はてなキーワード: ミソジニーとは
女性に対等なヒトとしての自由意志を認めないミソジニストがインセルじゃん。
インセルの思想は「男は当然女をあてがわれるべき」だ。女性の自由意志を想定してない。
そして男女平等を疑いなく受け入れてるなら、男女が同じ生き物だと分かってるから、男女分断の思想にも陥らない。
だから自由恋愛のデメリットに見えるそれらは、実は自由恋愛が徹底されてない為に起こると思う。
女性を人間扱いせずモノとして消費するのがメジャーな男社会こそが問題だ。
幼少の頃から男だけで固まって女性を排除して、無許可で性的消費するのが横行する文化。
疑問を持たずにそんな環境に慣れてしまえば、理性は育たず、まともな感覚は麻痺していく。
その結果、たとえば女性同士はメイクの技術を教えあって助け合うのに、男はスキンケアさえ怠って清潔感を蔑ろにしてるわけ。
相手を対等な人として扱わず、美人とか胸とか男社会で評価されるトロフィーとしての価値で挙動不審になる。
他人の心理的安全性をゴリゴリに削ってるのに、「避けられて悲しいよ」「辛いよ」「次行け次」。
個人的な考えだけど、少子化だけが社会的な解決が必要な問題だと思う。
ごく一部の成婚して子どもを育てられる、えらい奴らに必要なカネが行き届いてない。
分析のためには、ある程度デジタルに人々を社会的な歯車として見る必要がある。
『人材』みたいな言い方って好きじゃないけどね。でも人間同士が依存しあうのが社会。
幸福を生み出す社会的装置として、よく機能してる最小単位の家庭に資源を注ぐべきだと、私は思う。
家庭から第二子、第三子と、さらに子育てできる余裕を奪って、身勝手な人たちに回してる現状を見よ。
優先順位をつけなくっちゃならない。
最初は差別論に見過ごされてる可哀想な属性、くらいの意味だったと思う。
暇を持て余してミソジニーを発揮しまくる邪悪な底辺男性、みたいな扱いじゃないか。
無敵の人から勇気のニュアンスをマイナスして性加害者の要素をプラスしたかのような。
女性に話しかけた時点で怯えさせると分かってるのに、関わりたくて仕方がない暴走ミサイルのような。
フェミニストに唾を吐きたいためだけに、性的消費して何が悪い、などと開き直るミソジニスト。
公的な場でタテマエだけでも取り繕うとはしない自他境界のない人たち。
強者男性の自制心や品格を学ぼうとはせず、心理的安全性を減らされる女性の立場を慮ろうともしない。
そんなパブリックイメージに——昔でいう、池沼・DQNのごときポジションの仮想の社会悪に——置き換わろうとしてる。
私は、ここで大々的に、「弱者男性で良かった」「弱者男性はこんなに良い」大会を催すべきだと思う。皆んなで悪くなったイメージを転換すべくポジティヴキャンペーンを計るんだ。
https://twitter.com/dokinbi/status/1695632225549865351?t=gDZaNRHPzigAaQa2N0cQow&s=19
「揺さぶる絵ー変貌する日本画のイメージ」展(9/16-11/12)出品作紹介④
フェイスパックの裏側に現れたのは真実の顔か、それとも…。機知と皮肉、古典絵画へのオマージュが複雑に絡み合あう画面の解読は、さながら知的ゲームのようです。
フェミニストの反応
うちの娘が通ってた画塾の先生が、女の子は日本の美大や芸術系大学行かずに海外行った方がいいと言っていた理由が、よくわかる。日本の女性蔑視に搾取されないためだ。
田中武氏が恥漢図で描いた「食欲、色欲、金銭欲などの煩悩や欲望を露わにした現代人」、全員女性。
artid.jp/tanaka_works_c…
あいちトリエンナーレで、アーティストもキュレーターもジェンダー平等を目指したのは、このような女性蔑視を「知的ゲーム」などと礼賛しないようにだと思います。
北海道近代美術館に苦情のメールを送りました。メールを見ないと、美術館の人も、先進的だと思いあがっている自分たちガラパゴス業界の感性が、実は市民感覚より劣っているということがわからないと思う。本来は、彼らが社会の発展をリードするべき存在なのですが、
ミソジニーとミサンドリーは、同列に扱える概念ではないんですよね。
なぜなら、それらの感情をもつとされる両者が「公平な世界のなかで対立している」のではないから。
前提として、男性のほうに有利にできている不公平な社会があるのだから、「こちらをミソジニーと謗るが、そちらだってミサンドリーではないか」みたいな反論は、根本的な認識が間違っているのでは、と思います。
あれこれの問題について敵意がぶつかり合うさまを見て「どっちもどっち」と冷笑する人は少なくないけれど、いや、それはどっちもどっちじゃないです、世界の傾きを、「場」の不公平をよく見てくださいよ、と言いたいです。どっちが権力を握ってる側か、はっきりしているじゃないですか、とか。
ミソジニーは蔑視に基づくのに対してミサンドリーは単なる“男性嫌悪”じゃなくて抑圧への反発が元にあるんですよね
そもそもとして、ないものがあるかのように、ミサンドリーという言葉が流通したことで、「ミソジニーとミサンドリーどっちもどっちだ」といったように、対義語であるかのように並列させられるようになってしまったのでは。あるいは、「ミソジニーだ」と言われたときに言い返す言葉が欲しいという男の需要があったのか。
「私を殴らないでほしい」「私を踏む足をどけてほしい」といった感情に名前をつけることができるのだろうか?名前が必要なのだろうか?
または、「加害者嫌い」「支配者嫌い」「犯罪者嫌い」といったおかしな言葉が成立するだろうか?
ミソジニーとミサンドリーが対になるかのように並列する人々は、後を立たない。全く別のことなのに。
ミソジニーは、「女嫌い」ではないし、ミサンドリーもまた、実は「男嫌い」とは違ったものではないかと思っている。
ミソジニーとミサンドリーが対称的であるかのように言い張ってる連中、ようは「日本人へのヘイトスピーチ」とかわけのわからんこと言ってる連中の同類だね。
雨傘で他人の顔面突いてくる男が大量にいるのに何言ってんだ?どうせ高齢弱者男性だろ、高齢弱者男性といえば日本で1番バカだもんな頭が弱いからそうなるんだよミソジニー死ね
https://www.tokuma.jp/search/g15474.html
なんというか、徳間レベルの大手出版社ですらヘイト本・ヘイト本を出さなければいけないほど追い詰められているんだなと悲しい気持ちになったな。もちろん売れるという事情もあるんだろうけど、それでも度が過ぎたのが多すぎて引く。
こういう本を出せば短期的には収益は上がるかもしれないけど、中長期的に見ると「あの出版社は変な本ばかり出す」って悪評がたって墓穴掘ってるようにしか見えんのよ。貧すれば鈍する。
とはいえまともな本も出しているということは付記したい。いやまともな本出している人にとってもいい迷惑だろうけど…
他の出版社だと、同じような批判を浴びせられる角川書店(※オタク系のは除外)と早川書房はそこまで露骨にどうしようもない本は出していない印象がある。
新聞社系(中央公論新社・朝日新聞出版・産経新聞出版など)は時々どうしようもないのをお出しになるけど、基本的には結構まとも。
左派系だと岩波の『世界(雑誌)』はなぜか極左通り越して半分トンデモな内容になっていて困惑しているが、それ以外の本はそこまで酷いのはない(たまにあるが)。
男子校出身、26歳までホモソどっぷりで生きてきた。自分が非モテなのは分かってたし、わざわざ恋愛に挑戦して傷つくくらいならと思って、男コミュニティでそれなりに楽しくやってきた。
でも、やっぱり彼女が欲しいとかそういうことがしたいって気持ちには嘘をつけなかった。周りが彼氏彼女の愚痴を言っているのが羨ましかった。だから、今更感も漂うけど一念発起して、モテるための努力をするようになった。服装、眉毛、髪型、スキンケアとか外見を人並みに気遣うようにして、周りからも変わったねって褒められた。コミュ力は最低限あると自負していたけど、非モテ特有の会話になっていたことに気付き、直すようにした。マッチングアプリも課金していろいろ試した。それでもそう簡単に彼女はできない。顔は下の中クラスで写りのいいプロフ写真なんて撮れないから、マッチに辿り着くのも至難の業なのだ。
そしてモテるための努力をするようになって、家の外を歩くのが辛くなった。今までは恋愛を自分とは別世界と割り切って生きてきたから、周りに迷惑をかけず自分が楽しめているならそれで良いと思っていたし、実際不満もなかった。でも今は違う。人並みに彼女が欲しいと思うようになって、周囲の幸せそうなカップルが眩しくて直視できなくなった。こんなカッコよかったら性格悪くても取っ替え引っ替えなんだろうな、とか、自分と同じレベルの顔のこの人はどうやってこの彼女ゲットしたんだろう、とか性格悪いことも考えるようになった。そしてこんなこと考えてる奴に彼女なんてできるわけない、と自己嫌悪で更に負のループに陥る。男性も女性も顔を見るのが辛いから、会話以外で人と目を合わせないようになった。他の人は自分には一生手に入らない幸せを得て、自分は手遅れの歳になるまで何もできないのだと思うと、どんな楽しい1日でも帰り道には憂鬱になる。こんなことなら最初から恋愛を諦めたままでよかったのに、と思うこともある。
自分と同じようにもがいている童貞は、もっと前を向いて進んでいるんだろうか。ただでさえ拗らせてミソジニーにならないよう必死に自制しているのに、このままだと人間嫌いが加速して、誰にも振り向かれない性格の悪い童貞で終わってしまうのではないかと思うと、毎日不安で仕方ない。
かつて女の敵は姑でした
その原因は、ネットワーク上でのミソジニーの女叩きによって反作用的に増殖したアンチミソジニーです
2ちゃんねるやまとめ、Twitterなど多くのコミュニティで女叩きが興盛してきました
ミソジニーの多くはアニメアイコンを掲げ、オタクや弱者男性であることを連想させます
アンチミソジニーの標的はそういったオタクカルチャーやそれを連想させるものに対して定まっています
俺は違う、ミソジニーと一緒にするなという言説は噴飯ものでしょう
TikTokやInstagramなど男叩きが盛り上がりを見せています
公からアクセスしやすい分、若者にも大きな影響を及ぼしていくでしょう
女叩きのカウンターカルチャーは姑に変わるエネミーアイコンを常に探しています