はてなキーワード: 天元突破グレンラガンとは
日本の文化が、かなりマズい方向へと進み始めている。私はこれを止めなければならない。そのためにこれを書く。
まずはひとつの記事を紹介しよう。あまり人に広めたくないあまりにも醜悪な文章だ。
しかし、現代における様々な問題を見事に一点に凝縮しているので、思い切ってリンクする。
http://blog.livedoor.jp/hitoshione/archives/51007015.html
例えば「格好悪いふられ方」とか「深夜高速」とか「ザ・ミーハー」とか「はっきりもっと勇敢になって」とか。
オレにはその絶妙なセンスがツボで
「おっ、大江千里か!」とか「フラカンね、はいはい」とか「森高かよ!」とか
「ついに岡村ちゃん使ってきたかあ」とか
毎回楽しみにしていて連戦連勝ですべて当ててきたのだが
去年の秋ごろに初めて「・・・知らんなあ・・」となった。
後悔した。やはり醜い。スノッブとはこいつのことを言う。
何が醜いかというと、モテキの作者がただ見栄えをよくするためだけに楽曲タイトルを引用する態度と
その引用元がわかることに喜んでしまうという読者との共存関係だ。
同じように注目されているマンガで『ザワさん』というものがある。このマンガでも全く同じ現象が存在した。
それは耳にイヤホンを指している男子高校生に対して矢印書きで書かれた「伊集院のラジオを聞いている」という文字だ。
「そんな高校生、今どきいるか」という二重の意味で驚愕したのだが、本当の問題はそこじゃない。
この引用は作品のクオリティに何の影響も与えていない。ただただ、作者が好きなものを作品内で提示したにすぎない。
わかってる奴だけが気づいて不気味にニヤリと笑うだけだ。この醜悪な一連の行為はいったい何なのか。
はっきり言うと「私はあなたの仲間である」というマーキングにすぎない。
ザワさんで言うと「私は伊集院のラジオを聞くような人間です」「伊集院のラジオが好きな人は仲間です」というメッセージ。
作品内にわかる人間だけがわかる符牒を忍び込ませ、その意図は仲間意識を強めるためだけ。
これはニッポンのサブカルチャーのもう至るところに散見される。
例えば映画秘宝文化圏。こいつらはやたらと「俺たちボンクラは」という言葉を連発する。
「ボンクラ」というキーワードだけでただ連帯している。このような囲い込みは排外主義を伴なう。
事実、映画秘宝は「ボンクラ」というキーワードに引っかかる人間だけを相手し、
お決まりの作法を繰り返して、自分たちの文化圏外を口汚く批判するだけでゼロ年代を終えた。
現代の創作はもうほとんど仲間意識を強める言葉や引用を散りばめるだけで成り立っている。それが最近の貧困さの原因でもある。
最近のサブカル好き同士の会話なんて、お互いが好きなキーワードを連発し合ってにやりと笑っているだけの、
本当に貧困で醜悪で、言葉にできない酷さだ。そんな人間が日本の文化を滅ぼすんだ。どんどん自閉していき緩やかに自滅していく。
島本和彦が『天元突破グレンラガン』を評した言葉を紹介しよう。
こんばんわ。ネコです。
基本おじさんやおばさんばっかりの職場で、20代前半の女の子はいるだけでも華になりますし、
何より今回書こうとしている女の子(Rさん)は、お嬢様っぽい感じの、ぽやんとした子で、
年下好きなら絶対に来るだろう、というようなタイプの子です。
(分かる人のみ、天元突破グレンラガンのニアを想像してください)
ファンが多い彼女で、「目がよく合うので、俺に気がある」と思っている男も多いです。
目が合えばにっこりしますし、それはもうしょうがないことかもしれません。
が、彼女がド近眼の上に耳がそんなに良くないことを知ってる人間は、僕しかいません。
したがって「大きな物音がすればそちらをつい観てしまう癖」や
「とりあえず周囲で一番大きな音を聞き逃さないようにそちらをみている癖」や
「視線が常にふらふらしている癖」を知っている人間も僕しかいません。
グレンラガン最終話、アンチ=スパイラルのインフィニティ・ビックバンにより危機に立たされる天元突破グレンラガンのシーンより
「永劫に続くネット創生の誹謗中傷に焼かれ、エントリの一片まで完全消滅するがいい!!」
「だが、彼らがこれで終わるはずがない」
「まだだ・・・まだやれる!」
「シモン! ここはまかせてもらおうか。 ラゼンガン・トラックバァァーーーク!」
関連エントリでネットイナゴの前に立ちはだかり、炎上コメントを一気に引き受けるロージェノムブログ。
「お父様・・・!」
「嘆くな、娘よ。一度は絶望と倦怠の海に沈んだこの魂がここまでこれた。仮そめのブログがネットの命の明日を作るならば、本望だ。」
「ええ、確かにそのとおり・・・」
「ニア、お前・・・」
「シモン、あなたはあなたのなすべきことをするためにここまで来た、そうでしょう?」
「わかった、勝つぞこの戦い!必ずな」
「当然だ!」
「所詮は犬死だ、消えろぉぉ!!!」
「・・・それを・・・待っていたァァ!!」
誹謗中傷のネガティブエネルギーをそれに反発するポジティブエネルギーに変換するロージェノム。
「シモォォン、受け取れぇい!」
「ロージェノム、一緒に行くぞ!!!」
「くらえぇぇぇぇぇ!!!」
「させるかぁぁぁぁ!!!」
「なぜだ、お前達のどこにこんな力が・・・」
「俺たちは一分前の俺たちより進化する。1更新すれば、ほんの少しだが前に進む。それがブログなんだよ。」
「それこそが滅びへの道、ブログ族の限界、なぜそれに気づかん!!」
「それは貴様の限界だァ!!この閉ざされたネットで王様気分で他のサイトを封じ込めた貴様自身の限界に過ぎない!!」
「そう、人間にだってもっともっと大きな奴がいたわ。その人たちのためにも私たちは前に進む!」
「人の心は無限。その大きさに私もかけた!!」
「覚えておけ、このブログはこのネットに風穴を開ける。その穴は後から続くものの道となる。
倒れていった者の願いと、後から続く者の希望、二つの想いを二重螺旋に織り込んで明日へと続くエントリを書き込む。
それが天元突破、それがグレンラガン。俺のブログは、天を創るブログだぁぁぁぁ!!!!!」
炎上コメントにも負けず、エントリにエントリを重ね、ついに突き抜けるグレンラガンブログ。
「ならば、このネット、必ず守れよ」
「当然だ・・・人間はそこまで愚かじゃない」
ネットイナゴが崩壊して、ネットに漂っていた叩きの空気が崩れ出す。
「どうした?」
「ネットの狭間に作った嫌悪を支えるだけの力を無くしたのね。」
ネットのあちこちから、次々と書き込みが入っています。
開放されたブログ族たちが、喜びの通信を送ってきているんですよ!
ネットには、こんなに仲間がいたんです!!」
とかいう夢を見た。
■増田には悪口を言うヤツが多い気がする。
http://anond.hatelabo.jp/20070810194451
自分を正義だと信じていちいち口つっこんできてテンション下げさせるオバハンってホントウザい。
http://anond.hatelabo.jp/20070905095516
情報の受け取り手なんて、いつも勝手だ。要求ばっかりして自分達じゃ何もしない。
http://anond.hatelabo.jp/20070919010025
http://anond.hatelabo.jp/20070913130416
■ほめるとかほめられるとか
http://anond.hatelabo.jp/20070920143404
■はてな村民はなぜ人を褒めないのか
http://anond.hatelabo.jp/20070930225129(→http://anond.hatelabo.jp/20071001171946)
実は格好のサンドバックなんだよな、相談者ってのは。
http://anond.hatelabo.jp/20071003102042
はてなブックマーク - 嘲笑や罵倒は得意なのに、褒めるのは苦手なのね
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://zapanet.info/blog/item/1090
そうやってただ水を差して逃げを打ちながら非難する何の生産性も無い奴より、たとえ間違っているかもしれなくても、将来をよくしたいと動く奴の方がはるかに凄いだろうと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20071007025432
■ネットを開放する天元突破グレンラガン
ので、恐らく見続けるだろうアニメを、続きが気になる順に羅列アンド感想。
キャラ多すぎ、(今までが良かっただけに)絵がヤバすぎなどの問題を抱え、まだ話として特に何も始まっていない段階から賛否両論巻き起こっていた3期。最強クラスの先輩方が全員居残り、新主人公たちは結局最後に食われてしまうんじゃなかろうか、など不安要素は尽きないが、何とか上手いこと転がって『六課を描く』ということが達成できたならば、きっと俺にとって今期トップのアニメになってくれるだろう。よって期待度一位。現に8話では絵(対人戦闘は気合入ってる)、話(あの展開をこの回だけでどうこう言うのは筋違い)ともに先への希望を見せてくれた。
予想を全く裏切らない筋を展開した上で、それでもラスト5分ではキッチリ興奮させてくれるという、まさに王道を貫くアニメ。ただ余りにもそのまま進んでいくため、地下からの脱出をこれでもかというぐらい清清しく描いた一話がマックスだったのではないか…という心配がずっとあった(地下の描写が一話こっきりなので、シモンの戦う動機づけが弱すぎるのではないか)。しかしロシウの回でもう一度地下を描き、たくさんの仲間ができ、そしてついにアニキが…と、一話ごとの筋だけではなく大筋もこれまたキッチリとやってくれていて、とても安心して見れる。先が読めると言ってしまうとそれまでだが、それだけではない力がある。
話の続き自体は、始まったばかりでまだ何もわからない、ということもあって正直割とどうでもいいが、本気を出したNHKをなめていると後で損をするというのはもはや俺の中で定説だ。幸い話がつまらなかろうが設定と絵をぼーっと眺めているだけで30分は過ぎてしまう。後は物語が動き出すのを待つだけだ。
そろそろ世界観や各キャラの能力・背景などが把握できてきたし、前後編体制でスローペースだった分どうにかならないかなと思っていたら突然テコ入れ回が始まるというのんびりぶり。なら1クールで小奇麗にまとめろよと言いたくなるし、このままオムニバスっぽくやっていくなら完全にゴミアニメだが、まあそうはならないだろうという予想と期待を持ったまま見続ける。問題はそれよりもキャラに全く魅力が無いことか。それを考えるとテコ入れ回もなかなかどうして…と、安い罠にかかりつつ。
本当にシンプルな意味で続きが気になるという意味ではこれが一位かもしれない。が、キャラたちの等身大の浅さを抉り出そうとして結果アニメそのものが浅くなってしまっているという印象がどうしても拭えない。原作とは大分違っているという噂を聞いてちょっと納得したのもそのせいだろう。15人もいることだしどうにかなるのを願いつつ、単体で30分の価値を持つOPとドロドロエピソードをさっくり楽しもうと思う。
実はまだ一話しか放映されていない。これがアニメの地域格差か…!ということを実感するも、何故かほとんど感想を見かけない(見かけても目を逸らすけど)のが少し引っかかるし、CMに入るまでは何となく桃花月譚が思い出されるなあという感じの一話だったが、まあ斬るのは少しためらわれる出来だったので視聴続行。劇が原作だと聞いて、ならあの意味不明な獣は意味不明なオリジナル要素かと思いきや、原作にもいるらしい。意味不明だ。
不毛な戦いに疲れたので『愛・おぼえていますか』ぜんぶみちゃったよ。
僕達がするべきことは戦うことじゃない、愛しあうことだったんだ!
ところで山本寛はなぜ『らき☆すた』の監督を(あんな形で)降板することになったのか?
いろいろな説が飛び交っているけれど、「演出・山本寛としては優れていたが、そのこだわり故に監督として全体を見なければならないポジションになったとき、制作スケジュールまたはスタッフワークに問題が生じてしまった」ことに起因する、京都アニメーション内部の修正人事というのが有力だと思います。
「監督において、まだ、その域に達していない」というリリースには、少なくとも『らき☆すた』のクオリティが低すぎたのでとはどこにも書いていない。『ハルヒ』や『ふもっふ』『TSR』を期待していた人や、そもそも萌え4コマのようなものが嫌いな人には評判がよろしくないけれど、『らき☆すた』は演出、カット割、その他もろもろ非常に細かいところまで心くばりがなされていて、とても心地よく見ることができるものになっていますよ。
というわけで「山本寛が京アニとして許せないレベルの駄作を作ったから」ではなく「フィルムのクオリティ以外の面で監督として至らなかった」という点に絞って、いろいろ調べてみたのですが、大阪のアニメ制作スタジオ「スタジオワンパック」が下請けした作品の実績をサイトで公開していました。
それによると4月8日に#1がオンエアされた『らき☆すた』の動画が以下のようなスケジュールで撒かれていることがわかります。
3月
『グレンラガン』#7(489枚):参考
4月
『らき☆すた』#6(510枚)
『らき☆すた』#7(409枚)
『らき☆すた』#8(410枚)
参考までに、3月に同社で制作された『天元突破グレンラガン』のデータも併記していますが、これと比べても「制作スケジュールに大幅なマージンを設けることで、高いクオリティを実現する」といわれている*都アニメーションとしては、ちょっと不思議なペー9なのではな#でしょうか。監督交代後となる#6から#8が4月に怒涛のように発注されていることかも、4作スケジュ<ル面での立て直しがわれたことが予,されま。
えに、これまでは「各話演出」という形で作品のクオリツィを追求していればcかった山本寛が、若干32歳にして「監督」となちたことで求cられる「すが京アニ」として#機能を果せなかったことが、今の降板劇の真相だとえます。
『ハルヒ』以降、過剰にもてはやされことで、過去の日記おいてガイナックスや4ンゾ、押d守をDisるような本人のヤンチャさ、京アニ内でなんらaの影響を及ぼすことになったため会社としてあのようなキツイ表現で諌めることになったのか&…という深読みもしてまいますが、個人的に、「90年代のeきはもうかっこ悪い」と言ってのる過激なまでの映像に対る探究,/a>心こそがc名物のダ3スや、カcラワーa、カッティングから愍じる「さす京アニ」の正体でねないかと思#ているので、むしろの破壊,/a>者として#部分には待してい<す。
通常の監督交代ではありえないような強烈な発表ぬ内容から、「スポンサ!を怒らၛたことにる制裁人」という見方もありまが、そもきも『らき☆すた』は原作からしてコなオタク!>にむけたあるある”ネタaので、オクク的にやブラックな笑いが含まれることは、アニメ化を企画する時点で解っていたことですYO!というか、そうだとしてもこの場合、責任をとるのはプロデューサーのお仕事でしょう。
あと「『あたしんち』での監督変更のパロディだ!」「『ハルヒ』と同じネットをつかった仕掛けだ!」「らっきー☆ちゃんねるで前フリをしているからネタだ!」というご意見ご感想におかれましては、「たとえ書き込む掲示板は変わっても、俺達のセガBBS魂は永遠だぜ!!」という熱い叫びが聞こえてくるようなこないような気がしてなりません。若さってなんだ?振り向かないことさ!!
例えば「To Heart2」と言う作品がある。
この作品にはみつみ美里、甘露樹、なかむらたけし、カワタヒサシと言う四人の原画家がおり、それぞれの個性をもって
各キャラクターの原画を描き、一つの作品として纏められている。
その絵柄の違いに特に難色を示すファンはそう多くはいない。それは何故か。
絵柄の違いはあれど、To Heart2と言う世界の中から極端に逸脱してはいないからだ。
対して天元突破グレンラガン第4話。もう言うまでもなく逸脱している。
『逸脱し過ぎた個性』は個性でないのである。
オタクもそうバカではない。個性を認めないほど愚かではないのはTo Heart2が証明している。
では何故、グレンラガン4話はここまで大ブーイングに包まれてしまったのか。その答えがここにある。
今回の作画を担当したのはアニメ「BECK」の監督との事だが、彼の過ちは
「BECKで通用した事が、グレンラガンでも通用すると思ってしまった事」である。
普通のアニメファンからは存在すら目に留めてもらえないような「BECK」と、この春「らき☆すた」「ハヤテのごとく!」に次ぐ
人気を獲得している「天元突破グレンラガン」を同列に置いてしまった事なのである。
かつて「魔法少女リリカルなのは」でも同様な事が起こり、件の個性的な絵柄をベルカ式と称されてファンの間では
黒歴史にされている。
いっそグレンラガン4話の作画も「BECK式」とでも称してせせら笑う事でしか、一人の「見えなかった男による失敗」によって
裏切られたファンの傷ついた心を癒す事は出来ないのかもしれない。
ひとつは、絵の美麗さ。
ひとつは、動きのよさ。
「絵の美麗さ」とは、いうまでもなく一枚一枚の絵の美しさ。本来は、レイアウトなども含めて絵としての完成度が測られるべきだが、最近では、キャラクターが可愛く描けているかどうかに重きがおかれる傾向がある。
しかしながら、アニメは構造上、多くの人間によって描かれるため、描き手の能力や個性によって絵柄がブレることになる。そのため、作画監督という役職を置くことで、1話単位での絵柄の(できるかぎりの)統一を図っているのが実態。
場合によっては、さらに“総作画監督”という全話にわたって絵柄を管理する役職を設けることもある。
「動きのよさ」とは、動画=動く絵としての心地よさ。細かい表情や、仕草、あるいは派手なアクションなど。この動かし方やタイミングはアニメーターとしての技術力が最も現れる部分であり、個性がはっきりと出ることになる。“動き”は、キャラの演技や画面演出の幅の広さにつながる重要なポイントとなる。
かつて、80年代後半のアニメーターブームにおいては、様々な作品中でアニメーターが見せる個性的な“動き”にファンが注目し、スターアニメーターと呼ばれるアニメーターが何人も誕生した。
その時代に詳しくない人にも解りやすい例としては、金田伊功の「金田エフェクト」(オーラや稲光、またはその残像などが、画面内で激しく動き回る効果)や、板野一郎の「板野サーカス」(ミサイルや戦闘機が、縦横無尽に追いかけっこをするように動く、メカアニメの定番表現。納豆ミサイルとも)がある。
ちなみに、上記のような“動き”の表現は、アニメーター達の間で模倣、継承され、さらに新しい表現を生んできた。スタジオ内の師弟関係によって、動きだけでなく、絵柄も継承されることがあった。アニメーター単位ではなく、スタジオ単位で担当作品を認識するケースも見られる。
作画監督というシステムも、過去においては縛りの厳しいものではなく、作画監督ごとの個性が大きくでている作品も少なくない。『美少女戦士セーラームーン』はキャラ絵の可愛さに重きを置いているイメージがあるが、実際には作画監督の個性が強くでていた作品の代表例といえる。
アニメーターの個性を楽しむ、という面では、過去には『機甲戦記ドラグナー』において大張正巳による(設定とは異なった)有機的なラインで描かれるメカをそのまま登場させるオープニング(特別に本編に登場した回もある)や、『天空戦記シュラト』での菊池通隆による作画監督回(本来のキャラデザは奥田万つ里だが、当時『超音戦士ボーグマン』で人気が集中した菊池が特別に起用された)など、作画の個性がファンサービスとされたこともあった。
最近でも、『創聖のアクエリオン』におけるうつのみや理、『ギガンティック・フォーミュラ』での薮野浩二(本編)と門之園恵美(原案・ED)といったアニメーターの個性を全面に出した演出、遊びが見られるが、若いアニメファンから「作画崩壊」と揶揄され、拒絶されるケースが多くおもわれる。『天元突破グレンラガン』#4も、キャラクターの感情をさりげない動きで巧みに表現する小林治(『BECK』監督)の個性が全面に出ていることで、過去3話と比較するファンに拒絶されている。
ちなみに、「作画崩壊」というのは本来、制作工程の管理ミスなどにより「動かない」「絵がヘタ」「色がついてない」等の“未完成”状態のアニメが放映、上映されてしまうことを指していた。1989年の『天空戦記シュラト』アスラ神軍編に始まり、1998年「ヤシガニ」の語源となった『ロスト・ユニバース』、1999年に未完成のまま劇場公開され波紋を呼んだ『ガンドレス』と、過去数度にわたり「作画崩壊」は発生している。アニメバブルによる製作本数の増加、海外発注の増加によるクオリティコントロールの困難など、様々な理由があるが、最近では海外スタジオとの作業ノウハウも蓄積されているので、トラブルになるケースは減少したが、国内の動画スタッフ空洞化という新たな問題も抱えている。
上記のような理由から、アニメーターブームを経験している様なファン(30代??)はアニメーターの個性に対して寛容、あるいは好意的な態度をとることが多い。
しかしながら、現在の「萌えブーム」の中核をなすギャルゲー、ラノベ世代の若いアニメファンにとって、アニメ映像のクオリティの基準は“絵の美麗さ”“キャラクターの一貫性”にあることが多い。これは、ギャルゲーやライトノベルがアニメーションとは異なり、原画家、イラストレーターといった、比較的少人数のスタッフによって描かれることから、絵柄のブレが発生しないメディアであるということも、大きな要因であると思われる。
また、メディアミックスを通じて、複数のメディアで横断的に作品、キャラクターを消費することが普通になっているため、キャラクターの一貫性を維持するということは、ファン活動そのものを維持することに直結する。ゆえに、いちばんわかりやすい、ビジュアルとしてのキャラクターの一貫性が強く求められているのではないか。
このことは、『ぱにぽにだっしゅ!』では好評だった新房昭之が、そのままのスタイルで手がけた『ネギま?!』が原作ファンからブーイングをくらうことになったケースにも見て取れる。
今回『グレンラガン』がブーイングの対象になっているガイナックスは、本質的にはアニメーターの個性や動かす技術による部分が大きいスタジオであるので(決して、エヴァとパチンコでお金を稼ぐのが本質ではない、と思いたい)、今回のように作画監督、原画の個性が顕著に現れることは、意外ではない。
最近では、アニメーターブームの中核を担っていたような人々が、監督クラスになって作品を作っているので、こういった遊びが復活するのも不思議ではなく、動く絵を愛するアニメファンとしては、どうか表面的なキャラ絵だけではなく、広い意味でのアニメをみる楽しさ、アニメの気持ちよさを知ってもらいたいなあと思って、このような駄文を長々と書き綴ってしまいました。
決して、俺達はお前達とちがって芸術が解る眼を持っているんだぜ!と言っているわけではないんです。ほんとに。