1978年4月21日 沈黙
1978年8月15日 沈黙
1978年10月18日 沈黙
1979年10月18日 沈黙
1980年4月21日 沈黙
1983年8月15日 沈黙
1983年10月18日 沈黙
1984年1月 5日 沈黙
1984年4月21日 沈黙
1984年8月15日 沈黙
1984年10月18日 沈黙
1985年4月22日 沈黙
1985年8月7日 朝日新聞が参拝を批判
天安門事件 (1989年)
意気揚々と書いた文章が穴だらけで、笑われて恥ずかしい時にも使われる
元増田に「こうじゃないですか?」と提案しているところに、横から考えを押し付けてくるのはなんなんですか?
元増田に対して様々な見解があって然るべきと思いますが、例えで出した体験談に「こうだ」と決めつけられても困ります。
自分の体験については、自己処理が済んでいるので余計なお世話です。体験談は導入のためだし、話の中心はあくまでも元増田の話なんで。
そうですね。プライドの高さと自己愛ゆえに承認欲求を満たそうとしてしまった体験談です。
すでに書いた通り「否定されたから認めさせてやろう」という上位承認です。相手への思いやりは一切ありませんでした。
元増田が書いた「自慢になるくらい可愛い外見(片思いの相手談)」に、自己愛やプライドを感じたんですよ。
一目惚れってことだから初対面で感じ取れる魅力から判断して好きになったという理解で
その後、既婚者と知った時点で、相手の人物自身が好きで相手の人生とご家庭のことを想った場合、諦めて距離を置くか離れるかすると思いますが
すぐに体の関係に陥るっていうことは相手の人生を大事に思っていないし、初対面で感じた肉欲・性欲の魅力での繋がりとなっていたように感じます。
解釈が一般倫理に引っ張られていませんか?単なる性欲の話なら、わざわざ体験談出しませんて。
元増田の話から横になるので話を端折りましたが、あらすじのみで性欲だセフレだと決めつけられるのは不愉快です。
これは元増田が諦めずに友達を続けることに対して、交際に至った時にどういう心境の変化が起こるのか、ダメ恋パターンの話をしています。
この一目惚れは外見的魅力に惹かれてではありません。心の弱い部分が疼いてしまったのが始まりです。
そもそも私の寂しさから生じています。医者の「辛かったね、もう大丈夫だよ」の一言に転移を起こす心理に近いです。
また、相手の中にも寂しさがありました。家のために結婚…という時代錯誤な人も未だいるんですよ。
元増田のケースには当てはまらないとおもいますが、貴族階級だった家柄の方や年収1億を超える富裕層(成金含む)や政治家の中には
結婚を目的達成の手段のひとつと考え政略婚をしている人がいます。社会的には祝福される結婚をしていながら、夫婦共に別の恋人がいたりする。
特殊ケースですし、これは一般論で語れないですよね。リアルに階層を感じました。
筋書きはドライですが、実際はドロドロした話です。元増田の話から横にそれるので詳細は割愛したのですが
お互いに「愛されたい」と求めるばかりで愛そうとしなかった。ダメ恋愛の常套パターンでした。
彼を好きになったのは心細さからですが、初めは体裁を理由にバッサリ斬られました。心に一切触れないままに断られてしまった。
それから半年間メル友をして情が移り、彼が受け入れてくれた。でも、私の心の奥には突き放された記憶がくすぶっていて、疑いながら付き合い始めました。
元増田も、今後たとえ付き合えたとしてもこの気持ちに悩むことになりそうだと思いました。
交際中も、元増田の好きなAさんのように否定的な会話が多かったです。彼の場合はエリートで、学歴では絶対に叶わない相手でした。
「頭悪い」と言われても仕方ないと思っていましたが、見た目は素直に褒めてくれていました。元増田の話でこれを思い出した。
女性に対しての警戒心も強い人で、初めはお金目当てだと思われていました。
そんな付き合いだったので、いざ彼が心の弱い部分を見せてきた時に返し討ちをしてしまいました。彼が心から私を認めた瞬間に。
その時はなぜそうしたかわからなかったけど、後から考えるとお互いに「愛する」ことは一切していなかった。
「愛される」ことばかりをお互いに要求しあっていて上手くいかなかった。
元増田も「彼がどう思うか」は考えていないじゃないですか。ひたすら愛されることを望んでいて、もうリアルなAさんすら見ていない。
すでに「好き」の気持ちは形骸化していると思うんです。
元増田も心の動きを書いていませんが、実際はサバサバしていないと思いますよ。わざわざブログを移転してまで居場所を確保したのは、気にしているからでしょ。
Aさんに迷惑がられている理由が肝心なポイントなのに、その理由は明かされていないし明かそうともしていないし
書くべき情報は書かず、わざわざ書かなくてもいい情報を書いています。見たくないものは書いてないんですよ。
自分の心は書かないのに、Sさんから受けた言動は書いている。でも、背景がわからないから、SさんのこともAさんのこともあれこれ言えない。
その一方で「かわいいと言われている」という自分への評価情報が出てきます。
他の元増田にも言えますが「周囲からはかわいいと言われています」と書く人は、承認欲求の強さを感じさせます。
好きになるかどうかに見た目は関係ない話なのに。
オンラインでだけモテる。オフではあまり喋らないし友人もいない
一人、もう何年も、10年近く自分のことを好きだという人がいる。
自分が中二病的に不安定で世界に噛み付いてた頃から、おおむね落ち着いて社会人してる今現在までずっと。
仮にAさんとする。
Aさんは「自分の記憶から消えたくない」「他の大多数と同扱いされたくない」と思っているらしい、恐らく。
自分でも理由が分からなくて気持ち悪いんだが、自分には何故だか求心力はあるらしく、
友人にも「なんだかよくわからないがカリスマはある」と言われた。
というわけで、なんだかよくわからないが周りには自分を慕ってくれる人が結構いるので、
Aさんはその中の一部に成り果てたくない、と思っている。と思う。
恋人になるとかは、どうなんだろう。もう諦めてるのかな、期待してるんだろうか。
俺からすればAさんはもう何年も長い間友人で、大多数なんかでは決して無い。
気持ち悪いくらいチヤホヤされて、調子こいてる俺に、数少ない手厳しいツッコミ、間違いの指摘をしてくれる人間だ。
ここまで言ってくれるのはAさんしかいない。
そらまあ、イライラするときもあるけど、一度深呼吸してちゃんと見直すと、
その馬鹿をもう10年近く見捨てもせずに、成長を促そうとしてくれる。
いい人だと思う。
俺がAさんを恋愛的な意味で好きになることはきっと無いと思う。
友人としては好きだ。
散々、叩かれて叩かれて、自分の根本的な思想すら叩かれても、嫌いになれないくらいには。
「こうしてこんな部分までツッコミくれるのこの人くらいだな」
と前向きに捉えてしまうくらいには。
いつまで俺にこうやって指摘をくれるんだろうか、
一歩間違えば俺に嫌われかねないような立場で俺の尻を叩く行為をいつまでやってくれるんだろうか。
Aさんは俺に何を期待して、そんな泥を被るようなことまでするんだろう。
泥を被っていれば、俺がAさんにいつか振り向いてくれると思っているんだろうか。
それとも、このある種の「調教」で、俺の思想の根本に自分の爪あとが残ればそれで満足なんだろうか。
俺が結婚したりしたらAさんどうするんだろう。
もう何年も前に言ったことだから、今はもうそんな感情は変わってしまったと思う、けど、
未だに昔Aさんが言った言葉がこびりついている。冗談だとは思うけど。
「君に恋人が出来たら、君を殺しにいく」ってさ
自分のブログに書くのもなんだかなぁという話題なので増田に書き殴ってみる。
ちなみにタイトルは半分以上吊りですということで一つ。
色々叩かれているソーシャルゲーム業界に1年半近く身を置いてきて、
個人的にはこんなに面白い業界は他に無いんじゃないかなと思っているので、
こんなところが凄いところだよという個人的な意見を書き綴ってみる。
ちなみに大前提として、中の人はソーシャルゲーム業界=Web業界の一つとして捉えており、ゲーム業界とは切り分けて考えている。
ソーシャルゲームはきちんと作ればちゃんと儲かる。個人的にはここが一番凄いところだし、良いところなのではないかと思っている。
今まで日本のWebサービスで、これほどまでにマネタイズに成功してきた例は無いのでは。
嫌儲主義の人もいるかもしれないけれども、ゲーム以外の新しいことに挑戦するためには失敗するだけのお金が必要だし、失敗できるだけの資金を調達する手段としては最適なのでは。
何より儲かることで、優秀なエンジニアに対して、その優秀さに見合っただけの賃金を出すのは普通だよねという風潮になっていったのが本当に素晴らしい。
優秀なエンジニアにはそれなりの対価を受け取るべきだと常々思ってはいたけれども、ソーシャルゲーム業界が出来る前は超大手のSIerのSEくらいしか、それを実現できる手段が無かったように感じる。
今まで人月単価で幾らと判断されていた時代では、どんなに良いものを作っても「残業しなければ意味がない」時代だったのが、ソーシャルゲーム業界の拡大により「生産性の高い仕事をした人が偉い」という風潮になっていったのを感じて、ああ良い時代になったなぁと。
今までのwebコンテンツで、ユーザーの方だけを見て作り、適切なマネタイズができるコンテンツって他に無かったのでは。
例えばそのコンテンツに対してお金を出すのが広告主であるクライアントで、実際に使うのが別のユーザーだとしたら、ユーザーのことをどんなに口では一番に考えていると言っていても、どうしてもクライアントの都合でユーザーに対して不誠実なことをしてしまうこともある。あなたの使っているその無料のサービスは、広告主の意向が反映されたものではないですか、とも。
ただ、ソーシャルゲームに関してはそれはなく、単にユーザーに対して価値を提供すれば、ユーザーからその価値に見合っただけの対価を払ってもらえるため、運営はユーザーのことだけを考えてものづくりを行っていけば良いため、そこが非常に健全なビジネスだなと。
もちろん、金儲けに走りすぎてユーザーのことを疎かにするゲームも存在はしているけれども、そういうゲームはここ1年でことごとく淘汰されていったし、この先その傾向は強くなる一方だとも思う。情弱ビジネスと揶揄されることも多いけれども、ユーザーだって馬鹿ではないのだから運営がユーザーをないがしろにしたらすぐにわかるし、わかった時点で離れていく。
ちなみに良く、「えー、ゲーム業界にいるの?あんなの情弱しかやらないでしょ?」と言われることは多いのだけれども、
昔から、ネット業界が爆発的に普及するのにはこういったエンターテイメントのコンテンツは必須だと思っていて、
ダイヤルアップのインターネットが普及したのも多分、多くの男性が「エロサイト見たい!」と思ったから普及していたものだと思っているし、
ISDNやADSLも、「エロ動画観たい!」という思いが具現化して普及し、普及した結果一般消費者にも手の届きやすい値段に下がり、爆発的に広まったものだよなと思っている。
ソーシャルゲーム業界も多分、その流れを汲む中で、消費者が「コンテンツという無形のものにお金を払う」ことへの抵抗を無くし、業界が発展していくための良い布陣を敷いてくれたのではないかなと。
あと、「俺を殺せ」と言われて、そいつの言うとおりに殺しても無罪になる社会が来てほしいね。
老々介護とかの問題はこれで3割がた解決でしょ。
1978年4月21日 沈黙
1978年8月15日 沈黙
1978年10月18日 沈黙
1979年10月18日 沈黙
1980年4月21日 沈黙
1983年8月15日 沈黙
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1984年1月 5日 沈黙
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1985年4月22日 沈黙
1985年8月7日 朝日新聞が参拝を批判
天安門事件 (1989年)
「しくみ」がわかってないんだろうね。
ラミレスが「一番大事なアドバイス」として振り返るのは、若松勉監督(当時)の「センターから右に打つことを心がけないと、日本で長くやれないよ」という教えだ。外角球を内側からたたく打撃を地道に実践し、3年目には広角に打ち分けるスタイルを確立。07年に達成した右打者として初のシーズン200安打で、その努力が結実した。
1978年4月21日 沈黙
1978年8月15日 沈黙
1978年10月18日 沈黙
1979年10月18日 沈黙
1980年4月21日 沈黙
1983年8月15日 沈黙
1983年10月18日 沈黙
1984年1月 5日 沈黙
1984年4月21日 沈黙
1984年8月15日 沈黙
1984年10月18日 沈黙
1985年4月22日 沈黙
1985年8月7日 朝日新聞が参拝を批判
天安門事件 (1989年)
「当時はその糞さに気付いてなかった」というのはそれこそ後付けにすぎないよ。
穿ちすぎでも何でもない。
ボケーッと口あけてボンヤリした頭で消費してるファンより
頭使って熱心に鑑賞してるっていうのはなんでもそう。
だがほとんどの作品では頭使って熱心に鑑賞する人間なんてのは少数派なので、
多数派であるボンヤリ頭の自称”ファン”から浮き上がるしやがて疎まれる。
「こいつはアンチだ」「アンチだから悪い奴だ」「悪い奴はここから去れ」。
これは嘘と欺瞞が混ざってる。
ボンヤリ頭のファン達は実は
「萌え」とか「燃えた」とか「面白かった」とか小並感溢れる画一的な感想を持ち寄って
作品を中心にした仲間意識の確認を楽しみに来てるだけなのであって、
別に作品に対して批判的ですらないのになんかかんか理由をつけて排除されそうになってる書き込みというのがあり、
これは要するに作画や演出についてのちょっと自分の頭で考えた形跡のある書き込み。
こういうのが嫌がられて排除される傾向がある(マジだ)。
ツッコミや異議を述べながら楽しむような鑑賞、批判的な鑑賞、
そういうものを許さない・そもそも理解出来ないという人間が結構いる。
しかしファン達の大半より店長のブログをよく読んでたのは疑いない。
穿ちすぎどころか、「今頃そんなことに気付くな」と言いたい。
学部生の時から大学院で研究するんだと思っていたのでまともに就活もしなかった。
テーマは自分で決めろ、ゼミでも教授の得意分野以外だとコメントすらろくに与えられない。
それでもなんとかクソみたいな卒論を書いて発表して通った。
同期全員添削すら受けなかった。
お金がなくちゃ生活できない人が世界にはあふれているのでどんなに悪条件だろうと受け入れざるを得ない状況になってる。
人類史上今まで死んでいった人より、今生きている人のほうが多いほど人口は爆発的に増え、
効率化、大規模化、いわゆるグローバル化により仕事の量自体が減っていっている。
この構造の変化自体が問題。
【産経抄】「相手の言いなり」だけが外交ではない - MSN産経ニュース
例によってマスコミの多くは、日中、日韓外交が悪化すると憂える。参拝を「無神経」などと批判している。だが相手の言いなりに「よい子」でいることだけが外交ではない。中国、韓国をはじめ世界のすべての国が知っていることである。
ここが、
例によってマスコミの多くは、日中、日韓外交が悪化すると憂える。産経を「無神経」などと批判している。だが相手の言いなりに「よい子」でいることだけが外交ではない。中国、韓国をはじめ世界のすべての国が知っていることである。
に見えてワロタwww
それはねーよ。
民潭の資料で在日にすごい割合で無職がいることは公表されてる。
移民の中ではむしろ、あんまりコツコツ働くことに熱心な人達ではないとすら言える。
もうはっきりいくつかの業種がトルコ人だらけになって
街歩いてるだけでトルコ人による雇用の圧迫が目に見えて感じ取れたしイメージもしやすかったという環境がある。
アメリカだとクリーニング店やコンビニを経営してるステレオタイプがあるらしい。)
増田をつらつら見てて、愛情の反対は無関心っていう言葉を見つけて、そういやそんな考え方もあったなと思って、ひるがえってコンビニ店長に絡みまくってついに音を上げさせた増田の有名人(?)について考えた。
嫌なら見るなができずにしつこく粘着して、でも自分が特定されない増田にしか書かないような、安全圏から叩きたいだけのひねくれた人間。
こいつのせいでコンビニ店長の文章また読めなくなったと思って最初はムカついてたんだけど、考え方を変えてみれば、俺よりもコンビニ店長への「愛」を持ってる人間なんだよねアイツ。
アンチは単なるファン以上の愛がないとできないとか言うアレよ。
学がないだとか考察が浅いだとかいろいろ言ってたけど、いちいち読まないとそういうねちっこい批判につなげることはできない。
無意識的になんとなーく持ち上げるファンよりもよっぽど「愛」があるといえるんじゃないか。
店長がエントリ上げるたびにチェックして、鼻息荒く重箱の隅をつつくようにあら探しするような「愛」。いやお前もうそこまでいくと逆に好きなんだろwwwみたいなね。
そう思うとひねくれ君を憎めなくなってきた。結果的にコンビニ店長が勘違いしてブログ休止しちゃったのは残念だけど。
あらーまた噛み付いちゃって、そんなに人気のある店長が羨ましいのね~このコかわいー♪みたいに思うようになった。
穿ち過ぎかなあ・・・