はてなキーワード: 割腹とは
たぶん、ここ数十年で幾度となく繰り返されてきたであろう話題。そして、これからも何度となく同じ話をして行くであろう話題。だけど、この先に幾星霜の年月を重ねようとも、決して人類が回答を得ることはかなわないであろう話題。
「このような増田を書く際には適度な自分語りが必要である」との先人の教えに倣い、私も自身の人生を少し顧みる。
とは言え、特にこれといって語れるような、起承転結、栄枯盛衰の激しいエピソードはない。期待に沿えず申し訳ない。
私は、凡庸な働き者である両親の下に産まれ、大学まですべて可もなく不可もなしと言ったレベルの国公立で通し、東証一部ではないが倒産寸前でもないと言ったどこにでもある企業に就職し、今に至る。要は平和を謳歌していたわけで、「幸せかどうか」という尺度で測れば、私は十二分に幸せなのだろうと思う。
先日、同級生の友人らと一席設ける機会があった。私の交友範囲は、狭いようでいて結構広い、まあ所謂「普通」の範囲内だ。私ほどの年齢になると、このような場でだいたい出てくる話題と言えば、増田諸氏にもお馴染みの「子供の話」である。
子供の習い事は何がいいか、今どきは中学受験をさせるべきか、保育園になかなか受からない、・・・語らいの場を彩るには事欠かない。
私自身は独り身だが、そう言う話題は端的に言えば好きである。同級生の、愚痴のような自慢のような我が子の話を聞くのも好きだし、独りやもめが一丁前に進言することも吝かではない。
だが、そう言う話題をしていると避けて通れないのが「増田は結婚しないの?」「増田の子供、見てみたいよ」等の友人の無邪気な言動である。
もう何度となく聞かれたので回答が半ばトークスクリプト化しているが、私自身は結婚する気が全くない。子供を作る気もない。
友人らの結婚式に持参した祝儀袋は50枚ではきかないし、友人らの華燭の典の末席に私の椅子を加えてもらえるのは悪くない。幸せのおすそ分けがあった数年後に、友人らの間に生まれた新しい命に触れる栄誉に浴した機会も両手両足では足りないだろう。
そんな友人達の子供の相手をするのも、また楽しい。先日も友人宅で友人の子供たちとゲームで盛り上がった。そういった私の姿を見てきている友人達はいつも怪訝そうな顔をして、お決まりの言葉を投げかけてくる。
しかし、残念ながらそんな姿を友人たちに見せる機会は、永遠に実現する事はないだろう。なんだかこちらが申し訳なくなってくるが、こればかりはどうしようもない。
結婚出産をしない事の仔細については伏せさせていただくが、私自身はLGBTという訳でもないし、病気等によって子供が作れない身体という訳でもない。過去に交際した異性がいない訳でもないが、結婚するというビジョンは当初から皆無だった。
・・・さて、長々と私の宴席話を綴ってしまったが、ここまでが枕詞である。以下より表題の件となる。
最近発生したとある些事によって、私は自身の今後の人生を考える機会を得た。それは老後の事であったり、貯蓄の事であったり、人間関係の事であったりする。
不思議と不安はない。「少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」と言ったのは太宰だったか芥川だったか。或いは川端だったかも知れない。
老後を一人で支えていく貯蓄は作れる。今現在のところは十分な資産が無い為「ある」とは胸を張って言えないが、仮に70歳定年制度が導入されようとも、食べていけるだけの資産を形成するだけの資力はあるものと自負している。
加齢による孤独との付き合いも、それなりにこなしていくつもりだ。とは言え、老境に達した事もない若輩が悟ったような事を口にするのも軽々しい。鋭意努めるといった表現に留めておこう。
そのような事を独りごちること数日、ようやっと私は「自身に生きている理由がない」と言う平々凡々な結論に至った。
却説そうなると困ってしまう。理由もないのに生きていくには、あと数十年という年月は些か長すぎる。排泄物を生産する装置として延々と過ごしていくには動機づけが心許ない。
人生に対しての意味を考えるのは、数多く存在する宗教という団体が約二千年ほど前から継続して取り組んでいるようだ。詳しくは知らない。
彼の団体が世に出している成果物を拝見したこともあるが、私には意味を見出すだけのものはなかった。
理由も無い、意味もない。そうなると次の段階として「可及的速やかに、かつ周囲の迷惑を最小限にとどめる形で自殺する方法を考察する」ということになるが、私にはそれを実行するだけの胆力が備わっていなかったようである。自ら命を絶つという行動を想像するとき、自身の玉袋が萎びていく感覚が如実にそれを証明している。
安田講堂で演説をぶった後に割腹して果てたのは誰だったか。筋骨隆々とした当時の写真を見るに、グラビアモデルか何を生業としていた人だと推察しているが、どうだろうか。職業はともかく、その胆の据わりようはまさに驚嘆に値するが、私には到底真似のできない所業である。
理由も無く、勇気も無い。理想も無かった。願望もこれといって無かった。意味のある無しは私自身が決定するものではない。後世の人間が理由付けしたものが意味だ。
かと言って「無い」状態を維持していくのも据わりが悪い。回答でも解答でも一向に構わないのであるが、「ある」状態にしたい。ふとそう思い至って有休申請をしたのが昨日の午後、目の前のキーボードを叩いては嘆息する作業に飽きてきたのがつい先ほどの話だ。
先人の知恵を生かす事こそが人類であり、その事を辞書で引くと即ち「英知」である。ならば私も人類の英知の恩恵に与ろうと「はてな匿名ダイアリー」なるサイトの中に設置されている検索窓で「人生 理由」と入力してENTERキーを叩いたところ、検索結果は0件だった。平日の昼間から「人生 理由」や「人生 意味」といったワードで検索をかけている中年男性という絵面も大変に珍妙ではあるのだが、ここで膝を折るわけにもいかない。
Google検索で「人生、宇宙、すべての答え」で検索すると「42」という解が得られるというのは割合に有名な話ではあるが、できれば証明過程のほうも見せていただきたいので、「人生 理由」や「人生 意味」などのワードでGoogle検索をかけても、有象無象が多くて選り分けるのに四苦八苦しているうちに時間だけが過ぎ去っていく。回顧するに到底建設的な所作とは言えない。
※ちなみに、「人生 理由 anond」等とGoogle検索すると、先人への英知に到達する作業が捗ったという事実も申し添えておく。
・・・結局、特段の進歩もなく、たまっていた有休を消化して終わるだけの一日となりそうだが、髪の毛一本分、まさに寸毫ほどの厚さだけでも遺物があれば、後進増田諸氏の灯台となり得る可能性はあると考えた。
可能性に賭けることは好きではない。そもそも賭け事が嫌いだ。だが、この愚かな人間がしたためた理由も意味もない駄文が、誰かにとっての灯火となれば幸甚である。
大海原の中のマッチ一本分にも満たない、本当に小さな灯り火であるが。
ここまでお付き合い頂き、かつ増田諸氏の人生の貴重な時間をも少々頂けた事に深謝する。増田諸氏の人生に幸多からん事を祈念して、ここで筆をおく。
パソコンをしながら
馬鹿にしていた。
そして、ついには婚約者にも断られる。
「死ぬわけじゃないって言ってるんだし、協力するだろ、普通。」
「ご都合主義、くだらない。」
そう思っていた。
先日、伯父が白血病にかかった。
突然の知らせに驚いた。
薬で治療をする、という事らしく、
本格的治療に入る前に見舞いに行ったりした。
その後、忙しくなり、なかなか顔を出せなかったが、
どうやら退院をしても良い期間と、
入院をする期間とを交互するような生活に入り、
安定してきたという話を聞いていた。
ところが急に耐えられないほどの痛みを訴え、検査をしたら、
唯一の兄弟である母が提供者となるべく、検査をすることになった。
そこで、医師より以下のような説明があったらしい。
骨髄移植には以下の2通りの方法がある。
・薬により血中の白血球数を通常の10倍ほどに増やした状態で採血(?)を行う方法
後者は薬の影響で数年後、自身が白血病にかかるケースがある、という事らしい。
そして、近年では後者が主流になってきているそうだ。
医師の話を母から又聞きしているので、情報が欠けているのかもしれない。)
テレビでタレントがドナー登録をカジュアルに訴えているような世の中なので、
恐らく医師の言ったようなリスクは非常に低い確率で発生するようなことなのだと思う。
しかしそれを聞いた時、
検査の結果、適合して伯父を救って欲しいという気持ちと同時に、
適合せずに母が安全でいて欲しいという気持ちが生まれてしまった。
仮に、母に代わって自分が行けるか、と考えると、
妊娠中の妻と、生まれてくる子供の事が浮かび、確実に躊躇している自分がいた。
まさに、鼻で笑っていたドラマの薄情な親戚そのものだった。
直接医師に確認をしていないので、情報が足りていない状況だが、
自分がそう考え事がひどくショックだった。
残念ながら母の血液では伯父に適合しなかったという連絡があった。
▲無言のまま安保条約の質が変わっている
日米安保条約の改定をめぐって60年に全学連などのデモが吹き荒れ岸内閣が退陣にいたった。あれから半世紀になる。
60年アンポ反対運動は攘夷的な国民的ムードが背景にあり、当時のシチュエーションは反米だった。運動に参加した殆どの人は条約を精密に読んでいなかった。ゼンガクレンは情念と正義感で動いた
70年アンポは前年までに反戦運動が下火となり、赤軍派と三島事件という両極の政治事件で終わった。この間、高度経済成長と東京五輪によりナショナリズムは体制側に収奪された。
爾来、日米安保条約の自動延長が継続され、80年アンポは政治争乱もなく、むしろフォード元大統領らを招いた日米シンポジウムが東京で開催された。筆者は当該シンポジウムの広報担当だったため会場のホテルに一週間ほど泊まり込んだ。中川一郎、末次一郎氏らと夜遅くまで懇談した。駐日米国大使はマンスフィールドだった。不思議に親和力をもった人だった。
やがて政治の季節は去り、全学連政治各派は分裂を繰り返し、左翼は「サヨク」になり、過激派は三島由紀夫の割腹に衝撃を受け、一部は転向し、体制派はすっかり米国の執事のごとくになった。その後、国際情勢の緊張とともに防衛論議は本格化したが、「日米安保はこれからどうなる」という肝腎の議論がない。
ところが日米安保条約は無言のうちに運用が変質し事実上、改編されている。「条約」ではない、これは「同盟」である。
たとえば事前協議の対象とされるのに、沖縄の海兵隊も横須賀の空母も日本に相談なくイラクなどの戦場へ出て行った。集団安全保障議論も海外派兵議論も沸騰しないまま自衛隊は「国際貢献」と言われてカンボジア、イラク、モザンビーク、ゴラン高原、そしてソマリアへ出動している。日本ではなく米国が勝手に解釈を変えているのだ。
しかし日本国内の防衛議論は専門的に走り過ぎ、国民から遊離している。マニアックは兵器の性能を論じたり、次世代航空機を論じたり。しかし法の改正という議論には滅多にお目にかかれない。
歴史開闢以来、同盟が半世紀以上つづいた例はきわめて少ない。例外は英米同盟くらいだろう。日英同盟は短命だったし、日ソ不可侵条約はもっと短命だった。
しかし確実にくる宿命がある。それはいずれ日米同盟が終わりを迎えるという確固たる近未来のシナリオである。なぜなら東西冷戦が終わってソ連が崩壊し十五に分裂し、ユーゴは連邦が瓦解して六つの国にばらけ、NATOは反ソ軍事同盟から性格を変えて東方に拡大してイランを囲み、東側は上海シックス(中ロ+中央アジア四カ国)に収斂された。そして昨日の敵は今日の友、日本の頭越しに米中のG2時代がやってきた。
米軍はグアム以東へ防衛戦を下げ、北朝鮮の核実験には曖昧な態度で終始し、拉致問題を含めて日本の期待を裏切るかたちとなった。台湾海峡を中国海軍が扼することになれば米空母の防衛力が劇的に減殺される。日本の尖閣諸島は危機に瀕し、やがては沖縄をめぐる日中の攻防も予測される。
しかしワシントンから見ると経済の凋落と軍事力の衰退は現実であり、従来の米韓、米日、米印、米豪の安保体制を維持するものの、日本の防衛貢献が足りないという認識である。今後、いかに改編すべきか、日米同盟半世紀を閲して本格的議論が始まるだろう。
ちょっと前、本日(2/7 17:00頃)、NHKの徴収員がやってきた。
マンションのインタホンが鳴り、NHKの徴収員を名乗りましたので、こちらは、「うちにはテレビがないのでお引き取りください」、と伝えました。
だって、テレビ見ると莫迦にしかならないでしょう。だから、ないんです。わりと、NHKはまともな番組も多いですけれどもね。
すると、とたんに対応が変わり「ドアのロックを開けてください!開けてください!」と云うので、インタホン(電話)を切りました。
その後も3回ほど、インタホンがなりましたが、そんなのに対応するのはバカバカしいので出ませんでしたが、室内カメラから同一人物であることを確認済みです。
また、しばらくして、階下に降りたところ、まだインタホンをすべて鳴らしているようでしたので、直接本人をみました。
こいつか!と思いましたが、ま、向こうは知らないわけだし、軽く無視して外に出ました。
NHKはいつもこのような対応をしているのでしょうか。こんなの悪質訪問販売と変わらないですね。
昔、学生だった頃にも同じようなNHK徴収員がしつこくインタホンを鳴らし、非常に迷惑でしたが、対応は変わらないんですね。
あー、最悪。
亀田大毅は、TBS社長 井上弘の方を向き、怒髪天を突く形相で叫びました。
「TBSめ! お前らを憎むぞ! 自分が死ぬのはお前らの為ではない! 大阪のためだ。自分は今死ぬが、七たび生を得て、お前らを殺してやる。TBSよ、浪速乃闘拳の割腹を見よ!」そして脇差を逆手にとり、左のわき腹に深く刺し、三寸ほど切り下げ、右にきりきりと引き回し、また三寸ほど切り上げました。腹部からおびただしい血がでました。そして自分の手で腸をつかんで引き出し井上社長を睨み付け投げつけようとしました。
慌てた介錯人 亀田史郎は、大毅の首に斬りかけますが、手元が狂ってうなじの上部を斬りました。大毅は、「何とせられたか、心静かに、心静かに」と声をかけます。史郎はもう一度刀を振り下ろし、首は傾くがまだ落ちません。三度目で首は落ち、これを見ていた井上社長は顔色悪くなり奇声をあげながら座っていられない様子でした。
北風抄 - ”文学賞批判”を批判する
『文学賞メッタ斬り! 受賞作はありません編』(大森望・豊崎由美著、パルコ出版)は、書名どおり芥川賞・直木賞や主要文学賞選考のあり方を”メッタ斬り”する対談であり、ことに、選考委員のお歴々が実はまったく小説を読めていない、批評能力に乏しい─と軽い調子で鼻で笑って斬るところがミソであるようだ。
そのあたりはまあ読み流すとしても、白山市制定の島清恋愛文学賞にまで鉾先が向けられるとなると、ちょっと黙過しにくくなる。
「島田清次郎は二十歳のときに書いた『地上』という小説でベストセラーになったばかりに人生を誤ったんですね」との認識も粗雑に過ぎるが、「最後は早発性痴呆(現在の統合失調症)と診断されて精神病院に収容され、肺結核にかかって三十一歳で死んじゃった。こういう人を記念して恋愛文学賞を創設した白山市はたいへんな勇気があるなと思いました」との発言には大いにひっかかるものがある。
この「たいへんな勇気」が肯定的な意味で使われているのではないことはもちろんだ。この筆法でゆけば、三島由紀夫賞も、”市ヶ谷の自衛隊駐屯地に突入、日本刀で総監に斬りつけ、割腹して果てた人物を記念して文学賞を創設した”出版社はもっと「たいへんな勇気」があったことになる。
『メッタ斬り』の対談者は石川県人が島田に寄せる微妙な心情に全く気付いていない。「島田清次郎の悲劇は何がしか石川県人の心を揺さぶるものを秘めている」(水洞幸夫氏)のであり、夢や理想や栄光を求めて東京へ出たものの、空しく挫折した無数の石川県人と島田が重なり、郷関に残った者ともどもシンパシーを呼び起こされるのかもしれない。私などは、この賞の創設を、痛ましい限りの生を余儀なくされた島田の鎮魂として意義深い、と勝手に解釈している。
『メッタ斬り』の島清恋愛文学賞への批判はそれだけではない。批判の大半は、選考委員のひとりへのかなり激しい誹謗で占められている。名前を秘すのはかえって失礼だから挙げておくが渡辺淳一氏のこと。近代文学の名作をも”メッタ斬り”にした『百年の誤読』でも、豊崎氏は渡辺氏のベストセラー『失楽園』をこっぴどくやっつけた。『メッタ斬り』では、同じくベストセラーになった『愛の流刑地』に罵詈讒謗の集中砲火を浴びせている。
豊崎氏らが『愛の流刑地』を読めないのは勝手だが、だからといって渡辺氏の選考委員としての資質まであげつらうのは行き過ぎも甚だしいと言うべきではないか。失礼千万ではないか。私個人としては、第九回の岩井志麻子氏(『自由戀愛』)、第十回の谷村志穂氏(『海猫』)の受賞など、わが意を得たりとひそかに喜んでいただけに、見当違いの選考委員攻撃には不快を禁じえない。
『メッタ斬り』が巻末で小説群を百点満点で点数評価しているのも賛成できない。文学作品はこんな評価方法にはなじまないはずだ。文学批評なるものは、褒めようと貶そうと、読者にひとつ読んでみようと思わせるのが”芸”であり、点数評価では”芸”も何もあったものではない。『メッタ斬り』が全編真摯な態度に欠け、先に述べたように当世流行の軽い”ノリ”で批評して見せるのも不快。蟷螂の斧に過ぎない地方からの発言だが、とにかく書いておきたい。