お皿の切り取り方=丸の切り取り方ってどういう風に考えたらいいか、自分がたどり着いた答えをこっそり教えたいと思います。
突然ですが、ここでゲシュタルトさん(人名ではない)に登場してもらいます。
ゲシュタルトといえばゲシュタルト崩壊が有名ですが、写真というのはまさにこのゲシュタルトとの戦いといっても過言ではありません。
崩壊ばっかりが有名になってしまっていますが、このゲシュタルト心理学の基本は認知にあります。
例えばそこに☓が書かれているとして、人はこの☓を二本の線が交差していると考えるのが普通ですが、実はこの☓が2本の線なのかどうかは定義されていません。
vが上下に重なっているかもしれないし、くが左右、もしくは短い4本の線が集まっているだけかもしれません。
それを二本の線が重なっていると考えるのは、人間がそういう風にものごとを捉えやすい生き物だからという理由以外にないんです。
お皿の話に戻ります。
目の前に丸いお皿があれば、このお皿は丸いんだと人間は疑うことなく認知します。
例えば片側を切り取ってみたり、上と右の一部を切り取ってみたり。
上下左右全てを切り取ってしまうと流石に丸いお皿だとは認知できなくなってしまいます。
では、どこまで切り取れば、これが丸いお皿だと人間は認知ができるのでしょうか。
そうなんです。
お皿全体を写さなくても丸いと認知できることが、写真で丸を切り取るときに大事な考え方といえるのです。
言い換えれば、写真の外の部分を想像で補完できる余地を作ることが写真の面白みと言えるのかもしれません。
どこまで切り取るか、どんな切り取り方をするか、そんなところに撮り手の個性がでてくると言えます。
写真を撮るということはつまり時間も空間も切り取るということ。
せっかく切り取るのだから、ただ切り取るだけではなく、切り取る前の姿が自然と想像できるような、連続の一部だということがわかる写真が撮れると面白いのかもしれません。