なんか寂しいなと思うと献血に行っている。
オススメはバスみたいな出張献血所じゃなくて、どこかの建物の中に入っている献血ルームだ。
献血ルームに行くとちやほやされる。色々な質問をされてお医者さんの問診を受けてちょっとした血液検査をして、お菓子と暖かいお茶が貰える。お菓子を食べ終わってホッと一息ついたら、血を抜かれる。
歯医者さんや美容院にある寝転ぶ椅子みたいなものに寝かされ、看護師のおばちゃんたちが鮮やかな手さばきで僕の運動不足な体からどろどろの血を抜いていく。
その間好きなテレビを見たり、好きな本を読んだり、おばちゃんたちの手早い仕事を観察したりできる。
血を抜くのは個人差もあるがだいたい15〜20分くらいだと思う。その間に何度もおばちゃんが気分悪くない?と聞いてくれる。詳しいことは忘れてしまったけど、足を組んだり組み直したりすることを勧められる。気分悪くなるのを防ぐためだった気がする。
血を抜き終わったら、おばちゃんが包帯を巻いてくれる。首からタイマーを下げられて、このタイマーが鳴るまではここで休憩していってねと言われる。30分か1時間くらいだったと思う。
僕は1人一個までと書かれたアイスクリーム用冷蔵庫から雪見だいふくをもらう。飲み放題のジュースを心ゆくまで飲む。おばちゃんに巻いてもらった包帯をぼーっと眺めていると、こんなしょうもない僕を構成しているどろどろの血でも、こんなにちやほやされるほど必要とされているんだと実感できる。
こんな僕の血でよければいっぱい使ってほしい。無味乾燥に生きている僕なんかよりよっぽど生きる価値があるのに、誰かから血をもらわないと生きていけない人が居るはずだ。
400ml献血は3ヶ月に一回しか行けないのでもどかしいけど、献血に行く度に、献血するのに特に問題のない肉体を持っていることに感謝する。
献血は最高だ。積極的に良いことをする勇気もない僕が献血ルームに行くだけで、お菓子を貰えて、飲み物を貰えて、たくさん心配してもらいながら誰かに感謝されることができる。優しくされたいっていう不純な動機なのに。
首筋にチョップして静かにさせる
奨学金使え。
一体いくつなんだよ?
そんなで医者になるのかよ。。。不安しかねーぞ。あなたに当たる患者は。
医者の場合は地方の大学病院や総合病院が勤務を条件に金を貸してくれるはず。
元増田を放ったまま変な流れやめて
http://blogs.itmedia.co.jp/sakamoto/2018/01/Center-Geography-Moomin.html
を読むに、良問とのこと。
高校生のヨシエが、8月9日から8月17日の日程で7泊8日の北欧旅行をしているのがダメ。
超絶オンシーズンに7泊8日。1人30〜50万。
家族4人でコミコミ150万みたいな旅行をできる、オンシーズンに休みが取れる時点でホワイト&富裕層。
不適切。
金は十分あるふりをして合格をもぎ取ったが、本当はあてなんかなかった
入ってしまえばなんとかなると思っていたが、なんとかならなかった
俺の勉強時間と寝る間も惜しんで働きながら勉強してきたのは一体なんだったのか
成績も良いし医者になる能力はあるのに、金がないってだけで排除される
色んな学校利用の条件を制限してくれて構わないから学費を安くしてくれと言っても通らない
図書カードも返却して使わない。併設のジムや交流スペースなんかも一切利用しないから使わない。部活動も公式サークルも入らない。
そうやって使わないサービスを切り落として、医師免許取るのに必要なものだけ利用することを前提にしたら絶対学費がクソ高くなることなんてないはずなのに。
セットで取るとか詐欺だろ。
お前ら俺の為に声を上げてくれ。
頼むよ…
壁が通すのは水と光と空気だけだ。
どこかで誰かが調査しているのかも知れないが、外に出られるまでは時間が掛かるだろう。
幸い一部の通信機器は生き残っているからこうしてあなたに手紙を送ることは出来る。
ただ外部との接続は時間の流れがぐちゃぐちゃで、途方もない過去からの手紙や、遥か未来からの手紙が届いたりする。
私達の町だけではなく、全ての町が分断されているのだ、と分かったのもそうやって届いた情報からだ。
私の町は何もない場所だった。
それでも恵まれていた、と思えるようになったのは世界が分断されてからだ。
私の町には大きなダムと水力発電所、広い農地に畜産場があった。それから山と、学校に病院、工場。
おかげで町からの出入りが出来なくなっても、電気や水に困ることは無かった。
米も野菜も肉も、川魚の養殖場に綿の織場まであるこの町は、生きていくには最適な場所だった。
かつて都会を支えるために存在していた町は、今は1万人の住人を支えるためだけに稼働している。
それでも時折繋がる通信網から、少しづつ自給自足の手がかりを得ようとしている。
ただっ広い土地を持つこの町は、新しい何かを作り出す設備にはこと欠かないのだから。
時折閉塞感を感じることはある。
将来の夢の多くは、本当に幻になってしまった。
それでも危機感からなのか、私達の繋がりは前より濃くなった気がする。
町が閉じられてから三年目、出生数が死亡数を超えた。
私達の住む山あいの小さな町は、かつて限界集落とか、過疎の町だと言われてきた。
緩やかにいつか終わりが訪れるのだろうと、この町の未来をどこかで諦めていた。
諦められて見捨てられた終焉の町が、私たちを逃がさないために壁の内に閉じ込めたのだろうか?
いつか返事が届いたら嬉しいです。
去年の6月ごろに大腸の不調を訴えていた私。パニック障害になり電車も車も苦手になったのは数年前の話だ。
大腸のポリープを手術した父、内視鏡検査をした家人の影響を受けて「自分もそろそろ病院にかかった方が良いのかも知れない」と懸念していた私よ。おめでとう。この度めでたく肛門科デビューしました。
待ち時間2時間、大河ドラマを観つつ待機し、問診の後ヌッと肛門に器械を入れられた。
パシャパシャと写真を撮るような音が聞こえた。初めての直腸健診を受けた時は恥ずかしくて泣いたけど、覚悟して行ったから何の事はなかった。