ポプテピピックと一緒に買ったプリンセス・プリンシパルで、音響監督の岩浪さんが「内容について話そうとすると見入っちゃうよね。よくあるコメンタリーだとそれでみんな黙るけど、それだとコメンタリーの存在ないのと一緒だから。コメンタリーなんだから喋れよ」って(冗談ぽくだけど)言ってたのが笑った。
「ドロシーうああああ」「ドロシーに厳しすぎる!」とか。
人生楽で良いよなあ
よくある、ブスだと人生ハードモード みたいな言い分もあるけど、例え超ブスであっても
・ほどほどのぬるい仕事で一生働いていても(派遣etc.)仕事については何も言われない
SNSって基本的に個人とSNS全体が直結してるじゃん。そうじゃなくて階層型SNSというか、集団行動が基本で、個人は所属するグループでしか世界と繋がれないSNSみたいなのを考えてみたんだけどニーズあるだろうか。町内会型SNSと名前をつけてみたんだが。
俺が知らないだけでこういうのは既にあるかもしれないな。
色んな意味で金がかかる舞台に推しが出た。ガチランキングでNo.1が決まるアレ。きっとわかる人はすぐ分かると思う。
幕が上がってすぐの公演を観て、その一週間後にまた観に行った。
その一週間後に見たランキング発表の時の推しの表情がどうしても脳裏に焼き付いて離れない。
悔しそうともなんとも言えないあの表情。なんといって表現していいかわからない。ただ、その表情がマイナスに触れてる感情であることはわかる。でも悔しいそうとはちょっと違うような雰囲気を持った表情。
私はその顔を忘れられない。
こんな表情をさせてしまっているのはファンの力が足りないんだ、そして私の覚悟も全然ないんだって思ってしまった。
一度でいいから上の景色を見てもらえればいい、そんなことを何気なく思っていた。だってそんな強いオタクいないでしょう?
でもそんな話で済むものじゃなかったって一週間して気がついてしまった。私はあんな表情をさせたくないのにな。
その表情をさせない方法はわかってるけど、そこまでできる覚悟が圧倒的に足りなくて苦しい。そこまでする必要がある?と思ってしまうのは覚悟がないから。言い訳しか出てこない。
「この増田書いたのお前だろうが。しらばっくれてもダメなんだよ。全部わかってるんだよ、オラァ!!!!!!!!」
と刑事に凄まれることは間違いない(刑事も増田という語彙をごく普通に使うということも)
君が罪を犯せば遊びは終わる
中学から高校まで使っていたTwitterアカウントでは、フォロワーの99%がインターネットの中で完結した関係で、例に挙げられているような不穏な空中リプ、オフ会、会議通話の関係が展開されていた。今思い返すと本当に地獄絵図だったなと震えてくる。
代わりに、リアルの友人に限定した非公開アカウントを新たに作り、健全な関係を心がけるようにしたら、精神衛生上大変よろしい環境がインターネット上に出来上がった。
中には以前のアカウントのフォロワーのような種類の人間もいたが、現実を介した関係ということでそこまでこじれることはなかった。
フォロワーの多くは同じ大学での友人だったが、彼らを経由して別大学の学生たちとの通じ合えた。高校生までのインターネット生活がいかに荒んだものだったかを痛感させられるほど充実したものだった。
なんちゃら講座とかに通ってる人間が、その道のプロになることなんてないと思ってた。
最近、直木賞だか芥川賞だかを取った女性が、小説の書き方講座みたいなので勉強してたって言ってて驚いたよ。そういうのって才能だと思ってたから。
私も小説書いてみたいんだよなぁ。文章力なんてこれっぽちもないけど。絵も描きたい。その女性ももう50過ぎとかだった気がする。今からでも遅くないかな?
あれ、そうだったかな。いやまぁ、「今の感覚」だと、そうなのは分かる。
飲みにケーションとかビジネスマナー