はてなキーワード: 銀英伝とは
BASICとマシン語とかりかりに圧縮した暗号のようなゲームプログラミングを教えてくれた。
学校でCを知ったときに「何これ速くてわかりやすい」と思わせてくれたけど、結局はpythonとjavascriptとRしか使っていないどこにでもいるリーマン。
当時の人気は賈詡とか徐庶とか軍師系だったので、脳筋イケメン好きな現役オタの姪っ子とは話が合わない。
おっさん同士が悪態をつきあうのがおもしろいと思わせてくれた。
独自の考察が流行って、それを前提にした思わせぶりな演出も流行って、もともと思わせぶりな演出が好きだった俺のゲームもそこそこ売れた。
今は20倍くらいに薄めて売ってる。
今、ああいうのどこでやってるの?
ばあさん飯はまだかのう。やーねー、昨日食べたでしょ。
https://togetter.com/li/2401236
上記のまとめがはてブで視界に入ったのでちょっと思ったこと適当に書く。
そのための努力をヤン・ウェンリーがやってたのか、という問いが出てくることは
理解できないわけではない。
ただ、そういう「政治」を嫌ってるのがヤン・ウェンリーというキャラであり、清濁併せのむキャラは
「ヨブ・トリューニヒト」がやってる(物語後半まで「清」」」の部分は見えないけど)。
銀英伝という物語は、軍事の才も政治の才もすべて一人の名君に集まって最高に輝く瞬間の独裁のメリットと
軍事の才と政治の才がバラバラで連携せずにくすんでしまっている民主共和制のデメリットを対比させてるところが面白い。
けど、民主共和制の側の才能を全部ひとりに集めてしまったらそれはもう民主共和制じゃなくて独裁と変わらん。
表立って動く独裁者 vs 裏から手を回す独裁者 という話になってしまう。
物語の根幹をなす対立構造がなくなってしまってそれじゃ面白みに欠けると思う。
俺にとって銀英伝はこういう対立構造を描いている物語だと思ってる。
「名君のいなくなった独裁制」は次の名君が出てくることを祈るしかないし、
「主権者が責任放棄した民主共和制」は主権者が責任感を取り戻すことを祈るしかない。
特に10代から20代の設定で売ってる女性Vが平成初期のライダー作品を知ってたりするとすぐに「年齢詐称」、「BBA」とかって荒れるけど、年齢不詳のまま活動しているゲーム・アニメ好きが売りのVがガチ目の無印種の思い出語りしててもコメント欄は穏やかなもんだしな…。
そもそもサブスクで過去作品が簡単に見られるんだから、古めの作品を知ってることがBBAに直結しない。私だって20代だけどOVA版銀英伝とか、宇宙世紀ガンダムとか聖闘士星矢とかサムライトルーパーとか完走しているし、アニメや特撮好きなら古い作品に精通してても何ら不思議ではないはずなんだけど、Vの追っかけにそこまで考えろってのはちょっと残酷か…。