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はてなキーワード: アニメショップとは

2014-03-04

同人誌って高いんだな…

とても素敵な絵を描かれる方が気になって、同人誌即売会に興味が出てきた。

まずびっくりしたのが、同人誌ってとても高いということ。16ページで600円とかする。

ハンドメイドで少数生産から仕方ない、とはいえこれじゃあ一冊買うのがやっとだなあ…などと考えていた。

そしたら、イベントの入場料に1000円ほどかかるという話だった。な、なんだって……?

結局アニメショップ通販で購入した。

その後気になって調べてみたら、即売会に売り手として参加するには4000円近く参加費を払わないといけないらしいことがわかった!

なるほど、同人誌が高いのはこの高い参加費をペイする目的もあるのか、とわかった。

それで思ったんだけど、同人誌ってたとえばkindleとかの電子出版しないのかな?

多少安くしとけば印刷代と参加費が浮くし購入者ハードルがさがって買いやすくなる…というわけでもないのかな。

高い参加費を払って、ディズニランドみたいに並んで…っていうのはなんか不思議だ。

目的は手に入れることだから、他に方法が発達してもいいのになあと思った。

2014-02-27

いい歳して純愛する人はかえって微笑ましい

登場人物

私:19歳、大学生彼氏遠距離恋愛

A子:19歳、大学生。私の親友彼氏なし

先生高校の時の先生。30歳

 私とA子はオタク仲間。BLより乙女ゲー派。それ以外も含めて趣味が合う一番の友達

 そんな私たち2人は、仲の良い先生がいる。いや、私たち卒業したし先生も別の学校に移ったから元先生か。でもいいや、今でも先生って呼んでるし。

 卒業式の次の日、私たち3人はアキバにいた。アニメショップ行って、サイゼ行って、クレーンゲームやって……つまり、完全に遊び。

先生は割と気前よくおごってくれた。その後も何回か私とA子と先生と3人で遊びに行った。

私もA子もブスではないので、おごってくれるだけの人なら他にもいると思う(←うぬぼれ)。でも、おごってくれるだけじゃなくて一緒にいて楽しい人はなかなか見つからない。

先生はそういう人だ。『俺はオタクを15年やってるんだからお前らみたいな小娘に負けてたまる(笑)』って言ってたけど、実際ほとんどの話題に話を合わせてくるのは凄いと思う。

 先生彼女はいない。というか童貞だと自分で言っている。本当か。その割には女子について変な勘違いしてるところもなく

(たまにあるけど、他の若い男の先生と同レベル)、女子高で上手くやっていたが。まあ、現時点で彼女がいないのは本当。

 先生はなんで私たちと遊ぶと気前がよくなるのか、なんとなく気付いていた。先生はA子のことが好きだ。

割とみんなに優しい先生だけど、A子にだけは特別に優しい。A子の一番近くにいる私だから分かる。そう思っていたら、先生から相談された。

先生相談ってのは、A子のことなんだけど」

私「好きなの?」

先生「あれ、気付いてた?」

私「なんとなくはね。いつからA子のことが好きだったの?」

先生「いつの間にか好きになってたけど、きっかけは一緒にアキバ行った時かなー。あの時に『こいつと一緒にいると楽しいな』って思った」

私「意外と普通ですね」

先生「『実は一目惚れでした』って言ったら一部の女子は喜ぶんだろうけど」

私「A子はそういう子じゃないよ」

先生「ですよねー」

こういう発想が出てくるあたりが先生女子に慣れてると思う部分だったりする。いや、顔はともかく30なのにハゲてるからモテるとは思わないけど。

先生「大人になると『好き』だけで恋愛できなくなるからなー」

私「なんとなくは分かります

先生「A子より攻略するの(←こういう表現つかうあたりがギャルゲー脳だと思う)簡単な子なんていくらでもいるし、その中にはA子より可愛いだっているけどさ」

私「そういうことはA子には言わないようにしましょうね」

先生「それは分かってる」

先生の言っていることはたぶん合ってる。先生ハゲなのに私の同級生からは妙な人気があった。お金のことを抜きにしても、先生から言われたら付き合うのOKする子もいたと思う。

先生「でもそういう計算か抜きにして、A子と付き合いたいんだよ」

私「A子とエッチしたい?」

先生「うん」

そこは即答するのか。でもダメだとは思わない。付き合っていたらそういうこともあると思う。むしろ「そういう下心はない」とか嘘を言われたらかえって怪しい。

そして、私はA子が少し羨ましかった。先生に好かれているのがじゃない。私も一度くらい、それくらい強い気持ちで好きになられてみたいなぁと思う。

ついでに言うと先生が本当に童貞なら、それくらい好かれた人の初めての相手になるというのも悪くない。

だが悲しいかな。先生が分かっている通りA子のガードが堅いので、私も『私のこと気にしないで先生と2人で遊びに行ってきたら?』と言ってるのにA子はOKしない。

付き合ったらある意味お似合いカップルだと思うんだけど。

2013-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20131031224610

あのな









人が嫌って思うことなんていくらでもあるんだよ

虫が嫌いとかきゅうりがきらいとか前髪が目にかかるのが嫌いとかよ

その自分が行動したくないっていう感覚喚起される理由が




”この世の法則定義されている以外の、何かの存在がある可能性がありますよね?”




って言い出すのがウザいんだよ

それは自分が嫌だって理由だけでいいだろ





それをな、生理学的なものとして分類するなら当然かもしんねえよ




なんでいきなり限定的に「宗教」という共同共有観念体系にするんだよ






”おまえがたまねぎ嫌いなのは前世で罪を犯したからで現世でしっかりお布施をしなければ”






ここまでの思考造形は宗教って商売の範疇に入れてもいいだろうよ




”しなければ恐怖を体験します”





って付けるのは作為的利益誘導をして平等性も欠いて倫理的にも人道的にも社会的にも反するもんだろ

現実的に発生することを予測してコンサルタントするならそれはそういう商売があるから人間の法に則った根拠を商品正当性として認められれば営業ができるだろうけどよ





天国にいけますって投資を募るのは期待値または元本の保障をしない契約として契約書なんかに記載があれば

常識的に死んだらどうなるの範疇人間にはない、法的に取扱がないところから問題ないだろうよ



しか現実問題として発生する事象危惧させ利用して現世で法的に対応範囲な事柄を誘導するのは宗教関係ないだろ

投資物件としての宗教かいう範囲を超えてるだろ




あの人があの世にいったら待遇よくしてくれるって言ったんです とか本気でいってたらそれはそれでいいだろうしだれも責めねえよ

けどな、呪いを解いて災厄を解決するために現金いくらはらったとかになったら「宗教なんで非課税です」とか言わねえよ





まりな、この世に無いものいくら語ってもそりゃぜんぶ宗教でいいと思うよ

みんな神様のおかげだよな




けどな、宗教がこの世の何かを動かすってなったら、そりゃこの世の法則に縛られるべきなんだよ


人間座禅くんだまま宙にも浮かないし 祈願で病気は治らないんだよ

人間裁量範疇外、コントロールできない運がめぐってくるチャンスを獲得する方法なんて人間にはないんだよ

から運任せや神頼みって 存在するかしないかからないしアプローチのしかたも無いものについて

自分なりにアプローチ」するのはありだとおもうよ みんながやってることだったら安心感も増すだろうよ

なにか良くわかんないけど祈りますってよりは祈りを受け取る相手を具体的にしたほうがそれっぽいだろ

とりあえず「おねがいします」と祈って神やらなにやら対象を特定しない日本人ですら一応「八百万」って

祈っとけばどこかに受け取り先がいるって事にしてるんだぜ



いままで存在する祈りの方法で祈った人数と達成できた人数は たぶん宝くじ当選確率よりも低いんじゃねえの?


宝くじに当たったのが「神様のおかげなので寄付しなさい」っていきなり来るのと「宝くじがあたりますように」って無神論者が祈るのは

「同じ」か?







おまもりは神の国からきた異次元物質じゃねえだろ



人間の気持ちはどこからたかわかんねえから法律定義もないから、「神の国からきたもの」とか魂とかいものとして非常時の投資材としてあるってのもまあいいだろ


その気持ちが神の世界と繋がってるからかどうかはしらんが、現実のものをどうにかするなら一旦神の国にもってってからしろって話だ


日本犯罪を犯したら日本法律で裁かれろって話だよ

治外法権うったえるなら、大使館に連れ込んでからしろって話だよ




神の国との引き渡し条例とか組んでるならどっちかの法則が相手のエリアに介入してこないと意味ないんだよ




宗教会館みたいなテーマパークとかで神秘体験したとかそれは大事にしとけばいいよ

それテーマパークから持ち出したら魔法がとけてんだよ






もういっかい言うが


おまえがキモデブオッサンで引きこもりなのは前世で悪さをしたからだ


とかあるかないかわからんがあってもなくても真実かもしれないし嘘でも空想でもかまわんよ


アニメDVD再生中なら30分間だけ異次元世界で夢をかなえても問題ねえよ


メイド喫茶にいったら女子が心から愛してくれるとかそういうのでもいいよ





「だから現実にあるそこのお守り切りなさい」




ってのはただの嫌がらせなんだよ ただ嫌って気持ちをおこさせるだけなんだよ


メイド喫茶の会員券を切りなさい でも アニメDVDを切りなさい でもいいんだよ


ただ 嫌な気分になるだけなんだよ


DVD再生できなくなったのは 天罰だ とか

メイド喫茶にいけなくなるのは 天罰だ とか


その嫌な結果を 天罰 と称する方法宗教だとかいうのはただの自分ルールじゃねえか

メイド喫茶にいきたければ宗教に入りなさい とか言うならそれは宗教だろうよ

アニメショップの会員制度は たぶん宗教だろうよ





宗教ってのは 嫌って感覚をまとめて共同体として回避解決しようという集まり 組合みたいなもんだろ








改めて聞くが その嫌ってのと 一般的宗教って名称のもの



なんか関係あんの?

2009-07-07

THE END OF EVANGELION」の感想集 2

http://anond.hatelabo.jp/20090707100038 の続き

 弐拾六話では全ての人とあっさり和解でき、すんなり受け入れられた。
しかし世の中そんなに甘くないというか、実はそれこそが自己中心的世界
と言える。もっとリアルに描いてみよう、というのが26話ではないかと。

 何故なら「本質的に解り合うことのできない他者が存在する」というこ
と、他者を認識するとはそもそもそうしたことである筈だったから。庵野
氏の構図で言う幻想世界の内部において、シンジはどうしてもそのことを
容認できず、他者を理解できないまま、自分を理解するよう他者に縋り続
けた。補完計画が完成し、群体から単体に還元され、全てを包含レイに
抱擁された時点で、彼はやっとそのことに気付いた。
 ラストアスカを殺そうとしたのは、アスカが正に他者であることを、
彼が遂に知ってしまったから。でも結局殺せないし、前のようにエヴァの
胎内に逃げることもできない。そこは既に第弐拾六話の月面と同様に、後
戻りの聞かない場所、補完が導いた現実世界。・・・

 なんと、エヴァと融合し全てのヒトを包含した神が、人一人殺せず、孤
独に耐えかねて泣いているんです。
 私はここに最高のユーモアカタルシスを感じました。こんなに見事な
ラストは、これまで観たことも読んだことも恐らく無かったです。(^-^)
宮村優子さんのラジオ発言とか最近目にするようになった彼女の雑誌のコメント
を見ると、宮村さんは今回の劇場版をお気に召さなかったのかなとも思います。
自分でも「なかなかのモノが出来た、俺の選択って凄いぜ。フフン」と庵野監督
が思ってたのに、いざ、脚本を渡したら宮村嬢からの冷たい反応。それにショッ
クを受けてああいったラストにしたのかな(^^;?
無責任な憶測ですけど
 あのラストシーンは,シンジが選んだこの世界が決して「気持ちのいい世
界」ではないことを辛辣に描いていました。しかし同時に,そこには絶望だけ
でなく,わずかな希望もあることをも示していたと思います。


 希望アスカの手,シンジの涙。 
                  そして,『会いたい』という気持ち。
 ラストシーン絶望的。シンジはほんの少しだけ変わった。もうひとり、ほ
んの少しだけ変わったひとがいるみたい。でも、その「ほんの少し」への一歩
のなんて遠いこと。2人は、まだ変わっていないみたいに見える。だけど、絶
望は希望の裏返し。これからどうするか、それは、私たちに委ねられたのかも
しれない。
  ひとつだけ考えられるのは、シンジ物理世界に戻ろうと決意したのをアスカ
  も知っていて、そんなシンジとだったら一緒にいても良いかな、って思ったの
  かも知れない。
  でも、砂浜で再び自分の首を絞めてる彼を観て「ああ…やっぱり何も変わって
  ないんだな…」と思っちゃったとか。
 寂しいことを言ってしまえば、アスカにとって、自分のために泣いてくれた人
を身近で感じたのは初めての体験だったのかもしれません。初めてで慣れてない
から、「気持ち悪い」のかも。
庵野監督は最後までアスカの扱いに困ってしまったようですね。その苦悩がラス
トシーンにも出てしまったのでしょうか。「おまえがいるから滅茶苦茶になっち
ゃったんだ~!」ってね。でもその存在を消せない(笑)
 嫌悪も一つのコミュニケーション。心の壁は現実そのもの。
 そして、今までと同じ、自我と、人を代表とする非我との戦いがつづく。
 何度もそれを確認しながら、幸せにも不幸にもなれるラストだったと思います。

 ラストシーンアスカ。第1話のレイと同じ場所に包帯を巻き、首を絞められな
がらもシンジの頬をなでる。
 これって、つまりアスカの中の“母性”を表してるのかな、と思いました。綾波
レイは「母」のメタファーそのものと言っていいでしょう。そして、シンジの側に
横たわっているアスカレイと同じ姿であることは、彼女もやはりシンジを優しく
包み込む“母性”を内に秘めていることを意味しているように思えます。その後の、
シンジの頬に触れる行為も。

 しかし、彼女最後の言葉は「気持ち悪い」。シンジを拒絶する言葉です。これ
は“14歳の女の子”として、「私はあんたの母親になる気なんて、今のところ、
さらさら無いわよ」と言ってるんじゃないでしょうか。「あんたが何を求めてるの
か分かんないけど、受け止めてあげる気なんてないわよ。余裕もないしね」と。ま
あ、あのシンジ-自分を傷つけるかもしれない他人を殺すこともできないで、ただ
しゃくりあげている-を受け止めることなど、14歳の少女に過ぎない、もちろん
自身それなりに問題を抱えているアスカに、できるわけないでしょう。たとえ“母
性”を持っているにしても。むしろ、一方的に求める方が酷です。(さらに、相変
わらず求めるだけっていうのも、また問題だ)。

 しかし、将来的には彼らがどう成長し、変化するかは分かりません。そういう意
味では、もう多くの方が感想に書いてますが、「これから」を感じさせてくれるラ
ストシーンではありました。もう語られることのない物語の続きの中で、彼らは彼
らなりに成長していくのでしょう。
不快感(=気持ち悪い)」というのは、赤ん坊が最初に感じる感覚だということを聞いた
記憶があります(←記憶あやふや)。そうでなくとも、「気持ちがよくない」という感
覚は、まぁ、「夢」だとか「望んだ世界」ではなく、「現実」を示唆しているのかな、
とも深読みしましたが・・・深読みしすぎかな?
 シンジアスカは、それこそお互い誰でもよかったんだと思います。憎む相手も
愛する相手も。でも、自分を互いに真正面からぶつけ合った過去が、二人には出来
てしまった。互いに、相手に対する憎しみも、相手が欲しいという気持ちも、相手
を拒絶する言葉も告げてしまうほど、互いの気持ちを相手にぶつけた。そして、そ
の憎しみも欲求も、おそらく今後の彼ら自身の心を強く拘束していくでしょう。
 ラストシーンで、くびを絞め、瞳を動かし、頬をなぜ、涙を流し、気持ち悪いと
つぶやいた二人は、それこそ、愛よりも深い、憎しみもかなわない、たとえ離れて
も、ひととき忘れても、もう互いの心の一部そのものにまで結びついたように見え
ました。

 One more final:   I need you.
 
 もう一つの終局もすべてのおしまいではありません。英語のタイトルは『私はあ
なたが必要である』でした。
 そして、皆に等しく、同じ戦いが、始まり、続きます。
 でも生きてさえいれば、幸せになるチャンスはどこにだってあります。だって生
きてるんですから。

 愛よりも深く。
 夏の映画は誰も他人を受けいれられなかった二人が、とにかくも深く結びついて、
そこから再び、同じ戦いが始まる、終局であっても、何も解決していない、ラスト
でした。
シンジ内面に問いかける声も、もはや静かなレイの後ろ姿ではなく、アスカの
赤裸々な罵倒へと変化しました。「お願いですから、もう電話してこないで下さ
い。」「よりを戻すつもりは更々ないの。」「その、やっぱり、友達以上に思え
ないの。」「ハッキリ云って迷惑なの。」「これ以上付きまとわないで下さい。」
これらのセリフ作品の展開からは伺うことができない以上、庵野監督自身の人
生から引用してきたものと解釈されます(もちろん脚色を加えているでしょうけ
れど)。つまり、劇場版におけるアスカは、これまで庵野監督を傷つけてきた
「5人の女性」のような「他者」を象徴する役割を与えられるようになったのだ
というのが僕の理解です。
 そうすれば、ラストシンジアスカの首を絞めかけたり、アスカがその後で
「気持ち悪い」と言ったりする寒々しい展開も、すんなりと納得できるのです。
現実の他者は、お互い決して期待通りの反応をしてくれない存在ですから。
 オタク依存を打破するために作ったアニメが、逆にオタク依存の代表になっ
 てしまった苦い皮肉。昨日某アニメショップで見かけた会話。

 「これ買えば」(とシンジ君が表紙のアニメディアニュータイプを指さす少女)
 「えーいゃぁー」(と汚いものでも見るかのように嫌悪する少女B)

 彼女らの心の中にはカヲル君しかいないらしい。作品全体のテーマを見ようとせ
 ず、自分のお気に入りのパーツを使って幻想エヴァを作り上げて固執する。虚
 構からも逃げ続けている。自分以外のエヴァはいらないのだ。そして、そのこと
 を指摘されると過剰に反応し激怒する。「ぱふ」の一部読者はひどいものだ。無
 論、綾波アスカの一部ファンにも言える。
 そういう意味で、庵野さんが「気持ち悪い」と言わざるを得なかったのは良く分
 かる。だから実写を入れてこれでもかこれでもかというぐらいに観客に語りかけ
 た。でもそれは届かない。最も病んでいる人間、庵野さんが最も一言言いたい人
 間は嫌悪する現実ファンタジーに変えて消し去ってしまうのだ。
シンジくんの首締めはちょっと??な気もしましたが
アスカシンジの頬を撫でて「気持ち悪い」は、
頬を撫でるシーン拒否、否定の感情からではなかったと思ったので
集合体としての生命の海から浮上して「こ」の世界の「ここ」にいる
「こ」の自分を認識し他の存在シンジ認識し
「気持ち悪い」ことも沢山あるけど「ここ」に自分と他人が存在
することを知覚認識して噛みしめていると感じました。

いやぁすっかりアスカが主役でしたね。
ここまでアスカ映画になってくれるとは
嬉しい誤算でしたってのはアスカ者の偏見でしょうが。

      とでも思わなきゃやってらんないよなぁ。
かくして、シンちゃんはアスカちゃんのドレイとなり、
一生、幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。
                                                       <終劇>
       自分は性的嫌悪感からくる言葉だと思ってるんですけどネ。
       DEATHの新作カットの「ミサトやバカシンジの使ったお
       湯なんて~」の頃には、もうシンジ君が自分の事を性的対象
       して見てる事に気づいていたのでは?このぐらいのお年頃の
       と女性ってそういうのたまらなく嫌だと思うのですがどうで
       しょう?
シンジアスカを殺そうとするが思い止まる。アスカに優しい言葉を期待する
"ファン=シンジ"だが"虚構=アスカ"は"気持ち悪い"と突き放す。

そういうことか?ヒゲメガネよ。
それと映画アスカシンジを否定したのは
(自分の勝手解釈ですが・・)
「シンジアスカの事を、好きで求めているのではないのを、
アスカは気付いていた。なので、コーヒーメーカーに激突させ、
最後に’気持ち悪い’とまで言った」
好きで求めていない、というのは、恋愛感情のみ、でなく、
シンジは弱い自分を何とか持ちこたえさせる拠り所に「強く
見えるアスカ」にすがっていたふうに見えたからです。
アスカにしてみればそんなおかんのような役、あまり嬉しく
ない気が・・・。
 また、最後の台詞「気持チワルイ・・・」ですが、ラストシーンでのアスカ
の様子を見てみると、腕と頭部と目に包帯およびガーゼが当てられており、
これは第壱話においてストレッチャーに乗せられてシンジ君の前に初登場
した綾波レイそっくりの状態で、加えてあの目線から察するに、アスカの
中には、彼女自身の魂や人格に加えて、レイの魂が入り込んでいるのだと
私は感じました。

 いわば、アスカとしてはトラウマを刺激するモノとして忌み嫌っていた
レイの魂が自分の内面において(シンジへの想い故に)融合しつつある
ことについて現在のところ「ケンカカレー」(歳バレ?)の状態にある、
ということで「気持チワルイ・・・」という言葉に繋がったのだと私は考えた
のですが、みなさんはどう思いますか。
あのラストシーンは実はハッピーエンドである。
あの砂浜のシーンは補完直後のシーンではない。
実はその前にシンジアスカを見つけ、傷の手当をし、ミサトの墓を作ると
いう一連のシーンがあったのである。
しかしアスカは何も話さない、何も反応しない病室アスカの状態に戻ってし
まっていた。(偽りの復活)
そんなアスカを不憫におもったシンジは思い余った挙げ句、彼女の首に手を
のばす。
しかしその時、今まで何も反応しなかったアスカの腕が動き、シンジの頬を
撫ぜる。
嬉しさのあまり、涙を落とすシンジ。
更にアスカは言う。
「(あんたバカー、何泣いているのよ)気持ち悪い(わねえ)」

そうあのシーンは「クララが歩いた」パターン感動的なラストシーンなの
である。
しかし観客の期待を裏切る事ばかりを要求された監督は素直に感動的なシー
ンを作る事ができずにあのような解りにくい形にしてしまったのである。
だが安心したまえ、ビデオ・LD収録時には完全版として失われたカット台詞が収録され、誰の目にもハッピーエンドである事が解るに違いない。
(笑)
シンジ監督アスカ・観客に置き換えると、あのラストシーンは
また違った見方が出来ますね。
現実から遊離してしまっている観客を不憫に思った監督真心アスカが無反応だったら悲惨ですね。
それより、もし「気持ちいい」と言われたらどーする(笑)
 シンジ・観客、 アスカ監督ではどうでしょうか?

 シンジ「わーん。こんなEVAはいらないよぉ~。
     謎もあまり解明されてないし~
     そこで気絶してないで、もう一回EVA作り直してよ~」
 アスカ「(まだやれっての?)気持ち悪い....」
1:呼吸困難になった為の気持ち悪い
  えー、シンちゃんに首をギュッとね!(爆)された惣流ちゃんですけど意識
  の無い状態で首を思いっきり絞められては血のめぐりも悪くなり気分が悪く
  なったという、低血圧で良く立ち眩みしてる女の子意見がありました(苦笑)
2:あのセリフみやむーちゃんのアドリブ説
  庵野監督に捧げるアドリブ説(黒い説ですわねぇ(苦笑))という人若干名
3:怪我のために気分が悪い説
  右手の謎の治療跡で判ると思いますが怪我してる場合気分が悪くなるもんです
  (経験者談)
4:2日目説
  ・・・・・・(^^;)・・・・・・
5:観劇してる人へのメッセージ説
  ・・・・・・
 「きもちわるい」。
 他人の体温が気持ち悪いことって、ないですか?
 でも、その嫌悪感を、人は「愛情」で中和させる。
 けれどそれは「無理をしている」のかもしれない。
 本当は、人なんて、生まれてこない方が良かったのかもしれない。

 だけれど、生きている。
 それでも、生きている。
 生きていなければならない。
 
 決して理解できない「他人」の隣で、それでも「一人ではなく」生きている。
 エヴァみたいな「黙示録もの」のラストって、和解・融合、善悪何れかによ
る統一、純粋な荒廃、・・・みたいな一元的な世界の出現で終わるのが相場じゃ
ないですか。これは魅力的だけど、弱点があります。つまり、解り難いんです。
 具体的にどんな世界になるのかが想像できない。私達の周りにあるのは、一
元的把握が通用しない、それこそ「他者」が存在する世界です。争いの無い平
和な世界、とあっさり書くことはできるけれども、そこがどんなところなのか、
人或いは人々が何を考えて生きるのか、よく考えると理解できない。
 放映版の受け入れ難さって、ラストのそういう典型的ユートピアが、観る側
の想像力を麻痺させたせいがあると思うんですよね。

 映画版は、そうした典型から脱したところが凄いと思います。シンジとゼー
レの意思に従って、一元的な新世界を一度は成就しておきながら、シンジの成
長というモチーフを重ねて「その先」を開いてしまった。この点に限れば、黙
示録を越えちゃってますよね。そうして出来上がった「他者の居る新世界」に
は、シンジがその成長の代償として手に入れた、純粋で人間的な憎悪や悩みや
悲しみがあり、観る側として非常に素直に感応できる。これがユーモアやカタ
ルシスでなくて何であろうかと。そしてまたそうした世界を、アスカの最後の
台詞一つで完成したところがまた見事なんですよね。
インパクトのある、出来るだけ短い、どうとでもとれる演出、ということで
ああなったんではないでしょうか。鏡のように、見たいものが見える、見た
くないものが見える、うがった人にはうがった見方が見えるラストシーンだ
と感じてます。
最後にアスカが包帯をしている意味は、
「アスカ自身が女になった」
「シンジにとってアスカが女になった」
という二つの意味を同時に持っていると思います。
「気持ちわる」という言葉には、リアリティを持たす効果と、
触れあいによって「産むことが可能な存在となった」=妊娠イメージを出す効果、
それに、存在が個に分かれていることの実感(喜びも悲しみも)が
表現されていたように捉えられました。
 最後のシーンについてはアダムとイブというよりアジア系神話 洪水で生き残った
兄妹の話(日本のイザナギイザナミの話でもこういう始まりのものもあります)
の方を連想しました。

 アスカの気持ち悪いのセリフですが考えによっては色々とれるセリフですね。
私はシンジと一線を引くセリフと取りました。
(ここから他人としてスタートとして2人の関係はどうなるかという・・・)
この最後はFANが自分たちで考える宿題だと思えました
最後のアスカも女っぷりがよかった!きっと、あれがアスカのやさしさじゃないの
かな?と思った。急にわかったようなアスカになったら余計かなしいもん。
とっても、ハッピーエンドだったと思います。映画みたあと結構すがすがしかった。

気持ち悪い,はよかった。絶望とそれでも幻想を構築しなくてはならないという
意志が感じられ・・・るか? 絶望だけか? 慰めてもらいたいのか?
立派に完結していたと私は感じましたし、救いもあったと思います。
ラストセリフは、生々しい接触も含めてアスカシンジを受け入れ始める、
という言葉ではないのか、と思うのですが。
少なくとも、突き放されて終わったとは感じませんでした。
私、あのシーンは本編に絡まないと思ってます。
庵野のファンに対する愚痴だと思ってます。
ファンによって傷つき首を絞められた「エヴァ」から、
おおよそ倒錯しているファンの一番多いアスカの声で、
ファンに対して文句を言ったんだと思います。 
創世記によればエデンの園では人も含めてすべての生き物は裸で(つまり自分自身
をすべて晒して)いても恥ずかしいとは考えなかった。ところがアダムエヴァが
禁断の知恵の木の実を食べた途端に裸でいることに気づいて恥ずかしくなり、身体
を覆って隠した。このことが神の怒りに触れ、2人はエデンを追放された。
・・・ラストシーンの2人はやはり楽園を追われたアダムエヴァなのですね。
自分の殻(ATフィールド?)を壊すことができなかった(あるいは自分の殻に閉じ
こもって出ることができなかった)シンジアスカだけは結局補完されることなく、
荒廃した世界に取り残された・・。それでもアスカシンジを拒絶するかもしれな
い・・と。
この映画を、人間の内面の描写をメインとして考えると、まさしく、私の好きな
ジャンルに入るんですよね。いっかい、救っておいて、最後にもう一回、落とし
ちゃうっていう。(笑)でも、最後は、あれでよかったと思います。だって、簡
単にシンジが、他人を認め、世界も、そんなシンジを喜んで、迎え入れるで終わ
ってたら(テレビの終わり方かな?これは。)、面白さ半減だと思います。そこ
で、アスカに気持ち悪いといわれて、自分の選んだ世界の厳しさというものを示
して、終わった方が、なんか、心に重ーくのこるじゃないですか!(だから、
ONE MORE FINAL なんだとおもいます。)

  補完中にシンジアスカと、ものすごい勢いで傷つけあいます。
彼は最後には彼女の首に、手をかけるのです。
そこまで他人というのは自分にとって厄介なものなんです。
理解不能ですからね。

  それでも、シンジは「融合」ではなく「他者との並存」を選びました。

  「共生」だとか「相互理解」とか美辞麗句に彩られた根拠なんて、
これっぽっちも示されないのに。
根拠があるのだとしたら、寂しさゆえの「I need you」くらいなものです。
単体になってしまったら永遠に孤独ですからね。
(この辺、あまり自信無いな。二回目を見たほうがいいかな?)

  目の覚めた彼は、隣で寝ているアスカの首を、再び絞めにかかります。
そりゃ、あたりまえです。
自らの選択とはいえ、自分を苦しめる元凶が、
現実に厳然と、そこにいるわけですから。
ほっとくと、こっちが殺されるかもしれませんし。
「他人がいる」─────本当に深刻です。この問題は。

  なぜか生きていたアスカが、そんなシンジの頬に手をやって、
彼に「他者のいいところ」をちょっち認識させます。
苦しみとともに、ヨロコビもまた確実にあるのです。
シンジの手から、力が抜けて、その後のアスカの一言で
「終わらない夏の物語」の幕が引けます。
 アスカの「キモチワルイ」発言は、相当ショックだったのですが、
彼女らしい発言だなとも思います。少なくとも、病院のベッドで
息だけしてる状態で生きている彼女より、ずっといいです。
 「詩編 The End of Evangelion」では、アスカの言葉は、
「あんたなんかに殺されてやるもんですか」が入っていますが・・。
 現実は、そうそう、都合のいいようにはならないんだという事に
通じている気もします。
私が思ったのは、アスカはショックで植物人間状態がある程度つづいており、
(目がサカナだった)シンジはいっそ楽にしてあげようとしたと見えたのです
が。包帯をきれいに巻いてあるところを見るとシンジが悩むに十分な時間はあ
ったのでしょう。(だからエントリープラグから気が付いたらあの場面、てい
う訳ではない。)そしたらもう動かないはずのアスカの手が動いたので、嬉し
くて涙が出た。ついでに「気持ち悪い」という正常なアスカがはくセリフが出
て、アスカが完全復活したという、無条件ハッピーエンドだと迷いもなく思っ
たのですが。
あの最後のアスカ首しめられシ-ンですが、そのあと
のアスカセリフが最後の最後に観客を現実に引き戻すオチ
みたいにかんじました。首しめ、まえふり?みたいな(笑)

 TVシリーズを見る限り、アスカシンジに対して14歳の少女らしい「嫌いだ
けど好き」という心理を抱いているようです(まぁ25話で助けられなかったこと
がしばらくもめる原因にはなるでしょうが)。それゆえに、シンジ腑抜けさに我
慢がならないのでしょうか。ただ、その心理とは別にエヴァパイロットとしての
ライバル意識も強烈ですから、非常に言動もわかりづらくなるのでしょう。

 シンジの方は、ミサトさんレイアスカもいいという宙ぶらりん状態ですが、
考えてみれば男ならたいていは心理的二股、三股は当たり前です。しかし、この中
で本当に可能性があるのはアスカだけなのですから(ミサトは年上過ぎ、レイは・
・・実の所は母、ユイですから)、将来的になんとか努力するでしょう。そのため
に現世に戻ったのですから。

 で、最初のコミュニケーションが首締めと「気持ちわるい」。一種ダークな感じ
もしますが、「他人とのコミュニケーションが最初からうまくいってたまるか」と
いうことであれば、先がどうなるかは・・・
 しかし、あのラスト必然とはいえ悲しい物がありましたね。
アダムにとってイブとは所詮他人であり、殺意を抱く対象であ
り、自分を傷つける存在なわけですから。
しかし、やはり最後はきついです。安易な現実礼賛はもっと嫌ですけれども
あそこにはやはり意地の悪さは感ぜずにはいられません。
少数派なのかもしれませんが、肯定否定はともかく「私の趣味としては嫌だ」
というのだけは間違いないです。こんな人もいるということで、一応、存在
を認めていただけるとありがたいです。
やはり、あれは監督からのメッセージと取るべきではないかと。
月に斜線が入っているように、もうこの「エヴァ」は終ったんだ、
もう人の作品に自分の考えに目くじら立てて攻めるのはやめてくれ、
見る側と自分は「他人」なんだ、そこまで立ち入らないでくれ、攻めないでくれ、
こっちにしたら「気持ち悪い」んだ、
エヴァ庵野の首を絞めるのはもうやめてくれ・・・
そういう事だと私は感じました。いつまでも他人に依存されると気持ち悪いって
事だと・・・そういう意味の、監督の「エヴァは終ったんだ!」という宣言
ではないだろうか。
私はあのラストシーンは
「自分に棘があることも、相手が針を持つことも、
全てを承知した上で敢えて一歩前に進む事が出来るようになった
シンジ君」に成長した、と言う風に考えています。

「気持ち悪う。」の台詞に関しては、あそこから人類の新しい
時代が始まる的な雰囲気(オーケストラが聞こえてきそうな、
とでも申しましょうか。)の中で、劇の中の世界ではこれは
現実なんだ、と言う目的で入れたのではないでしょうか。
(日常性を出したと言った方がいいかもしれません。)
まあ、いわゆるハリウッド的な大円団では無いよ。ってとこですか。
私はいい出来だったと思ってます。
 アスカは「気持ち悪い」よりもその前に差し出した手の方が重要だと思います。
敗北の象徴である同じ右手だというのがヒントでしょう。
 シンジが心象世界ラストシーンアスカを求めて首を締める
シーンはレイプメタファーじゃないかという意見がありました。
確かにそう解釈するとあのラストも非常に理解しやすくなるんで
すよね。
そしてラスト台詞ですが、私はシンジだけでなく、世界の全て(自分も)
に対して感じたメッセージだと感じました。生きていくには気持ち悪い世
界だけど、やっぱり死ぬのは嫌だ、と。そもそもアスカシンジを好きだ
とは思ってなかったのでショックではありませんでしたが、手も触れず、
目も動かさなくてあの台詞だったら、やっぱつらかったかな(^^;)。ともかく、
我が儘を貫き通した監督に拍手!
やっぱシンジアスカの首を絞めたのは、ATフィールドの象徴で
しょうな。人は生まれながらにして、他人を拒絶すると


  

2008-05-03

http://anond.hatelabo.jp/20080503103818

僭越ながら、少々答えよう。答えになっていないかもしれないが。

(俺はあまりアニメショップにもアキバにも行かないけど。ネット通販ばかりだから)

ここら辺のオタクが一番どうしようもない気がする。コミュ能力低いくせに恋愛への憧れは人一倍強くて恨みをぶつけている。

かといって知識もなくアイデンティティは「アニメを見ている」ってだけ。根暗で僻み根性丸出しで素直になれない奴ら。


ふーん。なるほど。「連中はどうしようもない連中」だと。

で、君は、アニメショップアキバがその「どうしようもない連中」の逃げ場だったくらいの想像力を持ち合わせていないのか、それとも、「どうしようもない連中」の劣等感を知っていてわざと「秋葉にカップルできちゃいけない理由って何?」と白々しく聞いているのか、「どうしようもない連中」の逃げ場をなくして自暴自棄にさせたいのか、それとも単にストレス解消のはけ口として/イジメの対象として「どうしようもない連中」を攻撃しているのか。いずれにせよ、救いようのない人間だということは分かった。

というわけで、現実ではこのような性格が最悪で想像力のかけらもない、全くもって救いようのない人間がいるのが事実なのだから、我々紳士オタクとしては、ご丁寧にお引取りを願うか、別の新天地を探すか、ネット通販を使うのが賢明な選択なのかも知れない。

2007-12-07

優越感ゲームについて個人的書きとめ

シロクマさんの優越感ゲーム云々以降の記事は、いろいろと考えるところがあった。iPodなどによる優越感の獲得は、ほぼまんまに「お前は俺か」だ。通学途中の満員電車の中や、ときには学校に着いてからも、いつも仏頂面のままにマイナー洋楽を聞いているし、唐突に電波ソングに切り替えてみたこともある。図書館勉強するときは、机の上にいろいろと無駄に積み上げ、周囲の雰囲気の威圧感に負けまいと防衛意識を高めている。今まではそのような行動をわりと自然にやっていた(優越感を獲得するためにあえてやっているという認識が弱かった)のだが、最近になってそのような意識に対して過敏になり、「大して好きでもないことをやっても優越感ゲームの肥やしにしかならねぇよ!」みたいなやさぐれ具合になってしまったのである。

しかし、他人に不可侵な優越感ゲームによる自己満足をやめたところで、コミュニケーションゲームから往々にして離脱し、ニッチな界隈での意識の発露も十分にできない自分にとって、残るのは何もないただ無力な存在だけだ。これは結構しんどい。繁華街を歩いていると、リア充たちとすれ違うたびにじわじわと敗北感が募ってくる。ゲーセンにいっても、周りの「俺TUEEEE」な奴らによるパフォーマンスによって自意識にペシペシとジャブを打たれたあと、実際に自分のプレイの不甲斐なさによってノックアウトされる。某アニメショップにいくと、嬉々としてモノを買いあさる人たちに圧倒される一方で自分はアンテナの低さゆえに何も目にとまらない、という状況のコントラストに落胆する。

だったらオタク的なことにプライオリティを置かなければいいじゃない、という話なのだが、そもそも他のさまざまな状況で安定した満足感を得られなかった結果の果てに、今があるのだ。おそらく周囲の人間から見れば、いわゆる「萌え」的なコンテンツの露出が大きくなっている昨今の潮流に流された、にわか的存在であるだろし、実際それは否定できない。同年代の多くはエヴァに大きな影響を受けている世代だが、そのあたりの基礎教養的なものに関する知識も少ないし、今さら振り返ろうとすることもない。変にプライドが高そうでとっつきにくいくせに、どこか構ってほしそうな雰囲気を隠しきれていないが、かといっていろいろと突っ込んでみると薄っぺらでどんな人間かわからない、という孤立しやすい典型だ。その結果、痛いニュースを流し読みして「まったく今の日本は…」と嘆き、ホッテントリを見てリテラシーを獲得した気分になり、ニコニコに上がってくる動画を見て適当に「わろたwwwww」とだけコメントするような、極めて楽な立場に流されていく。そのような引力に逆らおうとしながらも、コミュニケーション舞台に上がろうとしたり、カテゴライズされた領域での承認を得ようとすることは積極的にしないので、ささやかな優越感ゲームによる自意識の囲い込みはなくてはならないもののようだ。これをトラバしてダイアリーに書こうとはせず、増田に投下しているのも、よりリスクの少ない方法で優越感を得ようとしたからだろう。

おそらく、なんらかのキャッチー言葉(スイーツ(笑)など)に反応しすぎるあまり、そのようなステレオタイプに当てはまるまいとする意識が過剰に働いてしまい、がんじがらめになるのがいけないのだと思う。中途半端メタ思考に左右され、まっとうに物事を考える視点がなくなってしまっている。ほどよい程度の鈍感さというかスルー力みたいなものを持ち合わせた上で不要な雑音に対応し、それなりに歩みを進めるしかないのだが、実行するのはなかなか難しい。

2007-08-20

はじめてのコミケ

クリルタイを買った。

・ナツカレを買った。

東浩紀を見た。すっごい不機嫌だった。フリーペーパーだけ貰ってきた。

・黒ジャケ着てる人がいた。長袖シャツの人も多くてびっくりした。暑くないんだろうか…。

・思ってたより臭くなかった。週末のアニメショップの方がもっと臭い事もある、と思う。

Littlewitchの紙袋は普通っぽかった。

エロエロの紙袋を持ったまま気にせず電車に乗っていく人が多いことにも驚いた。

楽しかったけど疲れました…><

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