はてなキーワード: 海軍カレーとは
立地:A
歴史:F
建築:F
観光:F
繁華街の近くにあって立地が良いだけで、他に良いことは何一つない神社。
それが護國神社。
寺社仏閣としての歴史は浅くて明治時代以降に作られたものだし、社殿は質素で特にみるべき物は無いし、観光に行っても何一つ面白いことはない神社。
それが護國神社。
靖国神社は明治維新から大東亜戦争までの歴史資料の展示があるし、アームストロング砲やゼロ戦などの兵器の展示があるし、食堂では海軍カレーが食えるし、お土産屋では兵器を模したグッズだったり、小林よしのりや百田尚樹の右翼本が売ってるんだぞ。
地方を観光する際にせっかくだからと護國神社に寄ることもあるけど、どこに行っても観光する価値が無くてガッカリするんだよな。
この時期になると靖国神社が話題になるが、地方都市育ちの私にとって靖国神社は左翼と右翼の対立の地だと考えていた。
付近の道路は旭日旗で武装した街宣車が国歌や軍歌を大音量で流しながら走り回り、神社の前で左翼と右翼の有力者がそれぞれマイクパフォーマンスをし、時にはMCバトルをする。武装した警察官はその様子を遠巻きに見守りながら暴動に備えている。靖国神社はそんな場所だと想像していた。
数年前就職活動で東京へ行った時に、左翼と右翼の対立を遠巻きに見てみようと物見遊山気分で靖国神社へ行くことにした。日曜日に靖国神社へ行って暴動に巻き込まれたりしないだろうか、できれば人が少ないであろう平日に行きたかったな、と考えていた。結論から言えば、その心配は杞憂に終わった。
靖国通りは人混みや街宣車がいるだろうと考えて、九段下駅を降りてからは路地へと入っていった。富士見書房本社(現:KADOKAWA)や地方都市育ちの私でも名前は知っている白百合学園があることを除けばごく普通の閑静な住宅街であった。ほとんど人とすれ違うことなくたどり着いた靖国神社の入り口は「七五三 受付中」の垂れ幕があるだけで、政治的要素の無い至極普通の神社という様相だった。
神社の中はちらほらと参拝客がいるだけで、左翼・右翼どころか団体客や家族連れすらいなかった。神社内に靖国神社の由来を説明する看板があったが、戦死者に対して哀悼を捧げる文章が政治的要素無く書かれていただけだった。鋳物の大砲が展示されているのを見て、食堂で海軍カレーを食べて、売店へ行った時にようやく政治的要素を発見した。小林よしのりの著書がズラリと並べてあったのだ。だが、発見できた政治的要素はそれだけだった。小林よしのりには特に興味がなかったので、大砲の形をした瓶の瓶詰めキャンディーを買って靖国神社を後にした。
数年前の実体験なので今はどうなっているかわからないが、メディアが靖国神社を報道する頻度は年々縮小傾向なので、今も靖国神社は静かな神社であることに違いはないだろう。
結局期限付きクーポン配っても
で、おもったんだが
(なんかすでに近いことは各社がやってそうだけどさぁ)
今までのありとあらゆる動画(ただしグロホラー終末アダルト以外)から
「これだけは見ると気分がよくなる」とか
一人200分をアマプラネッフリどこでも各社で無料で見れるフェアとかやらねえかな
とかそういうのやってくんねーかな
TEDやMITはじめガチ学術系はアメリカのプラットフォームが多いから無理か
でもおうちであそぶじわっとくる生活知識系でも結構トップとれるやつあるじゃん
そんでマスクの手洗い方法と荒らしの手洗いソングをCMに入れて
やってもいいとおもうんだよな
いやほら簡単チーズおつまみとかテイストメイドジャパンがやってるじゃん
飲んべも意識高く飲めるじゃん
タモさんのカレー・・・海軍カレー・・・長瀬カレー・・・うむむ
それなら人のいない田舎で外で広々遊べるやろ
さかくら総本家さん、ボークスさん共に物販大盛り上がりですね!
さかくら総本家さんは本日終了なので、心残りの無いように・・・
ご存じのとおり、主人公たちの通う学校は「横須賀女子海洋学校」
当然横須賀にある学校なので、物語の始まりは横須賀からになります。
そりゃそうです。1話から12話まで主人公は日本自体に居ないので。
横須賀とのコラボは急遽決まったもので、3話のコンテを書き直したりもしたそうです。
横須賀とコラボしているのに横須賀がほとんど出てこないアニメになりました。
ですがですが!ちゃんと横須賀要素は入っているんですよ!
まず横須賀のご当地グルメである「海軍カレー」「ネイビーバーガー」「チェリーチーズケーキ」が出てきます。
さらにはさかくら総本家さんとコラボした和菓子やプリンも作中に登場するんです。
さあ、本日はここまでです!それではまた次の機会に!
ぼくらが眺めているのは、「可愛い美浜ちよ」と「美味しそうな海軍カレー」なのだろうか。きっとそうなのだろう。
ちょっと下膨れな幼顔で小柄な美浜ちよは確かに可愛らしいし、とろりとライスにかけられるカレーを見ると、きっと実際に食べても美味しいのだろうと思う。
しかしそれらを基底で担保しているのは、どことなく家族関係を連想させられる女の子集団の中でのちよの立ち位置である。あるいは、到底採算の合わないカレーを作るため、石ちゃんが野菜を買い求める手続きである。実際に可愛くて美味しいのか、ぼくらは本当には知り得ない。ありありとした感覚で触れることは、遂にできないのだ。
榊さんがちよを心配して密かに打ち震えたり、あー可愛いなもう、とよみが苛立たしそうに叫んだりするとき、ぼくらは満足感を覚える。あずまんがを読んでいて良かったと思う。「まいうー」と石ちゃんが宣言するとき、安らぎを覚える。
可愛いと思うのも、美味しいと思うのも快楽。そして、快楽の主体を遠巻きに眺める主体であるぼくらは、遠くにいるが故に幸せなのだ。