子供の頃におそ松くんが好きで、ボンボンから出ていた単行本を買い揃えた。
おぼろげな記憶だが、後半になると六つ子が出なくなったうえ、小説や映画のパロディと思われる
話が中心になった。六つ子が出ていたときのにぎやかな楽しさが無くなっていたと思う。
ピルは便利だけど合わない人には無理っていうもんな。
「飲んでみたけどどうにもしんどくて無理だった」といえば普通の人なら「ジャーしかたないね」でスルーしてくれるよ。
他の薬試して見なよと言われても、一度目で嫌な思いしてたらお薬シッピングなんてする気になれないし。
飲んだことが一度もない人にはおすすめはする、けどね。
飲まず嫌いはもったいないなと思う。ダメな人はダメだけど、効く人は効くから。
薬局とかで買えれば楽なんだけど。
釣り乙。
何回も「帰れって言ってるんだから帰れ!」
って言われるから、ある日皆で帰ったら
要は怒りたいだけなんだよ。
過去の時代が美しい、というセンチメンタルな人々には与しないが、過去が野蛮だというこの人のセンスには、もっと賛成できない。
『ハトは最も残酷だ』という話を思い出す。強力な牙も爪も持たない無力なハトは、群れることで生き延びている。そんな彼らは、しばしば仲間イジメをする。そのやり方とは「全員でなぶるようにつついて集団から追い出す」だ。一撃一撃はソフトだが、集団でやればそのダメージは計り知れない。そして、元々無力なハトは集団から追い出されれば死ぬしかないのに、追い出す側は「オレは一突きつついただけだ」と、罪悪感を感じない。
この人の言う「現代メディアの『配慮』」とやら、そして、それらが煽り立てる匿名集団による炎上行為は、ハトの残酷さを思い起こさせる。誰も責任を取るつもりのないソフトなリンチがまかり通る社会。日ごとに悪ふざけのような発端で祭り上げられる犠牲者と、次の犠牲者を指さしながら、巧みに被害を被らないようコソコソ「善良に」語ろうと「配慮」する強者(メディア)たち。個人の強い意思や人間性といった尊いものが、その中でどんどんと失われていく。ハトのリンチに誰もが脅え、身を隠そうとすり減らす毎日。
『荒々しくて粗雑で野蛮な時代』というのは、一体いつの時代のことなのか?
あるいは、こう言うべきなのかもしれない。
我々が『荒々しく粗雑で野蛮』でなくなったと思っているとすれば、それは幻想だと。
こういうこと言う人ってよくいるけど、どういう意味なんだろう。弱くなるってどういうことなんだろう。
でも、好きなことだったら(たとえばスポーツ選手とか)続けてるし結果を出してる人もいる。
街の本屋がAmazonのせいで潰れまくってるってそれ何度目だって話題が今日もあったので、ネット時代でも客が呼べそうな本屋モデルを妄想してみる。
まず、本屋の棚には本の表紙とかんたんなレビュー、及びQRコードが印刷されたカードが並んでいる。このカードは出版社側で準備される。客はカードを持ってレジへ行く。レンタルビデオ形式で、カードと引き換えに現物が買える。現物を棚に並べないことで万引き対策にもなる。あと、他人の触った本を買いたくない人にもうれしい。
ということで、カードのQRコードをスマホや電子書籍端末から読み取ると、その本を端末から電子書籍版を立ち読みできるようにする。ネットの試し読み以上に読める。なんなら全部読める。ただし、本屋のwifi範囲内でしか立ち読みできない。さすがに全部読めるのはマズイって場合は、1冊辺り20分までみたいな時間制限をかけたりはありかも。
あと、アマゾンみたいにユーザーレビューが閲覧できてもいいね。
本屋にカードのない本も、スマホや電子書籍端末から検索すれば電子書籍として買える。上記立ち読み機能もフル利用できる。気に入れば端末でポチることもできるし、端末にQRコードを表示させて、レジで現金でも買える。当然手書きの領収書ももらえる。
音楽配信も試聴&購入可にする。試聴はwifi内限定でフルで聴けるようにする。CD屋の試聴コーナーもほぼフルで聴けるでしょ。
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問題はインフラ投資にけっこうな費用がいるのと、このシステムは別に本屋じゃなくてコンビニでも運用可能なことですかね。
本屋がこの先生きのこるには、多様化するニーズに対応できる在庫問題を解決しつつ、ネットではできない体験を提供する以外にないと思うのだけど、他にいい方法はあるだろうか。
これ以外では、もう街の本屋を全部ヴィレッジヴァンガードにするしかないよね。
野菜室の野菜とあまり物の肉を鍋でいためて、トマト缶とヨーグルト、コンソメとかもろもろ入れて適当に煮込む。
→半分は大皿によそって適当にタンドリーチキンの元をドバドバ。なんちゃってカレーになる。酸味がうめぇ。
→半分は鍋に水を入れてコンソメを少し足してトマトスープにする。数日分の作りおきになる。普通にうめぇ。
これで大寒波乗り切る。
渡邉正裕 @masa_mynews
はてな民=かつての2ちゃんねらー。同感/はてな民って2chロムってる人たちとほぼ同じで、
生産性がない人たちというのが、私のユーザーとしての感覚値であり、
インターネットの世界に対して、ポジティブな影響を与えているとはあまり思えません。 http://blogos.com/outline/156228/
行儀やマナーの話題で、「育ち」や「お里」なんて言う言葉を使ってるコメがある。それにスターが集まってたりする。
行儀が悪かったら、行儀が悪いって言えばいい。
なのに、「育ちが悪い」だの「お里が知れる」だの、根拠もなく、本人ではどうにもできない属性で批判するのは、批判と言えるものなんだろうか。
肌の色で人を区別する事とどう違うんだろうか。
レッテルで差別する意図があるなら、正しい使い方だからそのまま使い続ければいい。
そうでないなら、そんなアホみたいな文句は使わない方がいいと思うよ。
そうじゃないでしょ←これが没落の原因だばかたれ