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2015-01-19

なぜ同性婚を引き合いに出すのか判らない人への意見表明

ブコメで答えられれば良かったんだけど、ちょっと100文字じゃ無理そうなのでここに書く。

近親婚についての↓の記事ホッテントリに上がってて、そこのブコメ意見が分かれている。

http://irorio.jp/daikohkai/20150118/196586/

同性婚を引き合いに出す人が何人かいて、

それに対して「なんで同性婚を引き合いに出すんだ」という人も何人かいる。

後者は近親婚に否定的なようで、「一緒に否定されたくない」という意味で反発していると読めたので、

同性婚を引き合いに出した一人として、答えておく。

私の答えは、

同性婚を許容するのと同じロジックで、近親婚も許容されるから、決定的な違いがあるというのならそれを示すべき」

というもの

私は今でこそ同性婚は許容しても良いと考えているが、

一時期論争が盛り上がった時の前半は、否定論者だった。

否定的だった論拠は、「同性婚が出来ない事で蒙る不利益が、独身者が蒙ってる不利益を超える事はなく、婚姻による社会的利益享受する正当性は無い」と判断していたから。(この認識自体は、今も変わらない)

許容派に考えを変えた理由は、ある論客が述べた論理が、納得いくものだったからだ。

その論理は、私の理解では次の通り。

「大人である当人2人がそれを望んでいて、誰の迷惑になるわけでもないのだから、受け入れるべき」

近親婚の是非を問うた時に、私が同性婚を引き合いに出した理由は、もうお分かりと思う。

上記の同性婚肯定論者のロジックが、そのまま近親婚に当てはまるからだ。

大人である当人2人がそれを望んでいて、誰の迷惑になるわけでもないのだから、私は近親婚を許容する。

許容しないなら、同性婚が良くて近親婚が悪いその理由を述べられよ。(もちろん、「どっちも悪い」という人もいるだろう)

リンク先の記事を読む限り、遺伝子問題クリアされていて、かつ、虐待による強制・半強制の可能性もないと判断している。

そもそもそれらは、近親婚でそれが発生するリスクが通常より高い、というだけの物で、それらの問題クリアした上で婚姻を望む2人を認めない理由にはならないだろう。

以上。

2014-11-03

「彼は死刑肯定論者です。人間とは見なせないので死刑ではなく殺処分という認識です」

アムネスティ「なるほど」

動物愛護団体「ではここからは我々の仕事ですね」

2013-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20131227144942

そもそもA級戦犯は何かって言うと

平和ニ対スル罪 即チ、宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加。

まり日中戦争大東亜戦争肯定論者、パールハーバに関係する人間および当時日本に住んでいて戦争協力をした民間人がこれに該当する。実際に中国が主張している南京大虐殺(があったとして)の犯罪者ジェノサイドにあたるので

(ロ)通例ノ戦争犯罪 即チ、戦争ノ法規又ハ慣例ノ違反

(ハ)人道ニ対スル罪 即チ、戦前又ハ戦時中為サレタル殺人、殲滅、奴隷虐使、追放、其ノ他ノ非人道的行為、若ハ犯行地ノ国内違反タルト否トヲ問ハズ、本裁判所ノ管轄ニ属スル犯罪遂行トシテ又ハ之ニ関連シテ為サレタル政治的又ハ人種的理由ニ基ク迫害行為

B級またはC級戦犯にあたる。韓国が主張すべきもこっちかな。

これでいうと、第二次世界大戦に従軍した兵士・銃後を守った民間人、指揮をした軍部及び政治家扇動したマスコミすべてがA級戦犯に該当する。そのうち特に責任が重いとされるものに関しては裁判の後死刑執行された。死刑執行されたひとを現在ではA級戦犯というが、実際には当時生きていた日本人ほぼ全員がA級戦犯である、というむちゃくちゃな罪状である

処刑されたA級戦犯合祀妥当だったかどうかはとりあえずおいておくとしても、平たく言えば第二次世界大戦戦死者はすべてそうなので、1976年合祀以降に中韓が反対するのはお門違い。するなら最初からすべき。最初しなかったんだから今するのもおかしい。

なお処刑されたB級C級戦犯に関しては靖国合祀されているが、これは騒ぎになるよりもずっと前からである

今回の米国の批判は、靖国参拝自体を問題にしているわけではなく「中国を刺激するな」である。彼らは戦争したくないし、人を出したくない(南スーダンとかシリアとかがあってそれどころではないため。国内も問題が山積しているし金もない)。EUも同様で、論調としては「中韓がうるさいから変なことするな」と言っているだけである。彼らは下手につつくと19世紀の植民地支配のことが出てくる可能性があるため、下手なことは言えない。そしてEUも相変わらず経済的には厳しい状況なので、戦争が起こるとか言われたら困る。しか日本は自力で戦争できないので、紛争がおこれば多国籍軍派遣することになるかもしれず、すごくいやがっている、だけ。

日本としては、韓国南スーダン弾薬譲渡の件で狂ってる(韓国内が崩壊しそうで、北朝鮮がそれに乗じて攻めてくる可能性はある)というのを念頭おいているのかどうかはわからないが、

とりあえず中国は数日前に公船が尖閣周辺領海侵犯しているので、それの抗議ではないか?まぁそんな事態なので余計に米はおいやめろといっているわけだが。

時期的にはちょっとまずかったと思う。

2013-09-19

http://anond.hatelabo.jp/20130919130651

体罰が是であれ非であれおまえの親が教育に失敗したのは間違い無い。

体罰肯定論本質はここだろうな。

自らとその教育者を失敗作と言いたくないため、肯定をするんだと思う。

しかし人に対してカタワとかよくいえんよな。どんな教育受けてたんだろうな。

2013-09-14

http://anond.hatelabo.jp/20130914120315

(1)疑問:「死刑制度」に意味はあるか?

罪を犯して罪を償うのは、当然のことです。では、犯罪者から命を奪えば、彼(ないしは彼女)は「罪を償った」ことになるのですか?

それで「イイキモチ」になるのは、ハッキリ言えば事件に関係のない第三者だけではないですか? いい気味だ、ざまあみろ、自業自得だ、正義は為された。…etc。そんなことで、被害者の心は本当に癒されるのでしょうか?

大阪教育大附属の児童殺傷事件の犯人宅間守は、「死にたかったが自殺する勇気がなかった」「死刑になれる相手なら誰を殺してもよかった」「子供をねらったのは殺しやすかったから」そして、死刑判決が出て、遺族に何か言うことがあるか、と聞かれ「あの世でもう一回お前らの子供を○してやるわケッケッケッ」…という趣旨の発言をしたそうです。

こういう人間をただ殺して、それで遺族は本当に心が癒されたと思いますか?

日本社会では、問題が起こると、当事者が「責任をとって辞職」したりします。しかし、それは本当に「責任を取った」ことになるのでしょうか。

特に事故など、今後の対応が重く、長く、苦しい、果てしないものになることが想定されるとき、そんな対応から逃げ出したくなっても無理ありません。そんなとき、「辞職したか責任取った」と得意気に言われると、むしろ殺意が湧きませんか? それはむしろ無責任」の一形態に過ぎないのではないでしょうか。

(2)主張:死刑制度には意味がない。

私が死刑などやめた方がいい、と思うのは、それが無意味からです。本当の意味で「罪を償わせる」ためには、生かして、生かして、長生きさせて、どんなに苦しくても一生をかけて自分のやったことと向き合わせる。「償う」などということが実際に可能であるか否か、それは分かりません。しかし「罪を償う」などということが、もしできるのだとしたら、そういう地道で苦しいやり方の中にしかあり得ないと思うからです。

(3)論拠:死刑制度肯定論とそれへの反論、問題点の指摘

よく主張される「死刑見せしめとして役に立つ」という意見。ですが、これまで死刑が廃止になった国で、凶悪犯罪が増大したというデータはないので(むしろその逆です)これは否定されます(※)。死刑に「犯罪抑止効果がある」という意見にはエビデンスがない。また、死刑には、受刑者本人に対する教育役割(刑を受けることで、罪悪感を感じ、社会復帰への道が開ける)がないことは明らかであり、経済効果についても、無期刑に比べてコストが安いということも無いのです(人を監禁して殺す、というのは簡単なことではありません。そのための特別の施設、管理者、担当者手続き……様々に膨大なお金がかかっています)。

更に、よく言われることですが、死刑は不可逆であるというその性質から冤罪が発生したときに取り返しのつかないことが起こりかねない、もっと言えば、取り返しがつかないだけに「『取り返さないでおこう』という圧力が発生する」という危険も指摘できます

死刑制度には、合理的に見ればこれだけの問題があり、普通に考えればむしろ「無くす」のが当然の立場なわけです。ご理解いただけたでしょうか?

(4)発展:ではなぜ死刑は無くならないか

それでは、次の問題。これだけ問題のある死刑制度が、アジア圏で根強く残るのはなぜなのか? これを考えてみたいと思います

死刑を残す国々(日、韓、中など)は、どれも同程度に人権意識が低いのでしょうか? これらの国々は、民主主義的にみせていても、その実、全体主義的な管理社会からなのでしょうか?

いろいろな理由は考えられますが、私は、これらの社会が、依然として「家、一族」を基盤とする封建制社会の気風を残しているからではないかと考えています

「家、一族」を基盤とする封建制社会は、「個人」に対する毀損を、「一家、一族」に対する毀損と見なします。「個人」を基盤とする社会にも、もちろん特定の個人との絆からくる個人的な「復讐」は発生するわけですが、「家、一族」を基盤とする社会では、「個人」に対する毀損が「家、一族」あげての「復讐」、つまり「敵討ち」引き起こしかねない。だから、これらの国家で秩序を保つためには、国民勝手に「敵討ち」をしないようにする…つまり公権力による敵討ち代行」を、制度として保証するしかない。それが、これらの国における「死刑制度」の意味なのではないか

「日、韓、中」が、近代社会における刑罰としての「死刑制度合理性がないと分かっていながら、その廃止に踏み切れない理由は、これらの社会がもつ潜在的な「敵討ち」の論理のせいであり、これらの国で国民死刑が支持されているのは、依然としてこの国の人々が「敵討ち」大好きだからなのではないか、と思っています

(5)展望死刑制度日本社会の今後

従って、核家族化が進行し、家族関係欧米化していけば、いずれは日本でも、死刑は廃止されるのではないでしょうか。ごく自然の流れとして。そうなっても不思議はない、と私は考えています。少なくとも、死刑を廃止した国々が「人の命を軽んじている」わけでも、「罪を償わせるシステムをもたない」わけでも、被害者を軽んじているわけでもない、ということさえ理解していれば、死刑廃止論というのを、まるで非現実的な論のように批判するのがおかしいことは、理解できるはず。そこで考えるべきなのは、「なぜ他の多くの国と違って、これらの国では死刑がなくせないのか」です。

(6)終わりに

最後に、ちょっと厳しいことを一言

死刑廃止論感情論だと決めつけて、叩く。そういうのを「案山子論法」と言います。相手の実体でなく、自分勝手に想定した案山子のような無力な「敵」を相手に、(自分の中では)華麗にワン・ツーを繰り出し、ノックアウトする。気持ちいいかもしれませんが、それはただのオナニーです。

死刑廃止論を批判するなら、もう少し死刑法律社会に関する勉強をしてからにした方がいいと思います


追記

※参考:抑止効果という神話 http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20070901/1188667970

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