はてなキーワード: 左翼団体とは
8月初頭に書いてたやつ
去年ポケモンGOが日本で配信された前後に、広島・長崎の平和公園を含むいくつかの観光地からポケストップが削除された
そして当時それに対し「観光地からポケストップ外すのはおかしくね?」みたいなコメントをニコ百かどこかで見かけた記憶がある
(ソースや正確な発言内容はうろ覚えなのでどういう文脈で批判してたのかは忘れたが、なんかポケストップ除外に否定的だったのは覚えている)
他観光地は知らんが少なくとも広島平和公園に関しては英断だったと思うよ、早めのポケストップ削除申請
まず観光客が大量に押し寄せる、次に小中学生も大量にやってくる
その上いくつもの平和団体反原発団体左翼団体右翼団体ネトウヨ団体街宣車新宗教団体がビラ配りや署名クレクレやパフォーマンスをやっているんやで
長崎の方は行ったことないがおそらくあっちも9日近づくと大体同じだろうし
カレンダー見てふと去年の今頃こんなこと考えてたなーと思い出したので書いてみた
まあ、言いたいことは分かる。
でもな、こういうナショナリズムを隠したフリして隠せてない作品が受け入れられてしまうのも
ブサヨ含めた個人主義の左翼団体が、全然個人主義自由主義じゃないからだろ?
根本的に日本に左翼は合ってないし、結局はお国のために死ねっていう消耗品であることをサラリーマンたちは自覚している。
無理に抜け出そうとすると腹の皮が破けることを知っている。
薄々分かってるからこそそんな自分たちを暗に認めてくれて褒めてくれるシンゴジラが嬉しいんじゃないか?
彼らは「心臓を捧げよ!」って誰かに言ってもらって
それでカッコつけて死ねればいいや、というのが望んでいる着地点なんだ。
未だに特攻精神が根強いのもサラリーマンが国に取っての税収の特攻隊員であり
彼らは自分たちがお国のためにガソリンの漏れた戦闘機に載ってることも理解している。
だからこそ慰めの言葉を誰かに掛けて欲しい、それもできるだけカッコつけてな。
だからこれはこの着地で合ってる。
日本には搾取される側の派遣やサラリーマンが圧倒的に多いから絶賛されるのは当然。
傷口を舐めてくれるんだから喜ぶに決まってる。
庵野はエヴァで傷口の舐め方も広げ方も知ってるのでお手の物だったろうな。
ネタでないとすれば論旨から見て君は僕よりもずいぶん若いと思う。
そして、現在の君の分類法では僕は「ウヨク」ということになりそうだ。
なので当然、左翼団体諸党派でどういう教育や文化が実践されているのかはわからない。
それともサヨク的な人たちは何処かでそういったプロセス(違う論点→レッテル•否定→説明しないで蔑む)を体系的に学ぶのでしょうか?
今では俺も相手がこのプロセスに入ったら「俺、また勝っちゃったか」と思うことにしてにやにやするだけで返信をしないことが多い。だが、君はとても鋭いと思う。
昔は俺はこういうことをされると腹を立ててずらされた後のほうの論点に反論してしまい、結局、足元をすくわれることが度々あった。
結局、自分の力ではきみのように定式化できなかった。
が、あるとき、偶然見たページで疑問が氷解するように感じたことがある。
大衆や労働者の中に入って、政党や組合の組織を作ったり、その強化や拡大をはかったりすること(人)。[狭義では、共産主義のそれを指す]」(新明解国語辞典第三版)
と、字引には書いてある。
で、世の中には「オルグ学入門」という本がある。
内容がここで紹介されている。
http://psychodoc.eek.jp/abare/org.html
返答に窮した場合に論点をすり替えるテクニックが7つに類型化されて推奨されている。
中核派とか革マルとかは君も大学で見たことがあるかもしらんし、左翼系の政治家がああいう団体と関係のある(あった)といって時折叩かれているのは知っていると思う。
著者によれば、それまで勘や経験にのみに頼っていたオルグを体系化したものだそうで、こういう人々はもともとこういうテクニック・文化を持っていたのだと思う。
かれらのやっていることをみるとこの本、今でもひそかに彼らのなかで受け継がれているのではないかと想像する。
ブサヨとかネトウヨになるモチベーションはなにかと今日一日考えていた。
やはりあれだけの負の感情をもち、ネガティブな行動を続けられるのは、
ただ、直接的に右翼団体や左翼団体に負の感情を埋め込まれた、発生させられたとは考えづらい。
―右翼のヤクザみたいな人たちに恫喝されたとかはあるかもしれないが―
普段生活する上で政治的立ち位置に対し憤りを覚えることはそうそうない。
怒りや憎しみなどの感情は、身近にあるからこそ、自らに影響を与える可能性があり、自ら関与できる可能性があるからこそ
とすると、政治的立ち位置などの実生活とは離れたものに対する怒りなど強めようがない、ということになる。
つまり、右翼左翼などの政治的因果とは離れたところで植え付けられた負の感情を右翼左翼的な感情として発散していると考えられる。
なぜそんなことが起きるのか。
それは簡単な話で、自らの醜い怒りの感情も、大義名分を持たせてでかいステージに立たせてやれば綺麗なものに見える。
そう考えているからであろう。(実際は、全くそうではなく個人的な感情が見えすぎて醜い事この上ないのだが)
ブサヨもネトウヨも結局は常日頃たまった鬱憤を適当に晴らしているだけにすぎないのだ。
それは、彼らの言動を見ていればよく分かる。
政治家をバカだとこき下ろし、それに民衆が騙されているとして民衆も見下す。
「奴らは馬鹿でものを知らない!ものを知れば皆自分と同じ結論に至るはずだ!」
全部このパターンに当てはまる。
彼らは、おそらく日頃上から押さえつけられる生活をしており、内心では「俺のほうが優秀で頭がいいのに」と思っている。
そうしてためられたルサンチマンが政治問題など広い世界の事柄に乗っかって発散される。
彼らが求めているのは解決でも理解でもなく、発散。そして承認である。
しかし、彼らは自らのことを賢いと思いながらもその実本当の自分の意見を持たない。
どこかで見た意見をパッチワークして自らのもののように振る舞っているだけである。