業界の人が繰り返し言ってるのはそういう業種じゃないよって話でしょ。(皆無とは言わんが、一般の人が思い描いているようなものではない、ってこと)
そう、そこが不思議なんだよな
「今回の騒動は佐野個人がやらかした事ですから、デザイン業界としてもこの件は厳しく対応しますよ」
「いやいや佐野の行為は業界ではみんな当たり前にやってる事で、別に騒ぐような事じゃないんですよ。トートバッグの件?ああ、あれは別です。あれはダメでしたね。でもそれ以外はいたって普通の事ですから。たまたま似てるだけですから。トートバッグは盗作でしたけど、それ以外は偶然です。うちの業界ではあれが当たり前なんです」
うん、理解できないよ! 説明して!
20代女子にそそのかされて、引き立て役として連れてこられるんだよ。
子供のから指先が震えやすくて、緊張もしてないのに手が震えたりしてそれが原因でからかわれたりした。
少し大人になって、どうやらそういう症状になるときっていうのは血中の糖度が低いからだということがわかった。
その頃から、空腹や血糖値の低下を感じたらチョコレートやビスケットを食べてしのぐ癖がついた。
外出先で急な低血糖に襲われることもよくあることだったので、いつもかばんにもアメやチョコレートとジュースを持ち歩いていた。
太りやすい体質と思いこみ普段から食べる量と運動には人一倍気をつけているのに、なぜか体重が増え続ける。
お昼とか外食行くと自分は半分だけ食べて残しているのに、毎年の健康診断では体重は増えていく一方だった。
朝は週4回、40分のウォーキング。
炭水化物は基本的に朝と昼だけ。しかもお昼はお茶碗1/3程度。
粉物をさけ、できるだけタンパク質と野菜類を、それも腹八分目で終わるように食べていた。
それでも増え続けた体重が標準から10kgオーバー近くに達した時点で、意を決して強烈な食事制限をかけた。
朝はおにぎりかパンを1つ。昼はそれにインスタント味噌汁を加えたもの。夜食はプリン一個。お酒はコップ2杯まで。
その間、空腹を感じたらストックしてある一口サイズのチョコレートを口に放り込んだ。
それでも一日平均して5個位だ。
それによって、体重は年齢でいう平均まで減らすことができた。
それからも空腹時に甘いものを食べてごまかす生活を続け、なんとか体重を維持できるようになったが、それでも食事の量は人並み以下のはずなのに一向に減る気配がない体重が疑問だった。
ところが、しばらくして低血糖のような症状に陥る頻度が増えてきていることに気づいた。
チョコレートを食べる頻度と個数が増え、その分食事を減らしても体重は増えていった。
その頃から気分が鬱になり悩むことも増え、ドライヤーをしたときの抜け落ちる毛の数が増え始めた。
たたでさえ以前から急に便意を催すような弱かったお腹は、とくにお腹を壊していなくても水っぽい便が1日に4~5回でるようになった。
それも、一回につきすっきりとした感覚を得るために最低でも15分はトイレにいる必要があった。
飲み物にも日常的に甘いモノを欲するようになり、だんだんとそうした欲求が制御できていないことにも気づいた。
ちょうどその頃、はてなの10周年記念か何かで、「20年来のつらさがほぼ消えたことについて」という大人気増田を読んだ。(トラバは自重する)
実に症状が似ていたので、もしやと思いまずは間食をチョコレートからナッツに変えた。
それから糖質という言葉を調べてみたところ、人参や根菜などの糖質を野菜だからと普段から多く摂取していることに気づいた。
そのため、炭水化物以外にも糖質の高いものをできるだけ生活から遠ざけることにしてみた。
昼:仕出し弁当。ご飯半分。揚げ物や根菜など、糖質の高いものは食べない。
夜:肉か魚100gくらい。つけもの、サラダなど。炭水化物はある一定以上の量を食べない。
間食は昼前と15時くらいにナッツを10粒程度ずつ。
はじめのうちは低血糖を恐れるような生活だったが、1ヶ月もしないうちに持ち歩く荷物からお菓子が消え、飲み物はミネラルウォーターに変わった。
うっかり週末に食べ過ぎたりすることもあるが、以前ならそのまま体重に跳ね返ってきたのが今は2日もすればもとの体重に戻るようになった。
低血糖にはまだ多少なりやすいものの、ドライヤーで抜け落ちる髪の毛が半分以下に激減した。
あの記事を盲信するわけではないが、自分にとって糖質という意味を正しく理解して行動することは人生において大きな意味をもたらしてくれたようだ。
最後にこれを書くと茶化すようで気がひけるのだが、漏らさなくなったことをきっかけにもう増田を卒業しようと思う。
馬鹿の考える「オリジナリティとクリエイティビティ」=「これまでに発表されたありとあらゆる作品と全く異なり、かつ誰が見ても良いと思えるもの」ってことだから話にならんよ。
構造化プログラミングは、実社会で例えると自分ひとりで全部の作業をするスタイル。
だから、自分ひとりでやりやすい段取りを考えてこなしてゆくように書く。
一方、オブジェクト指向は、、何人かの部下ちゃんに仕事を頼んで作業するスタイル。
要約すると、
で、2組のカップルができるけど、一方は(たぶん)うまくいき、一方はうまくいかなかった
それはどちらも竜之介と渚の未来として有り得るなりゆきだっていう
そして髙橋留美子は意図してやってるんじゃないかっていう
この↓認識が違うんじゃないの?
業界の人が繰り返し言ってるのはそういう業種じゃないよって話でしょ。(皆無とは言わんが、一般の人が思い描いているようなものではない、ってこと)
そんで、今後も使えるかどうか判断するのは彼に発注する顧客であって、オリジナリティやクリエイティビティ以外の本来期待すべき仕事ぶりが毀損されてないと考えれば今後とも発注し続けるんじゃないですかね。
名前を表に出すかどうかは宣伝効果を考えて顧客が判断することで、今回のことで一般受けが悪いって判断されるようになったら名前をあまり表に出さないようにするだけの話では。
どうやら「植民地支配」は「侵略」じゃ無いらしい。本当かなあ、と思いつつ、プログラムを書いてみた。
PHPですね。
if( "植民地支配" == "侵略" ){ echo "植民地支配は侵略です。"; }
んで、実行したが、"植民地支配は侵略です。"とは出てこなかった。
なるほど、"植民地支配は侵略です。"とか言ってた人は馬鹿だったのね。
厳密な「===」ではなく「==」でも"植民地支配は侵略です。"が出てこない、ということは、明らかに植民地支配は侵略では無いのね。
右の人達が言ってることが、とーってもよくわかったよ。
イスラームの聖典の一つであるハディースには「イスナード(伝承経路)」と呼ばれるセンテンスがあって、各パラグラフは次のような構成になっていることが多いんだ。
「「「「「~」と、ムハンマドが言った」と、アル・ナントカが言った」と、アブドゥル・ナントカが言った」と、イブン・アル・ナントカが言った」
本文だけ読みたい非イスラーム教徒が見るとうんざりするような引用の入れ子だけど、当時においてはこのイスナードの存在が「出典の担保」という重要な役目を果たしていたんだ。ムハンマド死後の神学者の重要な仕事は、イスナードに現れる学者の名前をすべてクロスチェックし、信用できる引用とそうでない引用を分けることだった。だからイスラーム神学は実証主義的歴史学の走りだと言う人もいる。
さて我々が倫理や価値観などについて議論を戦わせる時は、引用を重ねるよりも意味を確かめることを重視するよね。「つまりこういうことかい?」と言い換えて理解のすり合わせを行うこともあるだろう。論理の妥当性をめぐって話し合っているのだから、論理が正しく伝わるかぎり表現には変化の余地がある。間違って伝わっていたなら改めて別の表現で伝え直してもいい。
しかし究極に高まった存在である高能様のお言葉を読むときには、「こういう意味かな?」などと自分なりの解釈を試みてはいけない。それはお言葉に論理の枷をあてはめようとする冒涜的行為となる。そうではなくお言葉をテクストと捉えて歴史学的アプローチを採用し、他分野の人にとっては冗長とも見えるような引用を用いてでも、「一言一句誤りなく伝わっているか?」を重視する必要があるんだ。伝承の真正性さえ確かならば意味や角度について思い悩む必要はないんだよ。それらは人生の中でおのずと明らかになるはずだから。
はてなブックマーク - イオンがPB改革 不評の「安さ重視」から転換 セブン&アイ追い上げ図る (1/4ページ) - SankeiBiz(サンケイビズ)
見てると悲しくなってくるレベルで拒絶されてるな…。
だいぶ前に
http://anond.hatelabo.jp/20150707012907
こんなん書いたけど全然伸びなかったし、本当にみんな忌避してるんだなぁ…。