまだそいつのことをまだ好きらしい。本気だったのだ。愛していたのだ、心から。ひどい話だと口にだしたら、男のことは悪く言うな悪いのは自分だ、という。なんとも言えない気分になったが、過呼吸を落ち着かせ、なだめるのに必至になった。
ようやく落ち着いて寝てくれた。で、ぼくはリビングで増田を書いている。
なんなんだろう。つまり、こういうことだ。ぼくと同様に、元妻は選ばれなかったのだ。
何かに怒りをぶつけてもよいのだろうが、なんの感情もわかない。心が死んでしまったのだろうか。なだめていたとき、ざまーみろと思えたらスッキリしたんだろうか。それとも同情すればよかったのか、もう分からない。
あれは熊本大学法学部に入学してしばらくしたころ、授業で裁判傍聴するから各々熊本地方裁判所に集合してねと担当教授に言われた
熊本市出身ではなく、この春に引っ越してきたばかりで道にも明るくない
しかし、携帯電話で熊本大学と熊本地方裁判所の距離を調べると2kmほどらしい
まあ、自転車で行くかと朝方余裕をもって出発した
始めは悠々と自転車をこぎ、熊本市ってこんなところにも商店街があるのかと楽しんでいたが、坪井川を越えたあたりで異変に気付く
二股の道に分かれているのだがどちらも高台につながった坂になっていて先が見えない
左の坂は中坂、右の坂は新坂という
中坂は高台の頂点と麓を直線で繋げたもので、新坂は高台の外周に沿って上っていく形の坂である
どちらを選択するにせよ、ママチャリで登るのはかなりつらい坂だ
あの時の僕は遅刻するわけにはいかないとどこに続くかわからない新坂ではなく、とりあえずまっすぐいけそうな中坂を選んだ
運動はからっきしだったが、そうはいっても10代の男子の身体能力である
初めはペダルも軽く進んでいく
徐々に坂の傾斜に対して自転車の推進力が足らず、立ち漕ぎを強いられる
気づくと背中に汗をかいていて、坂の終わりは見えず、ペダルが重い割には推進力が足りず、左右にハンドルを切り進行方向を小刻みに変えながら、体幹でバランスをとる形になっていた
そして地面に足をつき、目の前には坂があり、どうやらまだ坂の中腹だと気づく
坂の傾斜は変わっておらず、ママチャリにはギアも何もついていないので、ここから坂の上にペダルをこいで登り始めることは不可能だった
平野部の生まれが初めて、「坂に負ける」という概念を知った瞬間だったように思う
梅雨前の暑い日で、さらに汗をかきながら坂の上の裁判所へ何とか歩いた
クラスメイトの多くは僕と同じように新坂や中坂、または一本外回りの観音坂あたりから自転車で上ったと言っていたが、大学前のバス停からバスで行った方がいいよという教授の話をちゃんと聞いていた人や地元の人はバスで来ていた