はてなキーワード: ワロタとは
チョコレートの製造工程としては、まず原料であるカカオ豆の収穫から始まる。収穫されたカカオ豆は豆を包むパルプとともにバナナの葉でくるむか木箱に入れて数日かけて発酵させ、その後天日で乾燥させたのち工場へと運ばれる。工場のほとんどはカカオの産地である熱帯地方ではなく温帯や冷帯に位置するため、ここで船によって輸送されるのが一般的である。
工場に運ばれたカカオは、まず磁石で鉄を除き、風で埃を飛ばして、篩によって石を取り除き選別される。選別されたカカオは砕かれ、篩によって外皮と胚芽を取り除かれる。こうしてできたものはカカオニブと呼ばれる。カカオ豆をここで砕くのは、不ぞろいのカカオ豆を均一の大きさにし、後のロースト時に火がむらなく均一に通るようにするためである。
カカオニブはこの後焙煎され、火が通ることによって酢酸が除かれてまろやかになると同時にメイラード反応によって香りや風味が現れてくる。この後、風味をよくするために数種類のカカオニブをブレンドした後、磨砕機によって細かくすりつぶす。カカオ豆には55%の油脂分(カカオバター)が含まれているためにここでペースト状となる。こうしてできたペーストがカカオマスである。
なお、上記の焙炒法はニブロースト法と呼ばれるもので、ほかに豆を直接焙煎するビーンズロースト法や、磨砕を先に行ってできた液体を焙煎するカカオリカー法といった方法もある。
カカオマスにココアバター、砂糖、ミルクなどを混合し、チョコレートドゥを作る
できたカカオマスにココアバター、砂糖、ミルクなどを混合し、チョコレートドゥと呼ばれるチョコレートの元を作る。このドゥをリファイナーにかけ、5段のローラーにかけて数十マイクロメートル単位にまで細かく砕く。ここで非常に細かくすることで、チョコレートの舌触りが滑らかなものとなる。しかし細かくしすぎるとかえって口どけが悪くなるため、細かな調整が必要である(後述)。磨砕が終わると、コンチェ(コンチングマシン)と呼ばれる攪拌機にて長時間かけて精錬する。精錬が終わると、テンパリング(予備結晶化)と呼ばれる温度調整を行ってチョコレートを安定させ、型に充填した後冷却して固め、包装した後エージング(熟成)を行って完全に安定させた後、チョコレートの完成となる。
死ぬのが怖い(痛そう)
死ぬのが怖い(地獄とかあったら嫌じゃね?/「無」って怖くね?)
死ぬのが怖い(自分の存在や生きた痕跡が忘れられるって恐ろしくね?)
意識とは何なのか?死とは?知りたい
自分の満足と納得を追求したい、この気持ちだけは本物だと信じてみよう
サウナ気持ち良すぎワロタ 夜中のお出かけ楽しすぎワロタ 暇を持て余して抽象的な事ばっか考えてる人、バカですw
ゴチャゴチャと理屈を捏ねるまでもなく、人生とは何らかの熱狂的な情熱を放てるか否かが全てではないか?
生きるのが怖い、腰抜けには死ぬことすらままならないのが心底恐ろしい
自分が何を悩もうとも運命が存在するのならそれもまた予定調和に過ぎないが、もし人の意志に聖域があるのだとしたら?その源が神なのか自然の摂理の偶然性にあるのかは分からないが、今まで確信や納得だと思っていたものよりもより純度の高い信仰がそこにはあるのではないか?
それを実証的に明らかに出来そうな気はしないし、無根拠に信じるというのは蓋をするのと同義でもあるかもしれない
記憶にある限り、こんな感じで興味関心が移ろいでるな。マジで他人が登場しない。
般教の思想史でも似たようなトピックと似たような理屈が出てきたりして面白い。やっぱ人の考える事って似通うんだな。人類、歴史を伝って思春期やってるじゃん。
というよりその歴史が何らかの形で自分の考えに影響を与えたのかも分からんけど。思想史的に時代が進んだり戻ったりしてるような気がする。
車輪の再発明というやつか。自分で捏ねくり回して得たからこその納得というやつが人生に対する実感をもたらすと思えてならねえ。
本でも読めば近道出来たかもしれない事から目を逸らすような自己弁護なのかもしれないけども、まあ別にいいや。長い人生始まったばっかだし。