はてなキーワード: 罷免とは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9F%E5%98%97%E5%90%9B
宰相を罷免されたことで、田文のもとにいた3000人の食客も立ち去っていったが、馮驩(ふうかん)[5]という食客だけは残った。馮驩は田文を斉の宰相に復職させるため策[6]を用いて宰相に復職させた。田文が斉の宰相に復職すると、馮驩は立ち去った食客たちを呼び戻すように進言した。しかし田文は自分が貧窮していたときに立ち去った食客を詰った。それに対し馮驩は好悪の情で去ったのではなく自分の識見を活かせなくなったので去っただけと諭して呼び戻すことを認めさせた。
「生きているには必ず死がある、これは物の道理です。富貴になれば士が増え、貧賎になれば友が少なくなる、これは事の道理です。そもそも君は朝市に趣く者を見たことはないですか?朝日が出ると、肩を押しあって押しかけます。でも日が暮れると市を過ぎるものは見向きもしません。朝が好きで、夜が嫌いだからではなく、そこに欲しい物がないからです。君が地位を失うと賓客が皆去るのも同じことで、食客を恨んで客をもてなす路を踏み外すほどのことではありません。君には過去と同じく食客を遇していただきたい。」
プーチンが、ついにウクライナ内部に樹立された「人民共和国」の独立を承認した。
これは一連のウクライナ戦争において、今までで最も重大な回帰不能点(ポイント・オブ・ノーリターン)だ。クリミア併合よりもその重大性は大きい。
クリミアとドネツク・ルガンスクの何が違うか。それは「戦争前の地位」だ。
戦争前、クリミアはウクライナ内部において「自治共和国」の地位を有していた。ロシアのクリミア併合は、このクリミア自治共和国が「クリミア共和国」としてウクライナからの独立を宣言し、その後ロシアとの併合条約を結んだ、という形式になっている(ロシアは連邦制の国であり、国内にいくつもの共和国がある。タタルスタン共和国やサハ共和国、チェチェン共和国あたりが日本では有名だろうか。したがってクリミアも、併合後は「クリミア共和国」としての地位を享受している)。
ある国家内の自治領域が独立宣言を行うこと自体はよくあることだ。たとえば、ソ連の解体も、ソ連に属していたウクライナ共和国やベラルーシ共和国といった連邦構成共和国がソ連からの離脱を宣言するという形で行われた。ユーゴスラビアの解体に際しては、スロベニア共和国やクロアチア共和国といったユーゴスラビア連邦内の共和国が独立宣言を行い、それを西欧諸国が強引に承認するということもあった。
もちろん、クリミアの地位は共和国よりも一段劣る「自治共和国」であり、ウクライナ憲法は国土の不可分性を謳っていたのだから、クリミアの「独立」が上の先例と並べられるかという疑問は出てくる。しかし、それに先立つ2008年に、自治共和国よりもさらに劣る「自治州」の地位にあったコソボの独立宣言を、コソボはセルビアの領土だと明記されたセルビア憲法に背く形で欧米や日本が承認した以上、「なぜコソボ独立はよくてクリミア独立は駄目なのか?」という反論にもそれなりの説得力があった(ウクライナ憲法は守らねばならないがセルビア憲法は守らなくてもよい、というのはセルビア人への蔑視や差別意識があると言われても仕方ないのではないか?)。
だが、ドネツクとルガンスクについては話が違う。これらの地域は、ウクライナ戦争前にはなんらの根拠も持っていなかった。ウクライナ共和国内のドネツィク県とルハンシク県に過ぎなかった(ウクライナ語のオブラスチは「州」と訳されることが多いが、「県」でも間違いではない)。戦争中に親露派武装組織――つまりロシアの手先――が占領した領土を「自治共和国」だと勝手に宣言したにすぎず、ウクライナは当然それらの地位変更を認めていない。
つまり、満州国だ。あれも、中華民国において確立された自治領域ではなかった。関東軍が占領し、溥儀を傀儡に立てて建国を宣言した。プーチンのしていることは関東軍と同じだ。
クリミア併合までは、「欧米が認めたコソボの独立と同じことをしているだけだ、それの何が悪い?」と、いちおうは国際法に則った言い訳ができた。ドネツィク・ルハンシク両県への軍事介入も、「あれは現地の武装勢力が勝手に騒いでるだけで、ロシア正規軍は何も関与していない」という白々しい建前をいちおうは貫いていた。ここまでは、色々とツッコミどころはあるだろうが、最低限の国際的な建前を意識した行動だった。
それが、ドネツク・ルガンスク両「人民共和国」の独立を認めたことで、ついに越えてはならない一線を越えた。他国の領土に勝手に樹立された政権を承認する。これは明白に国際法を踏みにじる行いだ。なんの言い訳もできない。ロシアは完全に無法国家になった。
もともとかの国に遵法精神など期待する方が無駄だったといえるのかもしれない。しかし少なくともこの半世紀、ロシアは国際法を建前としては尊重しようという姿勢を見せようとはしていた。その姿勢すら見せようとしなくなったというのは、やはり重大な転換点といえるだろう。
そして、世界には、「紛争によって勝手に宣言された自称自治州や自称独立国家」が多く存在する。今回のプーチンの独立承認は、それらにも影響を及ぼさずにはいられない。
真っ先に思いつくのは、沿ドニエストル共和国だ。モルドバ領内のドニエストル川左岸地域が、ソ連解体とモルドバ独立をきっかけに自治を宣言した。その後、独立を宣言し、ロシアが事実上の後ろ盾についてはいるが、あくまで国際的にはまったく認められていない。
あるいは、北キプロス・トルコ共和国の例を挙げてもよい。キプロス共和国内でトルコ系キプロス人の武装勢力が(トルコ軍の協力を得て)占領した土地を勝手に「共和国」と宣言したが、当然トルコ以外にはまったく認められていない(余談だが、国内に非承認国家を抱えた紛争中の国がEUに入れてしまったのは本当に制度のバグだと思う。ギリシャがゴネるから入れざるを得なかったんだよな……なお、国連が提案した南北再統合案を蹴ったのは南側な模様)。
もっと言うと、ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦では、セルビア人勢力が占領した土地に勝手に「スルプスカ共和国」を建国した。現在、ボスニアにおいてスルプスカ共和国は連邦を構成する共和国として認められてはいるが、コソボと違ってその独立は承認される見込みがない。戦争前には存在しなかった国だからだ。内戦時にクロアチア共和国領内で樹立されたスルプスカ・クライナ共和国も、最後まで国際的に承認されることはなかった(なお、スルプスカ・クライナ共和国はクロアチア軍の大攻勢によって崩壊し、数百年にわたってクロアチアに居住してきたセルビア人が大量に難民として流出することになった。ザ・民族浄化の典型例である)。
ドネツク・ルガンスク両「人民共和国」の独立が、これらの紛争地域にどのような影響を及ぼすのかは何ともいえない。国際的な監督下に置かれ主権が制限されているボスニアの一部であるスルプスカ共和国や(現在のボスニアは高等弁務官が民主的に選出された政府高官の罷免権などを持っているので実質的にEUの保護国であり主権国家とはいえない。なんで国連入れたの?)、国連による再統合交渉が続けられ、かつ形式的にはEU加盟国の一部である北キプロス・トルコ共和国に与える影響は小さいかもしれない。だが、何も影響がないということはありえないだろう。
そして世界のどこかには、未来のドネツク・ルガンスクがあるはずだ。ロシアの行為は、それらの地域で独立を夢見る人びとにとっての範になる。本当に、越えてはならない一線だった。
なお、このへんの危うさを一番わかっているのが中華人民共和国である。かの国は、コソボもクリミアもアブハジアも南オセチアも、一切承認しないという態度を貫いている。チベット人やウイグル人に対してジェノサイドを行い台湾への締め付けを強めているだけに、一方的な独立宣言の恐ろしさをよくわかっているのだろう。もちろん中華人民共和国による少数民族への抑圧は決して宥恕されるべきではないが、しかしコソボの独立は認めながらアブハジアの独立を認めようとはしないどこかのダブスタ国家に比べれば、遥かに道理というものをわきまえた行動ではないだろうか。日本政府は今からでもコソボとアブハジアに対して一貫した態度を取ってほしい。
xevraさんは以下のような発言をしている。
イソジン撒けばいいんじゃねーの? 知らんけど。/大阪に住んでなければ死ななかった人がたくさんいる。府民は維新に投票した事をしっかり反省すべき
https://b.hatena.ne.jp/entry/4715138856794720418/comment/xevra
やる事なす事全てが失敗した30年間だった。そして日本の消滅は確定してしまった。自民党に投票してきた人は土下座してご先祖さまに謝罪して欲しい。神聖なる日本国を滅ぼした罪は万死に値する
https://b.hatena.ne.jp/entry/4713423000939795842/comment/xevra
こうした特定の政党に投票した人を責めることは、憲法15条の「選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。」の精神に反している。
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
② すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
もっとも、憲法のほとんどの規定は国家に対して適用させるものである。私人には(少数の例外を除き)直接には適用されない。
15条もそうである。だからxevraさんの発言が違憲だとか言い出すつもりはない。
ただ、憲法の精神に反していて望ましくないので、やめませんかと提案したい。
xevraさんは瞑想運動野菜など同意できる点も多く、なるほどと思う意見も多いブクマカさんだからこそ申し上げたい。
もっとも、これはxevraさんだけに限らない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/Akira_Amari/status/1489434639555248130
の今ブックマークが400を越えていて、ブクマカが激しく非難している。
憲法16条には
第十六条
何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
とある。
国会議員と誰かが会ったり依頼を受けると直ちに癒着だ問題だと言うのは、この憲法の規定を理解していない言動だと思う。
もちろん仮にお金を受け取ったりしていたら話は別。
だが現時点では甘利議員が塩野義からお金を受け取ったというような情報はない。
あと、甘利議員の別の問題を免責せよとか言ってるわけではない。
第七十一条
最高法院ハ首席判事及国会ノ定ムル員数ノ普通判事ヲ以テ構成ス右判事ハ凡ヘテ内閣ニ依リ任命セラレ不都合ノ所為無キ限リ満七十歳ニ到ルマテ其ノ職ヲ免セラルルコト無カルヘシ但シ右任命ハ凡ヘテ任命後最初ノ総選挙ニ於テ、爾後ハ次ノ先位確認後十暦年経過直後行ハルル総選挙ニ於テ、審査セラルヘシ若シ選挙民カ判事ノ罷免ヲ多数決ヲ以テ議決シタルトキハ右判事ノ職ハ欠員ト為ルヘシ
右ノ如キ判事ハ凡ヘテ定期ニ適当ノ報酬ヲ受クヘシ報酬ハ任期中減額セラルルコト無カルヘシ
GHQが作ってくださったありがたい制度なので、まずは憲法改正からだね!では改正に前向きな維新か自民どちらか好きな方を選んでください。
[最高裁判所裁判官国民審査の『重要性』と、誰も教えてくれない『棄権の方法』 #seiji - Togetter](https://togetter.com/li/423004)
要約するとこんな感じ
白票=信任になるのに対し、棄権=信任にも不信任にもならない。
3人は自分の信念に沿って「この裁判官の判断はおかしい!」と思い、裁判官Aにバツを付けて投票。
残りの7人は「よくわからないから」と何も書かずに白票を投票。
こうなると投票数10に対して過半数を満たせないので、裁判官Aは罷免されない。
もし「よくわからないから、ちゃんと考えている人の意見が通るようにしよう」と思ったら棄権するのがベストになる。先の例で7人が棄権していたら投票数3に対して裁判官Aは3つバツがあるので罷免される。
それでは「この裁判官の判断はおかしい!」と思う人はどういう根拠があるのか。
[夫婦同姓「不当な国家介入」 最高裁判事4人が違憲判断:朝日新聞デジタル](https://www.asahi.com/articles/ASP6R56BLP6RUTIL044.html)
リンク先の判決では「夫婦別姓を認めないのは違憲じゃないの?」という訴えに対し、最高裁では「いやいや合憲だよ」という結論に達した。
しかし重要なのは「全員一致で合憲と判断された」のではないこと。4人の裁判官は違憲だと判断した。
そうなると当然議論の余地はあるわけで、一般の人にも「この裁判官の判断はおかしい!」という意見が生まれる。
ちゃんと考えて「この裁判官の判断はおかしい!」とバツを投じた人の意見は、何も考えずに投じた白票で薄まってしまう。棄権することもできるのに周知されていない。
先のTogetterに書かれているが、投票所で「棄権します」と言ったら「じゃあ何も書かずに投票してね」と言われるケースが散見されるとのこと。
つまり、投票所のスタッフも「棄権≒白票」だと思っている人が多いということ。
何度も言うが棄権と白票は違う。白票=信任であり、「裁判官全員ちゃんとやってて(・∀・)イイネ!!」という意味になってしまう。
先のTogetterは10年近く前のことだが、今でも同じような状況なのかを確かめる為にも、期日前投票で「棄権します」と言ってみた。
受付「あ、向こうで仰ってくださいね」
どうやら国民審査の投票用紙を渡す係の人に言えということらしい。そりゃそうか。
係の人「あ、ええっと…すいませーん!ちょっとー!(他の係の人を呼ぶ)」
係の人「(他の係の人に)こちらの方、国民審査を棄権するそうです」
他の係の人「わかりました」
これで国民審査の投票用紙を渡されることなく、期日前投票は終わった。
このやりとりで思ったのは、やはり国民審査を棄権するのはレアケースなんだろうなってこと。
ちゃんと考えてバツを付けた人の票は、何も考えずに白票を入れてる人にかき消されているんだろうなってこと。
中にはもちろん「何も考えずに全員バツ」で投票してる人もいるだろうけど、それでも「何も考えずに白票」の方が多いんだろうなってこと。
だって何も考えずに全部「空白」で出すやつが沢山いるんだろ?
それならひとまず全部「X」で出しておけばバランスが取れるじゃん。
超大雑把なイメージで言えば
何も考えず全部「空白」 国民の60%
考えて選んでる 国民の30%
何も考えず全部「X」 国民の10%
って状態だったらとんでもない超極悪裁判官だって罷免になることは永遠にないわけじゃん?
この状況を解決するにはひとまず何も考えずに全部「X」に入れてる人数が増えないと始まらないだろ?
かといって「空白」にして出したら制度自体が無意味になるって聞いたらさ、もう全部「X」以外ありえなくね?
これがQ.E.Dってやつだよね?
悪いね。
私はしない。というよりもできない。追記をするのは増田の名物でもあるし、ブクマ増加にブーストをかけられるということを知っているにも関わらずだ。
※参考:武隈課長とのはてなスキルアップ研修【後編】 ttps://anond.hatelabo.jp/20200825140937
何故なら、一言コメントのギャグだろうと、長文によるお気持ち文章や啓発文書の類だろうと、私はそれを書いた時点で全力を尽くしているので、それ以上に書くことが無いからだ。それに、どんな増田であろうとも、追記でトラバやブコメに反応すると俗っぽくなってしまい、追記する以前に持っていた増田の価値が薄れてしまうように私は感じるのだ。
もちろんトラバにしろブコメにしろ反応は嬉しい。反応がいらないのなら、チラシの裏にでも書いている(←死語)。読んでくれた人への反応に対して、こちらも追記して更なる反応をしてみたいという欲もある。ブクマ数が一桁しか付かなかった増田なら元増田の価値を損ねることなど気にせずに追記できるのだが、そんな増田にはそもそもトラバもブコメも付かないので反応することなど何もありはしない。逆に、ブクマ数三桁にもなるような増田では、おいそれと追記をして価値を損ねてしまうことを恐れて何も書けなくなる。
結論を言うと、私は追記してみたいのだ。その増田に追記するタイミングはまさに今なのだが、増田の価値を損ねたくなくて、追記もトラバもせずにリンクを張ることすらせずにここで書いているのだ。よってこの文章は、バズった増田の振りをしている変な人が書く怪文書とでも思ってもらえればいい。
その増田を書こうと思ったのは、昨晩日課の増田を読んでトラバで煽りを入れて楽しもうと思ったからだ。
昨晩は選挙に関する増田を目にすることが多かったので、上記の様な煽りトラバをしようと考えていたのだ。
私はトラバが好きだ。トラバにまたトラバが連なりifやforでネストしまくりのクソコードみたいになるのは楽しいし、トラバで論破して元増田が削除されるのを見ると、勝利した気分に浸れるのでもっと楽しい。
しかしながら、『国民審査では空欄のまま投票しちゃうんだろ?』などと煽ったところで、そもそも煽りだと理解されるのだろうか? 国民審査に対する説明が必要ではなかろうか? 煽りだと理解される文章を心掛けねば。それ以前に、文章量が大きくなりそうだから、トラバという形で投稿するのはもったいないのでは?
そう考えて一本の長文増田が仕上がった時には、もう23時を過ぎていた。本当はもっと調査してデータも提示して根拠を持たせたかったが、就寝時間が迫ってきたのでその増田を投稿した。私は社会制度に対して中学公民レベルの知識しか持ち合わせていないのにも関わらず煽りまくったのだから、トラバやブコメで正論フルボッコを喰らうんだろうなと思いながら床に就いた。
起床後に自分の増田を見てみたら3ブクマついていた。これはもしかしたら伸びるかもと思ったが、同時にファーストブクマカに論破されたことに気が付いて後悔した。完全に私の勘違いだった。執筆時にネットで調べれば気が付いたはずだったのに。こっそり書き換えようかと一瞬魔が差したが、そのファーストブクマカは、発掘力・反応速度・ブクマ量・コメント力ともに優秀で私が尊敬するブクマカなので、敬意を表する為にも修正はしなかった。多分このブコメがトップコメになるだろうけど、それによって私の増田のブクマ数も伸びるのならまあいいだろうとも思った。そして仕事に出かけたので、ブクマがどれだけ伸びるのかは帰宅後の楽しみにした。
帰宅後に増田を確認すると、ブクマ数が想定以上に伸びたことと、以外にも好意的な意見が多かったことに驚いた。意図的に口調を悪くして反感を買う文章にしたつもりだったけど、むしろそれで好評を得られる事もあったとは思いもしなかった。口調の悪さに批判が集まることは想定内だが、論破コメントは以外にも少なかった。論破によって、私自身の知見が高まることも期待していたから残念だった。注目していたファーストブクマカについては、意外にもスターが伸びなかったことが自分の事のように残念である。今、全てのブコメを改めて見返しても、発掘力・論破力・コメント構成力の高さからして、トップブコメに相応しいと思うのだが。
ちなみに極一部の意見だが、私のことを高く評価している人もいるが買い被りすぎだ。前述したとおり、私は中学公民レベルの事しか理解していない。それに裁判官の事だって全くわかっていない。今回の国民審査の対象となる裁判官の名前なんて一人たりとも知らないし、人数すら知らないのだ。
追記と言えば自分語りが定番だろうから、自分語りをする。私が投票権を得てから初めての選挙は、民主党への政権交代選挙であった。埋蔵金なるものにうさん臭さを感じつつも、高速道路無料化、ガソリン値下げ、子ども手当などのマニフェストに魅力を感じていたのを覚えている。
大学で友人との間でどこに投票したのかが話題になったのも覚えている。民主党と答える人が多く、その中でもお調子者は民主党マニフェストを真に受けたり、自民党の悪口を言ったりもしていた。一方で親が金持ちのボンボンは自民党と答えたり、根暗な変わり者の中には共産党と答えた人もいた。
そんな中で私は「秘密だ」と答えて、投票を秘密にする権利があることと、出口調査で地元新聞社にも投票先を聞かれたがそこでも回答を拒否したことも答えた。和やかな談笑の場は少し緊迫してしまったが、その代わりに国民審査での投票を周囲に尋ねるとともに、自分が率先して答えた。全部に×を付けたことと、「よくわからない人を信任する気にはならないし、せっかく辞めさせる権利があるのだからその権利を行使した」と答えて、自分は秘密にせざるを得ないほどの事情を抱えた秘密主義者ではなく、権利を行使するのに貪欲な人であるというイメージを与えることに成功して、和やかな談笑の雰囲気を何とか取り戻すことに成功した。
今にしてはずいぶんと青臭いことを言ったものだと思うが、二十歳になったばかりの頃の私は成人したことの責任を感じると共に権利を主張することの喜びを噛みしめていたのだ。「投票の秘密」と「裁判官の罷免」というちっぽけな権利でも誇りに思っていたのだ。今はそんな気持ちはかなり薄れてしまったが、選挙の時期が来る度に自分には権利を持っているのだということが思い返される。
ああ、こんなことを長々とまとまりも無く書いていたら日付が変わってしまった。そろそろ寝なきゃ。どうせ追記ではないのだから、ブクマもトラバもゼロのクソ増田だと思って投稿しよう。ここで書いた増田で、バズった増田の価値を損ねることはないのだから。