はてなキーワード: 注射とは
自分が信じて自分で飲むとか、大きく譲って自分の子供や配偶者に飲ませるのはまだいい。
ハチに刺されてショック状態の旦那にエピペンの注射を頼まれていたのに、
ホメだといっていろいろ入れた風呂に入れて放置(そのまま置いて外出)したら、
たまたま運良く助かったのを「やっぱりホメはいいんだわ」みたいなこと言ってる人もいるが、
それもまだいい。
問題は、「医療者が」「患者ではなく自分の信条に基づき」「危険をもたらす可能性のある行為」をした結果
患者が死んだりしていることでしょう。
これ、3点あるのが重要だと思うんだよね。
「医療者が」でなければ、たとえば患者本人や患者の肉親(本人が未成年の場合)なら、自己責任だし、
「患者ではなく自分の信条に基づき」でなければ、たとえば信仰による輸血の拒否とか、それも自己責任。
「危険をもたらす可能性のある代替行為」でなければ、たとえば切り傷にツバつけるとかなら問題ない。
助産師はホメを信じてはいけないとは言わない。信じたければそうすればいい。
押し付けてません、提案してるだけですなんて詭弁を言うかもしれないが、
助産婦が「これは○○の代わりでもっといいものですよ」と言ったらやっぱり信じてしまうし、
そこで断ることでそのあと不利益があったら困るしな。
たとえば風邪をこじらせて病院に行ったとき、医者に「いつもの総合感冒薬よりいい薬なんですよ」と言われたら
じゃあそちらを飲みますってならないか?
「大して痛くないくせに」って夫に言われた。
「あと2回ここくれば、それで終わりだよね?」
話だけ聞くとすごく最低な旦那に思えるけど。針を根元まで刺すのに「たいして痛くない」とか普通の人間なら言えない。しかもそれが自分のせいだとわかってるのに。想像力の欠如とかそういうレベルの話じゃないよ。
旦那にも、あなたが注射するときに同じ注射器で生理食塩水か栄養剤でも注射するようにしてもらったら? 病院で1回だけでも試してもらえばいい。
それだけ言われてて「ほんとうは優しい」と言えるあなたの神経もわからない。
きっと私がこうしてほしいって言ったら、そうしてくれる。夫は優しい人だ。だけど、自発的に思ってるわけじゃないのがわかって辛い。
だったらちゃんと言いなよ。自発的に思ってくれないのが寂しいってのはわかるけど、言わなきゃずっとわかってもらえないよ。本当に優しければ、1回言えば全て理解してくれるはず。本当に優しいなら、ね。
でも本当は、「言ってもわかってもらえないかも」って不安があるんじゃない? 優しいと思ってる旦那の姿が幻想かも、っていう危惧があるんじゃない?
夕食を一緒に食べたり、毎週一緒にいたりするのは別に優しいことじゃないよ。夫婦ならそれが普通だって。
夫婦として乗り越えていくつもりなら、思ってること、言いたいことはちゃんと言った方がいいよ。言わずに理解して欲しい、それはある種のわがまま。言われてわかる相手かどうかもわからない現状では、一緒に乗り越えていくなんて無理だと思う。もし実際に確かめて認識が違ってたら、またそこから考えればいい。今はただあなたは口を塞ぎ、旦那は眼と耳をふさいでお互いにそっぽを向いて闇雲に歩いているだけのようにしか見えないよ。
ほんの一ヶ月前にいきなり腰椎椎間板ヘルニアになってしまいました。
つまりは腰の骨と骨の間にある椎間板という組織が飛び出して、神経を圧迫することによりさまざまな症状が出るらしいのだが、
私の場合、腰は発症時も今も特に痛くなく、片足に強烈な痛みと痺れがいきなり出てきた。
今まで腰を痛めてぎっくり腰になったこともなかったし、
腰痛はまったくなかったってわけでもないが中腰とかつづけてその時だけ痛い程度で
特にそれらしい前兆は何もなかった。
で、発症と入院までの経緯なのだが。
いきなり片足のふくらはぎが張り出したと思ってたら、痛みが同じ箇所に出てきて痺れが出るようになった。
そして2時間ぐらいで歩くのがやっとという痛みになった。
その後は悪化する一方で、片足全体に痛みが走り、痺れがひざ下全体に及んでいた。もう片足にはまったく症状なし。健康そのもの。
座ってても何してても痛い。
ストレッチとか、シップとか試してみたけれど、ただただ猛烈に痛い。
昔足の指を3本骨折したことがあったが、それと比較にならないくらい痛い。
バファリンを飲んでみたけれど、まったく効果なし。
なんぞこれ状態。
その日はどうしても仕事場にいないとまずい日だったので、なんとか自分をだまして定時の18時まで居て退社して、
即効で街の何でも屋的な医院にいった。
遅い時間なので専門的な病院や大きい病院はやってないし、整形外科も診療に含まれてたので急場しのぎととりあえずの意味で行ってみた。
診察してもらうととりあえず神経症状なのは間違いないが、原因は今の段階では不明とのこと。
痛み止め(ロキソニン)とビタミン剤出しとくから、1週間後また来てといわれて帰宅。
で、寝違いとかかもしんないし寝たら治るだろうと若干淡い期待を持って就寝。
いつも5秒で爆睡して一度も目が覚めずに朝遅刻ぎりぎりに目が覚める私が
ロキソニン飲んでるはずなのに痛みで眠れない、寝れても浅い眠りで1時間もしないうちにすぐに目が覚めるという悪夢の時間を過ごして不眠状態。
朝いつもの時間よりかなり早く目が覚めて起きるとすごく眠いはずなのだが痛みが圧倒してて不眠とかどうでもいいになってた。
猛烈に痛い。昨日より猛烈に痛い。トイレもつらくなって出が悪くなってました。
でも会社行かないといけないと自分を追い込みながらだましだまし出社の準備をしてたが、
その間も激痛が走り、食欲も出ない。歩くのも困難になりつつあった。
本気で救急車呼ぼうか悩んだけれど痛み止めを飲んで、ほんの少しだけ会社に出社して最低限の引継ぎだけしたら病院にいこうと決めて無理やり駅まで歩いた。
正直いつもはなんてことのない10分程度の道のりに3倍以上の時間をかけて、痛みを無理やり我慢して歩いた。
もうそのときにこれ、会社ってレベルじゃないとやっと決心がついて電話して休んでそのまま電車乗って大きめの総合病院に。
整形外科で診察してもらったのだが、問診と足の反応を調べてもらってたぶんヘルニアでしょうといわれて唖然・・・。
そういえばこのときに気づいたのだが、足にぜんぜん力が入らなくなっていて先生の手に完全負ける状態に。
えっ、腰は痛くなくて足が痛いのになぜヘルニア?状態。軽く話してもらって納得。神経圧迫してるのが足の神経で足に症状が出てるとのこと。
腰が痛くなる場合もあるらしいが個人によって同じように圧迫されているように見えても症状が若干違うらしい・・・。
検査中大丈夫なようにキツい痛み止めの座薬(後に知ったがボルタレンサポの50mg)を入れてもらって、MRIとレントゲンを撮ってもらって腰椎椎間板ヘルニアと確定。
ただ、痛み止めが無意味なぐらい効かない。MRI中も足が震えるぐらい痛い。
で、確定診断後の診察中もずっと痛くて耐えられない中、先生にこれ以上強いのだと麻薬みたいな薬しかないし、外来でできるのはさっきみたいな痛み止め出すだけしかできないけど、会社休めますか?とのこと。
「こんな痛みじゃ会社どころじゃないので休むしかないだろ、常識的に考えて・・・。」
と思いながら会社に事情話して休みますといって無理してもらってベッド確保してもらって即入院決定orz
まさか緊急入院するとは思わなかった・・・。
楽観的に診察してもらってる最中も注射とか点滴とかで帰れるものだと思ってましたorz
その上、まだ決定はしてないけど手術が必要になるかもしれないとのことでした。
とりあえず、かなり症状もでてるので痛み止めがてら神経ブロックを試してみてから決めましょうとのことでした。
ほかにもいろいろ言ってもらってたんですけど、正直痛みで話の7割ぐらいは通り過ぎるだけでしたよ・・・。
そんな感じで入院したんですがその外来で診てくださった主治医の先生がいい人で、
神経根ブロックを無理して本来してない日に早めてしてくれたり(痛みが耐えられないから)、
手術しないといけないと勝手に思い悩んで手術に決めた後も手術か保存療法(手術しないでブロック注射などを使いながら自然治癒で治す方法)で悩む時間をくれたり。
結局手術は回避できて(どちらかというと回避した?みたいな)、神経根ブロック3回コースで退院できるレベルにはなりました。
ただ神経根ブロックが超絶痛い・・・。痛いのを抑えるための治療なんですけど、整形で一番痛い治療法だと先生に言われましたよ。
まぁ、今も若干麻痺が残ってはいるんですが痛みは安静にしてればほぼないのでいいんですが、
5分ぐらい歩くと痛みと痺れがカムバックしてきてしまうんですよね・・・。
これぐらいですんでるのも痛み止め(朝晩ボルタレン37.5mg)のおかげではありますがorz
先生も言ってたんですが、日常生活に戻るのはそれほど難しくないけれど社会復帰が大変な病気だと・・・。
正直会社に迷惑かけてるので早く戻りたいんですが、無理すると麻痺が進行して取り返しつかなくなるといわれてるので
家で安静にしてる日々です・・・。
タイトルに不適切な表現がありますが、あえて使わせてもらいます。不愉快な人はごめんなさい。
3年前の今頃、夫が重度の男性不妊だと分かり、現在まで子供なし。今年中に体外受精をしようと夫婦で決めていたので先週の私の誕生日(土曜で夫の仕事が休み)に不妊専門の病院へ行ってきた。
本当はもう少し早くに不妊外来へ行く予定だったんだけど、婦人検診の乳がん検査にひっかかってしまい、精密検査に時間がかかってしまった。
エコーで腫瘍が左胸に1つと右胸に2つみつかり、そのうち1つは問題なし、残り2つは「異型細胞」で癌ではないが正常でもなく、今後癌化する可能性もあるので半年毎の経過観察ということに。体外受精をする予定だとあらかじめ伝えていたので、主治医は今後はホルモンの影響等も考えて経過観察する予定だと言ってくれた。
エコー、マンモグラフィー、MRI、針生検と、癌の可能性がなければしない検査(針生検)までしたので、結果が出る前に乳がんの覚悟はしていた。30歳になる前1ヶ月間は乳がん検査と結果待ち。まだ20代だし3つの腫瘍が全部癌ならすぐに全身に転移して死ぬのかな・・・と、とても不安だたけど、私を不安がらせないようにか、夫は「絶対癌じゃないよ」と言うだけだった。
3年前、夫の精子検査の日、夫は結果を聞く前に仕事に戻ったので私は一人で結果を聞いた。
先生:「はい、○○さんの奥さんね?えーっと、ご主人とは自然妊娠は無理ね。精子が少なすぎるから。体外受精でも無理だろうね。子供ほしいなら顕微授精以外無理ね。」
私:「え・・・・?」
先生:「顕微授精の説明は看護師から聞いて帰ってください。はい、お疲れ様でした。」
私:「え・・・、先生、無理って絶対に無理なんですか?」
先生:「絶対とは言えないけどこの数字じゃねー、考えても仕方ないよ。」
徐々に自分の体から血の気が引いていくのを感じて、意識がボーっとして、大して何も質問が出来なかった。ただ、先生の言い方が冷たくて冷たくて、平常心を保つのがやっとだった。何で夫は帰ったんだろう、一緒に居てほしかったと強く思った。今考えれば、同情した言い方をすると泣いてしまうかもしれないから、淡々と言ってくれたのかもしれない。
なので、今回は自分の検査だったけど、結果を聞く時は一緒に居てほしかった。癌じゃないと思うけど、もしも癌だと言われた時には、夫に隣に居てほしかったから仕事を休んで一緒にきてとお願いした。有給があまってるので休めたけど、「結果聞くだけなら一人で行けるでしょ?」って言われた。夫は私がお願いしたら嫌でもお願い事を聞いてくれるのでそれはありがたい。だけど、自分の本意じゃないことも口にするので、時々傷つく。
乳がん検査の結果を聞いた帰りの車の中で、「今は癌じゃないけど、来年には癌になってるかもしれないから、早く子供、作らないとね。もし癌になったらしばらく子供作れないもんね。」って私が言ったら、「見つかってないだけで、俺の体のどこかにも癌あるかもしれないし。」って言われた。夫にとってはその程度の事なんだ・・・と思った。
今までは、夫が不妊で子供が出来ないから自分に引け目はなかった。だけど、自分が癌になって夫の子供が産めなくなるのは申し訳ないと思った。だからすぐに体外受精の病院へ行くことにした。
だって、もし妊娠中に発ガンしたら、癌の治療と中絶のどちらかを選択しないといけない。治療をしないで出産する人もいる。それで子供を残して死んでしまう人も居る。考えすぎだろうけど、やっぱり癌化する可能性があるのなら、今後の最悪の状況は頭をよぎる。
誕生日の前日、外食をしてホテルに泊まった。ちなみにホテルは会社の保養所指定先。誕生日、結婚記念日は必ず外食をしてプレゼントとカードを渡すようにお互いしてきたので、今回も夫はそうしてくれた。だけど、その渡し方が悲しかった。渡し方くらいでって男の人は思うだろうけど・・・。
今までは食事の時にバースデーソングが流れてプレゼントを渡されるとか、日付が変わった瞬間に渡されるとか、そういう演出をしてくれる人だった。
今回はホテルについてベッドに転がったら、「はいこれ」ってプレゼントとカードをベッドに置かれた。午後10時くらいで、まだ誕生日じゃなかった。
私:「え?もう?まだ誕生日きてないよw」
夫:「20代のうちに渡したいから」
私:「え?だって誕生日プレゼントでしょ?誕生日にほしかったな」
夫:「30代とかいやでしょ?20代のお前にあげたかった・・・云々・・・」
夫は同級生で、誕生日は11月。いつも私が先に年をとるけど、自分では今年30歳になるのがそんなに嫌じゃなかったから、夫が20代の私に固執した発言をしたのが悲しかった。
次の日、私の誕生日、日本でも有数の体外受精の権威の病院へ行った。夫の結果はやっぱり悪くて顕微授精以外無理だと言われたけど、私は状態がよかったらしい。
男性側が不妊の場合は、女性は正常でも不妊でもあまり関係なくて、排卵誘発剤を使ってできるだけ沢山の卵子を作って、薬で全部を一気に排卵させて、卵巣から直接卵子を採取する。自己注射になったので、誘発剤は自分で注射器で毎日打つことになった。看護士が別室で注射の打ち方を教えてくれたけど、自分のお腹に注射器を90度の角度で針の根元まで刺すなんて、グロいし怖い。いきなり練習でやってみてと言われたけど、緊張してうまく出来なくて、痛かった。針がお腹に刺さっていかなくて、「痛い、これ以上針が入らないんですけど」と私が看護士に言ったら、「大して痛くないくせに」って夫に言われた。人に刺されたら痛くないんだろうけど、自分で自分に刺すのは、うまく出来ないから痛い。どうせなら「頑張れ」とか「大丈夫大丈夫」とか、そういう励ましの言葉がほしかった。
お昼頃に病院についたけど、初診で体外受精の準備が全部整ったので、自分でする薬や注射一式を渡されて、スケジュールも説明されて、あとは自分のタイミングで始めてくださいって言われた。今度病院に行くのは、自分で誘発させた卵子を採取してもらう時。少しづつ治療が始まると思ってたのにいきなりスタートを切らされた感じがあって戸惑った。
たまたま病院が私と夫の母校大学から車で30分くらいの所にあったので、その日は誕生日だし、病院が終わったら、大学まで行って、昔し住んでたマンションを見たりよく一緒に行った居酒屋に行ったり、同級生が働いてるバーによって久しぶりに話がしたいって夫に言っておいた。子供を作る前に、少し昔しを懐かしみたかったから。
病院を出て夫に「大学近辺に行くんだよね?」って言われて「うん」って言った。病院を出た時19時を過ぎていて私は検査が多かったので疲れてたけど、誕生日なので楽しく過ごしたかった。夫は精液検査だけだったので、待ちくたびれてたのかもしれない。何だか二人とも疲れてた。
「あと2回ここくれば、それで終わりだよね?」って夫が言って、私はキレた。
これから家で注射をしたり色々準備して、病院に行くのはあと4回。そのうち2回は私は腹腔鏡手術をしないといけない。夫は1回、オナニーをして精子を出すだけ。
こんなこと思っちゃいけないんだろうけど、夫のせいで私は痛いきつい辛い思いをしてホルモン治療をするのに、夫はアダルトビデオを見てシャーレに射精すればそれで終わり。体外受精は男性と女性の精神的肉体的負担が全然違う。本当は「夫が健康だったらこんなことしなくていいのに」って思ってるけど、精子がなくて辛いのは夫だから、それは言わないようにしてた。だけど、最近の夫の思いやりのない発言に限界だった。
「2回じゃなかったっけ?」って夫がまた言った。かる~く言った。意外と大したことないねって感じで言った。私が口を開いたら醜い言葉しか出ないから、ずっと黙ってた。涙が止まらなかったけど、横を向いて気付かれないようにしてた。これから顕微授精に向けて私がなにをするのか、夫婦で説明を受けたのに、夫は聞いてなかったんだ。だって2回じゃない。
乳がん検査の時、「もしも癌でも、自分のことを第一に考えて、子供は無理して作らなくてもいいよ」って言ってほしかった。
誕生日の日、「30歳おめでと。30代も一緒に楽しく過ごそうね」って言ってほしかった。
注射が痛いって言った時、手を握ってほしかった。
帰りの車で、「体外受精で辛い思いをするかもしれないけど、一緒に頑張ろう」って言ってほしかった。
きっと私がこうしてほしいって言ったら、そうしてくれる。夫は優しい人だ。だけど、自発的に思ってるわけじゃないのがわかって辛い。
「何で心配してくれないの?」って言った後「大丈夫?」なんて言われても嬉しくない。
体外受精までして子供を作っていいのかも不安だし、答えが出ない。もしかしたら子供は作らないほうがいいのかなって時々思う。
ありのままの出来事を人に言うと、単なる夫への愚痴・悪口になるので友達にも言えない。
最近こんなことが続いてたけど、本当は夫は優しい人だし大事にしてくれてると思う。夫のことが大好きだし夫も好きだと言ってくれる。
毎日一緒に夕食を食べてくれるし、週末も一緒にいてくれる。いつもパソコンばかりしてるけど、外でも手をつないでくれるし、夫を知ってる人はみんな「愛妻家だよね」って言ってくれる。
ただ、すごく鈍くて察することをしないだけ。私が普通の声のトーンで怒ったら気付かない鈍い人。
自分たちの事は客観的に見れないけど、客観的には幸せな夫婦です。自分でも幸せだと思ってる。
今回、色々とヘビーなことが短期間に集中したので誰かに愚痴りたくて増田に思いを綴ったけど、こういうことを乗り越えて他人が夫婦になっていくんだと思う。
そう思いたい。だから頑張ろう。
病院いってきた。
帯状疱疹はウイルスが神経をつたってひろまる病気なので顔に症状がでるひとは脳とか視神経とかがやられてしまって重篤なことになるそうだよ。そういうひとは速攻治療をしなきゃだめみたいだ。首から上に症状がでたらいそげってところなのかな。
ちなみに自分は第二頸椎の神経支配下をやられたとかいってた。なにその支配下とかいう言葉。こわいわ。
第二頸椎だと肩とか肋骨なんだね。
あと、高齢者はできるだけ早い段階でブロック治療とよばれる背骨に注射みたいな治療をしないと後遺症がのこるんだって。
きみはまだ若いから抗ウイルス薬で様子をみようっていわれたよ。
薬がめちゃくちゃ高かった。検査とあわせて1万は超えたにょろ。
子供の頃水疱瘡とかをやったことをあるひとは背骨にウイルスをもっているんだってさ。
というか、6~70歳のひとが発症して2~30代は一番すくないとかwikipediaにあるのに…。
夏に多いらしいので、免疫落ちてるひとはピリピリきたら要注意だ。
注射針の使いまわしとかじゃねーの?
Cervarix - Wikipedia, the free encyclopedia
英語 http://en.wikipedia.org/wiki/Cervarix
日本語 http://www.futaba-cl.com/main03-cervarix.htm
全般的に広く英語圏で検索をかけましたが、強い不妊性を示す要件は見つからないようです。
http://www.drugs.com/pro/cervarix.html
英語のサイトですが、人間の体重換算で47倍の量をラットに投入し不妊性を示すか?という実験を行ったところ
そのような効果は認められない。との結果になっています。
ただし、長期的な観察は必要であり、すくなくとも妊娠中に投薬すべきではないとなっています。
また、http://en.wikipedia.org/wiki/Cervarix 英語のサイトを含め
Unrelated Death
On 28 September 2009, a 14 year-old schoolgirl died hours after receiving the vaccination in England.[20]
死亡事故が起きていることを取り上げているサイトは複数ありました。
薬物ですので事故が起きる可能性は0ではないようです。ただし、事例は多くないというかこれ1件?なようです。
また、該当のワクチンが防いでくれるガンは日本でメジャーなガンのうち半分程度であり、100%近い効果が期待できるわけではないと描いている物が多かったです。こちらは日本語のサイトから引き、英語のサイトで裏を取りました。
最後に、不妊で疑われているのはCervarixではなく、注射用の添加物であり、この添加物は他のワクチンや薬などにも使用されていますので危険性は特にCervarixに限定したものではありません。ただし、強い懸念ということでもなさそうです。
薬ですので無視することはできませんが、メリット・デメリットを考え個人の考えで接種するかどうかを決めても良い程度の情報しか現状はなさそうです。
心配でしたら、納得いくまでお医者様にご相談され、セカンドオピニオン、サードオピニオンをお求めになることをおすすめいたします。
正確には去年の8月11日だったと思う。8月の初頭が誕生日で、去年の誕生日に20歳になった。
だから、親に何も知らせる事無く一人で同意書を書いて、出した。
相手の欄に書いてくれる人は居なかった。もう捕まらないんだろうなあ、と諦めている。
五週目の赤ん坊だった。検査薬を買ってみたら2本の線が出てたので、「妊娠したな」と思って病院行った。
「妊娠されてらっしゃるのは確実なんですけども」と言われたけれど、ああ、としか思わなかった。
「多分、今、五週目だと思うんですけど」と言うと、丸い円盤のようなものを取り出して確認した後(あれで周期を判断するのかな?)
「詳しいですね」と驚いたように言われた。それくらい知ってる。ググった。
赤ん坊が出来ても別に驚かなかった。覚悟はしていたので、慌てなかった。
でも毎日のように本を読んだり、Webで情報収集したりしてた事に、その時初めて気づいた。
それから膣に棒のようなものを突っ込まれて(結構痛い)、エコー検診。どこに胎児が居るか全然分からなかった。
「堕胎します」と言うと、「分かりました」と言って簡単な手術の説明をされた。
とりあえずその日に同意書を貰って、銀行で貯金を下ろした。一人で上京して仕事してるので、お金はあった。
初診料、検査費用も含めて15万円だった。高いのか安いのか分からない!
だってそうでしょう。人間一人分(二人分か三人分かも)の命が掛かっているんだから。
でも、全然実感が沸かなかった。体の具合が悪かったので病院へ行って、「処置」をする。それだけ。
望まぬ子どもが出来たら泣き喚いて、絶望するものだと思ってた。
でも、全然泣かなかった。悲しいとすら思わなかった。子供が居るという事実は把握したけど、愛情も沸かなかった。
折角出来た大切な子供なのに殺すなんて! とも思わなかったし、
誰とも分からない、名前も知らない奴の子なんて憎い、死んでしまえ!とも思わなかった。
不思議で、静かな気分だった。怖いくらいに淡々としてたと思う。
ただ、何の感情も湧いてこないのを見て、「私は母親にはなれないな」と思った。
だから私はまだ、母親にはなれないんだ、と思った。(成人しておいて"まだ"もクソもないけれど)
一生なれないのかもしれない。
数日寝たら、堕胎手術の日だった。
堕胎手術は日帰りだったけど、前日は何も食べないように、と言われていた。
その頃には悪阻が始まっていた。甘い香りだけで吐き気がした。男性の加齢臭だけで吐いた。
当日の朝も、何も食べていないのに、死ぬほど具合が悪かった。
途中の駅で降りて、トイレに駆けこんで吐いた。
何も食べてないから気分が悪いだけだと思っていたけれど、黄色い胃液が沢山出た。凄まじい味がした。
病院に着いて、同意書を渡して、着替えた。看護婦さんに下着と生理用ナプキンを渡した。
看護婦さんが同意書を見て、「先日成人されたんですね」と言った。「ええ、つい先日です。だから、よかった」と答えた。
相変わらず何とも思わなかった。
分娩台に両足をかけて、腕に点滴をされた。先生に「宜しくお願いします」と言ったら、点滴の管に注射を打たれた。
起きたら病院のベッドに寝ていた。ナースコールで看護婦さんが来て、処置をした。
膣の中にガーゼが詰められていたので、それを抜かれて、少し背中をさすって貰って、数時間眠った。
途中で飛び起きた。痛い!生理痛なんて笑える位の激痛だった。
看護婦さんが「痛い?うん、痛いね…」と言いながら背中をさすってくれた。ベッドの上で転げまわっていた。
「エコー写真、頂けますか?」と尋ねたら「出来ますよ、後で渡しますね」と言われた。
水子供養にはエコー写真を使うと、どこかで読んだことがあった。する気は特に無かったのだけど、言ってしまった。
その後1時間ほど休んだら落ち着いたので、受付で代金を支払って、外に出た。受領書と一緒にエコー写真を渡された。
家に帰って、Yahooの記事で、赤ちゃんのエコー写真を見た。妊娠初期から臨月まで、沢山の写真があった。
何となく貰ったエコー写真を取り出して、同じ時期のものと比べてみた。いた。分かった。本当にちっこい、白ゴマみたいなの。
じわりと画面がぼやけた。悲しくないと思っていた。馬鹿らしいと思っていた。
子供に執着出来ない自分なんて、母親になるのは無理なんだと思っていた。これでいいと思っていた。
何も間違った事はしていないはずだった。私には関係ないと思っていた。母親なんて、自分とは遠く離れた存在なんだと思っていた。
けど、もう、駄目だった。
ぼろりと涙が出た。一晩中泣き続けた。翌日になっても、ずっと泣いていた。
結局その後1年経って、私は何がしたかったのか、何であの時泣いたのか、もう分からないくらいのボンヤリに戻った。
未だに不思議だと思う。何で泣いたんだろう。
ただ、悔しかっただけかもしれない。何で私ばっかりが。何でこんな目に。何でこんな痛い思いを。
それとも、やっぱり悲しかったのかもしれない。自分の子供だから。自分も母親になりかけていたのかもしれない。
でも、今でもやっぱり、分からない。もうどっちでもいいと思う。
結局あのエコー写真は、ケースの裏側にしまいっこみぱなしだ。たまに取り出して、眺める。
やっぱり、分からない。
最近久し振りに実家に戻り、自分の母親を間近で見て、無性に泣きたくなった。
ごめんなさい。
ごめんなさい。でも、死ぬまで言わずにおく。
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2011.09.13 追記
今年の8月で22歳になった。何も感じないと思っていたけれど、違った。
最近は他人の出産や育児経験、子供の話をとても聞きたくなった。
出産経験をまとめたサイトを読んでいると、心から「おめでとう」という気持ちになる。
そして同時に涙が止まらなくなる。
堕胎した時、本当に何とも思わなかった。
そしてインターネットで病院を調べて、電車に乗って、手術して、そして帰ってきた。
今になって、それがじわじわと効いてきているのが分かる。
なら私も、ああしてあの子を育ててあげられたんだろうか。
10ヶ月も大事に大事に腹の中で可愛がって、愛して、育児教室に通ったりして、
あの日、手術を待っている時、待合室に若い夫婦が居た。
奥さんの隣に旦那さんがいて、旦那さんは奥さんにずっと話しかけていた。とても幸せそうだった。
でも、その時は何とも思わなかった。
今年になって子宮の病気になり、また産婦人科に行く機会があった。
待合室に座っていると、また数人の妊婦の方を見かけた。
一年前と同じだった。あの時のように、旦那さんが付き添っている夫婦も見かけた。
その瞬間、一気に目が覚めた。
これが、普通なんだ。
妊娠をしたら病院に来て(心配して旦那さんが付いてきてくれる人もいるだろう)、先生から説明を受けて
両親にも報告して(そして喜んでくれるんだろう)、そして幸せで、笑って、おめでとう、おめでとう。
そういうのが普通なんだ。
その時初めて理解した。これが普通なんだ。妊娠するというのは普通、とても幸せな事なんだ。
じゃあ、あの時の自分は何だったんだろう?
隣に夫となる男もおらず、誰にもおめでとうと言われず、笑えない、全てを一人で済ませたあの時の自分は。
そしてそんな私におめでとうとも言われず、ありがとうとも言われなかった、あの子は?
あの時の自分の判断が間違っていた、とは思っていない。
当時未成年、親の後ろ盾も、夫になる奴もいない、仕事はどうなるか分からない、経済的にも精神的にも問題だらけだ。
罪悪感は無かった。無かった筈だった。今でも正しい判断だとは思っている。
でも、涙が止まらなかった。
分からなかった。ただ申し訳なかった。それと同時に、とても羨ましかった。
当時は産めるはずもない、育てるのも無理だ、経済的にもどうしようもない、親にも言えないと思っていた。
だから一人で調べて、全て一人で済ませた。誰にも言わない、なんてこと無い、ちゃんと出来る。だから大丈夫。そう思っていた。
こんなの、少しも大丈夫じゃなかった。
結局、あの後私は見事に検査で引っかかり、どうも不妊に近いものになってしまったので
恐らくあんな思いは二度としないだろうと思う。
不幸になる機会も、幸せになる機会も失った…と思えば、案外こんなものかもしれない。
男に関しては警察に届けようとした。努力はした。でも、思い出すだけで吐き気と震えが止まらなくなる。なので諦めた。
願わくば、これ以上被害を出す前に死んでいて欲しいと思う。
親には堕胎した事も、不妊になるらしい事も、結局話していない。
これでいい、余計な心配なんて掛ける必要はない。そう思っている。
当時も色々と頼りなかった私だが、去年から本格的に仕事を始め、何とか軌道に乗ってきた。
何人かに告白された。全て断った。
全てを話す気力も、そんな勇気も無い。一生一人でいい。
かわりに在宅の仕事なので、しばしば姉の子供の面倒を見ている。とても可愛い。
けれど、新しい保険証にはそれを挟む所が無い。
つい先日帰郷した時、お寺でエコー写真を渡し、水子供養をして貰った。
もう3年。やっと、やっと供養してあげられた。
ごめんなさい。本当にごめんなさい。
ここまで聞いて下さって有難う御座いました。
2006年の夏、建設現場で日雇いのバイトをしていました。日給1万円もらえる仕事だったのでそれなりにキツイ内容です。マンションなどを建てる際に必要な資材の石膏ボードをひたすら運び込むというものです。
新入りの頃は一枚持つのがやっとでしたが、作業を重ねるに従い、一度に運べる量が二枚・三枚と増えていき、貧弱な僕もだんだん体力がついていくのが実感できてそれなりにやりがいを感じていました。
僕はあまり体力に自信のあるほうではありませんが、1人暮らしを始めたばかりでお金が必要なこともあり、ほぼ毎日仕事に出てがんばっていました。
その仕事に就き出して三ヶ月めの06年8月2日、仕事中から腰に違和感があり、今まで経験したことのないようなだるさ・重さを腰に感じていました。夕方、仕事を終えてバスで帰る道中、腰の違和感ははっきりとした痛みに変わっていました。座席に座っていることができません。まだ立っているほうがましです。
部屋に帰ってもその痛みはますます酷くなり、激痛といってもよい程になっていきました。
ただの腰痛だと思っていたので、とりあえず横になって痛みが引くのを待つしかないと思い、次の日の朝まで寝るつもりでした。
ところが夜中になるにしたがい痛みは増していき、もう我慢できるレベルを超えていました。
それでも、油汗をかきながら朝まで我慢し、トイレに立つこともできない僕は救急車を呼ぶ決心をしました。
なんだか恥ずかしかったです。生まれてはじめて救急車を呼びました。担架で運び込まれる時、近所の人が野次馬になってじろじろ見ていました。
近くの総合病院に着き、ストレッチャーでとりあえずレントゲン室まで運ばれました。
技師が仰向けの僕に向かって脚を曲げろだの横向けになれだのいろいろ指示をとばしてくるのですが、どんな体勢でも激痛が更に増し、無理でした。仰向けで脚を上に上げようとした僕は身体全体をつらぬくような鈍い痛みに思わず叫び声をあげてしまいました。
技師もあきらめたのか仰向けのレントゲンだけ取って終わっようです。
レントゲン室を出ると、若い看護師が僕の叫び声を聞いたようで、
「なんでこんなになるまで放っておいたの?」
といわれてしまいました。それに答えることもできない僕の手を、その看護師が握って、
「私も前にヘルニアやったからどんな痛いかよくわかるよ。」
と、慰めてくれました。
診察室で仰向けになったまま医師の診断を受けました。
仰向けのレントゲンしか取れなかったわりに腰椎椎間板ヘルニアの特徴である椎間板のはみ出し具合が顕著だったらしく、即入院ということになりました。
入院が決まった時、それまで入院なんかしたことなかった僕は正直びびりました。
しかもTシャツにパンツの格好で運び込まれ何の用意もなかったし、どうなるんだろうと思いました。
ぼくが運ばれたのは整形外科の6人部屋です。僕の他は40くらいのおじさんと、中学生の男の子と70くらいのおじいさん2人でした。
ベッドに寝たまま看護師から色んな説明を受けました。酷い痛みの中で聞いたのでほとんど頭に入りません。
小林さんというその看護師は30才くらいでこれからぼくの担当になるということです。
とりあえず優しそうな女性だったのでほっとしました。
説明が終わり、最後に
と聞かれました。
大丈夫じゃありませんでした。夜中からトイレに立つこともできず今まで我慢していたのです。
「すいません。オシッコしたいんですけど・・・」
「ちょっと待っててね。」
何も言わず僕のトランクスを全部脱がせました。僕は腰を上げて協力しようとしましたが痛みでどうにもならず小林さんにまかせました。
僕のペニスはこれ以上ないぐらい縮こまっていました。もともと仮性包茎で亀頭が隠れているのに今は包皮が完全にかぶってしまって象の鼻みたいになっていました。そんなペニスを見られるのは恥ずかしいものです。
「自分でやります。」
僕はそういって尿瓶を受け取るとペニスにあてがおうとしました。ところがちょっとでも身体を起こすと激痛が走ります。
無理でした。
「ほらー。無理でしょ。こういうのも全部仕事のうちなんだから恥ずかしいなんて思わなくていいのよ。」
ペニスが小さいからずっと支えていないとすぐはずれてしまいます。小林さんは排尿の間ずっと支えてくれていました。
長い排尿が終わり、尿瓶を床におくと、小林さんはウエットティッシュでペニスを拭いてくれました。包皮もめくって亀頭のまわりも優しく拭いてくれます。女性に触られたのは初めてだったので立っちゃうかなと思いましたが、それよりも激痛のほうが勝ってピクリともしませんでした。
小林さんは拭き終わると包皮をまたもとに戻しました。そして袋や腿の付け根もついでみたいに拭いてくれました。
「今井クン、パンツいちいち履いてたらたいへんだから、これ付けとこうね。」
そういうと、ふんどしみたいな帯をつけてくれました。
「痛み止めの座薬いれるね。」
さっきのT字帯を取って僕を横向けにさせました。
「すぐ済むから我慢して!」
座薬を奥のほうまで突っ込んできます。うんこが出そうな感覚がしましたが我慢しました。
「痛みが我慢できないようだったらこのボタンを押してね。」
小林さんは戻っていきました。
それから2時間くらいすると、徐々に痛みがやわらいできました。ほっとした僕は試しに起き上がろうとしました。
ダメでした。
ちょっとでも腰を曲げると激痛が走ります。
ただ仰向けに寝ている分には痛みがないというだけでした。それでも痛みがやわらいだことで心が随分軽くなりました。
昼ごはんはおにぎりでした。寝ながら食べられるようにとのことでしょう。左手に点滴をしながら、小林さんに時おり手伝ってもらいながら、食べました。
「とりあえず寝ている分には痛みがなくなったけど、まだまだ絶対安静だからね。無理に起き上がろうとしたら駄目よ。」
そう言いながら口の周りや手を拭いてくれました。
この日、昼間ずっと眠っていたせいで夜中に目が覚めました。
やってきたのは三十代半ばの初めてみる看護師です。この人も優しそうな雰囲気でした。
「今井さん、どうしましたか?」
ささやき声で聞いてきます。ハスキーで色っぽい声です。見ると白衣の胸やお尻の所がパンと張っていてグラマーな人でした。
「すいません。オシッコしたいんですが。」
その人、川上さんは、うなずくとすぐに僕のT字帯を取り、ベッド下から尿瓶をとりあげて、ペニスをあてがいました。
昼間、小林さんにやってもらった時はすぐ排尿できたのに、なぜか今回はなかなか出ません。オシッコしたい感覚はあるのにです。
それでも川上さんはジッと出るのを待ってくれています。
ようやく小便が出始め、ほっとしました。
「よかったね。」
そういって戻っていきました。
朝食の後、清拭がありました。
近藤さんというまだ学校出たばっかりな感じの看護師が僕の身体を拭いてくれました。熱い湯に浸したタオルで力強く拭かれるのはとても気持ちの良いものでした。
「オシモのほうは洗いますね。」
そういうと、お尻の下に差し込み便器を置いて、ぬるま湯と石鹸で洗い始めました。袋の皺の部分や、お尻の穴まで丁寧にやさしくこすってくれます。
勃起しそうな感覚はありましたが、とても恥ずかしく、また入院したばかりの不安な精神状態だったためかペニスはやわらかいままでした。
依然として起き上がれず、つらいです。
入院してから一度も大便をしていません。
まだ、ウンコが出ない。看護師さんが浣腸しようとしたが強硬に断りました。そんなの恥ずかしすぎます。
今日こそベッド上で排便しようと試みました。
でもだめです。いくらきばってもでません。
小林さんが浣腸してくれました。初めての浣腸です。浣腸した直後から鋭い便通がきました。
「5分我慢してね。」
とのことだったので必死で我慢しました。
「まだよ。まだよ。」
と囁いています。
5分後、差し込み便器めがけてシャワーのように排便しました。大量のウンコです。差し込み便器にはおさまらず、下に敷いたビニールシートにもウンコが垂れました。
小林さんはさすがに排便の間カーテンの向こうにいてくれましたが、すごい音やニオイは隠しようもありません。他の入院患者に対しても恥ずかしく、申し訳なく、もう死んでしまいたい気持ちでした。
「おー、いっぱい出たねー。よかった、よかった。」
小林さんは笑顔で僕の汚いウンコを始末してくれます。ほんとに穴があったら入りたい気分でしたが彼女の笑顔に救われたように思います。
「お尻洗うね。」
なんだか汚いウンコも見られたせいか恥ずかしいとかいう感覚がなくなったようです。パンパンに張っていたお腹もすっきりして心まで軽くなりました。
小林さんに洗ってもらってる間ペニスが半立ちになってしまいました。こんなことは入院以来初めてです。スッキリしたせいでしょうか。これはこれで別の恥ずかしさがあります。必死で違うことを考えて勃起をしずめようとしました。
「今井クンは本読むの好きなんだね。いっつも本読んでるもんね。」
小林さんも気をそらそうとしてるのか、それとも単なる世間話のつもりなのか、話しかけてきます。僕も母に持ってきてもらった村上春樹を語ったりしました。
おかげで完全に勃起せずにすみました。でも小林さんの洗い方はとても気持ちよく、やばいところでした。
ブロック注射を打つにはベッド上で横向きになりネコのように身体を丸めないといけません。そんな姿勢は今の僕には発狂しそうなほどの痛みをともないます。
それで全身麻酔を打ってからということになりました。
麻酔を打って、徐々に薄れていく意識の中で、なぜか小林さんのことを考えていました。
なぜかペニスが痛い。どうやら尿道に管を入れられているみたいです。しかも勃起しているから余計です。起き上がってみようとしましたが麻酔が抜けきってないのか身体に力がはいりません。
勃起が収まってからナースコールを押そうと思っていたのに、その前に看護師が来てしまいました。初日、夜中に小便をとってくれたグラマーな川上さんです。
「目が覚めたんだね。どんな具合?」
「まだ、身体に力が入らないです。」
「ブロック注射は何回かに分けてやるから、すぐに痛みが取れるわけじゃないよ。無理に起き上がろうするのは絶対だめよ。」
川上さんは点滴の具合を確かめ、それから僕のお腹をさして言いました。
「ちょっと確認するね。」
ふとんをはがしT字帯をとりました。
ペニスに管が入れられているのが見えます。しかもまだ勃起しています。
「はあ、痛いです・・・。」恥ずかしさをこらえて言いました。
「抜いちゃうね。」
そういうなり左手で陰茎を持ち、右手でそろそろと管を引き抜き始めました。
痛いのかと思っていたのは杞憂で、それどころかなんとも言えない快感が走りました。
なんというか、射精寸前のような感じです。
「あっ・・・・」思わず声が漏れました。
「痛い?」川上さんはいったん抜くのをやめました。
「あ、いや、そうじゃなくて・・・」
「じゃ、抜くよ。」再びそろそろと管を引いていきます。また変な感じがしてきました。なんかほんとに射精しそうです。
しかし、無事、管は抜かれました。ペニスは腹側に向かって反りあがり、ビクンビクンゆれています。オナニーしてて射精寸前でやめた時みたいなもやもや感がありました。
「洗うね。」
「え?あっ、今はいいです。明日でいいです。」
必死で言いました。今、洗われたらホントに射精しかねなかったからです。
そういいつつ、川上さんは腰の下に差し込み便器を入れました。彼女の目の前でペニスはビクンビクン動いています。
「大きくなったこと気にしてるの?若い子はたいていそうなるんだから、いいのよ。」
川上さんは先に薄いラテックスの手袋をはめます。ほんとに薄そうな感じで、はめても彼女の綺麗な白い手がほとんど透けて見えています。あんなのでこすられたら・・・。どうなるんだろう。
僕は川上さんの準備している様子を伺っています。彼女はいわゆる綺麗なおばさんとでもいうか、色っぽい熟女とでもいうか、とにかくそんな感じの女の人で、ただ若いだけの女性よりも本当に妖艶な雰囲気を漂わせています。しかも、オッパイが大きいのが服の上からでもまる分かりで、白衣の胸の部分がパンパンに張っています。
そんな彼女を見ていると僕のペニスは全く小さくなる気配も見せず、血管を脈打たせてビクビクうごいています。
(ああ、どうしよう。射精しちゃったらどうしよう。)
そんな僕の思いにもかまわず、川上さんは僕の脚をカエルみたいに左右に広げ、容器に入ったお湯をペニスにかけました。
(うわっ、なんだ?すんごい気持ちいい。)
ただお湯をかけられただけなのに柔らかな羽でさっとなでられたような感覚が走りました。
「あ・・・、くっ・・・。」
言葉にならない声をあげてしまいました。
「熱かった?大丈夫?」
「はい、大丈夫です・・・。」
川上さんはガーゼで石鹸を泡立てています。クリーム状になったところで、両手でその泡をすくい、ペニス全体に塗りだしました。
ラテックスの手袋はほとんど意味をなしていません。彼女の温かくてすべやかな手がそのまま僕のペニスに絡みついてきます。
彼女はまずお尻の穴と睾丸から洗い始めました。左手でお尻の穴をなでながら右手で袋をゆったりと揉んでいます。僕はあまりの気持ちよさに汗をかいています。必死で別のことを考えてはいるのですが、意味がありません。特に睾丸をやさしく揉まれることがこれほど気持ちいいとは思いもよりませんでした。自分でオナニーする時に睾丸をさわるなんてしたことなかったのです。
「あっ・・・。」
「どうしたの?ここは汚れやすいのよ。」
「あんっ!」思わず大きな声をあげてしまいました。
「痛いの?だめよ。がまんしないと。綺麗にしないとだめなんだから。」
新たにソープをすくうと今度は陰茎部をゆっくりと洗い始めました。左手で睾丸をやさしくマッサージしながら輪を作った右手で陰茎を上下にゆっくりとしごいています。確かに洗ってはいるのですが、その動きは僕にとってもはや快感を送る以外の何物でもありません。
「ほらぁ・・・。だんだんきれいになってくねぇ。」そんなことを言いながら、川上さんは包皮をむいて亀頭を完全に露出させました。
左手でおもいっきり皮を下にさげ、人差し指と親指で輪を作った右手で亀頭のカリの部分をクリクリと撫で回しています。
「はぁ・・・あぁぁ・・・」僕はもう気が変になりそうです。
「んー?どうしたのぉ?今井クン、ちょっと変な気持ちになっちゃったかなぁ?でも、だめよ。キレイにしてるんだからぁ。」
言いながら、川上さんの右手は亀頭全体をコネコネとこねくりまわしました。
総毛だつような快感が下腹部を襲いました。白衣を着た肉感的な女性が僕のペニスを撫で回している。想像するだけで射精しそうなのに、今、その手が実際に快感を送り込んでいるのです。
「ここは念入りにしないとぉ・・・」
過敏な亀頭全体を逆手に握り、ひねりを加えながら上下になで上げています。ぬちゃぬちゃという音が病室に響いています。
もう、限界でした。腰が甘くとろけ、溶けそうな甘美な快楽につらぬかれました。
「あーっ・・・・!!」
信じられないほどの快美な感覚に包まれながら、僕は射精していました。今までのオナニーなんて比べものになりません。ペニスを中心に腰がどろどろにとろけてしまったようです。
身体全体をビクビク痙攣させながら長い長い射精をしました。射精している間も、川上さんは優しく亀頭をこねくりまわしています。おかげで精液が飛び散らずにすんでいます。
「今井クン、出ちゃったねぇ・・・、いいのよ。しょうがないよねぇ。全部出しちゃってね。」
そんなことをつぶやきながら、川上さんは優しく亀頭を撫で回し続けます。
「フフッ、よかったねー。気持ちいいねー。いっぱい出してね。」
ようやく、最後の一撃まで出尽くしました。まだ腰は痙攣していますが。
「今井クン、全部出たの?全部出さなきゃだめよ。」
その代わりに我々人間から見れば、実際また河童のお産ぐらい、おかしいものはありません。現に僕はしばらくたってから、バッグの細君のお産をするところをバッグの小屋へ見物にゆきました。河童もお産をする時には我々人間と同じことです。やはり医者や産婆などの助けを借りてお産をするのです。けれどもお産をするとなると、父親は電話でもかけるように母親の生殖器に口をつけ、「お前はこの世界へ生まれてくるかどうか、よく考えた上で返事をしろ。」と大きな声で尋ねるのです。バッグもやはり膝をつきながら、何度も繰り返してこう言いました。それからテエブルの上にあった消毒用の水薬でうがいをしました。すると細君の腹の中の子は多少気兼ねでもしているとみえ、こう小声に返事をしました。
「僕は生まれたくはありません。第一僕のお父さんの遺伝は精神病だけでもたいへんです。その上僕は河童的存在を悪いと信じていますから。」
バッグはこの返事を聞いた時、てれたように頭をかいていました。が、そこにい合わせた産婆はたちまち細君の生殖器へ太い硝子の管を突きこみ、何か液体を注射しました。すると細君はほっとしたように太い息をもらしました。同時にまた今まで大きかった腹は水素瓦斯を抜いた風船のようにへたへたと縮んでしまいました。
この場面を子供の頃読んで、ずーっと印象に残ってる。この河童の子供の消失に憧れる気持ちがずーっと残っている。もちろんそれが善い願望だとは思ってないけど惹かれるのは変わらない。
実は、単なる「年齢制限」だったのだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その女の子は体が弱いらしく、毎日、病院で注射を打つような状態だ。
同年代と比べて、発育が遅いらしい。
だから、その女の子の両親は、小学校就学を1年遅らせようか迷っているそうだ。
だが、ここに問題があった。
それは、1年遅らせると、その女の子は、中学2年生までの教育しか受けれないそうだ。
しかし、コメンテータによると、義務教育は、「15歳の3月まで」、ということだと。
そのように決められているそうだ。
年齢で切られるのだ。
だから、もし就学を1年遅らせたら、その女の子が「15歳の3月」を迎えるのは、
中学2年生が終わったとき、というわけだ。
それでわかったのだ。
つまり、義務教育というのは、
「どのような内容の教育を受けるか」、によって定義されているのではなく、
「15歳の3月」までに受けた教育を「義務教育」と呼ぶのである、ということだ。
言い換えれば、学習内容の達成度を見るわけではない、ということだ。
年齢を見ているだけなのだ。
留年もない。
学習させる内容も、ふらふらと定まらない。
なぜなら、そのようなことを気にする理由がないからだ。
「15歳の3月まで」という、単なる制度上の都合の、操作的な定義に過ぎなかったのだ。
まるで、ベルトコンベアに乗せて、「15歳の3月まで」という一定期間、「教育」という塗料を吹き付けていき、卒業したら、あとは知らん、というのが、日本の義務教育なのだ。
標準原価計算的に考えれば、かなり「歩留り」は良かったのであろう、いままでのところは。
だがこれは、大量生産の発想だ。教育資源が乏しかったころの発想だ。
経済学者の伊藤元重が、「日本の教育は配給制度です。いまでも」、と言っていたのは、正しかったのだ。
いくつかいただいたコメントで、義務教育の「義務」に関してのものがありました。
わたしとしては、この文章の意図は、「義務」うんぬんの話ではなく、
つまり、教育の内容に関してです。
もし、
その教育の内容は、無意味なものになりがちなバイアスがあるのではないか、
ということを言いたかったのでした。(学校に通っているだけでいいんだから)
その点で言えば、問題は、この女の子に限ったことではなく、われわれすべてと関係するでしょう。
これは誤解を招きがちな部分だと思います。なぜなら、
たとえば、不登校の人に対して、
「義務なんだから学校へ行けや」、と恫喝する人がいるであろうからです。
また、それに対する反動として、
「これは、親が子供を学校に通わせる義務だ」、という意見が出てくるのだと思います。
わたしの理解では、
「義務」は、「権利」と対になっているはずのものです。
すなわち、
まず子供に「教育を要求する権利」があり、保護者は、「それに応える義務がある」、
ということになるのだと思います。
「それに応える」というのは、具体的には、学校に通えるようにしてやる(ランドセルや定期を買ってやるとか、昼間に児童労働させないとか)、ということだと思います。
なので、義務教育の「義務」は、「教育義務」ではなく「就学義務」、ということだと理解しています。
サポートする義務です。
なお、上記のとおりだとすれば、不登校の場合は、本人が望んでいないので、保護者にも義務は発生しないのでしょう。
なぜなら、ウィキペディアで調べただけだからです。
わたしの考えでは、保護者が昼間に働くために、一時的に子供を預ける、というのが、主要な機能だと考えます。
場合によっては、高校も含みます。
http://anond.hatelabo.jp/20100603200325
http://anond.hatelabo.jp/20100604004052
http://anond.hatelabo.jp/20100610084458
http://anond.hatelabo.jp/20100611083455
http://anond.hatelabo.jp/20100615082939
夜が僕の部屋にやってきた
部屋は暗くてマックブックが僕を照らしている。the tuss『Rushup I Bank 12 』が流れている。外は群青色。
僕の耳元でギーガーが囁き出す。僕は狂っているフリをしている。
NO NO NO. 僕は狂っているフリをしているフリをしている。
「セクシャルな意味の言葉を教えてくれよ」って声が聞こえる気がする。腹が減っている。ジャングルから何かが抜け出して僕にまとわりついている。俺の言葉きこえるか?あーあーあー。
夕方から夜への変化は高速だ。青が黒になっていく。バイバイ。
ジャングルジムみたいな都市を這い回るbitとそれにまつわる僕たちの幻想。社会という幻想。言葉を打ち出せば新しい幻想を君の頭が君の頭自信に幻想を見せる。タイプ→bit化→イーサネット→表示→視覚がキャッチ→脳内変換→幻覚
真っ暗な部屋が好きだ。肉体に意味がなくなるみたいに。感覚を研ぎ澄ませ。生活の雑音を音楽に置き換えてセックスをしろ。オセロの決着みたいに本能で意識を埋めろ。
群青は今や黒に限りなく近い。自動筆記をする亡霊を作る機械仕掛けのbotの群れ。
お前の意識はお前のものかって、Gigerが室内冷蔵庫の唸りを隅のほうで齧りながら言っている。君はたぶんズールー族の洗練を受ける必要があるぜギーガー。
言葉は何度もパイプされて行き着く果てで奇形の言葉が夢をもたらす。2ホップで邪悪な存在に触れることだってできる。キマった目の映像をリアルタイムで放映していた綺麗な女の子。いくつもの視線は決して孤独を埋めない。
気づかないうちに青色は消えた。灰色だ。都市の光を反射して黒であることできない空だ。あらゆるルートを探索するうちに幻想は消えてしまった。012345678909876543210
SFみたいに俺の記憶を全部レーザービームでずっと向こうに打ち放ってくれよって、鳥が鳴いてる泣いてる。ずっと先のあの向こうに行きたいんだって。そうしたらこの都市を燃やしてくれよ。
パチンコの台に機械を仕込んで店長とグルになって儲けた金を大型草食動物を殺した肉食動物みたいに分け前を食い散らかしていると、向こうから見たこともないような綺麗な羽を持った鳥がやってきて、その鳥を金で買った。その鳥はアイドルになって沢山の視線を集めたいって言っていた。
孤独な鳥は鳴いていたけれど、僕たちは尻尾を振って怯えたままそれを眺めていました。決して唱えてはならない秘密の呪文を唱えると缶詰から亡霊が這い出てきて僕に本当のことを教えてくれたけれど。夢から醒めて鳥のヴァギナに色とりどりのポスカを差し込むうちに忘れてしまった。
遠く遠くで真っ赤な隕石が通り過ぎている。ポスカを抜き取ってそれを描写しようとすると鳥は嫌がっていたし、向精神薬がなくなればカフカは落ち込んでひたすら押韻のチートコード集を集めていた。
箱男達が工場で夢の製造に従事していて、箱男の王の中身はベンガル虎だって噂がある。ベンガルトラに喰われかけている箱男の中身かもしれない。座席を回転するSUSHIバーでポスカを突き刺したまま鳥は「そこで夢はつくられているの」と言った。
「宇宙に行きたいなら今そこに座っているそこがそうさ」と相対的に近づく箱男が言って、彼女は泣いた。素数の順に爆発する地雷を踏んで15色と共に炸裂して消えて、僕はバーを出た。うつむいたまま。
undoして箱男にバールのようなものを投げつけて彼女を連れ出した。漏斗から昔の記憶が流れ出したのはヤクザがヤクザ映画の花形俳優に挨拶した話だ。
ジャングルから抜け出した野生の箱男は薄暗い目で人工ではない夢をみていた。ゾウオヲアタエルコトバマザリアッテクレ。踊りは無意識を掻き立て無規則のなかから創発性の地獄が運動を始めてベンガルトラは亡霊を求め始めた。ピンク色の乗用サイがテールランプで1万km遠くの仲間たちに危険を伝える。
夜が歌い始める。僕たちは踊り出す。ティム・バーナーズ=リーは笑い出す。感情が全身から溢れ出して路上に数多の星が雨みたいに空から落ちてくる。「ただの黒い石だったみたい」と彼女はほほ笑んだ。ズールー族達は合成麻薬を注射してak-47を振り回す。01234567899999999...
温めた牛乳にパンを浸しながら乳牛を捌く彼らと量子コンピュータと交換で新しい踊りの教則ビデオを手に入れた僕たちは、借入を超えてレイクで現金を3億円引き出して真っ黄色の85年型のデロリアンインドサイを買ってBTFした。僕たち現在の僕たち自身を書き換えるために。
BTFに失敗した僕たちは記号の世界に移動してしまった。'機能'をいじくり回して本能と妄想を書き換えた。現在に戻ると無限マズロー状態。死と性・秩序だった無秩序が保存が破壊を食って内蔵がキーボードに切り替わっていた。
箱男たちの中身と箱は裏返って剥き出しの彼らとベンガルトラと箱男達の比率は逆転して植えたトラとトラの共食いと皇帝と臣民の比率が逆転して、むしろ逆に臣民が皇帝っぽくなってすらいたし、ピカピカ光る非同期の夢を同期させようとする電池を食う機械にしゃべりかけるとやつは答えた。
「踊ってくれよ」と言われて僕たちは新型のダンスを踊り始めた。
踊りのマクロが何度もとプレーヤーピアノ達と連動して奪うことと奪われることが等価になって実在しないヒーロー達が現れて偶像に規則と予定調和を与えた。物語の時だ。
ヒーロー達が生み出したベイジアンネットワークを貪るパックマンみたいにお話の快楽を貪る彼女が超常現象的な動きでスピーカーの振動と同じ周波数で爆裂する音楽を発する。まとめあげられた集団はリズムの原則に奪われて暴動みたいに時速2kmの速度で遠心形状で彼女に巻き込まれていく。
月に反射した腐った陽光がベンツに載ったカミュをバターみたいに溶かしてる。笑えない冗談で笑うコメディアンの悲しみがギアの悲しみを包み込んで目隠しされたノード形状の同調する協力者を通してP2P的に愛を送っている。波状に飛び散ったハッシュが変形して別の夢になる。
衛星軌道上でジョージ・ワシントン級のブラシが振られて百万色のインクが降り落ちてアクション・ペインティングで灰色の建物はサイケデリックに変色してる。
マグニチュード6000の地割れから羊が大量発生した。鉄格子に守られた僕たちは数えて眠ることのできない羊に食べられた。
放物の賜物がいくつも刺さった養殖のアサヒスーパードライが波のように揺れて聞いたことのない言葉を喋っている。
朝が避けることのできない恋や運命みたいな感じで夜を引きずり込んでいる。
二つの約束が浮き上がって実体のない情報生命体みたいに自らをbitに変換して飛んでいった。
終わったことを始まりが喋っている。あなたは夢をみていたのですと夢が喋っている。
箱男達が工場で夢の製造に従事していて、箱男の王の中身はベンガル虎だって噂がある。ベンガルトラに喰われかけている箱男の中身かもしれない。座席を回転するSUSHIバーでポスカを突き刺したまま鳥は「そこで夢はつくられているの」と言った。
「宇宙に行きたいなら今そこに座っているそこがそうさ」と相対的に近づく箱男が言って、彼女は泣いた。素数の順に爆発する地雷を踏んで15色と共に炸裂して消えて、僕はバーを出た。うつむいたまま。
undoして箱男にバールのようなものを投げつけて彼女を連れ出した。漏斗から昔の記憶が流れ出したのはヤクザがヤクザ映画の花形俳優に挨拶した話だ。
ジャングルから抜け出した野生の箱男は薄暗い目で人工ではない夢をみていた。ゾウオヲアタエルコトバマザリアッテクレ。踊りは無意識を掻き立て無規則のなかから創発性の地獄が運動を始めてベンガルトラは亡霊を求め始めた。ピンク色の乗用サイがテールランプで1万km遠くの仲間たちに危険を伝える。
夜が歌い始める。僕たちは踊り出す。ティム・バーナーズ=リーは笑い出す。感情が全身から溢れ出して路上に数多の星が雨みたいに空から落ちてくる。「ただの黒い石だったみたい」と彼女はほほ笑んだ。ズールー族達は合成麻薬を注射してak-47を振り回す。01234567899999999...
さて、大学新入生へのアドバイスということでこんなの(http://d.hatena.ne.jp/kanedo/20100309/1268136348)が上がってたけど、いやまあ、こんな程度教えられないといけないなんて大学新入生もナメられたもんだなと思いつつ、俺もまあ新入生のころはそんなもんだったな、とか思い出しつつ。
で、だ。
アドバイスを受けられるのが次は就活の時?就職の時?ちょっと遅いよな。
サークルも決まった。友達の数もだいたい二回生で頭打ちだ。先輩だけでなく後輩もできる。大学生活にも慣れた。
というわけで、新二回生に向かって徹底的に上から目線でアドバイスしていこうと思う。
まずこれが言いたいこと。軍資金を貯める、っつってもこれは比喩で、まあ、学生の分際で集められる百万や二百万、実際のところ軍資金なんかにゃなりやしない。そもそも最初からそんな金、稼がない方が良い。アルバイトは基本的に搾取してるので、将来の貯金のためにアルバイトするのはちょっと割に合わない。むろん、就活に金のいるような地方の学生とかなら、百万ぐらいあれば心強いだろうが、あくまで消える金だ。
というわけで、新二回生は、もっとそんな金とか数値じゃない、自分の生涯にわたっての貯金になり得るような「軍資金」をためる時期であることを、まず認識して欲しい。
で。
じゃあ何をすればいいのかっていうと、まずは「自分がどの分野で勝負するのか」を決めること。
卒業後どの分野で戦っていくのか、そのフィールドを決めろってことだな。
もっと簡単に言えば、サッカー選手になるか野球選手になるかを決めろと言うことだ。
金融?
営業?
事務?
まあなんでもいいや。とにかく勝負するフィールドを決めることだ。
新入生の時に、上であげたエントリ一を読んで、きっちり考えた人は、二回生になるときにある程度将来なりたいものみたいなものが決まってきていると思う。
むろん漠然としてでかまわない。具体的すぎる計画は、自分の選択肢を束縛しすぎる可能性がある。
だから、将来何で食っていくのか。どのように食っていくのか。希望年収は?働き方のスタイルは?
そういうのを、まずは想像してみる。
いろんな活動をして、誰かと関わっていくうちに、あこがれの人みたいなものを見つけることもあるだろう。
そのあこがれの人になるにはどうすればいいのだろうか?
それをまず、考えてみよう。
さて、勝負する分野が決まったら、次は二回生としてどうするかだ。
最初に言ったように、二回生は「軍資金を貯める年」だ。
だから、その分野において、求められる人材になるにはどうするかを考えなきゃいけない。
そのために参考になるのは、一流と四流だ。
一流はともかく、四流ってのはなにかというと、「なんでそんなのが商品化されちゃったの?」みたいなヤツ。
メッセサンオーで流出やらかしたウェブプログラムみたいなヤツだな。
そういうのが参考になる。
一流は勝ち上がってきた理由がある。それを学ぼう。
四流は失敗した理由がある。それを学ぼう。
一流から学ぶ方法は簡単。どう勝ち上がってきたか、その経歴を自分で追って想像するだけでいい。
四流から学ぶ方法も簡単。失敗者を探しだし、その失敗した理由を学びなさい。
「この分野では食っていけない」って言ってるやつがいたら、その人の仕事を徹底的に分析しなさい。
「この商品は売れなかった」という情報に飛びつき、分析しなさい。同じジャンルで売れた商品と比較するのもなおよい。
そして、さらに一歩踏み込んで、「なぜ売れなかった商品が、商品化されるに至ったのか」も考えよう。
どうしてあんなザルなセキュリティのプログラムが、メッセサンオーに採用されたのか?
それを考えるだけでもスゲー勉強になる。
ともかく、
・どの手を打てばよいのか。
・どの手を打ったらまずいのか。
この方法論をしっかり自分のものにすること。
・自分の勝負できる分野を決める
・その分野での一流と四流を学ぶ
それを元手に、三回生では勝負をかけていく。
つまり、一気に世に出るのだ。
そのために二回生では、プログラムでも、絵でも、とにかくなんでもいい。最初の作品を、世に出しても恥ずかしくない作品を作るのだ。
どんな市場も、「あなた」を評価してはくれない。「あなたの生み出す商品」しか評価してくれないのだ。
だからまずは、自己紹介代わりにひとつ「商品」を生み出すこと。
最終的な出来は、商品化するに値しないようなものでもいい。とにかく完成させること。そのために煩悶すること。
そして、やっているときは必ず「仕事」としてやること。
処女作でありながら、処女作でないように。継続的に生み出していくにはどうすればいいのか。それを考えながら作ること。
納期に間に合わせるには?
学校生活と両立させるには?
自分は、本当はどれだけの力をもっているのだろうか?
こうした問いに答えていくことで、「仕事の方法論」を、身につけていくこと。
この行動が、必ずや将来にわたっての「貯金」になる。
前にもちらっと触れたが、二回生が「軍資金を貯める年」ならば、三回生は「勝負をかける年」だ。
二回生での「処女作」が完成したら、必ず世に出して成否を問うこと。
どっかの会社に、できたプログラムを売り込みに行ってみるとか。
未踏なんとかってのもあったな。
絵なら同人誌という形でコミケに参加するとか、持ち込みに行くとか。
とにかく、世に出していくこと。
加えて、お金が必ずもらえるように営業をかけること。
無料ならいくらでも評価してくれる人はいる。でも、それは危険だ。本音を聞けない可能性がある。
それよりは、自分の商品を文字通り「買ってくれる」人を見つけること。
そして、そのために売り込むこと。
売り込む方法論を見つけること。
これまで二回生でできれば上出来。三回生ではもうそれで食っていくのだ。
大丈夫、金なんて意外とすぐにもらえる。
腰が引けてるだけだよ。
では、ここまでの論を踏まえて、二回生で学ぶべきものとはなんだろうか。
むろん、これまでの話で出てきた「一流と四流」「仕事の方法」「売り込む方法」みたいなものも大事だ。
しかし、それ以上に、二回生で学ぶべき事は多い。
はっきり言えば、どんな分野でも、十年かそこらみっちりと修行すれば目をつぶってでも二流ぐらいにはなれるのだ。
二流っていっても結構すごい。食っていけるし、運が良ければ有名人になれる。
けど、その場合に危惧すべきなのは、十年修行したあとに、どうするかだ。
十年修行したら三十も半ば近い。
そのとき出てくる二十歳の新人に、あなたは勝てるだろうか?
感性で、実力で、必ず十年修行したあなたを上回る新人が出てくる。
そのときに、あなたはどう戦うのか?
齢三十半ば、実力に見合わぬ高給を食み、そろそろ若手に席を譲ってやってくれと言われるような人間になるかもしれない。
どんどん自分の仕事が、世に受け入れられなくなるかも知れない。
それでも、「指名される」人間になるにはどうすればいいのか?
それを見据えた勉強が必要だ。
だから、できるだけどんな分野にも共通の問いを探していくこと。
世の潮流に合わせ、時にはさおを差し、時には流されないようにするにはどうすればいいのか?
時代遅れと後ろ指をさされないために、どうすればいいのか?
自分の主張を作り上げていくこと。
これが大事。
大企業に行っても、自分を守ってくれるかどうかなんてわかんない。
一人で丸裸で放り出されたときに、食っていく方法をいつでも見つけ出せるよう準備しなきゃいけない。
国も助けてくれない。企業もなおさら。友人だって、自分のことで手一杯かもしれない。恋人もどうかね。世知辛い世の中だからね。
自分が裸一貫で再出発するハメになったときに、次の分野でどう勝負していくのか、この方法論を学生のうちに見つけておくのは、すばらしいことだ。
予防注射みたいなもので、一度ウイルスを自分の身体に入れて、戦ってみよう。
そのために、二回生ではまず自分の「最初の仕事」を作り上げて欲しい。
端から見ればお遊びかも知れなくても、仕事と戦って、煩悶して、どうキャリアを作っていくのかを見つけていこう。
インターネットがあれば、それを評価までしてもらえる時代になった。
良い時代じゃないか。
なんかもう文章もへたくそで、むちゃくちゃに書いてしまったのだが、とりあえず俺が言いたいことはこんな感じ。
・決めたら突っ走ってみよう
・自分一人で稼ぐための方法を見つけてみよう
がんばってね。
どうも死にたい人間が多いようなので、「自殺の仕方」について列挙し、その利点と欠点を書いてみた。
・首吊り
これがもっとも苦しまずに逝ける方法だと言われている。
ところが俺は何度かチャレンジしたが、うまくいかなかった。
どうもうまく頸動脈が絞まらないようだ。
・注射器による失血
これが一番苦しまなく、また「引き返せる」方法だろう。
注射針は18Gの太いものを購入する。
ネットで300円もしないで買える。
人は、
500mlごとに状態を見つつ、血液を抜く。
リスカと違って針穴しか残らないので、跡が残らない。
血管の位置は、一旦献血して確認すると良い。
その他、
・自動車の排気ガスを社内に引き込む
また、一酸化炭素を吸い込み、蘇生したあと、1年後脳が溶けて死ぬ、という症例がまれにある。
一酸化炭素を吸い込んだ記憶すらない人が、いきなり亡くなったりする。
死ぬ気が失せたあとで亡くなるのは、農薬を飲むのと同様悲惨だ。おすすめできない。
・硫化水素
苦しい、死体が醜い、発生した硫化水素によって二次災害が引き起こされる、などでおすすめできない。
失血死が流行すると良いと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20100329140437
ご返事ありがとうございます。
病院については、すでに父に頼んでいますが
というよりは、おそらく正規の治療法として
父親はそういった西洋医学に対して反感を覚えるようで
なかなか理解を得られないというのが正直なところです。
手を打ってみようとも思います。
http://anond.hatelabo.jp/20100329140408
ご返事ありがとうございます。
予備知識として論理的な反応を返すのは得策ではないという
のがわかっているつもりでしたので、
特にそういう対応はしませんでしたが
結果できた対応は黙殺という合格点とはほど遠いものでした。
ストレス要因を取り除けば良いかもしれませんが
ただ、ストレス要因=自分ないしは父への不満要素を減らせば減らした分だけ
別の粗探しが始まるだけなのではないかとも考え
なかなかピンとこないのが恐縮ですが正直なところです。
http://d.hatena.ne.jp/tt_clown/20100216/1266340239
100字じゃ足りなかったので。
残念だけれど、リテラシーを向上させるためには「だめな記事」にも目を通す必要はある。
逆に言うと、「これがだめな記事」を知らないと、知らず知らずに「だめな記事」をいい記事と勘違いをしてしまう可能性もあるのだ。
それだけ「だめな記事」とは巧妙に「いい記事」の間に入り込んでいる。
そうでなかったらこれだけ予防注射批判やホメオパシーが広がるはずはない。
「だめな記事」にあえてブックマークをせずに沈めてしまうということは、リテラシーのある人しかできないし、
残念だけれど「だめな記事」を読んだ人すべてにリテラシーを求めることができない以上、誰かがその「だめな記事」に「これはだめな記事ですよ~」